Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
面白い。今回出て来た神様達の共通点は、全て出雲系って事ですね。そこから大和系へ上手くバトンタッチしていく過程の、記紀の丁寧で緊張感のある描き方に魅了されます。いわゆる弥生時代と分類されるあの時代に何があったのか?のヒントが凝縮されてるのがたまりません。
私見ですが天孫降臨以前の神々のお話しにロマンを感じますね。
聴き易い声で集中できました万能だからこそ、他の神と同一視する事で功績や権威を高めようとしたのでしょうかね
ハテナさん いつも楽しみにさせて頂いています 内容がわかりやすく語り手の方がよりわかりやすく伝えてくれてますありがとうございます
おおたたねこも物部氏。大物主は物部氏の祖。物部氏の祖は饒速日。大物主は大山咋。大山咋の子は上賀茂神社の祭神。大山咋の父は下鴨神社の祭神。饒速日は神武の父。饒速日の父は素戔嗚。素戔嗚は出雲。大物忌神は豊受大神と同一。豊受大神は伊勢外宮の祭神。豊受大神は元伊勢籠神社奥宮の祭神。元伊勢籠神社の祭神は饒速日。元伊勢の宮司さんは海部氏。海部氏は物部氏と同族。元伊勢の宮司・海部氏の家系図は天皇家よりも古いとされる。熊野神社はイザナギとイザナミと素戔嗚と八咫烏。伊雑宮のお祭りは女装した男神。伊勢内宮の天照大神は天岩戸開きで鏡に映った女神。鏡は逆さまに映るから元は男神。
神様に階級は無いと考えています。信仰する神様により争いがある現世。本当は全ての神様には同一の父が居る。そう考えれば全て丸く収まるかと😊🐶🇯🇵
日本に限らず、神話に出てくる神は偶像ではなく、モデルになった人物がいたのは間違いないでしょう。神ではないのですが、個人的に日本武尊(皇子)という古代の英雄が気になるのですが、意外と話題化されない人物です・・・
お疲れ様です。大物主 オオナムチ 猿田彦大神
私個人的には大物主命を信奉する国家との連合の為にヤマト王権は、連合共同して大和や奈良を支配して行ったと観ています。
三輪山を御神体とする大神神社は山頂に大物主神、中腹に大己貴神、山麓に少彦名命を御祭神にしていて、三輪山に登るのにはいろいろルールがありますね。古代のロマンがありますよ。神戸にも大歳神社がたくさんありますね。
神戸(兵庫県)~播磨地域(全体)にかけては大歳神社の集中する特異地域。サイの神!賢し。
宮崎の鵜戸神宮もうさぎ推してますけど 関係ありますかね?
大和を開拓した出雲から摂津三島に移住したクシヒカタが出雲の祖クナトノ大神大山積と父上八重波津身事代主少名彦を大和三輪山の大神神社に祭り、事代主はやがて大物主と呼ばれたようです。古事記で少名彦を体の小さな神が突然死んで粟に飛ばされてしまった取るに足らない神として少名毘古那と書かれているのは、出雲王国の副王である少名彦を名と彦を何かの時に逆に書いてしまい誤植されたまま本来の神名がわからない様にそのまま書かれたものであろうと思います。
古代の神々=古代の有力者(人間)説に1票
教えてください。糸巻きに残ったみわとは何ですか?
大物主神が大年神、饒速日命と同一であると言う話は聞いた事があります。私は神は皆元は同じで、職業や暮らしている立地によって、呼び名やその御利益が違うのだと思います。
こんにちは❗️ニギハヤヒやアマテラスを古文書にもある、武内宿禰(タケノウチノスクネ代々引き継ぐ役職名)と考えると少し文献や代々継がれるものととらえると謎に包まれても府に落ちることができます。
なんか、日本の神様って神話なんだけど具体的な功績を残してますよねぇ治水とか灌漑とか稲作とか海外の方には失礼ですけどんで、何したの?ってのとは別格だと思っちゃうんです。
日本の神話も海外の神話(聖書含む)も同じことを書いてる名前を変えただけただ日本だけじゃなくて海外も改ざんがひどくて断片になっててジグソーパズル状態になってる日本の場合はさらに天智、天武、持統の時代に改ざんし過去の歴史書を処分したからなただ古史古伝と海外の神話と現在の遺伝子学、考古学の発見から記紀の方が偽書なんじゃないかと言う説が増えている日本の歴史、考古学や宮内庁がだんまりなのは神話の改ざんをしたのが今の王朝の祖のニニギだからその末裔が今の皇族でパヨクやDSなどと組んでるからどうしようもないんだよな
素晴らしい❗大物主、大国主、ニギハヤヒ、同一です。出雲宗像秘話では、須佐之男とも。大天使ミカエル。ニンギシュジッタ、キリスト、天空神アンらしいです😨驚きです❗
the神道だね。しかし権威付けハンパねぇ
👀
抽象的で汎用性を持つ神様だから、つい具体的な存在として捉えカテゴライズしようとしてしまったんだよ(テキトー 原初的な存在は常に偏りなく普遍的で捉えにくい(更にテキトー
結論から言うと、三輪山には元々出雲系の事代主が祀られていた。出雲族に代わって(追い出して)支配者となった物部氏がその支配を正当化する為、彼等の祖先神が祀られているように「事代主」→「大物主」と神名を書き換えた。その作業を行った(場所は檜原神社)のが宗像三女神(その磐座が三輪山に設置されている)を奉ずる宗像神社の巫女で、その代表が倭迹迹日百襲姫命。しかし先住民側の抵抗(祟り)?を受けて書き換え(差分アップデート)は中途半端に終わり、出雲系の大神神社と物部系の檜原神社が並立する状態になった。
贈り名ではなく、いみ名、漢字わすれました、、、
大国主って、役職名だったとおもう、大物主は個人名、コノハナサクヤヒメ姫も、幼少は、あたつ姫、ニニギノの命と結婚して、くくり姫なを変え富士山の火口から身を投げ亡くなった後にコノハナサクヤヒメと、、、贈り名が付き、神様の名前はわかりずらいですね!
大物主の以前は30か国はありましたが、神が30柱存在していたのではなく、例えばヤマト族の神、クナト族の神、秦族の神、海人族の神等だと思います。クナト族の神は火の神であり、蛇の神でもあるから、多分クナト族の神の祟りが畏れられたのだと思います。卑弥呼が亡くなり、イザナギ・イザナミ系の神が入ってきたが、クナトの神が盛り返してきたのだと思います。ちなみに秦族はヘブライからの客人神で白人系で大分の宇佐(兎さ)辺りに多く移住していたと思います。秦は辰韓経由でも倭に入って来ましたから、因幡の白兎は、秦の別系統で、山陰で己惚れた辰韓(白兎)がやらかしたことで仕置された話だとおもいます。現代も変りませんね。大分の兎さは賢く、瀬戸内方面で力を持っていたと思います。
いつも楽しく視聴しております。この動画と関係がなく恐縮ですが、歴史ミステリーチャンネルってハテナさんとは関係ないですか?サムネとか動画内容を見るといくつもハテナ見聞録にかぶせてきている気がしましたので通報しておきます!猿真似みたいなチャンネルが撲滅する事を祈ってます。
コメントありがとうございます。以前にも同様のお問い合わせをいただいた事がありますが、ハテナ見聞録と件のチャンネルはまったくもって無関係です。同じ様な題材を扱うチャンネルだからこそ配慮をいただきたいと思い暫く前にtwitterにてその旨お伝えしたんですが、ご返答いただけておりません。改めて確認の上、対応を講じたいと考えております。ご報告ありがとうございます
知り合いが“10年以上前に“行ってきます。”。“でも何を見たか絶対に話してはならない☝️”と言ってましたが小生も行ってみたいです。しかし、戦後アメリカ軍には除かれずに済んだのか⁉️悪戯されなくて済んだのか⁉️良いレプテリアンが三輪山を守っている様な気が致しますが如何でしょうか⁉️夫婦や恋人同士なら一緒に行っても良いのでしょうか?それとも一人でしか入ってはいけないのか⁉️🌪🌈
大物主は出雲神であることは間違いない。太田種子は東出雲王家の系列である。三輪山の祭祀は、太田種子の娘が主宰していた。葛城の地に住む出雲神族が信奉する、太陽信仰の巫女を務めたのである。三輪山に昇る朝日を遥拝した。時と共に、全国の豪族も、その祭祀に集まるようになっていった。で、大物主とは八重事代主のことである。大国主の時の出雲の副王(スクナヒコナ)である。東出雲王家の出である。大国主とはヤチホコであり主王(オオナモチ)である。西出雲王家の出である。すなわち大和の地は、出雲神族が進出して治めていた地であり物部が九州から東征した時に、大和守った、トミノナガスネヒコは東出雲王家の出である。饒速日とは、徐福のことであり神武天皇は祖孫の天村雲である。丹波の海部族の出である。徐福は1回目の来日で出雲に渡来し、出雲王家はアメノフユギヌの娘、高照姫を徐福の后として出し、和睦した。間に出来た子が、五十猛である。徐福が一度、秦に帰ったので、高照姫と五十猛は、大国主が与えた徐福船団者たちが住む、丹波に移った。五十猛の子が天村雲である。徐福の二度目の来日で北九州に渡来、宗像族の姫を妃に迎えて、孫にイツセとウマシマジをもうける。彼らが東征して大和を陥落させた。同時に出雲も陥落させ、出雲王権は失脚する。彼らは物部と呼ばれた。大和王権は、初期は、出雲、海部連合王権、のちに物部が支配権を確立する。
大物主は親父の大国主と出雲を裏切ったから加茂に改名し八咫烏になった
じゃあアジスキタカヒコネなん?
大物主のモデルはソロモン王です ソロモン王の別名はオーモン。ユダ族はエブス人(事代主)やフェニキア人(クマソ?)やケルト人(隼人)と共にタルシシ船で日本へやってきました。これは北イスラエルが滅亡する以前の事だったようです。ユダ族の民は日本の出雲族と融合し国造りしました。このことが分かると、古事記の暗号が全て理解できます。
大国主命のような頭を耳のところで結わった髪型や白い服装の神様の姿は、なにが起源ですか?仏像などは源流はギリシャだと分かってる。 日本の神の絵は大元がわからない。神社に偶像などないのに、大国主命の絵はある。これこそ謎です。 だれか教えてください。
参考にならないかもしれませんが、あの耳のところで結えた髪型は、ユダヤ(古代イスラエル)人の、もみあげではないでしょうか?現在でも正統派のユダヤ教徒は、戒律で、もみあげを切ってはいけないので長く伸ばしたり、捻り上げて纏めたりしています。その姿は古代の日本人によく似ていますし、日本から沢山のユダヤ人と思われる埴輪も出土しています。こちらが先なのか、あちらが先なのかは分かりませんが何かと御縁がありそうな民族です。
大物主さまは、シリウスから来られた龍型シリウス人です
記紀は勝者の記録ですので有名な物事はなんでもヤマト王家の関係に取り込んでいるような気がします。本来のヤマト王家の神様は大物主ですが有名な大国主と同一にしたり大国主は大黒天と同一になり、そして大日如来と同一になったりします。本来の大神神社は山を崇拝する自然崇拝から始まったと認識しています。山崇拝から大物主崇拝なんですか。うーん。
面白い。今回出て来た神様達の共通点は、全て出雲系って事ですね。そこから大和系へ上手くバトンタッチしていく過程の、記紀の丁寧で緊張感のある描き方に魅了されます。いわゆる弥生時代と分類されるあの時代に何があったのか?のヒントが凝縮されてるのがたまりません。
私見ですが天孫降臨以前の神々のお話しにロマンを感じますね。
聴き易い声で集中できました
万能だからこそ、他の神と同一視する事で
功績や権威を高めようとしたのでしょうかね
ハテナさん いつも楽しみにさせて頂いています 内容がわかりやすく語り手の方がよりわかりやすく伝えてくれてます
ありがとうございます
おおたたねこも物部氏。
大物主は物部氏の祖。
物部氏の祖は饒速日。
大物主は大山咋。
大山咋の子は上賀茂神社の祭神。
大山咋の父は下鴨神社の祭神。
饒速日は神武の父。
饒速日の父は素戔嗚。
素戔嗚は出雲。
大物忌神は豊受大神と同一。
豊受大神は伊勢外宮の祭神。
豊受大神は元伊勢籠神社奥宮の祭神。
元伊勢籠神社の祭神は饒速日。
元伊勢の宮司さんは海部氏。
海部氏は物部氏と同族。
元伊勢の宮司・海部氏の家系図は天皇家よりも古いとされる。
熊野神社はイザナギとイザナミと素戔嗚と八咫烏。
伊雑宮のお祭りは女装した男神。
伊勢内宮の天照大神は天岩戸開きで鏡に映った女神。
鏡は逆さまに映るから元は男神。
神様に階級は無いと考えています。
信仰する神様により争いがある現世。
本当は全ての神様には同一の父が居る。
そう考えれば全て丸く収まるかと😊🐶🇯🇵
日本に限らず、神話に出てくる神は偶像ではなく、モデルになった人物がいたのは間違いないでしょう。
神ではないのですが、個人的に日本武尊(皇子)という古代の英雄が気になるのですが、意外と話題化されない人物です・・・
お疲れ様です。
大物主 オオナムチ 猿田彦大神
私個人的には大物主命を信奉する国家との連合の為にヤマト王権は、連合共同して大和や奈良を支配して行ったと観ています。
三輪山を御神体とする大神神社は山頂に大物主神、中腹に大己貴神、山麓に少彦名命を御祭神にしていて、三輪山に登るのにはいろいろルールがありますね。古代のロマンがありますよ。神戸にも大歳神社がたくさんありますね。
神戸(兵庫県)~播磨地域(全体)にかけては
大歳神社の集中する特異地域。
サイの神!
賢し。
宮崎の鵜戸神宮もうさぎ推してますけど 関係ありますかね?
大和を開拓した出雲から摂津三島に移住したクシヒカタが出雲の祖クナトノ大神大山積と
父上八重波津身事代主少名彦を大和三輪山の大神神社に祭り、事代主はやがて大物主と
呼ばれたようです。
古事記で少名彦を体の小さな神が突然死んで粟に飛ばされてしまった取るに足らない神
として少名毘古那と書かれているのは、出雲王国の副王である少名彦を名と彦を何かの
時に逆に書いてしまい誤植されたまま本来の神名がわからない様にそのまま書かれた
ものであろうと思います。
古代の神々=古代の有力者(人間)説に1票
教えてください。
糸巻きに残ったみわとは何ですか?
大物主神が大年神、饒速日命と同一であると言う話は聞いた事があります。
私は神は皆元は同じで、職業や暮らしている立地によって、呼び名やその御利益が違うのだと思います。
こんにちは❗️
ニギハヤヒやアマテラスを
古文書にもある、武内宿禰(タケノウチノスクネ代々引き継ぐ役職名)と考えると少し文献や代々継がれるものととらえると謎に包まれても府に落ちることができます。
なんか、日本の神様って
神話なんだけど
具体的な功績を残してますよねぇ
治水とか灌漑とか稲作とか
海外の方には失礼ですけど
んで、何したの?
ってのとは別格だと思っちゃうんです。
日本の神話も海外の神話(聖書含む)も同じことを書いてる
名前を変えただけ
ただ日本だけじゃなくて海外も改ざんがひどくて断片になっててジグソーパズル状態になってる
日本の場合はさらに天智、天武、持統の時代に改ざんし
過去の歴史書を処分したからな
ただ古史古伝と海外の神話と現在の遺伝子学、考古学の発見から記紀の方が偽書なんじゃないかと言う説が増えている
日本の歴史、考古学や宮内庁がだんまりなのは神話の改ざんをしたのが今の王朝の祖のニニギだからその末裔が今の皇族でパヨクやDSなどと組んでるからどうしようもないんだよな
素晴らしい❗大物主、大国主、ニギハヤヒ、同一です。出雲宗像秘話では、須佐之男とも。大天使ミカエル。ニンギシュジッタ、キリスト、天空神アンらしいです😨驚きです❗
the神道だね。
しかし権威付けハンパねぇ
👀
抽象的で汎用性を持つ神様だから、つい具体的な存在として捉えカテゴライズしようとしてしまったんだよ(テキトー
原初的な存在は常に偏りなく普遍的で捉えにくい(更にテキトー
結論から言うと、三輪山には元々出雲系の事代主が祀られていた。
出雲族に代わって(追い出して)支配者となった物部氏がその支配を正当化する為、彼等の祖先神が祀られているように「事代主」→「大物主」と神名を書き換えた。
その作業を行った(場所は檜原神社)のが宗像三女神(その磐座が三輪山に設置されている)を奉ずる宗像神社の巫女で、その代表が倭迹迹日百襲姫命。
しかし先住民側の抵抗(祟り)?を受けて書き換え(差分アップデート)は中途半端に終わり、出雲系の大神神社と物部系の檜原神社が並立する状態になった。
贈り名ではなく、いみ名、漢字わすれました、、、
大国主って、役職名だったとおもう、
大物主は個人名、コノハナサクヤヒメ姫も、幼少は、あたつ姫、ニニギノの命と結婚して、くくり姫なを変え
富士山の火口から身を投げ亡くなった後にコノハナサクヤヒメと、、、贈り名が付き、神様の名前はわかりずらいですね!
大物主の以前は30か国はありましたが、神が30柱存在していたのではなく、例えばヤマト族の神、クナト族の神、秦族の神、海人族の神等だと思います。
クナト族の神は火の神であり、蛇の神でもあるから、多分クナト族の神の祟りが畏れられたのだと思います。卑弥呼が亡くなり、イザナギ・イザナミ系の神が入ってきたが、クナトの神が盛り返してきたのだと思います。
ちなみに秦族はヘブライからの客人神で白人系で大分の宇佐(兎さ)辺りに多く移住していたと思います。秦は辰韓経由でも倭に入って来ましたから、因幡の白兎は、秦の別系統で、山陰で己惚れた辰韓(白兎)がやらかしたことで仕置された話だとおもいます。現代も変りませんね。大分の兎さは賢く、瀬戸内方面で力を持っていたと思います。
いつも楽しく視聴しております。
この動画と関係がなく恐縮ですが、歴史ミステリーチャンネルってハテナさんとは関係ないですか?
サムネとか動画内容を見るといくつもハテナ見聞録にかぶせてきている気がしましたので
通報しておきます!猿真似みたいなチャンネルが撲滅する事を祈ってます。
コメントありがとうございます。
以前にも同様のお問い合わせをいただいた事がありますが、
ハテナ見聞録と件のチャンネルはまったくもって無関係です。
同じ様な題材を扱うチャンネルだからこそ配慮をいただきたいと思い
暫く前にtwitterにてその旨お伝えしたんですが、ご返答いただけておりません。
改めて確認の上、対応を講じたいと考えております。ご報告ありがとうございます
知り合いが“10年以上前に“行ってきます。”。
“でも何を見たか絶対に話してはならない☝️”
と言ってましたが小生も行ってみたいです。
しかし、戦後アメリカ軍には除かれずに済んだのか⁉️
悪戯されなくて済んだのか⁉️
良いレプテリアンが三輪山を守っている様な気が致しますが如何でしょうか⁉️
夫婦や恋人同士なら一緒に行っても良いのでしょうか?
それとも一人でしか入ってはいけないのか⁉️🌪🌈
大物主は出雲神であることは間違いない。
太田種子は東出雲王家の系列である。
三輪山の祭祀は、太田種子の娘が主宰していた。
葛城の地に住む出雲神族が信奉する、太陽信仰の巫女を務めたのである。
三輪山に昇る朝日を遥拝した。
時と共に、全国の豪族も、その祭祀に集まるようになっていった。
で、大物主とは八重事代主のことである。
大国主の時の出雲の副王(スクナヒコナ)である。
東出雲王家の出である。
大国主とはヤチホコであり主王(オオナモチ)である。
西出雲王家の出である。
すなわち大和の地は、出雲神族が進出して治めていた地であり
物部が九州から東征した時に、大和守った、トミノナガスネヒコは東出雲王家の出である。
饒速日とは、徐福のことであり
神武天皇は祖孫の天村雲である。
丹波の海部族の出である。
徐福は1回目の来日で出雲に渡来し、出雲王家はアメノフユギヌの娘、高照姫を徐福の后として出し、和睦した。
間に出来た子が、五十猛である。
徐福が一度、秦に帰ったので、高照姫と五十猛は、大国主が与えた徐福船団者たちが住む、丹波に移った。
五十猛の子が天村雲である。
徐福の二度目の来日で北九州に渡来、宗像族の姫を妃に迎えて、孫にイツセとウマシマジをもうける。
彼らが東征して大和を陥落させた。
同時に出雲も陥落させ、出雲王権は失脚する。
彼らは物部と呼ばれた。
大和王権は、初期は、出雲、海部連合王権、のちに物部が支配権を確立する。
大物主は親父の大国主と出雲を裏切ったから加茂に改名し八咫烏になった
じゃあアジスキタカヒコネなん?
大物主のモデルはソロモン王です ソロモン王の別名はオーモン。ユダ族はエブス人(事代主)やフェニキア人(クマソ?)やケルト人(隼人)と共にタルシシ船で日本へやってきました。これは北イスラエルが滅亡する以前の事だったようです。ユダ族の民は日本の出雲族と融合し国造りしました。
このことが分かると、古事記の暗号が全て理解できます。
大国主命のような頭を耳のところで結わった髪型や白い服装の神様の姿は、なにが起源ですか?
仏像などは源流はギリシャだと分かってる。 日本の神の絵は大元がわからない。
神社に偶像などないのに、大国主命の絵はある。
これこそ謎です。 だれか教えてください。
参考にならないかもしれませんが、あの耳のところで結えた髪型は、ユダヤ(古代イスラエル)人の、もみあげではないでしょうか?現在でも正統派のユダヤ教徒は、戒律で、もみあげを切ってはいけないので長く伸ばしたり、捻り上げて纏めたりしています。その姿は古代の日本人によく似ていますし、日本から沢山のユダヤ人と思われる埴輪も出土しています。こちらが先なのか、あちらが先なのかは分かりませんが何かと御縁がありそうな民族です。
大物主さまは、シリウスから来られた龍型シリウス人です
記紀は勝者の記録ですので有名な物事はなんでもヤマト王家の関係に取り込んでいるような気がします。本来のヤマト王家の神様は大物主ですが有名な大国主と同一にしたり大国主は大黒天と同一になり、そして大日如来と同一になったりします。
本来の大神神社は山を崇拝する自然崇拝から始まったと認識しています。山崇拝から大物主崇拝なんですか。うーん。