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東京に住んでいた時、帰省先から帰る途中で東北本線で乗ったのがこの583系はつかりでした。本当に懐かしいですね。
相当な量話してるのに頭にスッと内容が入ってくる。この人の話し方はほんとに綺麗
北陸本線の、583を改造して作った419系の衝撃は今でも忘れられません。5年くらいで廃車の予定が25年以上も使われたし・・・あのクロスシートの座り心地、広さは格別でした。
電車式寝台特急のサンライズ瀬戸・出雲昼行夜行両用のWEST EXPRESS 銀河583系が生み出した概念は、今でも生きているのです。
583系の老朽化を早める一因となったのが、東北本線での運用で、厳寒地域を昼夜で最高120km/h運転かつ1日あたり1,500km近い距離を走る過酷な条件下にあり、車両へのダメージが大きかったそうです。
仮に常磐線走っていたらもっと早く引退しただろうな
ゆうづる、みちのくで常磐線を定期運用で走ってますよ〜
!
酷使で寿命が縮んでしまったのは巨人の江川みたいですね。。。
その車両を近郊電車に改造して、さらに酷使されました。(北陸本線ではごく最近まで、そうなっていました。)
笑ゥせぇるすまんNEWというアニメの中で「ああ、愛しの583系」という回があるんだけど、あれの583系の作画は素晴らしかった警笛の時のタイフォンが開くところまで作画するこだわりっぷりだったし、あれは絶対製作スタッフの中に鉄ちゃんがいたんだろうなあ
尾久車両基地で寝台解体とセットを行うバイトやっていました。上段ベッドを収納するのが重くて重くてめちゃしんどかったです。
重いだけじゃなく、下段(座席)の上によじ登って作業しなければならなかったのではないでしょうか…?
そのベット売ってませんか?古い味を味わいながら寝たいです(笑)
@@河原猫チャンネル さま残念ながら売られてないですねぇ…
チーン😱
@@河原猫チャンネル さま新幹線やリクライニングシートの特急車両のようにリニューアル改造で座席を交換という事が無かったのと2個の座席を組み合わせなければならない事から出回っていないものと思われます
日本の鉄道が元気だった頃の象徴的な車両だと思います。
解説動画ありがとうございます!583系、485系もそうですが、あの顔がたまらなく好きでした。過酷な運用に長年耐えた車両。その姿は国鉄らしくもあり古き良き日本らしさも感じますね。
特急なのにボックスシート、とても狭い3段寝台。だけど昼行列車でも夜行列車でも走れる斬新さ。良くも悪くも器用貧乏な車両でした。
電車好きだった子供の頃、何系とかも分からなかったけど青いラインのあの特急がかっこよく良く走ってるのを親に連れてってもらって線路脇に見に行きました。大人になってそれが583系だと知りましたが、一度も乗ることは叶わなかった。先日京都鉄道博物館に行って子供の頃の記憶が蘇りぼーっと見惚れてました。
私は40代ですが、私が子供の頃は既に583系はグリーン車も食堂車もあったので、てっきり最初からあったと思っていたのですが、スーツさんの解説で、最初はモノクラスで後からグリーン車と食堂車が出来た事を知りました。勉強になります。
スーツさん、寝台車の話をしている時楽しそうですよね〜
サンライズが別荘だからじゃない
0:00 安定の右から出てくるスタイル
部屋が狭いから仕方がないんだよ!
青森〜上野間の常磐線経由の583系の特急みちのく号と東北本線の寝台特急はくつる号も良く利用したな〜。今では懐かしいな〜。
ゆうづるのファンだったので、昼間はつかりに乗るときに583系だとテンション上がったなースリムな485系に対して583系はワイドで重厚なスタイルが最高でした。
きたぐには始発として遠出するのに重宝した思い出貧乏学生には急行料金で乗れるのもありがたかった
座席寝台特急明星で西鹿児島まで行ったのが良い思い出です。
大学生の頃は午後に思い立ってからザックに着替えを入れ、ワイド周遊券を買って自由席の列に並んだものです。宿に泊まらず夜行と駅ネで旅しました。 そんな無計画旅行は物理的にできなくなりました。
583系一番好きな車両です。上野発の「はつかり」新幹線盛岡開業後の「はつかり」レアといえば、万博中央駅から大宮駅まで乗車した「エキスポライナー」乗車したかった「みちのく」「はくつる」「ゆうづる」「ひばり」(ごく一部に583系の運用があった)、新幹線大宮開業後にしばらくの間、お盆、年末年始、ゴールデンウィークに東北線経由で運転された「臨時特急ふるさと」(下り 上野~青森・上り青森~大宮)、土浦~万博中央間を運転した列車ホテル「エキスポドリーム」(20系の「エキスポドリーム」は乗車しました)「臨時寝台特急あけぼの」「急行津軽」など。なんといっても車両側面に小窓があるのがなんとも魅力的で好きでした。また扉が折戸というのもたまらなかったです。583系の13両フル編成はいつまでたっても忘れられないです。
追伸・583系の窓側に凹みがあるけれどあの凹みは、肘掛けのため作ったそうです。なかなか考えられていると思います.また583系は198年代前半までは、食堂車に3層交流電源があったので外すに外せなかったそうです。後に改造で別の車両に移して短編成にできたようだ。
583系のような寝台専用列車がまた復活してほしいですねぇ復活したらまた旅の楽しみなどが増えそうです...
特に中央線に欲しい
WEST EXPRESS 銀河が後継の車両になりました。今春デビューするJR西日本の新たな長距離列車。期間により大阪~下関の昼行特急のほか京都~出雲市の夜行特急としても運行されます。
「旅客鉄道会社を研究する」チャンネル時代の583の防音を紹介する動画拝見しています。当時の車両は機能性重視で丁寧に造られた様ですね。製造当時一等寝台も計画されていたのは興味深いですので、調べて見ます。
字幕テロップなしでも、すんなりと内容が頭に入ってきます。プレゼンの能力を感じます。
583系は、上野駅~青森駅間では、東北本線経由でL特急のはつかり号と寝台特急のはくつる号。常磐線経由で特急みちのく号と寝台特急ゆうづる号で運用されていましたね。
グリーン車はついていました、東北本線で上野から青森まで私自身乗りました。583系にもちゃんとグリーン車はついていました。ただし夜はそのままグリーン車でした。寝台にはなりませんでした。
43/10で東北本線電化が完成し、はつかり号新車に当時乗りました、食堂車天井高く開放感すごいのを覚えています、よかった時代です。
583系の寝台下段は、あの大きな窓を独り占めに出来るのが嬉しい。
スーツさんの親御さんと同年代の私ですが、小学校低学年の頃、弟と母と3人で利用しました。本当は上の段だったのですが、一番下の方が交換してくれて、親子3人で快適に、楽しく横になって行くことが出来たのを憶えています。今思うと、すごく迷惑だったでしょうが、譲らないのもうるさいだろうと言うご判断だったのかも(^_^;)。今よりも昔のほうが『お互い様』の気持ちが溢れていて、あまり殺伐としていなかったかもしれません。
心なしかスーツくんも疲れているように見える若いからと無理しないでね
俺の青春は食パンと共にある。
おお同志よ
今の子の青春は電子レンジとともにあるんだよな
@@あいうえお-z9q4o これはE233です
90年代定期運用が減り、冬のシュプール号での活躍で最後の輝きを放ってましたね。何度か乗りましたが懐かしいです。
まあなにせこのチャンネルの初投稿動画の列車だからね。
つい最近まで1編成残ってたのが驚きだったな…小さいときに鉄道に興味あったら、いろんな面白い車両に乗れたかもしれないんだよな〜残念…
583系はめちゃくちゃカッコ良くて大好きでした。小学生のころ、クリーム色と青の車体を見る為だけに、入場券を買って駅のホームで来るのを待っていたことを思い出します。
開発当初は車両基地の留置編成が高度成長期だったので寝台列車が昼間ずっといるし夜間は昼行列車がいるからそれを一緒にしたら通勤列車を増発できるようになったということがありました鳥栖駅に関しては寝台列車として過ごした期間より近郊型として運用した期間が長かったです
新幹線が開通してしばらくは、関西のCMが九州で流れてたな。今はなき『ホテル紅葉』とか、老舗旅館の『有馬兵衛の向洋閣へ』とか『ほんに先斗町のいづもやへ』とか関西の企業のCMがこれでもかと流れていた時代を思い出しました。
きたぐに自由席と言えば「痔なんです…」
何らかの方法によって決まったようだ…
昨年、日本一周の、門司港駅鉄道博物館での説明で、初めてその特徴を知りました。今回さらに詳しく聞けました。本当に、働き者の電車でした…583系の時代を、実際に共に過ごしてきたかのような、明確な説明ですね。小田急の説明も楽しかったですが…なんとなく、私は、JR・国鉄の説明するスーツさんが嬉しい。
またスーツさんのホワイトボード講座は嬉しい😆あの色の寝台車は懐かしい!フル稼働なんですね💧
あいづライナーの代走で地元にやってきた時、スーツさんに撮影地を教えて頂いたりした思い出があるので583系は他の車両達とは違った思い入れがあります!
583系!もうちょい早めに生まれていれば普通に乗れたのですがね…映像でしか見た事が無いですが、祖父曰くとても良い列車だったと言っていたのを思い出しました!
僕も583系乗りたかったです。寝台列車がバンバン走っている姿を見てみたかったですね~
頑丈な足回りが富山地方鉄道の車両(元東急電鉄の通勤車両を除く)に使われていて、その当時の名残を残しています。全盛期は、昼間は昼行特急に夜は寝台特急にフル稼働していたようです。(その合間に検修を行っていて、少ない予備車で賄っていたことでしょう。)
583好きだったな!国鉄最後の日に乗り放題(謝恩フリーだったかな)で、583のきたぐに乗ったのが1番の想い出かな!仙台の方の快速乗りに行きたかったな
後に改造された715系の沿線の福島市民でしたが、"583系"としては「あいづ」の代走時しか乗れずじまいでした。「きたぐに」に乗れずじまいだったのが今でも心残りです。(九州の715系&北陸の419系は両端とも食パン顔の車両も見受けられましたが、東北の715系は片方に必ず原型顔が維持されていました)
1977年、高校の修学旅行で宇都宮8時30分頃の”はつかり”で青森駅まで行きました。青森駅には夕方に到着。青森駅はさいはての地と思いましたね。その後連絡船で函館へ。私、583系の乗車はこの時が最初で最後でした。いい思い出です。懐かしい~。
いろんな改造や編成変更をして長く車両を使う時代もあったのですね 今の時代使ってない車両を使用するのに新幹線の使ってない時間帯の線路を低燃費で寝台列車を走らせることは難しいのでしょうね。
会津若松駅で583のお世話になりました。SLばんえつが雪の為に大幅に遅れて、翌朝までに豪雪になった事がありました。2010年のクリスマス エクスプレスでの出来事でした。
18切符シーズンは食パン、平常は急行きたぐにで旅した思い出。
自分山形なので上野、下ホームに入線する583系は帰省では絶対乗れない憧れの…wやまばと、つばさ基本赤だから青いのに興味津々。寝台ベッド部分見てもう目がわくわく
私も田舎が水戸だったので、ひたちしかなじみが無かった当時は青い顔の電車に憧れましたね(*'ω'*)
このボックスシートを引っ張り出してベッドにするって技術はリゾートしらかみの半個室とかにも活かされてますよね。
お疲れ様です。583系寝台特急電車で唯一車籍が残っているのは、秋田車両センターのクハネ583-17ですが、今後の動向に注目しています。583系の体験乗車は、2004年秋に仙山線の臨時快速の往復だけでした。583系に関連し、丁寧な解説を有難うございます。急行きたぐに、夜行列車で様々な顔を併せ持つ使い勝手の良い列車でしたが、北陸新幹線開業前に廃止されたのは残念です。この解説を介して改めて583系は、超貴重な鉄道文化遺産だと認識しました。解説して頂いたスーツ氏、有難うございます。
まさに子供の時に岡山まで新幹線で岡山から宮島口まで583系はとで家族旅行しましたよ確かにボックスシートでしたが乗り心地は良かった
名古屋-博多間の寝台特急 “金星” は583系でした。
金星も有りましたね
子供のころに読んだ電車の本には、車輌は形式ではなく通称で紹介されていた581/583系→月光形、181系(151系)→こだま形、153系→東海形、157系→日光形など・・・今では、こんな呼び方をする人は居なくなりましたね
583のボックスシート、シートピッチが広くて快適でした。あれはあれで良しと思いました。
若い頃広島から東京夜行寝台まで何度も乗った、夜の車窓はなつかしい
もし、最後まで生き残っていた、秋田車両センターの583が残っていたらスーツ君が貸切をしていたかもな。
盛岡から新幹線乗り継ぎで臨時はつかりに乗りましたよリクライニングしないけど臨時なのでガラガラ、足下広々で良かったです
子供の頃、青森に住んだことがあり、よく利用しました。(はくつる、ゆうづる、盛岡はつかり)上段と中段の居心地は不自然な突起があるなど最悪で、着替えがたいへんでした。家族で利用した際、下段の取り合いはデフォでした。(弟に下段を取られ、宛てがわれた中段がパンタ下だったときはラッキー)24系25形に乗った時、あまりの広々に「さすが寝台専用車」と関心したものです。(上段に窓が無いのを差し引いても)また、はつかりはなるべく485系を選んで乗るようにしたものです。
1960年生まれの60歳です。7歳の頃、父親の郷里の弘前に行く時、青森経由で「はつかり」、寝台の「はくつる」、「ゆうづる」に乗ったことがあります。583系のA寝台に父子で寝ていったことがあります。父は腰痛持ちだったのでB寝台は無理だったんでしょうね。7歳の自分、初めて乗った特急が「はつかり」でとても興奮した思い出がありました。普段は買ってくれなかった分厚い月刊少年ジャンプとファンタのグレープとオレンジの350ml缶も嬉しかったです(普通は250ml缶でした)懐かしい大好きな車両です。
スキー客向け夜行列車で583系が来たとき、テンションが上がった。
583系が現代に復活したらどんな列車になるのだろう。
最近新しくできたWestExpress銀河のような寝台電車になったかも知れません。サンライズ瀬戸・出雲も583系の後継といえます。
仙台に所属していた583系N1N2編成の磐越西線あいづライナーは、本当に静かで乗り心地の良い快速でした(過去最高に)。もう乗る事ができないのが極めて残念です。
昔、名古屋ー博多を走っていた寝台特急金星号も583系でした、間合い運用として昼間特急しらさぎ号名古屋ー富山、特急有明号博多ー西鹿児島だったと思います。食堂車、グリーン車付の編成でした。
高度経済成長期の、企業戦士とかモーレツ社員のような電車だったんですね。時代の荒波に揉まれながら50年間働き続けてくれてお疲れ様でしたと言ってあげたいです。
583系の最後は仙台から福島までの区間を快速「ふくしま花見山号」として使われてました。花見目的ではなくその電車に乗ることが目的で何度か利用しました。国鉄時代に製造された数ある名作電車の中でも1番好きですね。
12:20 食パン北陸本線で乗ったな。その頃ガキだったから段差があるのが高かった印象がある。座席はさすが元特急とだけあって快適性はあったと思う。それでコンビニ飯食いながら米原から敦賀まで行きました
皆さんは、583系のボックスシートは嫌われていたが、長距離だと485系のような回転クロスシートよりもかえって疲れにくい.当時の回転クロスシートは暖房用のカバーが座席の下にあったのでシートピッチ910ミリだと足が伸ばせずかえって疲れた。それに583系は、車体が重かったので、振動は、少ないように思った。
昔上野駅でみた583系はかっこよかったな~
時代の遺産ですね。うちのサハネ581-19、大切に保存したいと思います!
(まさか、自宅に実車を…)
スーツの鉄道講座シリーズほんとすこ
1度だけきたぐに号で乗ったことがありましたもうあれから10年も経つのかと思うと寂しい限りです。
きたぐにのボックスシートといえば、水曜どうでしょうの最初のサイコロの旅で、寝台券が3枚しか取れず大泉さんが大阪から新潟まで乗せられてた思い出
583系のピーク期って10年程度なんですよねぇ。新幹線の九州進出や東北新幹線の延伸…。挙げ句の果てに改造される始末。結果的に寝台電車はサンライズとして生き続けているのは嬉しいところ。昼間は走りませんが。ただ、後継車がどうなるか全然分からない。そういうよく分からないところがJRにある。幹線の第三セクターという壁も。
青の電気釜583系、赤の電気釜485系。本当に大好きな車両です。583系はきたぐにしか見たことありませんが、写真や動画で一番好きな車両ですよ😊はつかり、はくつる、ゆうづると東北を中心に南は、581系で月光やみどりで走りきった名前もカッコよく好きな愛称です👍
583のA寝台乗ってみたかった
幼稚園の頃から大好きな列車でしたが、デビューが同い年とは知らなかった!うちの幼稚が南福岡駅前だったので、ちょいちょい抜け出して郵便車のし分けとか、引き上げてくる「月光」号を見るのが楽しみでした。
24時間、休み無しで働かされる、ブラック企業もびっくりの電車www
583系の想い出は大阪駅で写真撮影したことがあります。それは夏期の臨時列車である信州方面行きのリゾート号や冬季のスキーヤーを目的としたシュプール号でしたね。by酒向正也
upotsu 583系を間近で見たのは仙台で撮影した時が最初で最後だな。その約1年後に完全引退するとは思ってもいなかったので、名列車でもあり、迷列車でもある車両を1度だけでもこの目で見ることができて本当に良かったと思う
憧れの583系の紹介助かる幼少期はわくわくドリーム号見て育ったから、乗るのが夢だった、夢で終わったけど
やっぱり583が一番好きだな~
小学校5年のときに大阪から博多まで乗った583が明星でした。それ以来鉄道ファンになりました。
こちらでは金星・彗星・なは・明星・にちりん・有明…沢山走ってましたね。シャレで名古屋から博多までサロ581に乗って地獄を味わったのを思い出しました。
千早bull 様お疲れさまでした。サロですか?なぜゆえに寝台でないのか分からんが?でもこうしてコメするんは裏返しに余程強烈に覚えている証拠。22:49に富士🗻が着きます。富士の到着シーンは見えましたか?一分後の22:50に富士にお先にと挨拶して金星🌟が出る。博多着は10:11。今、振り返るとなんと贅沢。う…羨ましい。地球は365日、金星の公転は225日、金星の出発時刻は、一生涯忘れません。上りの時刻は夕暮れに出て早朝に名古屋着、宵の明星明けの明星、金星🌟にぴったりだった。
その先輩の581系のことも気にかけてあげてください。581は60Hz専用だったので、50Hzも60Hzにも対応してた583系の方が最後まで残ったんでしょうね。
581・583系は昼間の座席はリクライニングできないことから不評だったみたいで *定期運用* 晩年はほとんど寝台列車が多かったですね。また近郊に改造された419系は割りと最近まで生き残りました。
419系の中には、登場時の特急車両でいた期間より、改造車の普通車両でいた期間の方が長いものもいたとか。
普通列車であの椅子なら快適だけどね。
カツマタサン、6月の試験に出ましたよ、交直流電車とパンタグラフがの〜。
ブルートレインは発車時の連結器の衝撃が大きくてすぐ目が覚めた。583系は乗ったことが無いけど、電車だったからましだったのではないだろうか。
食堂車も有りましたね。僕が初めて583系はくつるに乗った頃、営業休止でしたが連結されていました。一時期はくつるに1両だけ指定席(座席状態)が設定されて乗ってみましたが、乗車率高く満席で足を伸ばせず苦痛だった記憶があります。
もし、2020年の時点で583系が現役だったら先日の『自分専用列車』は583系で運転されたかもなぁ🥺自分で走らせる!復活夜行急行『津軽』って感じで✨
仙山線〜奥羽本線ルートが無いから、厳密には難しいやろなぁ…。
こんなに長い動画ってことはスーツさん、とても583系が好きなんですね!
この人のyoutuberとしての原点みたいなもんだし
九州鉄道博物館にはロングシートにつり革付きの583系が保存されています...
583系、好きです。某団体ツアーで夜間乗車した時は座席片側だけ寝台で、反対側のボックスはフリースペースとしてどちらも使えたので両方の体験が出来ました。下段寝台は暖房で背中がかなり熱かったです。
国鉄時代ゆうずるに乗ったのは良い想い出です。上段寝台でしたが、10系や20系の52cm巾の寝台よりゆったりしていて爆睡できました。食堂車は営業休止で開放されていたので調理室内を見学し放題でした。
常磐線を走ってたとは沿線民としては嬉しいです臨時快速で乗りましたよ仙台で
名列車で行こうハイレベル編の5/5も気長に待ってます
583系は良かった‼️最長運用は大阪青森間の臨時急行あおもりかな⁉️グリーン車をサロンカー開放で良かったです⭐️昔の思い出
サロンカー、いいですね。夜行バスはサロンどころか、席も立てないしスマホもマナー違反なので夜が長すぎます
臨時の日本海での運用もあったみたいです運行中に寝台解体座席転換とかもあったみたいです昼行は北陸線や鹿児島線 日豊線 で食堂車グリーン車営業での12連が堂々日中走行してました
昔は昼夜関係なくほとんどの特急に食堂車ありましたからね‼️カレーやハンバーグ懐かしいですね⭐️
@@oyajibest 在来線昼行の食堂車は経験ないですけど 新幹線食堂車は経験あります経費がかかり過ぎるから廃止になったといわれてますけどね東海道山陽新幹線もリニア開業後軽食設備復活してほしいですね
@@みずきれいな 様当初は臨時の「日本海」として運転されたのですが盛アオの編成と大ムコの編成が隔日運転されたためA寝台車が有ったり無かったりでした…しかし客扱い運転しながらの寝台の設廃の問題などから20系客車化され後に急行格下げで列車名は「あおもり」となりました
確か、急行「きたぐに」にA寝台が連結されてました。乗ったことがあります。
デビューは42年10月の月光&みどりだけど、やはりヨンサントオでのはつかり&はくつる&ゆうづるの印象の方が強いな。下りはくつるでは宇都宮あたりまでのわずかな時間ながら、ちゃんと食堂営業をやってたとか。ステーキ食ってコーヒー飲んでみたかったなあ。あ、でもコーヒー飲んだら寝れんか。
583系~🍀🍴連結。 485系、583系全盛期は急行の本数も多く貫禄充分でしたね。車体が重たいのでドッシリと乗り心地は良かった。
かつてこれは昼も夜も使える特急のはずだった。しかし昼間はボックスシートで硬すぎる、夜は三段式で狭すぎるという中途半端な車両となってしまった。
東京に住んでいた時、帰省先から帰る途中で東北本線で乗ったのがこの583系はつかりでした。本当に懐かしいですね。
相当な量話してるのに頭にスッと内容が入ってくる。この人の話し方はほんとに綺麗
北陸本線の、583を改造して作った419系の衝撃は今でも忘れられません。5年くらいで廃車の予定が25年以上も使われたし・・・
あのクロスシートの座り心地、広さは格別でした。
電車式寝台特急のサンライズ瀬戸・出雲
昼行夜行両用のWEST EXPRESS 銀河
583系が生み出した概念は、今でも生きているのです。
583系の老朽化を早める一因となったのが、東北本線での運用で、厳寒地域を昼夜で最高120km/h運転かつ1日あたり1,500km近い距離を走る過酷な条件下にあり、車両へのダメージが大きかったそうです。
仮に常磐線走っていたら
もっと早く引退しただろうな
ゆうづる、みちのくで常磐線を定期運用で走ってますよ〜
!
酷使で寿命が縮んでしまったのは巨人の江川みたいですね。。。
その車両を近郊電車に改造して、さらに酷使されました。
(北陸本線ではごく最近まで、そうなっていました。)
笑ゥせぇるすまんNEWというアニメの中で「ああ、愛しの583系」という回があるんだけど、あれの583系の作画は素晴らしかった
警笛の時のタイフォンが開くところまで作画するこだわりっぷりだったし、あれは絶対製作スタッフの中に鉄ちゃんがいたんだろうなあ
尾久車両基地で寝台解体とセットを行うバイトやっていました。
上段ベッドを収納するのが重くて重くてめちゃしんどかったです。
重いだけじゃなく、下段(座席)の上によじ登って作業しなければならなかったのではないでしょうか…?
そのベット売ってませんか?
古い味を味わいながら寝たいです(笑)
@@河原猫チャンネル さま
残念ながら売られてないですねぇ…
チーン😱
@@河原猫チャンネル さま
新幹線やリクライニングシートの特急車両のようにリニューアル改造で座席を交換という事が無かったのと2個の座席を組み合わせなければならない事から出回っていないものと思われます
日本の鉄道が元気だった頃の象徴的な車両だと思います。
解説動画ありがとうございます!
583系、485系もそうですが、あの顔がたまらなく好きでした。
過酷な運用に長年耐えた車両。その姿は国鉄らしくもあり古き良き日本らしさも感じますね。
特急なのにボックスシート、とても狭い3段寝台。
だけど昼行列車でも夜行列車でも走れる斬新さ。
良くも悪くも器用貧乏な車両でした。
電車好きだった子供の頃、何系とかも分からなかったけど青いラインのあの特急がかっこよく良く走ってるのを親に連れてってもらって線路脇に見に行きました。大人になってそれが583系だと知りましたが、一度も乗ることは叶わなかった。先日京都鉄道博物館に行って子供の頃の記憶が蘇りぼーっと見惚れてました。
私は40代ですが、私が子供の頃は既に583系はグリーン車も食堂車もあったので、てっきり最初からあったと思っていたのですが、スーツさんの解説で、最初はモノクラスで後からグリーン車と食堂車が出来た事を知りました。勉強になります。
スーツさん、寝台車の話をしている時楽しそうですよね〜
サンライズが別荘だからじゃない
0:00 安定の右から出てくるスタイル
部屋が狭いから仕方がないんだよ!
青森〜上野間の常磐線経由の583系の特急みちのく号と東北本線の寝台特急はくつる号も良く利用したな〜。
今では懐かしいな〜。
ゆうづるのファンだったので、昼間はつかりに乗るときに583系だとテンション上がったなー
スリムな485系に対して583系はワイドで重厚なスタイルが最高でした。
きたぐには始発として遠出するのに重宝した思い出
貧乏学生には急行料金で乗れるのもありがたかった
座席寝台特急明星で西鹿児島まで行ったのが良い思い出です。
大学生の頃は午後に思い立ってからザックに着替えを入れ、ワイド周遊券を買って自由席の列に並んだものです。宿に泊まらず夜行と駅ネで旅しました。
そんな無計画旅行は物理的にできなくなりました。
583系一番好きな車両です。
上野発の「はつかり」新幹線盛岡開業後の「はつかり」
レアといえば、万博中央駅から
大宮駅まで乗車した「エキスポライナー」乗車したかった「みちのく」「はくつる」「ゆうづる」「ひばり」(ごく一部に583系の運用があった)、新幹線大宮開業後にしばらくの間、お盆、年末年始、ゴールデンウィークに東北線経由で運転された「臨時特急ふるさと」(下り 上野~青森・上り青森~大宮)、土浦~万博中央間を運転した列車ホテル「エキスポドリーム」(20系の「エキスポドリーム」は乗車しました)「臨時寝台特急あけぼの」「急行津軽」など。なんといっても車両側面に小窓があるのがなんとも魅力的で好きでした。また扉が折戸というのもたまらなかったです。583系の13両フル編成はいつまでたっても忘れられないです。
追伸・583系の窓側に凹みがあるけれどあの凹みは、肘掛けのため作ったそうです。なかなか考えられていると思います.また583系は198年代前半までは、食堂車に3層交流電源があったので外すに外せなかったそうです。後に改造で別の車両に移して短編成にできたようだ。
583系のような寝台専用列車が
また復活してほしいですねぇ
復活したらまた旅の楽しみなどが増えそうです...
特に中央線に欲しい
WEST EXPRESS 銀河が後継の車両になりました。
今春デビューするJR西日本の新たな長距離列車。期間により大阪~下関の昼行特急のほか京都~出雲市の夜行特急としても運行されます。
「旅客鉄道会社を研究する」チャンネル時代の583の防音を紹介する動画拝見しています。当時の車両は機能性重視で丁寧に造られた様ですね。製造当時一等寝台も計画されていたのは興味深いですので、調べて見ます。
字幕テロップなしでも、すんなりと内容が頭に入ってきます。プレゼンの能力を感じます。
583系は、上野駅~青森駅間では、東北本線経由でL特急のはつかり号と寝台特急のはくつる号。常磐線経由で特急みちのく号と寝台特急ゆうづる号で運用されていましたね。
グリーン車はついていました、東北本線で上野から青森まで私自身乗りました。583系にもちゃんとグリーン車はついていました。ただし夜はそのままグリーン車でした。寝台にはなりませんでした。
43/10で東北本線電化が完成し、はつかり号新車に当時乗りました、食堂車天井高く開放感すごいのを覚えています、よかった時代です。
583系の寝台下段は、あの大きな窓を独り占めに出来るのが嬉しい。
スーツさんの親御さんと同年代の私ですが、小学校低学年の頃、弟と母と3人で利用しました。本当は上の段だったのですが、一番下の方が交換してくれて、親子3人で快適に、楽しく横になって行くことが出来たのを憶えています。今思うと、すごく迷惑だったでしょうが、譲らないのもうるさいだろうと言うご判断だったのかも(^_^;)。今よりも昔のほうが『お互い様』の気持ちが溢れていて、あまり殺伐としていなかったかもしれません。
心なしかスーツくんも疲れているように見える
若いからと無理しないでね
俺の青春は食パンと共にある。
おお同志よ
今の子の青春は電子レンジとともにあるんだよな
@@あいうえお-z9q4o これはE233です
90年代定期運用が減り、冬のシュプール号での活躍で最後の輝きを放ってましたね。
何度か乗りましたが懐かしいです。
まあなにせこのチャンネルの初投稿動画の列車だからね。
つい最近まで1編成残ってたのが驚きだったな…
小さいときに鉄道に興味あったら、いろんな面白い車両に乗れたかもしれないんだよな〜
残念…
583系はめちゃくちゃカッコ良くて大好きでした。
小学生のころ、クリーム色と青の車体を見る為だけに、
入場券を買って駅のホームで来るのを待っていたことを思い出します。
開発当初は車両基地の留置編成が高度成長期だったので寝台列車が昼間ずっといるし夜間は昼行列車がいるからそれを一緒にしたら通勤列車を増発できるようになったということがありました
鳥栖駅に関しては寝台列車として過ごした期間より近郊型として運用した期間が長かったです
新幹線が開通してしばらくは、関西のCMが九州で流れてたな。
今はなき『ホテル紅葉』とか、老舗旅館の『有馬兵衛の向洋閣へ』とか『ほんに先斗町のいづもやへ』とか関西の企業のCMがこれでもかと流れていた時代を思い出しました。
きたぐに自由席と言えば
「痔なんです…」
何らかの方法によって
決まったようだ…
昨年、日本一周の、門司港駅鉄道博物館での説明で、初めてその特徴を知りました。今回さらに詳しく聞けました。本当に、働き者の電車でした…583系の時代を、実際に共に過ごしてきたかのような、明確な説明ですね。小田急の説明も楽しかったですが…なんとなく、私は、JR・国鉄の説明するスーツさんが嬉しい。
またスーツさんのホワイトボード講座は嬉しい😆
あの色の寝台車は懐かしい!
フル稼働なんですね💧
あいづライナーの代走で地元にやってきた時、スーツさんに撮影地を教えて頂いたりした思い出があるので583系は他の車両達とは違った思い入れがあります!
583系!もうちょい早めに生まれていれば普通に乗れたのですがね…映像でしか見た事が無いですが、祖父曰くとても良い列車だったと言っていたのを思い出しました!
僕も583系乗りたかったです。
寝台列車がバンバン走っている姿を見てみたかったですね~
頑丈な足回りが富山地方鉄道の車両(元東急電鉄の通勤車両を除く)に使われていて、その当時の名残を残しています。
全盛期は、昼間は昼行特急に夜は寝台特急にフル稼働していたようです。
(その合間に検修を行っていて、少ない予備車で賄っていたことでしょう。)
583好きだったな!
国鉄最後の日に乗り放題(謝恩フリーだったかな)で、583のきたぐに乗ったのが1番の想い出かな!
仙台の方の快速乗りに行きたかったな
後に改造された715系の沿線の福島市民でしたが、
"583系"としては「あいづ」の代走時しか乗れずじまいでした。
「きたぐに」に乗れずじまいだったのが今でも心残りです。
(九州の715系&北陸の419系は
両端とも食パン顔の車両も見受けられましたが、
東北の715系は片方に必ず原型顔が維持されていました)
1977年、高校の修学旅行で宇都宮8時30分頃の”はつかり”で青森駅まで行きました。
青森駅には夕方に到着。青森駅はさいはての地と思いましたね。
その後連絡船で函館へ。
私、583系の乗車はこの時が最初で最後でした。いい思い出です。懐かしい~。
いろんな改造や編成変更をして長く車両を使う時代もあったのですね 今の時代使ってない車両を使用するのに新幹線の使ってない時間帯の線路を低燃費で寝台列車を走らせることは難しいのでしょうね。
会津若松駅で583のお世話になりました。
SLばんえつが雪の為に大幅に遅れて、
翌朝までに豪雪になった事がありました。
2010年のクリスマス エクスプレスでの出来事でした。
18切符シーズンは食パン、平常は急行きたぐにで旅した思い出。
自分山形なので上野、下ホームに入線する583系は帰省では絶対乗れない憧れの…w
やまばと、つばさ基本赤だから青いのに興味津々。寝台ベッド部分見てもう目がわくわく
私も田舎が水戸だったので、ひたちしかなじみが無かった当時は
青い顔の電車に憧れましたね(*'ω'*)
このボックスシートを引っ張り出してベッドにするって技術はリゾートしらかみの半個室とかにも活かされてますよね。
お疲れ様です。
583系寝台特急電車で唯一車籍が残っているのは、秋田車両センターのクハネ583-17ですが、
今後の動向に注目しています。583系の体験乗車は、2004年秋に仙山線の臨時快速の往復だけでした。
583系に関連し、丁寧な解説を有難うございます。
急行きたぐに、夜行列車で様々な顔を併せ持つ使い勝手の良い列車でしたが、
北陸新幹線開業前に廃止されたのは残念です。
この解説を介して改めて583系は、超貴重な鉄道文化遺産だと認識しました。解説して頂いたスーツ氏、有難うございます。
まさに子供の時に岡山まで新幹線で岡山から宮島口まで583系はとで
家族旅行しましたよ
確かにボックスシートでしたが乗り心地は良かった
名古屋-博多間の寝台特急 “金星” は583系でした。
金星も有りましたね
子供のころに読んだ電車の本には、車輌は形式ではなく通称で紹介されていた
581/583系→月光形、181系(151系)→こだま形、153系→東海形、157系→日光形など・・・
今では、こんな呼び方をする人は居なくなりましたね
583のボックスシート、シートピッチが広くて快適でした。あれはあれで良しと思いました。
若い頃広島から東京夜行寝台まで何度も乗った、夜の車窓はなつかしい
もし、最後まで生き残っていた、秋田車両センターの583が残っていたらスーツ君が貸切をしていたかもな。
盛岡から新幹線乗り継ぎで臨時はつかりに乗りましたよ
リクライニングしないけど臨時なのでガラガラ、足下広々で良かったです
子供の頃、青森に住んだことがあり、よく利用しました。(はくつる、ゆうづる、盛岡はつかり)
上段と中段の居心地は不自然な突起があるなど最悪で、着替えがたいへんでした。家族で利用した際、下段の取り合いはデフォでした。(弟に下段を取られ、宛てがわれた中段がパンタ下だったときはラッキー)
24系25形に乗った時、あまりの広々に「さすが寝台専用車」と関心したものです。(上段に窓が無いのを差し引いても)
また、はつかりはなるべく485系を選んで乗るようにしたものです。
1960年生まれの60歳です。7歳の頃、父親の郷里の弘前に行く時、青森経由で「はつかり」、寝台の「はくつる」、「ゆうづる」に乗ったことがあります。583系のA寝台に父子で寝ていったことがあります。父は腰痛持ちだったのでB寝台は無理だったんでしょうね。7歳の自分、初めて乗った特急が「はつかり」でとても興奮した思い出がありました。普段は買ってくれなかった分厚い月刊少年ジャンプとファンタのグレープとオレンジの350ml缶も嬉しかったです(普通は250ml缶でした)懐かしい大好きな車両です。
スキー客向け夜行列車で583系が来たとき、テンションが上がった。
583系が現代に復活したらどんな列車になるのだろう。
最近新しくできたWestExpress銀河のような寝台電車になったかも知れません。
サンライズ瀬戸・出雲も583系の後継といえます。
仙台に所属していた583系N1N2編成の磐越西線あいづライナーは、本当に静かで乗り心地の良い快速でした(過去最高に)。もう乗る事ができないのが極めて残念です。
昔、名古屋ー博多を走っていた寝台特急金星号も583系でした、間合い運用として昼間特急しらさぎ号名古屋ー富山、特急有明号博多ー西鹿児島だったと思います。
食堂車、グリーン車付の編成でした。
高度経済成長期の、企業戦士とかモーレツ社員のような電車だったんですね。時代の荒波に揉まれながら50年間働き続けてくれてお疲れ様でしたと言ってあげたいです。
583系の最後は仙台から福島までの区間を快速「ふくしま花見山号」として使われてました。花見目的ではなくその電車に乗ることが目的で何度か利用しました。国鉄時代に製造された数ある名作電車の中でも1番好きですね。
12:20 食パン北陸本線で乗ったな。
その頃ガキだったから段差があるのが高かった印象がある。
座席はさすが元特急とだけあって快適性はあったと思う。
それでコンビニ飯食いながら米原から敦賀まで行きました
皆さんは、583系のボックスシートは嫌われていたが、長距離だと485系のような回転クロスシートよりもかえって疲れにくい.当時の回転クロスシートは暖房用のカバーが座席の下にあったのでシートピッチ910ミリだと足が伸ばせずかえって疲れた。それに583系は、車体が重かったので、振動は、少ないように思った。
昔上野駅でみた583系はかっこよかったな~
時代の遺産ですね。うちのサハネ581-19、大切に保存したいと思います!
(まさか、自宅に実車を…)
スーツの鉄道講座シリーズほんとすこ
1度だけきたぐに号で乗ったことがありましたもうあれから10年も経つのかと思うと寂しい限りです。
きたぐにのボックスシートといえば、水曜どうでしょうの最初のサイコロの旅で、寝台券が3枚しか取れず大泉さんが大阪から新潟まで乗せられてた思い出
583系のピーク期って10年程度なんですよねぇ。新幹線の九州進出や東北新幹線の延伸…。挙げ句の果てに改造される始末。結果的に寝台電車はサンライズとして生き続けているのは嬉しいところ。昼間は走りませんが。ただ、後継車がどうなるか全然分からない。そういうよく分からないところがJRにある。幹線の第三セクターという壁も。
青の電気釜583系、赤の電気釜485系。本当に大好きな車両です。583系はきたぐにしか見たことありませんが、写真や動画で一番好きな車両ですよ😊
はつかり、はくつる、ゆうづると東北を中心に
南は、581系で月光やみどりで走りきった
名前もカッコよく好きな愛称です👍
583のA寝台乗ってみたかった
幼稚園の頃から大好きな列車でしたが、デビューが同い年とは知らなかった!
うちの幼稚が南福岡駅前だったので、ちょいちょい抜け出して郵便車のし分けとか、引き上げてくる「月光」号を見るのが楽しみでした。
24時間、休み無しで働かされる、ブラック企業もびっくりの電車www
583系の想い出は大阪駅で写真撮影したことがあります。それは夏期の臨時列車である信州方面行きのリゾート号や冬季のスキーヤーを目的としたシュプール号でしたね。by酒向正也
upotsu 583系を間近で見たのは仙台で撮影した時が最初で最後だな。その約1年後に完全引退するとは思ってもいなかったので、名列車でもあり、迷列車でもある車両を1度だけでもこの目で見ることができて本当に良かったと思う
憧れの583系の紹介助かる
幼少期はわくわくドリーム号見て育ったから、乗るのが夢だった、夢で終わったけど
やっぱり583が一番好きだな~
小学校5年のときに大阪から博多まで乗った583が明星でした。それ以来鉄道ファンになりました。
こちらでは金星・彗星・なは・明星・にちりん・有明…沢山走ってましたね。シャレで名古屋から博多までサロ581に乗って地獄を味わったのを思い出しました。
千早bull 様
お疲れさまでした。
サロですか?なぜゆえに寝台でないのか分からんが?
でもこうしてコメするんは裏返しに余程強烈に覚えている証拠。
22:49に富士🗻が着きます。富士の到着シーンは見えましたか?一分後の22:50に富士にお先にと挨拶して金星🌟が出る。博多着は10:11。今、振り返るとなんと贅沢。う…羨ましい。
地球は365日、金星の公転は225日、金星の出発時刻は、一生涯忘れません。
上りの時刻は夕暮れに出て早朝に名古屋着、宵の明星明けの明星、金星🌟にぴったりだった。
その先輩の581系のことも気にかけてあげてください。
581は60Hz専用だったので、50Hzも60Hzにも対応してた583系の方が最後まで残ったんでしょうね。
581・583系は昼間の座席はリクライニングできないことから不評だったみたいで *定期運用* 晩年はほとんど寝台列車が多かったですね。また近郊に改造された419系は割りと最近まで生き残りました。
419系の中には、登場時の特急車両でいた期間より、改造車の普通車両でいた期間の方が長いものもいたとか。
普通列車であの椅子なら快適だけどね。
カツマタサン、6月の試験に出ましたよ、交直流電車とパンタグラフがの〜。
ブルートレインは発車時の連結器の衝撃が大きくてすぐ目が覚めた。583系は乗ったことが無いけど、電車だったからましだったのではないだろうか。
食堂車も有りましたね。
僕が初めて583系はくつるに乗った頃、営業休止でしたが連結されていました。
一時期はくつるに1両だけ指定席(座席状態)が設定されて乗ってみましたが、乗車率高く満席で足を伸ばせず苦痛だった記憶があります。
もし、2020年の時点で583系が現役だったら先日の『自分専用列車』は583系で運転されたかもなぁ🥺
自分で走らせる!復活夜行急行『津軽』
って感じで✨
仙山線〜奥羽本線ルートが無いから、厳密には難しいやろなぁ…。
こんなに長い動画ってことは
スーツさん、とても583系が好きなんですね!
この人のyoutuberとしての原点みたいなもんだし
九州鉄道博物館にはロングシートにつり革付きの583系が保存されています...
583系、好きです。某団体ツアーで夜間乗車した時は座席片側だけ寝台で、反対側のボックスはフリースペースとしてどちらも使えたので両方の体験が出来ました。下段寝台は暖房で背中がかなり熱かったです。
国鉄時代ゆうずるに乗ったのは良い想い出です。上段寝台でしたが、10系や20系の52cm巾の寝台よりゆったりしていて爆睡できました。食堂車は営業休止で開放されていたので調理室内を見学し放題でした。
常磐線を走ってたとは沿線民としては嬉しいです
臨時快速で乗りましたよ仙台で
名列車で行こうハイレベル編の5/5も気長に待ってます
583系は良かった‼️
最長運用は大阪青森間の臨時急行あおもりかな⁉️
グリーン車をサロンカー開放で良かったです⭐️昔の思い出
サロンカー、いいですね。
夜行バスはサロンどころか、席も立てないしスマホもマナー違反なので夜が長すぎます
臨時の日本海での運用もあったみたいです
運行中に寝台解体座席転換とかもあったみたいです
昼行は北陸線や鹿児島線 日豊線 で食堂車グリーン車営業での12連が堂々日中走行してました
昔は昼夜関係なくほとんどの特急に食堂車ありましたからね‼️
カレーやハンバーグ懐かしいですね⭐️
@@oyajibest
在来線昼行の食堂車は経験ないですけど 新幹線食堂車は経験あります
経費がかかり過ぎるから廃止になったといわれてますけどね
東海道山陽新幹線もリニア開業後軽食設備復活してほしいですね
@@みずきれいな 様
当初は臨時の「日本海」として運転されたのですが盛アオの編成と大ムコの編成が隔日運転されたためA寝台車が有ったり無かったりでした…
しかし客扱い運転しながらの寝台の設廃の問題などから20系客車化され後に急行格下げで列車名は「あおもり」となりました
確か、急行「きたぐに」にA寝台が連結されてました。乗ったことがあります。
デビューは42年10月の月光&みどりだけど、やはりヨンサントオでのはつかり&はくつる&ゆうづるの印象の方が強いな。下りはくつるでは宇都宮あたりまでのわずかな時間ながら、ちゃんと食堂営業をやってたとか。ステーキ食ってコーヒー飲んでみたかったなあ。あ、でもコーヒー飲んだら寝れんか。
583系~🍀🍴連結。
485系、583系全盛期は急行の本数も多く貫禄充分でしたね。
車体が重たいのでドッシリと乗り心地は良かった。
かつてこれは昼も夜も使える特急のはずだった。しかし昼間はボックスシートで硬すぎる、夜は三段式で狭すぎるという中途半端な車両となってしまった。