「オレのベストバウトは誰も分からんだろ」ジャイアント馬場が語る“全日本プロレス(前編)”
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- Опубликовано: 15 сен 2024
- #ジャイアント馬場 #プロレス #プロレスラー
ジャイアント馬場にとっての最後の試合が行われた1998年12月5日(日本武道館大会)に
発売されていた、事実上の生前最後となる自伝「オレの人生・プロレス・旅」。
ジャイアント馬場、人間・馬場正平としての集大成『全日本プロレス』。
旗揚げ時のエピソード、SWS事件、全日本時代の自身のベストバウト、
そして一番印象深い外国人レスラーについてもG馬場が包み隠さず語っております。
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前座に落ち着いていた馬場さん、盛りを過ぎ始めたハンセンがまさに全盛期の三沢小橋に必死に戦う姿が、感動でした。
まだ馬場さんは強い!って印象付けましたよね
おっしゃるように、その「馬場さんはまだまだやれる!」と思わせる内容が、
この試合を覚えているファンの多さに影響したんでしょうね🔥
いつの試合だったかは失念しましたが、三沢vs小橋の試合を見たカールゴッチが「確かに良い試合だと思う。馬場は良い後継者を育てたな」と発言されてましたね。
FRさん、ゴッチさんの発言の紹介、ありがとうございます!
その時でしたっけ、同時に否定的な言葉も添えていたような。
うろ覚えですが💦
スープレックス関連で「もっとしっかり投げた方がいい」みたいなことを言われてたような…。テーズは「関節極められてるのにトランクスを直す奴があるか!」とほぼ全否定みたいなコメント残してましたね。この試合だったかどうかは覚えてませんが。
ゴングの別冊に載ってたやつですね。ゴッチの苦言は小橋にムーンサルトは必要ないだろ、位ですね。そしてテーズはまるで褒めなかったw
FRさん、tomoさん、ゴッチさん評の詳細情報ありがとうございます!
ゴッチは寝ちゃっていたような・・・
あの試合最高でした!
当時三沢の大ファンだった自分もこの4人の誰もが負ける所が想像できない正に夢のカードでした。
試合中も試合後も全日の温かい雰囲気最高でした!!
この試合を観ていた自分を思い出すだけでも、平和で希望に満ちていた少年時代を思い出し懐かしく嬉しい気持ちになります。
貴重な動画をありがとうございます。
衝撃的なシリーズ名は確か96年ごろのみちプロの
『カニが食べれるところがいいなあ』
です。
goal さん、もしかして現地組でしたか?
少年時代にこの試合の温かい雰囲気を吸収されたとは羨ましいかぎり☺
みちプロのそのシリーズ名、初めて知りました(笑)
その頃ですかね、みちプロが発表したVHSのタイトルが、
「サスケからダイオキシン」・・・😅
すいません、TVにかじりついてみてました😂
当時はネットもなかったので結果を知らずにドキドキしながら見たんですよね。
小橋のムーンサルトや三沢のフェイスロックを食らっても何事もなかったように跳ね返す馬場さん。
スタミナと打たれ強さに凄い感嘆しましたね!
サスケからダイオキシン、ありましたね〜😅
みちプロはサスケが社用車にリムジン買ったり、WWFに参戦したり色々話題を提供してくれて面白かったですね😊
『ジャイアント』・・・いい響きで、落ち着く言葉だ。
このシリーズ名こそ「王道」そのものなのですね。
全日時代の馬場さんの試合で、私が最も熱狂したのは、ハンセンとの初対戦(PWF戦)でした。
馬場さんの積極的な攻撃にたじろぐハンセン。
会場は馬場声援一色になりましたね。
結果は引き分けだったと思いますが、心情的、内容的には、馬場さんの圧倒的勝利だと今も思っています。
90年代は、ジャンボ鶴田が病魔に襲われたことが最大の無念、痛恨事です。
鶴田さえ健康だったら・・・と思うことしきりでした。
本日も楽しませていただきました。ありがとうございます。
サダさん。
たじろぐハンセン・・・動画で拝見しましたが、言い得て妙。
それだけで、あの試合をイメージしなおせます👏
この頃は日テレから松根社長も出向されていた時期でしたかね?
馬場さんも心労、またリング上でも下り坂と見られていた中で、
「まだまだやれるぞ!」のムードに変えた歴史的一戦🔥
鶴田さんの92年年末からのリタイア…
それがなければ90年代の三沢川田田上小橋の身体の負担を擁する試合は、もう少し軽減されていたかもしれませんね。
私は猪木ファンですが、馬場すげーと思いました。
そのシングル戦。新日本ファンから、「馬場なんてどうせ負けるって」「馬場はハンセンに何分持ちこたえられるのかな?」散々馬場さんの事を酷評。馬場さんの実力を小バカにした奴らに溜飲させた。素晴らしかった!
ブロディのくだり、馬場さんは時代の変化を感じ、様々な思いが交錯していたのだなあと思いました。
馬場さんが今の時代に現れてインタビューを受けたと言ってもいいくらい真実をありのままに語っていて、ほんとうに貴重な本であり、動画だなあと思います。
tomheiさん。
超獣を通して、馬場さんが世代交代を感じる心境、グッとくるものがありました。
馬場さんを風化させないよう、こういった動画を発信していければな、と思っております。私の地元の英雄ですし🔥
今後ともよろしくお願いいたします☺
馬場とハンセン絡みの試合では、1989年11月29日 札幌中島スポーツセンターの馬場・木村組対天龍・ハンセン組の一戦も素晴らしい試合でした。
プロディ登場で自身のレスラーとしてのキャリアの終わりを感じた馬場が、1982年のハンセンとの初対決で復活して、結果1994年まで当時のトップを相手に満足のいく試合が出来たのだから、スタンハンセンの存在はジャイアント馬場を延命させましたね。
伝説の天龍・馬場フォールの札幌ですね!
なるほど、馬場さんのメインイベンターとしての延命…その有難みが分かるからこそ、
本文の中で明確に「全日への貢献度ではブロディよりハンセン」と言い切っていたんでしょうね。
@@goku1990nendai😅
札幌決戦❗️過去、一番泣けた試合でした。
御大の貴重な話の数々、正にお宝モンでした。「ジャイアントシリーズ」最高に好きですヨ、良いネーミング♪最近の横文字だらけの長ったらしいシリーズ名、あんなのプロレスのシリーズ名じゃないですヨ!余談ですが私の一番好きなシリーズ名は国際プロレスの「新春パイオニアシリーズ」独特の暗さ?と夢が感じられ何故か好きでした。
新春パイオニアシリーズというものもあったのですね。
剛さんの団体名のルーツにもなっているのでしょうか?
情報、ありがとうございます!
@@goku1990nendai さん
そう言えばそんな団体名ありましたネ!剛さんは私と同い年、本名の八木は亡母の旧姓!それなりに応援してたのですが失礼な話、亡くなり方迄、ダサかった。とにかくドン臭い人でした💦
「パイオニア」は国際プロレスの設立当初からのスローガンです。崩壊後もラッシャー、マイティ、アニマルから剛、菅原まで、元所属選手の意識の根底に根付いていたということは、しっかりとした社員教育ができていた賜物でしょう! 因みに新日本は「新春黄金シリーズ」・・・猪木&坂口の黄金コンビ体制を表しています。「猪木の前に坂口なし、坂口の前にむろん猪木なし」・・・つまり、「裕次郎の前に渡なし、渡の前にむろん裕次郎なし」・・・新日本の鏡は石原軍団なのです。
シリーズ名ですが「スーパーアイドルシリーズ81」にマスカラス兄弟、リッキースティムボートなどが参加して小1の僕はかっこいいと思っていました。
その昔、ブッチャーやブラジルが活躍した「ブラック・パワー・シリーズ」が好きでした。
私もそのシリーズ名が真っ先に思い浮かびました。
windさん、これは素敵な情報、ありがとうございます!
81年というのは、まさにキン肉マンで七人の悪魔超人が来襲してきた時期。
その際にテリー、ロビン、ウォーズ、ブロッケン、ウルフが参戦した際に「アイドル超人」と呼ばれましたが、その元ネタこそ、このシリーズ名にあったかも・・・と思いを馳せられます。
全日派だったゆで先生だけに、その可能性は高い!
全日のシリーズ名と大相撲の本場所は季節感を感じますね。多団体より老舗でダサカッコ良いシリーズ名😂最後のゴクさんのお宝グッズ?チケット❗いや~懐かしい😂久々に見ました🤣ありがとうございます。馬場さんのベストバウト。行けなかったです。その後映像で何度も見ました。三沢に取られた試合を?馬場さんらしいですね😂
2月は「エキサイト・・シリーズ」、7月は「サマー・アクション・シリーズ」・・・
奥平さん、負けた試合をチョイスする馬場さんらしさ。
猪木さんの日本プロレス、新日本プロレスでのご自身のベストバウトも知りたいものです(すでに語られているかもしれませんが)
チケット半券に触れてくださりありがとうございます。
地元の新潟、長岡、三条でのチケットばかりですが、
どれも思い出のある財産です☺
なにげにNWAチャンピオン・シリーズが好きです。 スーパー・アイドル・シリーズ時期にゴング別冊「スーパー・アイドル・ベスト10」なる名書籍が発刊されましたね! ドリー、藤波、ダスティ、ブッチャー、ディッキー、ジャンボ、リッキー、ボブ、テリーの最良インタビューやオフ・ショット満載のバイブルでしたー。
そんなバイブルが!
アイドルというフレーズは、その違和感、ギャップが心に残る。
まさに策士が考えたシリーズ名ですね!
@@goku1990nendai様 だから・・・超獣コンビがドリーを痛ぶった時に倉持アナが「世界のアイドルが・・・もうやめてくれ・・・」と実況してしまい、「ハゲたアイドルがいるかよ、フッ」という心無い声が乱発してしまったわけです💢 うーん、ドリーはアイドルではなくもう1ランク上の「神」ですよねぇ。
22:49 全日退団時にいろいろあった小鹿さんですが、馬場さんの地元に木を寄贈してたとは知りませんでした。
毎シリーズの開幕戦の後楽園に行ってましたが中学生で金なかったので立ち見(1500円)を取って朝6時前ぐらいから落書きだらけの階段に新聞紙で席確保して周プロや東スポ見てその日のカードの話をして盛り上がって時間になったらバルコニー最前猛ダッシュで確保!!あー青春!
素晴らしい人生ですね!「全日本プロレス殿堂入り」の功績です。
地方在住者から観たら、夢の青春時代ですね!
私も上京してあの階段のパワーを浴びに行きましたが、真っ先に目に飛び込んできた落書きが「天地真理・命←おれのもん」でした(笑)
馬場さんハンセン組で世界最強タッグ決定リーグ戦最終戦で川田、田上組と戦いハンセンが川田をフォールして川田組の優勝を阻止して三沢、小橋組が優勝した試合が素晴らしかったと思います。馬場さんが川田を片手で押し投げたり、川田のハイキックを左腕で阻止したりとかなり盛り上がりました。
さのさん、その試合は記憶が定かではないので、
93年か94年かでモヤモヤしております💦
なお、94年は最強タッグ最終戦武道館大会の数日前、
スポーツうるぐすに馬場さんが出演して、
武道館大会のみどころを解説をしていたのが印象的です。
さすがに馬場さんと対峙する川田さんは小さく見えたなぁ・・・😅
私はジャイアントシリーズという名称が大好きでした
80年前後はこの時期にNWA、AWA王者が来日しあと一歩ではね返される「1,2…あ~」と会場一体となった声援は忘れられません。それだけ世界王者に権威があったというわけです。あとは夏と言えばマスカラスだった時代は一時的にスーパーパワーではなくスーパーアイドルシリーズに名称変更されておりましたね。
話替わりますが明日から朝の連続テレビ小説の舞台が三条市になりますね。
80年代当時の情報、ありがとうございます☺
マスカラスさんを「アイドル」と伝える風潮が、
後藤政司さんを「ヤングアイドル」というキャッチフレーズにまで昇華させちゃったんですね😅
馬場全日のセンスよ、永遠に・・・。
三条市のドラマの情報、ありがとうございます☺
いつもばばさんを思い出させてくださり、ありがとうございます。7月20日、初三条市来訪を企画していたのですが仕事のため、残念ながら断念いたしました。次回は必ず馬場さんの息吹を感じに伺いたいと思っています。
アライさん、今回は残念してたね・・・。
きっと今後も馬場さんに関するイベントが三条市で開催されると思いますので、その時には是非。
全日本はシリーズ名もだがユニット名もなかなか味がある。
聖鬼軍!
川田の「ホーリー・ウォー(聖戦)」と渕の鬼から命名
GET(グローバル・エネルギッシュ・タフ)!
小橋、エース、パトリオットのユニット
TOP(トライアングル・オブ・パワー)!
ウイリアムス、オブライト、ラクロスのユニット(2次もあり)
今振り返っても何とも言えない味がある。
当時の新日本はNWOブームの真っただ中。
みんなおしゃれなあのTシャツを着てNWOを応援していた。
川田ファンの私はあの一連のイラストTシャツを購入w
それを着て武道館に行って必死になって聖鬼軍を応援していたw
だが後悔などないし聖鬼軍には感謝しかない。
かっちゃんさん、いけません(笑)
馬場全日のグループ名も禁断の領域です(笑)
今後、動画で語らせていただくやもしれません☺
個人名ですけど、他の地域で名付けられたかもしれませんが、
全日に上がったドリームマシーン、マジックドラゴンも、なかなかのヤバみでたまりません(笑)
NWO旋風の97年、私は川田さんに浮気して、あの黒いTシャツを手に取ってしまいました、ここに懺悔いたします(笑)
あの風潮の中、一本気に川田一連イラストTを貫き通された姿勢…素敵です👏
ハンセンとタッグを組んで三沢さん小橋さんと対戦した時の話しは馬場さんの心情が伝わってきてジンとしました。三沢さん小橋さんも遠慮なくガンガンぶつかって行って最後は三沢さんにスリ-カウントを奪われましたが、馬場さんも三沢さん小橋さんの成長を肌で感じる事ができて嬉しかったと思います。
馬場さんがこの対戦をベストバウトに選んでくれて嬉しいです。
美紀さん、ありがとうございます。
馬場さんもご自身で振り返っておりますが
「満足する試合を挙げたら、結果的に負けた試合だったが、
自分では一番満足した試合」ということですよね。
周りにどう見られようが関係なく、自分に正直な方だったんだな、と🔥
僕はむしろ、新日と比較してのシリーズ名のダサさ😅や会場の飾り気のなさに強く惹かれて、今も鮮烈に当時の印象が残っているのだと思います。そういった面こそが愛おしいとでも言うか。
全日が『夢の懸け橋』に出場した時の全日提供試合のタイトルが「4.2ドーム特別試合」、初の東京ドーム大会も「全日本プロレス創立25周年記念東京ドーム大会」…と、実はこのシンプルさこそが(僕自身が横文字が苦手なもんで😅)心の琴線に響いたのだと思ってます🥹
新日みたいにチャラチャラしてなくて良いですね。
新日のチャラさ・・・(笑)
雪月花さん。
あの団体を包み込む、全日特有のダサさがクセになる感覚をご理解されていますね☺
動画内でも語りましたが、良くも悪くも、新規客に届くのは新日の企業としての姿勢かなと思います。
その代わり、当時の全日は「好きになったら一生離れない」という強固なファン心理が働く雰囲気に満ちていたな、と🔥
新日本もビッグ・ファイト・シリーズとか、ゴールデン・ファイト・シリーズとか、サマー・ファイト・シリーズとか、パクリのワールド・リーグ戦とか、つまらないネーミングでした・・・。あ、でも、ブラディ・ファイト・シリーズ、ブレイジング・チェリー・ブロッサム・ビガロ、バーニング・スピリット・イン・サマーはカッコ良いですね。
ハンセンとブロディの比較についても意外ですね。当時は「ブロディは論理的、ハンセンはメチャクチャなレスリング」とよく言われていた記憶がありましたが、正反対だったんですね
なるほど、プロモーター、60年代全盛期、アメリカで評価された目線となると、
一般的なファンの見方とは差異があるんでしょうね。
ゴクさん、こんばんは。馬場さんのベストバウトが馬場・ハンセン組vs三沢・小橋組だったんですね。これがでてくるとは思わなかったです。この試合を聞いた瞬間あったあったこの試合。って思いました。意外でした。ベストバウトはシングル戦かなぁ…。と思っていました。全日本を旗揚げしてからの外国人レスラー達も凄い選手ばかりでした。リングが小さく見える時がありました。まだ前半ですもんね。後半の期待度が上がってしまいます。図書館に行って馬場さん関連の本があるか見に行ってみるかなぁ…。と思いました。でも体調の良い時になるかも。と思っています。高評価を押しました。この続きは次回の講釈という事で…。ではまた
三吉さん、いつもありがとうございます☺
リングが小さく見える・・・まさに「普通の人が出来ないことをするのがプロレス」という馬場さん哲学に基づいた風景ですね。
地元・図書館でのプロレス本調査は、どうぞ体調の良い時にでも。
全日本プロレスが一番儲かっていたのは、天龍さんたちが抜けてから始まって平成3年が一番良かったと個人的に思っています。
新日プロレスに初代タイガーマスクがいた頃のプロレスブームに負けてはいなかったと思います。
永源遥さんは、初代タイガーマスクのいた頃は新日本プロレスにいましたが、あるマスコミに平成3年の頃の全日本プロレスは、初代タイガーマスクがいた頃の新日本プロレスよりも、お客さんが入っていたと言っていた、記憶が有ります。
宮本さん、H3年頃のご記憶、ありがとうございます!
ゴールデンタイムの初代タイガーブームを凌駕する超世代人気。
あの内容をゴールデンで放送していたら、三沢、川田、小橋、菊池は社会現象になっていたかもしれませんね。
その世界線も見てみたかったなぁ・・・。
馬場さんの声真似が堪らない
ハッパァ❤
ポフゥ・・・今後ともよろしくお願いいたします☺
世界最強タッグは冬の風物詩、ガキの頃家族全員でこたつに入って楽しんでいた良き思い出、夏の風物詩のG1第一回決勝戦は当時の彼女と何故かラブホで見てました😅
その状況でG1を一緒に観てくださった当時の彼女さんの懐の深さにも乾杯ですよ(笑)🥂
94年3月に三沢組に敗れるも、年末の最強タッグで、またハンセンと組んで最終戦で優勝掛かった聖鬼軍を破って優勝阻止するんだよねえあの試合も熱かったよ😄
94年でしたね、最終戦武道館で、存在感を示した巨艦砲!
そして翌95年は、馬場さんは本田多聞さん、ハンセンさんはオブライトさんで最強タッグリーグ出場へ🔥
あの試合がベストバウトってのはよく分かります。あの時期の馬場ハンセン組はまさにレジェンド達の総決算的な強さや上手さがあって大好きでしたね。主力の四天王を差し置いて、最強タッグでは一番応援してました。
名無しさん、あの試合の魅力をまとめてくれてありがとうございます!
94年当時、私は巨艦砲の2人の歴史を知らな過ぎて、その域の視点にはたどり着けませんでした😅
吉村さんは人間的に非常にまともな人だったからなぁ
それは、ファイトにもあらわれて馬場さん、猪木、大木と組んでもけっして自分は目立たつ、脇役に徹するとこもみんなタッグを組みやすかったと思います。
脇役といっても、テクニシャンとしとは日本陣営では一番ではなかったかと、それはカール・ゴッチが初来日した時にシングルでやって凄い技の攻防のすえ時間切れ引き分けでゴッチにフォールを与えなかった事、二度目の対決ではゴッチに花をもたせジャーマンスープレックスの日本初公開の相手をしてる事からわかる。だから馬場さんは旗揚げの時に吉村さんが来てくれてれば心強かっただろうね。😅
吉村さんの素晴らしさを網羅されていますね!
勉強になります。
ゴッチさんとそこまでの攻防をされていたとは・・・🔥
電気グルーヴの面々にはプロレスの知識はないのですが、椎名基樹君の頭には猪木対小林の頃からのほぼ全てが記憶されています。
椎名さん、それほどまでのマニアだったんですね。
電気がどれほどプロレスに詳しかったか未知数ですが、
よく百田、渕などの単語が散りばめられたネタハガキが投稿されて、
卓球氏の高笑い・・・もう番組の虜になっておりました(笑)
ゴクさん、こんばんわ
お疲れ様です
馬場さん自身のベストバウトが三沢さんにフォールされた試合だったとは意外な様なそうなのか?と云う1ファンの感想です✨️
自分的にはあまり考えずにシリーズ名を見ていて良かったと思いましたがゴクさん的にはダサかったんですね笑 やっぱり新日本のバトルフォメーションやドーム大会名が印象に残ってます。チケットも今と違い写真入りで良かったと思います😊
こんばんは🌙
まさかの晩年の試合のチョイスに驚きました。
ベタにNWAを獲ったジャックブリスコ戦・・・とかではないんですね💦
バトルフォーメーション、奨学生男子が好きそうなフレーズで最高ですね☺
愛弟子に負けた試合がベストバウトですか…。
「オレがオレが!」ではない馬場さんらしいですね。
わたしなんか柔道で友達誘って技教えて稽古場で投げられた時は腹立って教えてない技で絞め落としましたからね。
馬場さんは器がでかい!
(比べんなって話や(笑))
徳島のその出来事が、のちのMMAの起源となる…(笑)
確かに
’90年代当時、華々しさに溢れてた新日本に対して、全日本はどこか時代遅れで古臭い感じがありましたよね
でも僕も全日本のそう言うところが好きで、全力で応援していたものでした
僕もゴクさんに負けず劣らずの捻くれ者ですからw
全日がダサくなかったら、マットさんも私も、今ほどの感情移入に至らなかったかもしれませんね(笑)
亡き…鳥山明先生は…プロレスファンでしたから…スーパーをネーミングしたのも理解出来るんです…御大は…気にしないのです…全ては…ファンの受け取り方次第ですからねぇ…
全てのエンタメにも言えますね。
ファンの受け取り方次第・・・おっしゃる通りです。
いつも楽しみにしています。何度聴いても馬場さんの話し方似てますね😮
ありがとうございます。イントネーションは極めていきたいものです☺
ダサくてもハッタリはない、堅実は野心を凌駕するんだよ…
🤔🤔🤔🤔😊
👏
もう30年前でうろ覚えですが、馬場さんとハンセンが94年新春バトルロイヤルで共闘し、ブッチャーを倒してハンセンが優勝したのを観ています。
ruclips.net/video/WBorYR-ImEc/видео.htmlsi=tucrJCoXyjNFWp9I
動画見つけました。懐かしい記憶が蘇ってきました。
そんな年もあったんですね。私が見始める少し前の時期かも???
こんばんは。
三条市の施設は是非行ってみたいですね。
丸一日楽しめそう。
そういえば・・・
グランドチャンピオンカーニバル
が私の推し?シリーズ名です。
総当たりリーグ戦の「チャンピオンカーニバル」が終わった翌年、83年か84年のシリーズ名だったと記憶してます。
オヤジさん、おはようございます!
推しのシリーズ名…という発想は斬新ですね☺
グランドチャンピオンカーニバル…なんという重厚感🔥
全日のサマーアクションシリーズ ジャイアントシリーズに、匹敵する新日のサマーファイトシリーズ 闘魂シリーズ
因みに全日の次回シリーズ紹介曲は、坂本龍一のカクトウギのテーマ
新日はジェフペックのスターサイクル
両団体ともセンスがあってカッコいい。
トシアイさん、80年代のエピソード、ありがとうございます!
新日のそのチョイスは知りませんでした。
改めて両団体のテレビスタッフ、センスありますね。
@@goku1990nendaiさん、恐縮です。こちらこそありがとうございます。
80年代の自分(55)は、小中高の時代で全日プロレス中継も新日のワールドプロレスリングも家族で盛り上がって見ていました。
馬場さんの語り口調が、語尾とか声質特徴がマジで似ていて面白くて心地良く聞かせて頂いてます。
👍ボタンは勿論の事、チャンネル登録もさせて頂いてますので、毎回楽しみにしています。
私は「マシンガン」も好きです。あと、78最強タッグの紹介では、「ロッキー」が超効果的に使われていました!翌年のシカゴ・ハワイ遠征の予告で、あの「レスリング・イン・ハワイ」が衝撃の登場!
そういえば、全日中継のプロレスニュースのコーナーでだったと思うけど、福澤アナが
スーパーパワーシリーズとは超チカラ
とかいうまんまの訳を言っていた記憶があるなあ〜
こいたくさん、貴重な情報ありがとうございます!
福澤さんも内心ニヤニヤしながら、いじらずにはいられない衝動に駆られていたんでしょうね😅
『プ、プ、プロレスニュ〜ス…プラス1(ワン)』コーナー懐かし過ぎ
当時のNTVニュース番組名「プラス1(ワン)」にちなんだ“ふざけた(褒め言葉)“タイトルコールが逆にナンパで初心者好みでした(汗
新春ジャイアントシリーズ、エキサイトシリーズ、チャンピオンカーニバル、スーパーパワーシリーズ、サマーアクションシリーズ(Ⅱもあったなw)、ジャイアントシリーズ、世界最強タッグ決定リーグ戦…うーん懐かしい🧐
90年代は、その7つがしっかりと定着していたのが強みでしたね。
両手をグーにして胸の前でグルグルする
プロレスと麻雀で気合が入るとやる馬場さんのクセだそうです❤
てんちうさん、貴重なグルグル情報、ありがとうございます☺
自分はシリーズ名じゃないけどWWFのレッスルマニア、サマースラム、ロイヤルランブル、WCWのスターケード、ハロウィンヘイボックがかっこいい名称だと感じてます。
確かに全日のシリーズ名って申し訳ないけどダサいと思ってました。
もっとかっこよくしてもいいんじゃないかと当時思ってました。
ノブ様、まさに私のモヤモヤを代弁してくださりありがとうございます!
「ロイヤルランブル」「スターケード」は意味が分からなくても、
当時から響きがかっこよすぎました☺
ここまで絶望的にかっこよさに差が出ちゃうと、もはや「結局、全日はこのままでいい」という心理が働くのが不思議です(笑)
「全日本プロレス」のシリーズ名について語れ…との主リクエストなので
確かに全日本プロレスのシリーズ名はダサい&安直かも知れませんが、TV中継の最後にシリーズを告知するコーナーに使われた楽曲がサイコーに格好良いセレクトで、今でも数曲カーステレオ・ライブラリーに入れて聞いています(汗
「カクトウギのテーマ」「スター・ウォーズのテーマ(ディスコ版)」「オリンピア」等…当時のNTV音響担当社員に凄腕が居たと聞きます。
対する新日本はジェフ・ベック「スター・サイクル」…良い曲とは思いますが、40年ほど経て“より印象に残る“のは全日本です(汗
カクトウギのテーマ、好きです。
私世代でもCCでの30分引き分けの時に流れると「良い旋律だな~」と聞き入っておりました。
オリンピアも昭和のニオイを残していて素敵ですね、飽きません。
個人的にはバトルロイヤル入場時のスターウォーズのダサさ(失礼ですが)が心地よくて、プロレスオムニバスCDにでも収録されていないか探していたものです。
これ、ター山が書いたんかな?
これは菊池孝先生です。
前書きに「この出版にともないご協力いただいた、菊池孝さん」とありましたので、菊池さんが書いた…という説(?)のが支配的です。
夢のカードがここで出てくるんだ。。会場で見てました。数え切れないほど観戦したので、正直個々の試合についての記憶がほぼ無い大会も多いのですが、この試合は今でも覚えてますね。覚えてるシリーズ名は新日のバトルライン九州かな、ハンセンが参戦したシリーズ、確か長州とタッグを組んでたりしてたような?
それにしても経営者としての苦労が偲ばれます。。三条市の図書館、川田のラーメン屋さんの本も入れてほしいw
ポン助さん、夢のカードの現地組でしたか。羨ましいっす☺
数ある武道館大会の観戦の中でも、しっかり試合内容で脳裏に刻まれる一戦だったんですね。
たしかに、脂の乗り盛りvsレジェンド・・・という実に分かりやすく、かつ感情移入しやすい図式は印象に残りますね🔥
三条の図書館、麺ジャラスKのビジネス本、リクエストを出しておかねば(笑)
ハンセン、馬場組は確かテッド・デビアスがケガして代打が馬場さんだったような、違うような😅
おっしゃるように、デビアスさんの代わりに馬場さんがパートナーとなり巨艦砲が誕生しましたね、93年の年末に。
オープンタッグ選権がなかったら全日本プロレスは存続さえあぶなかったほどでしたね。当時は新日本プロレスに相当押されていましたから。 あの決勝戦のフォークが全日本プロレスを救ったといえるかもしれません。
当時の空気感、ありがとうございます!
猪木アリ戦の翌年で、勢いは既に新日に向いていたのですね😅
@@goku1990nendai さん ジャンボはまだまだ線が細くて、ヘーシンクはずっこけ。 デストロイヤーも全盛期を過ぎてましたからね。 新日のメンバーがはるかに充実してました。 もしストロング小林が抜けずにTBSが中継を続けていたら国際ともいい勝負だったかもしれません。 馬場さんもさぞかし大変だったと思います。
ファンクス、ブッチャー、シーク・・・馬場さんは良い仲間を持った!
中さん、そうでしたか。
S小林さんが残留して国際も残っていたら、
勢いでは新日の一人勝ち、そこに全日と国際が同じぐらいの位置で追うような勢力図だったんですね。
ヘーシンクの件は、98年の馬場さんのインタビュー(新日に小川が入団したタイミング)でも、失敗した教訓を述べていましたね😅
アライさん。
まだまだ外国人自体、見れることが珍しかった時代、
個性がしっかり世間にも届いているファンクスたち外国人陣営の存在は、観客動員に貢献していたんでしょうね。
チャンカーと最強タッグ以外のシリーズは名前がダサいだけではなく、つまんないなと思ってました。
最終戦の武道館と真ん中ぐらいにある大都市での大会は良かったんですけどね。
それと武道館とドームは花道がなくレーザー光線もなかったですね。
オールジャパンらしいと言えばそうなんですけどね。
わくわくさん。
CCと生協タッグリーグ以外のシリーズ名への潔い評価、見入ってしまいました(笑)
そうそう、98年99年の全日ドームの演出。
私も学生時代、なけなしのお金で新潟からはるばる、
人生初の東京ドーム大会に赴きましたが、
それまでの新日の中継が脳裏によぎっていたので、
いざ会場に早めに着いたら「これからあの花道(白い特設)を準備するのかな」と思ったまま試合が始まり、ある意味での戦慄を覚えたものです😅
長州さんらが参戦した1985年のシリーズ名
激突!オールスターウォーズ
激闘!エキサイティングウォーズ
激烈!スーパーパワーウォーズ
激震!サンダーウォーズ
熱風!サマーアクションウォーズ
決戦!ダイナマイトウォーズ
最後まで「激」で通してほしかったのと、サンダー、ダイナマイトのダサさには参りました😂
東谷さん、指摘のセンス素敵です(笑)
「激」で通して欲しかった詰めの甘さ…もはや、馬場さんが考えたのではなく、社員さんが(元子さん?)考案していたんですかね💦
サンダー、ダイナマイトの殺傷能力も目を引きますね(笑)
結果、スーパーパワーウォーズが優勝かもしれません(笑)
この中で一番シリーズらしい名前は、激烈!スーパーパワーウォーズですね😊
全く同感です。なぜ今頃ごろサンダー杉山!? ダイナマイトは今の全日本で使われていますね。元は国際プロレスのシリーズ名で、キラー・ブルックスVSラッシャー木村が脳を過ぎる・・・
今さらながら、ネックブリーカーの「ブリーカー」ってどういう意味?ブリークという英語の動詞があるの?ひょっとしてbreak?これはブリークじゃなくてブレイクだよ。breakをブリークと言ってるようじゃ、英語ができないにもホドがある。バックブリーカーだのネックブリーカーだの、令和になってもブレイカーに修正しない。絶対オカシイ。