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ルーシーさん😀本日もリクエストに応えていただき、ありがとうございます🙇光秀の人物像と、謀叛本能寺の変が、以前からしっくりこなくて、謎でした🙄やっぱりそそのかした人物(複数かも?)がいたんですね🤔秀吉は、天下を取るために、別人の首を光秀の物だと偽り、自分が仇をうったことにして、ことを進めたのでしょうね。リーディングありがとうございました🙇歴史って、もう過ぎ去った遠い過去のことなのに、無限に広がるロマンを感じます😆🎵
いつもご視聴くださりありがとうございます。歴史は謎が多いですよね…。だから面白いでふが♪所詮占いですが、少しでも見えない部分が見えると真実に近づくのかなと思っています🐱
光秀は、正妻が疱瘡にかかって身体に痕が残っても大切にした人です心優しく強い人間だったと思いますそんな主君に忠実な光秀を追い詰めたのは相当の事力のカードは娘のガラシャではないかと思いましたガラシャは悲惨な死に方をしましたが、父親を守ったのかとも...まつりごとは複雑ですね分からないから面白い分かったらつまらないのか私もまた歴史を勉強しようかなぁ😊ルーシー様、今日もありがとうございました✴️👼✴️
いつもご視聴くださりありがとうございます。ガラシャ…なるほど!と思いました。あり得そうですね🐱
明智光秀が大好きなので、大河などで見られるあまりに悲しい最期に理不尽さを感じていました。はっきり言って残酷な織田信長なんて死んだことがはっきりすれば良かったと思いますが、光秀の生存説には本当に希望を抱きました。どっちにしても晩年は苦しかったとは思いますが、明智光秀は現在人に通じる正義感を持った人だと思っています。余計な話なのですが、私の以前いた会社では、明智光秀の悪口は禁句でした。なかなかない職場ですが、歴史好きの人が多く集っていた職場なので、そうゆうこともありました。
ご視聴くださりありがとうございます。私も光秀は大好きです。誠実で優秀な人物だったと思います。機会があれば光秀の晩年をタロットに聞いてみたいと思います🐱
早い!嬉しい!ありがとうございます🎵
ルーシーさま、興味深いリーディングをありがとうございます😊評判を落とそうと陰で画策したのは秀吉?盟友なのに裏切ったのは細川?黒幕は、自分は何も失わず、勝ち馬に乗ろうとして様子見を決め込んでいたのでは。生真面目で誠実にやって来たと自負して来ただけに、理不尽や不誠実が許せないと思ってしまったのでしょうか。官軍によって貶められた人物像も、近年は名誉回復されていますが、ここでも歴史のifを思ってしまいますね。秀吉ではなく光秀だったら…良くも悪くも歴史は変わっていたでしょうね。
いつもご視聴くださりありがとうございます。ホントに私も同感です。いつの世も黒幕が誠実な人を利用し騙す…変わってほしいと思います😞
先生初めまして。前回、そして今回も興味深い内容でした。明智光秀を唆した相手…もしかして徳川家康か?と思いました。
はじめまして。ご視聴くださりありがとうございます。コメントもありがとうございます。家康がかくまった説が濃厚ですよね♪🐱
徳川家康が明智光秀を唆した…家康は自分の妻と長男を殺害する憂き目を見ています(確か信長絡みだったと思う。彼自身は自分の立場を考えれば信長に手を出せない、だから光秀を唆し遠回しに信長を打った…とも思います)ただわたしは明智光秀イコール南光坊天海という説には懐疑的です(面白い説ですがね)。理由は家康は慎重な人物だったそうです。そういう人間が自分の主君 に刃を向けた人物を部下にするでしょうか?(自分も寝首を掻かれるかもしれないと思えば部下には到底しないと思います)
天海説が濃厚か❔どちらも家紋が似ているとの事でしょうしね?😅
たしか、有名なお坊さん天海になったのでは。
明智光秀を影で助けたのは濃姫でしょうか?織田信長の正室は濃姫で明智光秀の叔母の娘です。
濃姫…なるほど!です。とても勉強になります。ありがとうございます🐱
明智大正村と言う場所が、中津川の近くから、奥に入って行った場所に有りました。その土地は、遠山家にも縁が有った様でした。どちらも、源氏の末裔の様です。母方は源氏ですが、父方は、源氏と平家で迷っている様です。中には源氏だと言うお寺が有るのです。北陸の山中温泉の温泉地で、同じ家紋だったと言う事と、織田信長の織田家が平家だったからだそうです。
ご視聴くださりありがとうございます。貴重な情報をありがとうございます。勉強になります🐱
富子山中さんへ。遠山家の者です。その話しをもっと聞きたいです。
明智光秀は生き延びて61歳まで生きたそうで九州にお墓があるそうです。四国にも居たようです。天海は明智光秀の娘の夫の説があるようですがはっきりした事は不明のようです。残されてる筆記では天海と明智光秀は別人だと鑑定されましたが天海は謎のある人物ですが徳川家康とは親密な(仲の良い)関係のようです。
ご視聴くださりありがとうございます。貴重な情報をありがとうございます。とても勉強になります🐱
オカルト研究家の山口敏太郎さんのチャンネルで紹介されている四国の霊能者の『ちかみつ』さんという方が、そのように仰っておられました。男性の、評判の良い霊能者の方ですが、大変おっとりした方です。
よしおかあけみさんへ。返信ありがとうございます。貴重な情報は初耳です。四国に霊能者がいるんですね。同じ事をおっしゃってたなら真実のようですね。明智光秀は本能寺の変の後の1週間かもう少し後くらいに近隣へ書状を書いたようなのでその時点では亡くなってないようです。毛利攻めに行った秀吉は現地に着いてからすぐに帰る支度をしていたようなので光秀の動きを知っていた可能性が高いようです。
@武田ひろみ-e9k 有難うございます、返信でまた貴重なお話が聞けました。3回の臨死体験をしたという、有名な木内鶴彦さんは、殺された信長は影武者で、本人は逃げて、確か福井県の小浜から船で海外に渡りバチカンに行ったと言うことです。山口敏太郎さんが「ちかみつ」さんに見てもらったら、信長は日本での争いに飽きて、バチカンに憧れて周到に準備をして行ったようです。確か、二十人くらいの家来や、金細工などができる職人を連れて行き、金も持って行ったと言っていたと思います。向こうの人に重宝がられれば、殺されて終わることもないと思うので、流石、頭が良いと思いました。木内鶴彦さんによると、バチカンで「ジョルダーノ・ブルーノ」という名前を貰ったそうです。きっと、バチカンにも記録があって、隠しているのだろうと、私は勝手に想像しています。
よしおかあけみさんへ。お返事ありがとうございます。木岡鶴彦さんはよく知りませんが信長は海外に逃げたんですね。海外に興味のある信長だからその可能性は高いですね。ジョルダーノブルーノは聞いたことあります。濃姫は信長と一緒に行ったんでしょうか?それでバチカンや海外に記録が残されてるんでしょうね。一説には信長と濃姫が行った先の海外で処刑されたとの事。それが本当なら理由は何なのか知りたいです。信長の正室だったのに濃姫の記録があまりにも少ないようで信長と結婚した後に病気か何かで亡くなった説もありますが父親だった斎藤道三が亡くなった後に父親の姿を描いた画をお寺に奉納した後に行方不明になったそうです。その時に信長と一緒に海外へ渡ったのか?謎が多い人物です。
生き延びていたとは、その後はどう生きていたのでしょう?秀吉の追手に捕まったのでそうか?謎ですね。
ルーシーさん😀
本日もリクエストに応えていただき、ありがとうございます🙇
光秀の人物像と、謀叛本能寺の変が、以前からしっくりこなくて、謎でした🙄
やっぱりそそのかした人物(複数かも?)がいたんですね🤔
秀吉は、天下を取るために、別人の首を光秀の物だと偽り、自分が仇をうったことにして、ことを進めたのでしょうね。
リーディングありがとうございました🙇
歴史って、もう過ぎ去った遠い過去のことなのに、無限に広がるロマンを感じます😆🎵
いつもご視聴くださりありがとうございます。歴史は謎が多いですよね…。だから面白いでふが♪所詮占いですが、少しでも見えない部分が見えると真実に近づくのかなと思っています🐱
光秀は、正妻が疱瘡にかかって身体に痕が残っても大切にした人です
心優しく強い人間だったと思います
そんな主君に忠実な光秀を追い詰めたのは相当の事
力のカードは娘のガラシャではないかと思いました
ガラシャは悲惨な死に方をしましたが、父親を守ったのかとも...
まつりごとは複雑ですね
分からないから面白い
分かったらつまらないのか
私もまた歴史を勉強しようかなぁ😊
ルーシー様、今日もありがとうございました✴️👼✴️
いつもご視聴くださりありがとうございます。ガラシャ…なるほど!と思いました。あり得そうですね🐱
明智光秀が大好きなので、大河などで見られるあまりに悲しい最期に理不尽さを感じていました。
はっきり言って残酷な織田信長なんて死んだことがはっきりすれば良かったと思いますが、光秀の
生存説には本当に希望を抱きました。どっちにしても晩年は苦しかったとは思いますが、明智光秀は現在人に通じる
正義感を持った人だと思っています。余計な話なのですが、私の以前いた会社では、明智光秀の悪口は禁句でした。
なかなかない職場ですが、歴史好きの人が多く集っていた職場なので、そうゆうこともありました。
ご視聴くださりありがとうございます。私も光秀は大好きです。誠実で優秀な人物だったと思います。機会があれば光秀の晩年をタロットに聞いてみたいと思います🐱
早い!嬉しい!ありがとうございます🎵
ルーシーさま、興味深いリーディングをありがとうございます😊
評判を落とそうと陰で画策したのは秀吉?盟友なのに裏切ったのは細川?
黒幕は、自分は何も失わず、勝ち馬に乗ろうとして様子見を決め込んでいたのでは。
生真面目で誠実にやって来たと自負して来ただけに、理不尽や不誠実が許せないと思ってしまったのでしょうか。
官軍によって貶められた人物像も、近年は名誉回復されていますが、ここでも歴史のifを思ってしまいますね。
秀吉ではなく光秀だったら…良くも悪くも歴史は変わっていたでしょうね。
いつもご視聴くださりありがとうございます。ホントに私も同感です。いつの世も黒幕が誠実な人を利用し騙す…変わってほしいと思います😞
先生初めまして。前回、そして今回も興味深い内容でした。明智光秀を唆した相手…もしかして徳川家康か?と思いました。
はじめまして。ご視聴くださりありがとうございます。コメントもありがとうございます。家康がかくまった説が濃厚ですよね♪🐱
徳川家康が明智光秀を唆した…家康は自分の妻と長男を殺害する憂き目を見ています(確か信長絡みだったと思う。彼自身は自分の立場を考えれば信長に手を出せない、だから光秀を唆し遠回しに信長を打った…とも思います)ただわたしは明智光秀イコール南光坊天海という説には懐疑的です(面白い説ですがね)。理由は家康は慎重な人物だったそうです。そういう人間が自分の主君 に刃を向けた人物を部下にするでしょうか?(自分も寝首を掻かれるかもしれないと思えば部下には到底しないと思います)
天海説が濃厚か❔どちらも家紋が似ているとの事でしょうしね?😅
たしか、有名なお坊さん天海になったのでは。
明智光秀を影で助けたのは濃姫でしょうか?織田信長の正室は濃姫で明智光秀の叔母の娘です。
濃姫…なるほど!です。とても勉強になります。ありがとうございます🐱
明智大正村と言う場所が、中津川の近くから、奥に入って行った場所に有りました。その土地は、遠山家にも縁が有った様でした。どちらも、源氏の末裔の様です。母方は源氏ですが、父方は、源氏と平家で迷っている様です。中には源氏だと言うお寺が有るのです。北陸の山中温泉の温泉地で、同じ家紋だったと言う事と、織田信長の織田家が平家だったからだそうです。
ご視聴くださりありがとうございます。貴重な情報をありがとうございます。勉強になります🐱
富子山中さんへ。遠山家の者です。その話しをもっと聞きたいです。
明智光秀は生き延びて61歳まで生きたそうで九州にお墓があるそうです。四国にも居たようです。天海は明智光秀の娘の夫の説があるようですがはっきりした事は不明のようです。残されてる筆記では天海と明智光秀は別人だと鑑定されましたが天海は謎のある人物ですが徳川家康とは親密な(仲の良い)関係のようです。
ご視聴くださりありがとうございます。貴重な情報をありがとうございます。とても勉強になります🐱
オカルト研究家の山口敏太郎さんのチャンネルで紹介されている四国の霊能者の『ちかみつ』さんという方が、そのように仰っておられました。男性の、評判の良い霊能者の方ですが、大変おっとりした方です。
よしおかあけみさんへ。返信ありがとうございます。貴重な情報は初耳です。四国に霊能者がいるんですね。同じ事をおっしゃってたなら真実のようですね。明智光秀は本能寺の変の後の1週間かもう少し後くらいに近隣へ書状を書いたようなのでその時点では亡くなってないようです。毛利攻めに行った秀吉は現地に着いてからすぐに帰る支度をしていたようなので光秀の動きを知っていた可能性が高いようです。
@武田ひろみ-e9k 有難うございます、返信でまた貴重なお話が聞けました。3回の臨死体験をしたという、有名な木内鶴彦さんは、殺された信長は影武者で、本人は逃げて、確か福井県の小浜から船で海外に渡りバチカンに行ったと言うことです。山口敏太郎さんが「ちかみつ」さんに見てもらったら、信長は日本での争いに飽きて、バチカンに憧れて周到に準備をして行ったようです。確か、二十人くらいの家来や、金細工などができる職人を連れて行き、金も持って行ったと言っていたと思います。向こうの人に重宝がられれば、殺されて終わることもないと思うので、流石、頭が良いと思いました。木内鶴彦さんによると、バチカンで「ジョルダーノ・ブルーノ」という名前を貰ったそうです。きっと、バチカンにも記録があって、隠しているのだろうと、私は勝手に想像しています。
よしおかあけみさんへ。お返事ありがとうございます。木岡鶴彦さんはよく知りませんが信長は海外に逃げたんですね。海外に興味のある信長だからその可能性は高いですね。ジョルダーノブルーノは聞いたことあります。濃姫は信長と一緒に行ったんでしょうか?それでバチカンや海外に記録が残されてるんでしょうね。一説には信長と濃姫が行った先の海外で処刑されたとの事。それが本当なら理由は何なのか知りたいです。信長の正室だったのに濃姫の記録があまりにも少ないようで信長と結婚した後に病気か何かで亡くなった説もありますが父親だった斎藤道三が亡くなった後に父親の姿を描いた画をお寺に奉納した後に行方不明になったそうです。その時に信長と一緒に海外へ渡ったのか?謎が多い人物です。
生き延びていたとは、その後はどう生きていたのでしょう?秀吉の追手に捕まったのでそうか?謎ですね。