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山口さんの再生リストを公式で作って欲しい。山口さんの言う5人しか見なくても、未来の気象学者や気象経済学者が見るかもしれないので。気象学のコンテンツとして充分に耐えれます。
山口さんの1人喋りは為になる話ばかりですが、この話は当時の人々に思いを馳せて泣きそうになりながら聞いていました。下手すれば一生聞くことがないような、新たな視点からの貴重な話をありがとうございます。今も昔も懸命に気象観測に携わってくださっている方に感謝です。
気象という切り口から8月6日を見つめる。当時は天気予報も軍事機密との事で公に公開されていなかったとの事。この日も普段通りの生活があり、空を見上げていた方々がたくさん居た訳ですよね。数時間後には一変しちゃう訳ですよね……。山口気象予報士の話はとても興味深い内容です。永久保存版にして頂きたいです。
当たり前だけど、こういうものを見ると天気にも歴史があって当時も天候のことを何より真剣に見ていた人達がいると思うと、ドラマがあるのを感じます
ぐっさんの1人語りには毎回聞き入ってしまいますが、これには時間を忘れて夢中になってしまいました。歴史的にも重要な1日を、天気という切り口から話していただき、当時の人々が大変な思いをされていたのだということを改めて知るきっかけになりました。私のウェザーニュースへの入口もぐっさんでしたが、それ以来お話を聞くたびに感心させられています。いつもありがとうございます。
1945年8月6日と聞いて、久しぶりに「空白の天気図」を初めて読んだ時の感動を思い出しました。これまで気象にかかわってこられた方々の地道な努力と労力を惜しまない姿に、今更ながら頭が下がります。山口さん、ありがとうございました。
戦時中は気象情報が軍事機密であったことは知っておりましたが、往時の天気や気象観測に関してまで注意が向いておりませんでした。少なからず戦況悪化の中でも観測は行われていたであろうことは想像はつきましたが、往時の観測員の涙ぐましい奮闘努力があったということを忘れずに天気予報に耳を傾けたいと思いました。
天気予報が見られるのも、平和だからなのか…。良い特集をありがとうございます。
オフィシャルの切り抜きありがとうございました。常々、山口さんの知識量に圧倒されます。当時は命懸けで気象予測をされていたんでしょうね。今は気軽に気象情報が得られて、平和のありがたさを痛感しますね。酷暑と大雨災害の脅威はありますが、どうか、人類も気象も平和が続きますように願っています。
すごく聞き入り、感じ入りました。キャスターのファンなどから入った方にもこういう情報が届き、気象を通じて様々な情報提供がなされるのが素晴らしいコンテンツだと改めて思いました。
オフィシャルの切り抜きすばらしい!
今まで自分では考えたこともなかった視点でのお話で、改めて戦後の平和の重要さにも気付かされる深いお話でした。ぐっさん素敵な話をありがとうございました🙇♂️
山口さんから柳田邦男さんの「空白の天気図」のお話が出るとは!!私も大学時代に読ませて頂いておりました。山口さんと同じ本を同じ時代に読んでいたなんて、感無量です。
山口さんてやっぱり凄いなぁ~。色んな多角的方面から物事を見てそれを我々に吸収しやすく説明してくださるもんなぁ☺️。
いつもわかりやすくて丁寧な解説、お話をありがとうございます。公式で是非とも山口さんの再生リストを願います。番組中にサラっとお話された事も含めて改めて見聞きしたくなる時があります。
映像的な演出も音響的な演出もなく、事実とその背景を客観的に淡々と話されているだけなのに、何故こんなに聞き入ってしまうのでしょうか。わかりやすいというのが要因の一つだと思いますが、それだけでもないような気がします。山口さん凄いです。
早速、お話のきっかけとなった本を電子書籍で買ってしまいました。山口さんの持ってくる話題はいつも興味深く(時にニヤニヤしつつ)見聞きするものが多いですが今回のお話は非常に考えさせられ、かつ字義通り勉強になりました。ありがとうございました。
ありがとうございます。アーカイブですが、改めて御礼もうしあげます。今は亡き祖父母から子供の頃原爆と台風の話をよく聞かされていました。あまり子供で理解度足りていなかったけど、山口さんのお話を加味すると少しは理解できました。当時は予報や避難指示など行政や情報も無く、なすすべなく、命を落とすしか無かった日本の終戦直後のわが広島の姿が見てとれました。今さらながら、泣けてきました。
ぐっさんの気象予報に対する熱い想いをしっかり感じ取れる。凄い。
山口さん、ありがとうございました。天気図を基に、戦中・戦後の話を伺ったのは新鮮でした。高校時代の山口さんが、柳田邦男「空白の天気図」を読んでいたのは、気象に関する熱意の高さを感じます。
すごく勉強になりました。山口さん、ありがとうございます。
mmHgとか初めて聞きました。いやあ、興味深い。きちんと残ってるのもまたすごい。色々と乗り越えて今があることも再認識。
@名無しさん 宮城生まれの ありがとうございます。なるほど!これはお恥ずかしい限り。身近にございましたね。血圧は数値だけ見ていて、その単位まで意識できてませんでした。。。日々もっと解像度上げていこうと思います。
8月、快晴の平和大通りから青空を見上げると当時に思いを馳せます、、
空白の天気図のお話をうかがって、日々天気予報が得られることに感謝します。
江波山…確かに気象館がありますね😲あの日から大変だったのに欠かさず計測していたのは驚きです
山口さんほんと話し方や内容が興味深く面白いですよね天気図とそのデータからこんなストーリーが出てくるなんて思わなかったです。
山口さんがお一人で回される回をたまに拝見しますが、昨日たまたまリアルタイムでこのお話を聴く事ができ、色々と考えさせられる所がありました。原爆投下されて命に関わる状況にも関わらず後世に残す為に気象観測を続けられて77年後の今こうして記録を見る事が出来るのは有難い事だなと実感いたします。山口さんは色々とお話してくださいますが、今回のこのお話は一番印象に残りました。
山口さんらしい着眼点で1945/8/6を感じることができました。ありがとうございました。しかしまあ、気象のデータが残っていること自体が大きな財産ですね。そして8月から9月へと時を経て、国内の観測網もまた復旧していくとともに大陸の観測網がなくなり、天気図の解像度が変わっていったこともなるほどなと思いました。
江波山気象館小学校の修学旅行のルートに入っていて、行ったのを今でも覚えています。館内には当時でも爆風によって壁に刺さったガラスの破片が残っており、印が着いていたのを今でも覚えています。
山口さんいつもいいお話をありがとうございます。
気象衛星がないのにどうやってわかるんだろ?記録を残された当時の方々に感謝したいです。
「空白の天気図」ぜひ読んでみたいです。泣けるお話ありがとうございます。
😭広島、大変だったのですね〜想像を絶する悲劇が相次いでいたのですね
非常に興味深いお話でありましたありがとうございます
柳田邦男さんの空白の天気図、初めて読んだ時衝撃を受けたのを覚えています。山口さん紹介してくださり有難うございます。また読み直してみます。
1945年の1月から8月にかけて測候所のデータがプロットされなくなったのは、通信事情が悪化したことに加え、44年頃からは米軍による空襲が激しくなってきた時期でもあるため、空襲させにくくするために通信傍受されないようわざと通信をしなかったのではないでしょうか?戦争末期・終戦直後の日本を、気象の観点から捉えるという非常に興味深いお話でした。山口さん、ありがとうございました。
仰る通りですね。同じ理由から、当時公開された気象情報の信憑性は低いと考えられます。第一目標地点だった北九州は、8/6,9ともに局所的に厚い雲に覆われ、爆撃機を退けたのですから。最も信頼性が高い情報というのは、今も昔も、奥に潜んでいるのかもしれませんね。
NHKのラジオ放送も敵の方向探知を困難にするため周波数は2つのみ、しかも送信出力を抑えて送信していたので放送を聴き取りにくかったとか。玉音放送の内容が聞き取りにくかったと色々な人が証言されていますが電波の干渉による雑音に低出力送信の影響だったと何かで読んだ事があります。
天気図見てて小学生の頃にラジオ聴きながら天気図書いてた記憶が蘇ってきました。
長崎の原爆も本当は小倉へ投下する予定が天気が悪くて長崎に…みたいな話も聞きますし、天気で歴史を振り返るような企画をしても面白いのではないでしょうか?
仰る通りですね。私も一族皆八幡製鉄なので、当時の話を身が引き裂かれる思いで、幼い頃に沢山教わりました。亡くなられた方々のお生命を預かって、生かしていただいている私たちがしっかりと実らそう、と改めて深く深く思います。山口さん、大切なことを丁寧にお話くださり、本当に有難う御座いました。
ぐっさん、雑談と言いながら、さらっと特番クラスのスゴいネタ持ってくるからなぁ〜
原爆と広島気象台の苦闘は柳田邦男「空白の天気図」に詳しいので興味ある方はご一読を 広島は原爆の後に9月は枕崎台風で大水害が起きている。
本当に、嬉しくないけど、こうして歴史を振り返る上で悲しい事実について触れて下さって有難うございます。アメリカのした虐殺行為については、敗戦したからというだけで正しく報道されないし歴史の教科書にも出されず、日本が悪者で済まされることが変だとは思いますが、それでもそういった政治的なものとは別の観点から、気象情報をよみといて下さるこの番組はとても貴重です。是非毎年していただきたいです。
12:40 「こういった猛台風が今日本に来ることさえ滅多にないような台風が」と仰っていた1945年の「枕崎台風」が、今(2022年9月)まさに九州を襲おうとしています……。
原爆投下後の台風で広島の放射能が流されてた事は聞いた事があります。この台風でしたか
昔、文部科学大臣賞だったかを受賞した中学生の自由研究で終戦の日の日本全国の天気はどうだったか?というものがありました。よく「終戦の日」は夏晴れの暑い日だったといわれていますが、その研究によると東京の最高気温は28度だったとのこと。また東北地方は「やませ」などが吹き、非常な冷害にみまわれるほど寒かったとのことでした。(昭和21年は大変な食糧不足に日本は見舞われましたが、昭和20年の冷害の影響も大きかったようです)
広島の6日の月ですが新月の2日前 月の出3時15分です。
1945年9月17日の天気図。満州、朝鮮はもちろん、大陸中国の観測値が入ってきていなくなっていますね。興味深いのは1945年8月22日にウルルン島(竹島ではないでしょう)の観測値が入ってきていますね。誰が観測してどうやって東京に届けていたんだろう。
長崎原爆の日もお願いします。
「77年前の記録 あの日をとどめる一筋の記憶【久保田解説委員の天羅万象】(90)(2022年8月5日)」もあわせてご覧ください。
これは面白い切り口
いいお話でした。映画化決定
さすが、ぐっさん、よく調べたなぁ (ノ´∀`*)
おやすみなさいゆっくり休んで
今度、機会があったら昭和の3大台風が同じ規模で同じルートを進むとしたらどんな被害(同じレベルの災害になる、堤防とかの整備が多少は効果がある)等をシュミレーションしても面白いかな!毎日には、無理だと思うけど可能な範囲で短い周期でグッピの一人語りをやって欲しい!
後の枕崎台風は広島に大きな災害が起きたみたいですよ
1945(昭和20)年8月6日→月曜日
広島原爆当日の天気よりも、長崎原爆その日、小倉の天気図は意味のある。あれはもともと第二枚原子爆弾の目標、でもその日の曇り天気であの街に救いました。
世界を動かす人々は誰でも、経済・社会活動の拡大・省力・複雑化に応じ、政策の広域化や民主化を進めると思います。しかし他方で経年・経代的な健康低下(腐敗や衆愚化など社会的含む)もあり、その過程で戦争等の惨禍が生じました。膨大な犠牲を出しながら、結果的に私のような虚弱者や粗暴・短慮者が淘汰されてきたのではと気づき、恐怖しました。富の生産と配分に加え、人の向上と協力も助け、文明発展の代償を低減できる、先進技術と総合活用政策に期待します。
見れないですね…
お珍しく阪神じゃあない話だけど最近の寅さんは勝ち続けてますね私の推し球団は負け続けていますなんだかぐっさんの気持ちがわかってきたよ
山口さんは全くもってダンゴムシではございません。
見れん
山口さんの再生リストを公式で作って欲しい。
山口さんの言う5人しか見なくても、未来の気象学者や気象経済学者が見るかもしれないので。気象学のコンテンツとして充分に耐えれます。
山口さんの1人喋りは為になる話ばかりですが、この話は当時の人々に思いを馳せて泣きそうになりながら聞いていました。
下手すれば一生聞くことがないような、新たな視点からの貴重な話をありがとうございます。
今も昔も懸命に気象観測に携わってくださっている方に感謝です。
気象という切り口から8月6日を見つめる。当時は天気予報も軍事機密との事で公に公開されていなかったとの事。この日も普段通りの生活があり、空を見上げていた方々がたくさん居た訳ですよね。数時間後には一変しちゃう訳ですよね……。山口気象予報士の話はとても興味深い内容です。永久保存版にして頂きたいです。
当たり前だけど、こういうものを見ると天気にも歴史があって
当時も天候のことを何より真剣に見ていた人達がいると思うと、ドラマがあるのを感じます
ぐっさんの1人語りには毎回聞き入ってしまいますが、これには時間を忘れて夢中になってしまいました。
歴史的にも重要な1日を、天気という切り口から話していただき、当時の人々が大変な思いをされていたのだということを改めて知るきっかけになりました。
私のウェザーニュースへの入口もぐっさんでしたが、それ以来お話を聞くたびに感心させられています。いつもありがとうございます。
1945年8月6日と聞いて、久しぶりに「空白の天気図」を初めて読んだ時の感動を思い出しました。
これまで気象にかかわってこられた方々の地道な努力と労力を惜しまない姿に、今更ながら頭が下がります。
山口さん、ありがとうございました。
戦時中は気象情報が軍事機密であったことは知っておりましたが、往時の天気や気象観測に関してまで注意が向いておりませんでした。
少なからず戦況悪化の中でも観測は行われていたであろうことは想像はつきましたが、往時の観測員の涙ぐましい奮闘努力があったということを忘れずに天気予報に耳を傾けたいと思いました。
天気予報が見られるのも、平和だからなのか…。
良い特集をありがとうございます。
オフィシャルの切り抜きありがとうございました。
常々、山口さんの知識量に圧倒されます。
当時は命懸けで気象予測をされていたんでしょうね。
今は気軽に気象情報が得られて、平和のありがたさを痛感しますね。
酷暑と大雨災害の脅威はありますが、
どうか、人類も気象も平和が続きますように願っています。
すごく聞き入り、感じ入りました。
キャスターのファンなどから入った方にもこういう情報が届き、気象を通じて様々な情報提供がなされるのが素晴らしいコンテンツだと改めて思いました。
オフィシャルの切り抜きすばらしい!
今まで自分では考えたこともなかった視点でのお話で、改めて戦後の平和の重要さにも気付かされる深いお話でした。
ぐっさん素敵な話をありがとうございました🙇♂️
山口さんから柳田邦男さんの「空白の天気図」のお話が出るとは!!私も大学時代に読ませて頂いておりました。山口さんと同じ本を同じ時代に読んでいたなんて、感無量です。
山口さんてやっぱり凄いなぁ~。色んな多角的方面から物事を見てそれを我々に吸収しやすく説明してくださるもんなぁ☺️。
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公式で是非とも山口さんの再生リストを願います。番組中にサラっとお話された事も含めて改めて見聞きしたくなる時があります。
映像的な演出も音響的な演出もなく、事実とその背景を客観的に淡々と話されているだけなのに、何故こんなに聞き入ってしまうのでしょうか。わかりやすいというのが要因の一つだと思いますが、それだけでもないような気がします。山口さん凄いです。
早速、お話のきっかけとなった本を電子書籍で買ってしまいました。
山口さんの持ってくる話題はいつも興味深く(時にニヤニヤしつつ)見聞きするものが多いですが
今回のお話は非常に考えさせられ、かつ字義通り勉強になりました。ありがとうございました。
ありがとうございます。
アーカイブですが、改めて御礼もうしあげます。
今は亡き祖父母から子供の頃原爆と台風の話をよく聞かされていました。
あまり子供で理解度足りていなかったけど、
山口さんのお話を加味すると少しは理解できました。
当時は予報や避難指示など行政や情報も無く、
なすすべなく、命を落とすしか無かった日本の終戦直後の
わが広島の姿が見てとれました。
今さらながら、泣けてきました。
ぐっさんの気象予報に対する熱い想いをしっかり感じ取れる。凄い。
山口さん、ありがとうございました。
天気図を基に、戦中・戦後の話を伺ったのは新鮮でした。
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すごく勉強になりました。山口さん、ありがとうございます。
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色々と乗り越えて今があることも再認識。
@名無しさん 宮城生まれの
ありがとうございます。なるほど!
これはお恥ずかしい限り。身近にございましたね。
血圧は数値だけ見ていて、
その単位まで意識できてませんでした。。。
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空白の天気図のお話をうかがって、日々天気予報が得られることに感謝します。
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山口さんがお一人で回される回をたまに拝見しますが、昨日たまたまリアルタイムでこのお話を聴く事ができ、色々と考えさせられる所がありました。原爆投下されて命に関わる状況にも関わらず後世に残す為に気象観測を続けられて77年後の今こうして記録を見る事が出来るのは有難い事だなと実感いたします。
山口さんは色々とお話してくださいますが、今回のこのお話は一番印象に残りました。
山口さんらしい着眼点で1945/8/6を感じることができました。ありがとうございました。
しかしまあ、気象のデータが残っていること自体が大きな財産ですね。そして8月から9月へと時を経て、国内の観測網もまた復旧していくとともに大陸の観測網がなくなり、天気図の解像度が変わっていったこともなるほどなと思いました。
江波山気象館
小学校の修学旅行のルートに入っていて、行ったのを今でも覚えています。
館内には当時でも爆風によって壁に刺さったガラスの破片が残っており、印が着いていたのを今でも覚えています。
山口さんいつもいいお話をありがとうございます。
気象衛星がないのにどうやってわかるんだろ?
記録を残された当時の方々に感謝したいです。
「空白の天気図」ぜひ読んでみたいです。泣けるお話ありがとうございます。
😭広島、大変だったのですね〜想像を絶する悲劇が相次いでいたのですね
非常に興味深いお話でありました
ありがとうございます
柳田邦男さんの空白の天気図、初めて読んだ時衝撃を受けたのを覚えています。山口さん紹介してくださり有難うございます。また読み直してみます。
1945年の1月から8月にかけて測候所のデータがプロットされなくなったのは、通信事情が悪化したことに加え、44年頃からは米軍による空襲が激しくなってきた時期でもあるため、空襲させにくくするために通信傍受されないようわざと通信をしなかったのではないでしょうか?
戦争末期・終戦直後の日本を、気象の観点から捉えるという非常に興味深いお話でした。山口さん、ありがとうございました。
仰る通りですね。同じ理由から、当時公開された気象情報の信憑性は低いと考えられます。第一目標地点だった北九州は、8/6,9ともに局所的に厚い雲に覆われ、爆撃機を退けたのですから。最も信頼性が高い情報というのは、今も昔も、奥に潜んでいるのかもしれませんね。
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天気図見てて小学生の頃にラジオ聴きながら天気図書いてた記憶が蘇ってきました。
長崎の原爆も本当は小倉へ投下する予定が天気が悪くて長崎に…みたいな話も聞きますし、天気で歴史を振り返るような企画をしても面白いのではないでしょうか?
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ぐっさん、雑談と言いながら、さらっと特番クラスのスゴいネタ持ってくるからなぁ〜
原爆と広島気象台の苦闘は柳田邦男「空白の天気図」に詳しいので興味ある方はご一読を 広島は原爆の後に9月は枕崎台風で大水害が起きている。
本当に、嬉しくないけど、こうして歴史を振り返る上で悲しい事実について触れて下さって有難うございます。アメリカのした虐殺行為については、敗戦したからというだけで正しく報道されないし歴史の教科書にも出されず、日本が悪者で済まされることが変だとは思いますが、それでもそういった政治的なものとは別の観点から、気象情報をよみといて下さるこの番組はとても貴重です。是非毎年していただきたいです。
12:40 「こういった猛台風が今日本に来ることさえ滅多にないような台風が」と仰っていた1945年の「枕崎台風」が、今(2022年9月)まさに九州を襲おうとしています……。
原爆投下後の台風で広島の放射能が流されてた事は聞いた事があります。この台風でしたか
昔、文部科学大臣賞だったかを受賞した中学生の自由研究で終戦の日の日本全国の天気はどうだったか?というものがありました。
よく「終戦の日」は夏晴れの暑い日だったといわれていますが、その研究によると東京の最高気温は28度だったとのこと。また東北地方は「やませ」などが吹き、非常な冷害にみまわれるほど寒かったとのことでした。(昭和21年は大変な食糧不足に日本は見舞われましたが、昭和20年の冷害の影響も大きかったようです)
広島の6日の月ですが
新月の2日前 月の出3時15分です。
1945年9月17日の天気図。満州、朝鮮はもちろん、大陸中国の観測値が入ってきていなくなっていますね。
興味深いのは1945年8月22日にウルルン島(竹島ではないでしょう)の観測値が入ってきていますね。
誰が観測してどうやって東京に届けていたんだろう。
長崎原爆の日もお願いします。
「77年前の記録 あの日をとどめる一筋の記憶【久保田解説委員の天羅万象】(90)(2022年8月5日)」もあわせてご覧ください。
これは面白い切り口
いいお話でした。
映画化決定
さすが、ぐっさん、よく調べたなぁ (ノ´∀`*)
おやすみなさいゆっくり休んで
今度、機会があったら昭和の3大台風が同じ規模で同じルートを進むとしたら
どんな被害(同じレベルの災害になる、堤防とかの整備が多少は効果がある)
等をシュミレーションしても面白いかな!
毎日には、無理だと思うけど可能な範囲で短い周期でグッピの一人語りをやって欲しい!
後の枕崎台風は広島に大きな災害が起きたみたいですよ
1945(昭和20)年8月6日→月曜日
広島原爆当日の天気よりも、長崎原爆その日、小倉の天気図は意味のある。あれはもともと第二枚原子爆弾の目標、でもその日の曇り天気であの街に救いました。
世界を動かす人々は誰でも、経済・社会活動の拡大・省力・複雑化に応じ、政策の広域化や民主化を進めると思います。
しかし他方で経年・経代的な健康低下(腐敗や衆愚化など社会的含む)もあり、その過程で戦争等の惨禍が生じました。
膨大な犠牲を出しながら、結果的に私のような虚弱者や粗暴・短慮者が淘汰されてきたのではと気づき、恐怖しました。
富の生産と配分に加え、人の向上と協力も助け、文明発展の代償を低減できる、先進技術と総合活用政策に期待します。
見れないですね…
お珍しく阪神じゃあない話だけど最近の寅さんは勝ち続けてますね私の推し球団は負け続けていますなんだかぐっさんの気持ちがわかってきたよ
山口さんは全くもってダンゴムシではございません。
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