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😼ホーリーの姐御〜。複雑な事を噛み砕いて説明する大変さが伝わってきました。誤解を恐れず江戸の暮らしを感じる目安として解説いただき、ありがとうございます😊。『勇者は四文銭をゲットした』
スーパーサンクスありがとうございます!励みになります お江戸いいねスタッフ一同
@@ilikeedo 人によっては1両20~30万円で計算してる場合がありますね
@@ilikeedo 銭形平次も あとで拾いに行ってたそうです。投げる時に1枚ずつでなく まとめて握って投げたそうです。
今は金の価値が高いからスゴイですよ。
たは
江戸時代と言うか徳川幕府の時代は単純に日本を統一したと言うけどいろんなことを整備して不便になることはなるべく避けたりさてややこしい物はひとつにまとめたりした素晴らしい時代ですよね🤗お金に関してはややこしいまんまなのが不思議なくらいです🤣うちの母が必殺仕事人を見ながら、一両でいくらやろね?なんて聞いてきますが、こう言うドラマだと、だいたい10万だよと教えてます。ちなみに、銭形平次が投げた銭を拾う場面が第一話にはありました。時代劇チャンネルで見ました🤣
現代の「100均」みたいな感覚だったのでしょうかね、「四文屋」さんは。 何時の時代も「計算しやすい」とか「お釣りが要らない」とかっていうのは、大事な要素なんですね!!
こんな、間違いだらけの解説で、理解できたとかw
そう言えば米国でもクォーター、25セントで1/4ですね。四当分って感覚的に解り易いんでしょうね。
屋台の蕎麦も、当時はすべて麺は手打ちだろうし、食品添加物もダシの素もなかったので、すべて天然だし。そう考えたら16文は格安かもしれませんね。いま、手打ちで天然ダシの蕎麦は・・かなり高級料理ですよね。
蕎麦は現在みたく上底でなかったので、量が3倍以上入ってました。値上げする時、上底して見栄えだけは同じ量と見えるように工夫しました。
江戸の貨幣の仕組み、現代の貨幣価値との比較について、丁寧に解説していただいたので、今後の役に立ちます
光熱代(薪・ローソク)が高いから照明暖房は大変だったと思います。馬を所有してる武家はガソリン代、当時の飼い葉は凄く高かったです。大名などは数頭抱えてたので大変だったでしょう。江戸時代の貨幣価値は難しいですね。家賃は安かった。米も事情があって安く出回る様でした。居酒屋も夜になると照明代が入り割高な為、庶民は明るい時間帯に飲んでました。
いやw 間違えだらけなんですけどw 知らない人に、ウソを教えるのも、いい加減にして欲しいですね。
私は時代小説を読むときに、江戸中期頃までは1両10万円、中期以降は8万円、幕末は3〜5万円くらいと思っていましたが、1万円は驚きです。今回も勉強になりました。有り難う😊
NHK R1のDJ日本史も毎回楽しく拝聴しています❤️
とても分かりやすかったです!居酒屋の四文屋にはたまに行くので今までとちょっと違った気分(江戸にタイムスリップしたような)が味わえそうです。お金の単位が四倍数だったという話、昔の単位を理解するのに役に立ちそうです。有り難うございました。
江戸時代初期から後期までにインフレが10倍くらい進んだのですね〜💕また4進方だったんですねー♪
2:38 南鐐二朱銀を開発した田沼意次は有能❤ほーり様、いまだに誤解が多い田沼様の名誉を回復してくださいませ~😂😂
いつも楽しく価値ある情報ありがとうございます。お金に関連して江戸時代の豪商物語等も面白いと思います。現在の不景気ニッポンに何らかのヒントがあれば。よろしくお願いします。
いや、間違いだらけなんですけどw 酷すぎる内容ですよ。
なるほどぉ‼️これは面白いお話でした✨😃👍大変、勉強になりました‼️江戸の経済は結局、米の生産高に左右された米本位制だった事が様々な問題を引き起こしたのはご存知の通りです。特に8代将軍吉宗は米相場に翻弄されましたね😢光熱費ですが、司馬遼太郎の花神に大村益次郎先生が適塾に入学した時に師匠の緒方洪庵先生から「用意もないでしょう。」っと蝋燭をプレゼント(入門祝いに)される場面が記憶に良く残っています。当時は蝋燭は高級品だったというのをその一場面だけで理解できました。あと、二八蕎麦の語源も・・・おっと❗️長くなるのでこの辺で。いつもありがとうございます♪楽しく観てます✨😃👍✨
ありがとうございます!四文銭でお支払いします(笑)
四文銭スーパーサンクスありがとうございます、励みになります! スタッフ一同
いやぁ~、分かりやすい解説でした😊歴史小説など読んでると貨幣の価値が分かりづらくてイライラしてましたからね。お団子も分かりやすい😋なんで4個なんだろうと不思議に思ってました。しかし、蝋燭がそんなに高いとは😳傘も絶対に置き忘れできないですね😥為になりました🙏
ぐるり東京江戸散歩、来週はほーりーの出番ですね。楽しみです♪
落語が大好きで年がら年中聞いてます。噺の中でおなじみの登場人物がお足を払う場面が屡々登場しますが、今の貨幣価値では?と考えると単位がややこしくて算盤が苦手な私は、まあいいか、とそのうち調べよう・・・と聞き流してました。複雑な江戸時代の貨幣ですが、「大工調べ」で大工の手間を尋ねられた頭領が日当をお奉行さんに伝えると、パッパと暗算して主人公の被害金額を伝えお裁きを下すところ、、、今も昔も上に立つ人は数字に明るいんですね。誠実な時代の貨幣のお話し、ありがとうございました。これからも贔屓にさせて頂きます。
1回でもバレたら獄門が間逃れないのに人を殺めるのに10万程度で依頼を受ける仕事人はなかなか命知らずだと思う。
仕事人は幕末だから1万でしょ
@@堀江一義さんそれが吉良上野介から鳥居耀蔵まで始末しているので前期から末期まで幅広く活動しているんですよね。
@@まっちゃ-z7m逆にその値段に誇りを感じるから正直かっけぇ。
百円玉を投げるのは、もったいない、でも、一円玉では、投げにくいし、あたっても痛くない。いずれにしても、お金を投げるのは、もったいない。
銭形平次って実在はしてませんからね😅
現代になって 100円寿司 がはやるはずやね。日本人の根底にながれている感覚にうったえる商売なんですね。
子供の頃 古銭を集めてて 大きくて立派な天保通寳が憧れでした。
天保通宝は鋳造元では古銭的価格が雲泥の差
いや~勉強になりました。難しいです~!ついて行けてません!久しぶりに算数の勉強を教えて貰ってる感じですぅ~!
傘ってそんなに高かったんですね。時代劇なんかで傘張りをしている浪人さんなんかを見たことがある気がしますが,結構いい収入になったんでしょうか。面白いお話をありがとうございました!
これ気になりました!!傘貼りなんて副業もうからんやん、と思っていたので、、、傘が高級品だったとは目から鱗です😂
その割には商家では、ご自由にお持ち下さいと、無料貸し出ししてましたね。
傘は高かったですが紙を貼るだけの内職ですので1本張っても大した金に成らないです。武家の部屋は広かったので傘貼り副業ができました。歴史本参考
ありがとうございます。 現在の一両の価値が知りたかったので、感謝、感謝です。
たまに一両小判が手に入っても、日々のお買い物に使えないから、両替商で小銭に崩してもらう必要がある。手間賃は微々たるものでも、利用者が多いから莫大な利益になる。 両替商に豪商が多いのも納得。
一両は本当に高価だったのですね。時代劇でも一両で支払いしているのは見ないですものね。思いつくのは中村主水の仕事料くらいですね。
銀一分で今のお金で25万円幕末までは金1枚=銀4枚、ところが ペルーが横須賀に来て不平等条約が状態化してしまい金の含有量を減らし価値が下がり幕末には幕府の信頼性が亡くなり維新へと継がって行くんやな🤭いつの時代も戦争に至る経緯は経済がグダグダになる時で左巻き学者や税金泥棒共が言うような中世の欧州のような植民地民族戦争からの転換した時代が日本の明治維新、金の切れ目が縁の切れ目の元でもある
代官に商人が支払っているのはよく見る
越後屋「お代官様、ご挨拶ですがこれをお納めください。」代官「おう、大義である。(蓋を開けたら小判の束)越後屋、御主も悪よのう。」越後屋「よろしく、取り図りくだされば、幸いに存じます。」代官「ウホ、ウホ、ウホ(笑)」越後屋「(土下座)」
四文屋の話ありがとうございます😊。次はメニューの再現もしていただけたら嬉しい、、、
はじめまして、松村邦洋さんとのラジオで聞いてました(過去形)、こちらで、またお会い出来るとは嬉しい限りです。
最後の貨幣改鋳を行った慶応年間の一両は今の16万円です。二分金、二分銀がそれぞれ4枚で一両だから一枚4万円。一分金、一分銀がそれぞれ8枚で一両だから一枚2万円。銀は交換貨幣で米や味噌、酢とかと交換した。
今、東映時代劇で週1銭形平次観てるんだ😊 お静のような嫁さんいてくれたらと毎回思う
かけそば一杯が二八そばと呼ばれて16文だったので現在400円だとすれば一文が25円ですよね。確かに銭形平次は4文銭を投げたから100円玉を投げたことになります。気前がいいなあ。
(*'▽')昔から、時代劇を観ていてお金の価値が分かんなかったけど、やっと心が晴れた気持ちになりました。非常にタメになる動画を有難う。なんか、また時代劇が楽しく観れるようになりました。
鎖国してたので、世界的金相場を知らない日本人は貿易で金を安く外国に換金された時代があり小判は全部海外に流れて終い。勿体ないですね。金貨と銀貨の仕組みは可笑しかったので悪用されたり、幕府も金不足で金貨の純度を段々落としてきた経緯が有り年代に寄って、現在、小判は価値が違います。大判は作ったが流通してなかった
流石だね、勉強になりやした、恐れ入りやす。
蕎麦が意外と高かったし、色々時代小説を読む参考になりました。
四文屋さん、いいなー、立ち食い串カツみたいな感じかな。お酒が出れば連日通い詰めたい。。。肝心のお江戸の貨幣制度を覚えていないことに気づく。。。。
はじめまして。わかりやすい解説ありがとうございます。私の財布の中にもここ30年来、永楽通宝が入っています。
三途の川の渡鎮は六文だそうで今でも変わらないみたいで六文をコピーした物を父の死装束の懐に入れた記憶があります、六文は150円位ですかね、越後屋お主も悪よのぅ、鼠小僧は偉い、吉原行ってみたいですね、現代の吉原は何度か行きました笑笑
今知られている尺貫法には入ってないけど、昔は両も重さの単位だったそうですね。また、寛永通宝は、本来は徳川家光の時代に作られたが、結局そのまま幕末まで作られ続けたため、あまりの多さから明治時代も流通していて、1銭の約100分の1の価値だったそうです。
次の時空の歪みが江戸に繋がる7月に、長めに休みを取って江戸に行こうと思っていたので助かります。初めての旅行先って、為替が直感で計算できずにお金が使いにくいんで、こう言う情報は凄く助かるんですよね。銭形平次にあったら、避けずに受けます。そのまま天ぷらでも食べようかな。多分現金社会なので、paypayは使えませんよね。多めに両替していきます。
「耳を揃えて返してもらおうか」、「鐚一文まけられない」がよく分かって良かった。金本位制、銀本位制、銭本位制が両替商の発展させたのでしょう?
今でも地名に「銀座」という所が在ります。銀の取引所だったのだろう?
両町とかありますよ。
だいたい一両は八万くらいと、むかーしの学生時代の自分は当時の米の相場から導き出してたので、間違いなかったですね。あと千両箱とかも、一巻25枚毎に巻いてあるので、4巻で百両です。一分銀や一朱等も計算の仕方は同じですね😊
徳川家康って、本当いろんなものを整理して整えてくれたよね〜 感謝👍🏻
よく時代劇の悪代官と庄屋が賄賂で小判のやり取りしてるシーンがあるけど、金額のイメージがつきました。
凄く勉強になりました。家賃一万円でも光熱費や食費、日用品が高ければ、借家でも今とあまり変わらないかも。
江戸時代のお金。小判なあ。江戸時代初期10万円だろうなぁ。時代が進むと金(きん)の量を落としてなあ。幕府はそれで儲けてなあ。金(きん)の量が減ったらインフレが起きてなあ。そういう意味で幕末は別にして、8〜10万円が相場だなあ。西日本の銀貨は1両が60匁かなあ。確か銀1000貫目で蔵に1本の明かりを正月の前の大晦日につけるとか。確かどこかでなあ。今から40年くらい前にNHKラジオでやっていたなあ。世間ムネさん用だったかなあ。漢字が出ないなぁ。古典をこうした形が紹介していたなあ。確か私が高知出張所で楽しんでいた当時。仕事が少ないから少ないことをしていたなあ。井原西鶴だったかなあ。ふとなあ。
良く分かりました。でも、計算するの大変😱💦また吉原に行くには、当時の憧れになるの分かりますね。ローソク高‼️今、銀座で黒革の手帳並に浪費するより、当時の方々は羨ましく感じた事でしょうね🎵
聞いてて楽しい😙
江戸の謎もそうやけど一体何年老けないつもりやホーリー
落語で毎日1銭を名主などと同道して奉行所に返却するハナシにびっくりしたことがありました。
アメリカドルは現在でもクオーターという25セント硬貨(1/4ドル)がありますね。なぜ、歴史的に繋がりの無い国で共に4進法になったのか、不思議に感じます。1/4が便利なら、円も1/4で良くない?と思いますが、近い額である2000円紙幣は期間限定になってしまいましたね。
ありがとうございます、1両はかなりの大金ですね。
だいだい小判の用途は貯蔵する為のもので、普段使うものではなかったと聞きました。
僕の親友の現代芸術家は、本家に沢山或るらしく、常に寛永通宝を持ち歩いて居て、時々買い物の時出してどんな反応が来るかを見るそうです。時々結構機転をきかせる店員さんも居るそうです。アメリカ在住の僕にも帰国する度に何枚かくれるんですよ。笑
めちゃくちゃ分かりやすく、かつ勉強になりました(^-^)
1両小判(金貨)=絹織物一反。=一石(約120キロ)の米。=一石の米が採れる一反の田。がざっくりした価値感だった。但し、米の産地により旨い、不味いのランク別がなされる米相場制(世界初の先物相場取引)により同じ一石の米でも雲泥の差が生まれました。例えば10万石の中堅大名だとしても1石=1両金貨とは限らない事になり、旨い産地米(一等~特等)はウハウハ。不味い産地米、不出来な米は悲惨な低空飛行
高いといえば、意外ですが心太が高価だったそうです。今のお金にすると1杯1,800円くらい。これは天草が取れる地域で、火をガンガン燃やして製造する。それを都会まで運ぶ運賃もかかるゆえの値段だったのでしょうね。一般に火を多く使うものは高額でした。
煮売り家も天ぷらもイカ焼きも火を使うよ?心太が火を多く使うからと言うのは少し違うと思う
心太の製造は天草を雨ざらしにして色抜き、その後乾燥させてから1年は待ってやらないと美味しいのが出来ない。で、火を燃す必要というのは単に煮汁を出す為であって天草の生産地でやる必要は無いんです。干した天草を消費地に輸送すりゃ良いので。その煮汁に少しだけ とろみ が出た所で火を止め冷やして固まらせる訳です。現代の、私の地域では漁師の家でも天草を採るのは本当に暇つぶしでして売り物としての感覚ではないです。なので当時でも同じ感覚だったとしたらそもそもの天草の生産量が少ないゆえの高額だったのではないでしょうか。
加齢のせいか、おエロ系youtuberに聞こえちゃいました・・・すみません。江戸時代の小判は10種類位発行されています。良品は重量17.78g金含有86.1%、江戸末期では3.3g金含有57.4%です。金含有57.4%でも特殊な制作方法から黄金色を呈しています。
子供の頃、お堂、本堂の床下で、土を掘って遊んでると1文銭、4文銭が出て来ました。一度、一分金を探して持ってましたが行方不明です。ドスも見つけて磨きました。鞘も自分で作りました。自慢気に持ってましたら親父に盗まれて千円で売って酒代に代わりました。当時の千円は三万円くらいの価値です我ながら、良い腕をしてたと思ってます。(聖徳太子の千円札)※今でも使えるが価値は同じ
銭形平次が実在したかは知りませんが、投げるためには安い方がいいですが、武器としての威力は重い方が高くなります。実際に貨幣を投げて武器にする武術は存在していますから。合気道の元祖である大東流合気術の武田惣角という武術の達人が、あるとき手裏剣を自慢したら、傍らにいたみすぼらしい人が、「尖ったものが刺さるのは当たり前だ」と言って、持っていた小銭を柱に投げつけて打ち込んだのを見て、恥じて手裏剣をやめたという逸話があります。その人の投銭には殺傷力もあったでしょうね。
この方はアマチュア研究家の形でしょうか?真摯に研究すればRUclipsでアマチュア研究家の発表が出来てそれを観てくれる人達がいる、良い時代になったなあと。
昔から京都〜舞子さんとか、まぁ年少さん年長さんがありますけど、自分自身興味があって、江戸にも京都から伝わって芸子&舞子さんが下って来てたのでしょうか?初歩的な質問ですみません😊
一貫文は正確には1000枚無くて、崩して使う時の両替代になっていたと記憶しています。銭形平時は100円玉を投げて武器にしていたのですね、ぜいたくぅー!一文のほうが武器になりそうな気がします。日本古来の伝統とでも言うのでしょうか?4文均一の名残が100均だと感じました。
南鐐二朱銀問題を解説してもらいたいです。東西の金銀のレートであったりが絡んで非常に現代の経済につながる面白い話になるかと。
一昨年ぐらいヤフオクでレプリカの小判落札したがたまに1両ずつ取る仕事人ごっこするの楽しい θθθ θθ θヾ(ーー;)
落語の芝浜で拾った四十二両は300〜450万円ってところでしょうか。確かに大金ではありますが、それだけで生涯遊んで暮らせる額ではないですね。
お金を拾ったのは夢だと思い込まされて、一年心を入れ換えて働いた旦那の様子を見て、かみさんが拾ったお金の事をバラす展開だったと思います。それまで天秤棒を担いでの露天売りから、物件を借りてお店を出すのに充分に資金だったと思います。
なるほど。傘貼り浪人てのは貧乏武士の代表みたいなイメージでしたが、そうでもなかったかも…ですかね😅
こんにちは!ホーリーさん江戸の歴史を題材に動画を配信しているRUclipsrさんは沢山居ますが、皆さん1両を現代に換算した場合はまちまちですね。1両=30万円、1両=20万円、1両=15万円、1両=10万円、1両=8万円と様々ですが、江戸時代は265年間ですから物価の変動が有るし貨幣改鋳も有った筈なのに簡単に断定していいのか、以前から疑問に思っていました。(正直余り信用して居ない)ホーリーさんは現代の相場で1文=20円、1両=8万円換算で江戸時代後期以降を述べられる事が多いですね。RUclipsrさんが、江戸時代のいつ頃の相場なのか迄述べる事は非常に大事だと思います!
同じ江戸時代でも、いつ頃にあたるかで貨幣価値の変動が激しいですよね。そもそも貨幣自体が、当時は額面価値で通用していないパターンも有りますし・・・江戸後期に発行された天保通寶とか凄いことになってます。元々、天保通寶は1枚で銅銭100文と定められていましたが幕末には価値が思い切り下落してて・・・我が家にある「貨幣取調書(慶応四年版)」では「天保百文銭1枚ニ付 寛永銅銭八枚ヲ以換」とあり元々100文で通用してたはずのものが、江戸の最末期にはたったの8文・・・10分の1以下に価値が落ちてます(泣)
I think 1Ryo is about 80000 yen for today's money.
大変興味深い動画だった。正直価値基準から生活様式、果ては文明に至るまでことなるので集計サイトみたいなものが欲しいね。例えば、元禄の江戸のレートはこう。細かく物価はこんな感じ、みたいな。年代、場所、物のグレートで実文献のデータがみられる簡易検索サイトが欲しい。
1両がいくらくらいだったのか、は以前、誰だったか研究者が解説してました。江戸の初期で10万円位で末期になると4万円位だと言ってました。
歴史家の泉茂さんは、大工の棟梁が月2両だったことから1両=30万円映画『殿、利息でござる』も1両=30万円が目安でした
「一分もらってありがとうございますと……」てえ与三郎のセリフから考えると、お富が地廻り同様の銭貰いに与える金は、今の感覚でいえば一万円が関の山。となると一両は高くても四万円くらいなもんだろうね(1850年代で)。男伊達の必須道具は尺八で、助六でも出端の前に尺八を聴かせるけど、芝居での蛇の目傘は助六に限ったもんだろうね。贅沢品だから高いのはあたりまえでバーバリーの高級品みたいなもんだね。だ·か·ら江戸の始めなら一両が十万円もしようけれど、幕末ともなれば二万円から四万円の間がいいとこじゃない、八万円は高すぎだよ。しかし一文四十円としたって、夜鷹の値段は安いよね、まぁ瘡を掻くのは怖いけど。それから以前指摘した「新造」。与三郎のセリフ「え〜御しんぞさんへ……」助六河東節の歌詞「しんぞ命を揚巻の……」 助六のセリフ「しんぞ火の用心が悪うごんしょう」くらいしかすぐ思い出せないけど、まぁ「しんぞう」と言う場合もあるかもしれないけど、やはり「しんぞ」じゃないと落ち着かないね。
江戸時代の初めは、一両の価値は、現在の価値で、5万円から10万円位で、江戸後期で、7千円から1万円位だった。😊
現代のお金と、江戸時代のお金の、価値関係は何となくわかりましたが、これだけだと、江戸時代の貨幣価値が、イマイチわかりづらい気がしました。この動画中でも少し触れられていましたが、もう少し、江戸時代の物価事情が知りたい感じ。蝋燭で5000円(でしたっけ?)とか、4文銭でイカ焼き・串煮とか、傘に2万とか有りましたヨネ。それを更に拡大して、江戸庶民は、ひと月にどれ位のお足で生活出来てたのか、とか、そのお足の内訳はどうだったのか、とかって分かると、さらに理解が深まる気はしますが(自分で調べりゃいいんだろうケドさ・・・。)日々の食事・買い物・光熱費等、どんな経費に、どれ位の銭コを使って、どれ位の儲けを得てたのが、通常なのか、とか。武家役人・商人・役者など、それぞれでの違いとか、まぁ、調べればキリが無いんでしょうけど、その辺を上手くマトメてもらえると、面白そうカナなど、謎の上から目線で考えたりするのでした。
ちょっと素人ですよ!江戸時代も10種類の小判が作られていて金の含有量も目方も違います。何を基準にするかによって1両の価値も違って来ます。比較的小判が安定していた江戸中期、元文小判くらいですと20万円くらいですか、幕末の万延小判ですと4万円から5万円くらい、初めの小判、慶長小判でしたら30万円くらいですよね。銭も銅製、鉄製、真鍮製によって価値が変わってきましたが1文50円位です。江戸庶民が節約して生活して約1両かかったと言われています。米の値段は江戸時代は、今の時代より高かったのでお米を基準にして考えると1両の価値は安くなります。江戸時代、東京タワーの近く土地1坪が1両で取引されていました。江戸時代は土地に何が建てられていたかによって価値がだいぶ違ったようです。
江戶是以4倍為單位 金1兩=4分=16朱=4000文 早年那時從明國進口的永樂通寶 是一兩=1000文 後來日本有寬永通寶 匯率是1比4 後來日本自製銅元為主流就以4文為主大概就100日円 在台灣依7-11 關東煮一個要15元 這樣來換算 就差不多 但日本最近通膨可能得換算到120円 台灣關東煮原本一隻10元所以1兩金大約是12萬日円 台幣約15000元的物価標準 (不過現在純金1兩=94000元NT 金銀比1:72) 江戶時代金銀比例是1:6 現代是因為白銀被剃除儲備貨幣整個價值差很大 喜歡看日本江戶時代劇 可惜翻譯小說有限 但原文我程度又不好 目前台灣還是用 37.5g=兩 3.75g=1錢計価黃金 房子也是用坪(二疊)計算 重量也常用1斤=600g 1兩=37.5g做為食物買賣的計価我要去看江戶的照明 現在最想知道是江戶木炭価格怎麼算
銭形平次、実際に視聴者から「勿体無い!」という意見(というか問い合わせ)が多数出てたらしく、局内では「銭形平次は町人のヒーローなので、投げた銭は無駄にせず必ず子分が拾っている」という設定で回答が一貫されてたそうな。あれ1回で100円と考えると、その『勿体無い』にも凄い説得力が・・・!
作者の野村胡堂もまさか死後に想定していなかった事態に。
蕎麦が一杯16文だったのは四文銭蛾あったからですね。ということで、落語の時蕎麦の背景よくわかったな。
1両金貨(小判)1石の米。一反の田んぼ(一反の米が採れる?)一反の絹織物。が、当初は同じ価値観、経済のベースだった。武士、特権階級は米が給料手当だった(米本位製経済?)から貨幣経済に転換すると、米を貨幣に交換しなければにっちもさっちも行かなくなりました。但し、米の産地等により旨い、不味いの等級分けがされてそれが即、米の価値、価格を決める事に。米相場をきめる米取引所、米会所が出来ました。これが今に続く、世界初の先物取引所。同じ藩内でも、地域によっては値段に天地程も開きが出るのはごく当たり前。しかし、米の相場、評価が即、藩財政に直結しますからさぁ大変です。例えば、所謂、蜂須賀藩/徳島藩などは淡路国(約6万石)と阿波国(約20万石)の2国を領しました(淡路、阿波併せて約26万石)が、淡路島産の米は総じて旨い米~高値が常に約束された一等以上が定席だった。しかし、肝心要の阿波の米は20万石を号しながら土壌が痩せていてパサパサした不味い米の代名詞(四国地域全体的な傾向らしい)すると米相場はグズ米迄は行かない迄も安値低空飛行が定席の惨憺たる結果。火を見るより明らか大坂蔵屋敷の藩士がやる事は1つ?高値が常に約束されている淡路島産米を更に高値に誘導して最も高値の時に売り抜き、反対にそれを原資に?、グズ米迄は行かない安値低空飛行の産地の米を更に買い叩いて徳島藩内の需要分を確保。それを藩内に流通消費させていた。淡路島産6万石の米が阿波(徳島)の20万石の米と同等か上回る価値(値段)だったかもしれません。冗談なく。😅惨憺たる結果しか出せない米に蜂須賀藩(徳島藩)は一定の見切りを付けて、付加価値の高い産物の供給販売を模索。それが徳島の特産となった、染料の藍。痩せた徳島の土地でも藍(植物)は良く育ちますから。これにが徳島藩の財政の一大柱となりました。↑により一大産地、中継地の脇町等は藍の豪商が軒を並べてウダツ(一種の飾り付き防火壁)を軒に競って上げるました。ある意味、米の増産(新田開発)に固執しない事で活路が開けた好例かと。
子供の頃銭形平次を見てて、その辺の石ころでもいいべやと思ってました。
子門真人は100円でたいやきを売ったのか
ほーりーに質問です。1年後に日本でタイムマシンが完成して、国民全員が1回だけ過去に戻って、歴史の謎を確認できるとしたら、何時代の何を確認したいですか?
10両有れば町人一家族が1年暮らせたんだよね食費や日用品は現代と同じくらいでも、教育費のような固定支出が少なく、娯楽交際費等も少なかったのだろうその点、下級武士でもそれなりに衣服や交際費が必要で、御家人は屋敷の一部を貸したり、畑にしていたらしい
😂米ドル 百円札 😂なるほど面白い😂
江戸時代中後期の一文銭の価値は現代では言うと12円弱らしいですねちなみに、お蕎麦の値段が16文だったらしい
時代ごとに区切って表にするといいのでは・・・ 家康のころ、家光、元禄、田沼時代、吉宗、田沼、文化文政、等。この時代から普及した物とかも同時に示せるし。
伴い慶長8年に神田台へ、さらに2年(1616年)に現在地へ遷座した[9]。江戸総鎮守として尊崇された。神田祭は江戸三大祭りの一つである。山車は将軍上覧のために江戸城中に入ったので、「天下祭」と言われた。当時は山車が中心だったが、明治に入ると電線の普及等により山車の数は大幅に減少した。「神田囃子」は東京市の無形民俗文化財に指定されている。江戸時代初期に豪華な桃山風社殿が、天明2年(1782年)には権現造の社殿が造営されたが、1923年(大正12年)の関東大震災で焼失した。その後、1934年に当時では珍しい鉄骨鉄筋コンクリート構造で権現造を模して再建されたことから、1945年(昭和20年)の東京大空襲では、境内に焼夷弾が落ちたにもかかわらず本殿・拝殿などは焼失を免れた。また、岡っ引きで、十手は無く銭の腕前が上手で下手人を逮捕できるおりました。
明治30年頃は東京でも寛永通宝は1銭として使えていたらしい。湯銭や豆腐が1銭5厘。今長生きのおじいちゃん達の親世代は普通に使っていた。
江戸時代は金銀銭の交換レートが両替屋で決まっていて毎日相場によって左右された。と聞いたのだけどそれなら何故幕末の金流出が起きたのでしょうか?鎖国前の金銀価値は大体5:1ぐらいだったのが、鎖国中に南米で大きな銀鉱山が開発されたので20:1ぐらいになり、銀の交換レートが低い日本に銀を持っていって金を持ち帰る西欧人により金の流出が起きた。と本に説明されていました。しかし両替屋による交換レート変動の仕組みが生きていたなら、当然少なくなった金の価値が上がり銀の価値が下がったはずです。当然西欧人の交換レートまで補正されたはずで、その時点で金流出は止まったと思うのですが、当時の解説では金流出が原因で激しいインフレになった。と書かれています。この理由はなんですか?
甲州金か。碁石金は戦国時代~江戸時代にかけて流通した金。甲州金の始まりが碁石金だよな。
「ニ八そば」と言うくらいで、屋台のそばの価格は江戸期通じて16文と変動しなかったようですね。蕎麦の価格から考えると、「♪按摩〜上下〜16文」というのはかなり安い気がしますが、あれは創作物の中の話で、実際にはその2〜3倍していたようで。
そば粉8割、繋ぎ2割の蕎麦の意味でも「二八そば」とも言いましたが価格と被ってるのがわかり安くて良いです。船女郎が1番安く蕎麦の値段。丘女郎・茣蓙をもってるのが倍くらいです。女郎屋に上がり酒を飲みながら楽しむのが1分~2分と聞いてます。花魁を観たかったです。
物価事情も、家康君や慶喜に吉宗君の時代によっては違うんだからね。そこら辺を書いた本で見たですよね。
三貨制度って言ってみれば国内でドルとユーロと円が流通しているようなもので、金・銀・銭間の相場が変動していたわけですねぇ
江戸時代を平均していえば、1両は約8万円かな。250年だから時代によって変動は大きいけど、えてして初期の方が価値があった。
母方の実家は田舎の神職兼名主だったのですが、裏庭を小さなスコップで地面を攫うと、寛永通宝がザラザラと集められました、小判を目指した幼き日の私の愚行をお笑い下さい😂😂😂😂😂
私鋳したビタ銭なんかも出回っていたから貨幣を統一しても商取引は苦労しただろうねえ。
三途の川の渡り賃が六文と言われています。25*6=150150円、安いですね。
黄金色の饅頭…とんでもない金額を贈ってた。(笑)
40年くらい前の学習雑誌に 1両=6万円位って書いてあった事を思い出しました。
損料屋が舞台の漫画アニメ『つくもがみ貸します』が好きです。
昔の江戸時代の街並みのイメージそっくりな城下町、郡上市八幡町へ昨夏旅して来ました。馬籠や奈良井もまた行きたいです。
😼ホーリーの姐御〜。複雑な事を噛み砕いて説明する大変さが伝わってきました。誤解を恐れず江戸の暮らしを感じる目安として解説いただき、ありがとうございます😊。『勇者は四文銭をゲットした』
スーパーサンクスありがとうございます!励みになります お江戸いいねスタッフ一同
@@ilikeedo 人によっては1両20~30万円で計算してる場合がありますね
@@ilikeedo 銭形平次も あとで拾いに行ってたそうです。投げる時に1枚ずつでなく まとめて握って投げたそうです。
今は金の価値が高いからスゴイですよ。
たは
江戸時代と言うか徳川幕府の時代は単純に日本を統一したと言うけどいろんなことを整備して不便になることはなるべく避けたりさてややこしい物はひとつにまとめたりした素晴らしい時代ですよね🤗
お金に関してはややこしいまんまなのが不思議なくらいです🤣
うちの母が必殺仕事人を見ながら、一両でいくらやろね?なんて聞いてきますが、こう言うドラマだと、だいたい10万だよと教えてます。
ちなみに、銭形平次が投げた銭を拾う場面が第一話にはありました。時代劇チャンネルで見ました🤣
現代の「100均」みたいな感覚だったのでしょうかね、「四文屋」さんは。 何時の時代も「計算しやすい」とか
「お釣りが要らない」とかっていうのは、大事な要素なんですね!!
こんな、間違いだらけの解説で、理解できたとかw
そう言えば米国でもクォーター、25セントで1/4ですね。四当分って感覚的に解り易いんでしょうね。
屋台の蕎麦も、当時はすべて麺は手打ちだろうし、食品添加物もダシの素もなかったので、すべて天然だし。そう考えたら16文は格安かもしれませんね。いま、手打ちで天然ダシの蕎麦は・・かなり高級料理ですよね。
蕎麦は現在みたく上底でなかったので、量が3倍以上入ってました。値上げする時、上底して見栄えだけは同じ量と見えるように工夫しました。
江戸の貨幣の仕組み、現代の貨幣価値との比較について、丁寧に解説していただいたので、今後の役に立ちます
光熱代(薪・ローソク)が高いから照明暖房は大変だったと思います。馬を所有してる武家はガソリン代、
当時の飼い葉は凄く高かったです。大名などは数頭抱えてたので大変だったでしょう。
江戸時代の貨幣価値は難しいですね。家賃は安かった。米も事情があって安く出回る様でした。
居酒屋も夜になると照明代が入り割高な為、庶民は明るい時間帯に飲んでました。
いやw 間違えだらけなんですけどw 知らない人に、ウソを教えるのも、いい加減にして欲しいですね。
私は時代小説を読むときに、江戸中期頃までは1両10万円、中期以降は8万円、幕末は3〜5万円くらいと思っていましたが、1万円は驚きです。今回も勉強になりました。有り難う😊
NHK R1のDJ日本史も毎回楽しく拝聴しています❤️
とても分かりやすかったです!
居酒屋の四文屋にはたまに行くので今までとちょっと違った気分(江戸にタイムスリップしたような)が味わえそうです。お金の単位が四倍数だったという話、昔の単位を理解するのに役に立ちそうです。有り難うございました。
江戸時代初期から後期までにインフレが10倍くらい進んだのですね〜💕また4進方だったんですねー♪
2:38 南鐐二朱銀を開発した田沼意次は有能❤
ほーり様、いまだに誤解が多い田沼様の名誉を回復してくださいませ~😂😂
いつも楽しく価値ある情報ありがとうございます。お金に関連して江戸時代の豪商物語等も面白いと思います。現在の不景気ニッポンに何らかのヒントがあれば。よろしくお願いします。
いや、間違いだらけなんですけどw 酷すぎる内容ですよ。
なるほどぉ‼️これは面白いお話でした✨😃👍
大変、勉強になりました‼️
江戸の経済は結局、米の生産高に左右された米本位制だった事が様々な問題を引き起こしたのはご存知の通りです。特に8代将軍吉宗は米相場に翻弄されましたね😢
光熱費ですが、司馬遼太郎の花神に大村益次郎先生が適塾に入学した時に師匠の緒方洪庵先生から「用意もないでしょう。」っと蝋燭をプレゼント(入門祝いに)される場面が記憶に良く残っています。当時は蝋燭は高級品だったというのをその一場面だけで理解できました。
あと、二八蕎麦の語源も・・・おっと❗️長くなるのでこの辺で。いつもありがとうございます♪楽しく観てます✨😃👍✨
ありがとうございます!四文銭でお支払いします(笑)
四文銭スーパーサンクスありがとうございます、励みになります! スタッフ一同
いやぁ~、分かりやすい解説でした😊歴史小説など読んでると貨幣の価値が分かりづらくてイライラしてましたからね。お団子も分かりやすい😋なんで4個なんだろうと不思議に思ってました。しかし、蝋燭がそんなに高いとは😳傘も絶対に置き忘れできないですね😥
為になりました🙏
ぐるり東京江戸散歩、来週はほーりーの出番ですね。楽しみです♪
落語が大好きで年がら年中聞いてます。噺の中でおなじみの登場人物がお足を払う場面が屡々登場しますが、今の貨幣価値では?と考えると単位がややこしくて算盤が苦手な私は、まあいいか、とそのうち調べよう・・・と聞き流してました。複雑な江戸時代の貨幣ですが、「大工調べ」で大工の手間を尋ねられた頭領が日当をお奉行さんに伝えると、パッパと暗算して主人公の被害金額を伝えお裁きを下すところ、、、今も昔も上に立つ人は数字に明るいんですね。誠実な時代の貨幣のお話し、ありがとうございました。これからも贔屓にさせて頂きます。
1回でもバレたら獄門が間逃れないのに人を殺めるのに10万程度で依頼を受ける仕事人はなかなか命知らずだと思う。
仕事人は幕末だから1万でしょ
@@堀江一義さん
それが吉良上野介から鳥居耀蔵まで始末しているので前期から末期まで幅広く活動しているんですよね。
@@まっちゃ-z7m逆にその値段に誇りを感じるから正直かっけぇ。
百円玉を投げるのは、もったいない、でも、一円玉では、投げにくいし、あたっても痛くない。いずれにしても、お金を投げるのは、もったいない。
銭形平次って実在はしてませんからね😅
現代になって 100円寿司 がはやるはずやね。日本人の根底にながれている感覚にうったえる商売なんですね。
子供の頃 古銭を集めてて 大きくて立派な天保通寳が憧れでした。
天保通宝は鋳造元では古銭的価格が雲泥の差
いや~勉強になりました。難しいです~!ついて行けてません!久しぶりに算数の勉強を教えて貰ってる感じですぅ~!
傘ってそんなに高かったんですね。時代劇なんかで傘張りをしている浪人さんなんかを見たことがある気がしますが,結構いい収入になったんでしょうか。面白いお話をありがとうございました!
これ気になりました!!
傘貼りなんて副業もうからんやん、と思っていたので、、、
傘が高級品だったとは目から鱗です😂
その割には商家では、ご自由にお持ち下さいと、無料貸し出ししてましたね。
傘は高かったですが紙を貼るだけの内職ですので1本張っても大した金に成らないです。
武家の部屋は広かったので傘貼り副業ができました。歴史本参考
ありがとうございます。 現在の一両の価値が知りたかったので、感謝、感謝です。
たまに一両小判が手に入っても、日々のお買い物に使えないから、両替商で小銭に崩してもらう必要がある。
手間賃は微々たるものでも、利用者が多いから莫大な利益になる。
両替商に豪商が多いのも納得。
一両は本当に高価だったのですね。時代劇でも一両で支払いしているのは見ないですものね。思いつくのは中村主水の仕事料くらいですね。
銀一分で今のお金で25万円幕末までは金1枚=銀4枚、ところが ペルーが横須賀に来て不平等条約が状態化してしまい金の含有量を減らし価値が下がり幕末には幕府の信頼性が亡くなり維新へと継がって行くんやな🤭いつの時代も戦争に至る経緯は経済がグダグダになる時で左巻き学者や税金泥棒共が言うような中世の欧州のような植民地民族戦争からの転換した時代が日本の明治維新、金の切れ目が縁の切れ目の元でもある
代官に商人が支払っているのはよく見る
越後屋「お代官様、ご挨拶ですがこれをお納めください。」
代官「おう、大義である。(蓋を開けたら小判の束)
越後屋、御主も悪よのう。」
越後屋「よろしく、取り図りくだされば、幸いに存じます。」
代官「ウホ、ウホ、ウホ(笑)」
越後屋「(土下座)」
四文屋の話ありがとうございます😊。次はメニューの再現もしていただけたら嬉しい、、、
はじめまして、松村邦洋さんとのラジオで聞いてました(過去形)、こちらで、またお会い出来るとは嬉しい限りです。
最後の貨幣改鋳を行った慶応年間の一両は今の16万円です。
二分金、二分銀がそれぞれ4枚で一両だから一枚4万円。
一分金、一分銀がそれぞれ8枚で一両だから一枚2万円。
銀は交換貨幣で米や味噌、酢とかと交換した。
今、東映時代劇で週1銭形平次観てるんだ😊 お静のような嫁さんいてくれたらと毎回思う
かけそば一杯が二八そばと呼ばれて16文だったので現在400円だとすれば一文が25円ですよね。確かに銭形平次は4文銭を投げたから100円玉を投げたことになります。気前がいいなあ。
(*'▽')昔から、時代劇を観ていてお金の価値が分かんなかったけど、やっと心が晴れた気持ちになりました。非常にタメになる動画を有難う。なんか、また時代劇が楽しく観れるようになりました。
鎖国してたので、世界的金相場を知らない日本人は貿易で金を安く外国に
換金された時代があり小判は全部海外に流れて終い。勿体ないですね。
金貨と銀貨の仕組みは可笑しかったので悪用されたり、幕府も
金不足で金貨の純度を段々落としてきた経緯が有り年代に寄って、
現在、小判は価値が違います。大判は作ったが流通してなかった
流石だね、勉強になりやした、恐れ入りやす。
蕎麦が意外と高かったし、色々時代小説を読む参考になりました。
四文屋さん、いいなー、立ち食い串カツみたいな感じかな。お酒が出れば連日通い詰めたい
。。。肝心のお江戸の貨幣制度を覚えていないことに気づく。。。。
はじめまして。
わかりやすい解説ありがとうございます。
私の財布の中にもここ30年来、永楽通宝が入っています。
三途の川の渡鎮は六文だそうで今でも変わらないみたいで六文をコピーした物を父の死装束の懐に入れた記憶があります、
六文は150円位ですかね、越後屋お主も悪よのぅ、鼠小僧は偉い、吉原行ってみたいですね、現代の吉原は何度か行きました笑笑
今知られている尺貫法には入ってないけど、昔は両も重さの単位だったそうですね。また、寛永通宝は、本来は徳川家光の時代に作られたが、結局そのまま幕末まで作られ続けたため、あまりの多さから明治時代も流通していて、1銭の約100分の1の価値だったそうです。
次の時空の歪みが江戸に繋がる7月に、長めに休みを取って江戸に行こうと思っていたので助かります。
初めての旅行先って、為替が直感で計算できずにお金が使いにくいんで、こう言う情報は凄く助かるんですよね。
銭形平次にあったら、避けずに受けます。
そのまま天ぷらでも食べようかな。
多分現金社会なので、paypayは使えませんよね。
多めに両替していきます。
「耳を揃えて返してもらおうか」、「鐚一文まけられない」がよく分かって良かった。
金本位制、銀本位制、銭本位制が両替商の発展させたのでしょう?
今でも地名に「銀座」という所が在ります。銀の取引所だったのだろう?
両町とかありますよ。
だいたい一両は八万くらいと、むかーしの学生時代の自分は当時の米の相場から導き出してたので、間違いなかったですね。
あと千両箱とかも、一巻25枚毎に巻いてあるので、4巻で百両です。一分銀や一朱等も計算の仕方は同じですね😊
徳川家康って、本当いろんなものを整理して整えてくれたよね〜 感謝👍🏻
よく時代劇の悪代官と庄屋が賄賂で小判のやり取りしてるシーンがあるけど、金額のイメージがつきました。
凄く勉強になりました。家賃一万円でも光熱費や食費、日用品が高ければ、借家でも今とあまり変わらないかも。
江戸時代のお金。小判なあ。江戸時代初期10万円だろうなぁ。時代が進むと金(きん)の量を落としてなあ。幕府はそれで儲けてなあ。
金(きん)の量が減ったらインフレが起きてなあ。そういう意味で幕末は別にして、8〜10万円が相場だなあ。
西日本の銀貨は1両が60匁かなあ。確か銀1000貫目で蔵に1本の明かりを正月の前の大晦日につけるとか。確かどこかでなあ。
今から40年くらい前にNHKラジオでやっていたなあ。世間ムネさん用だったかなあ。漢字が出ないなぁ。
古典をこうした形が紹介していたなあ。確か私が高知出張所で楽しんでいた当時。仕事が少ないから少ないことをしていたなあ。
井原西鶴だったかなあ。ふとなあ。
良く分かりました。
でも、計算するの大変😱💦
また吉原に行くには、当時の憧れに
なるの分かりますね。ローソク高‼️
今、銀座で黒革の手帳並に浪費
するより、当時の方々は羨ましく
感じた事でしょうね🎵
聞いてて楽しい😙
江戸の謎もそうやけど
一体何年老けないつもりやホーリー
落語で毎日1銭を名主などと同道して奉行所に返却するハナシにびっくりしたことがありました。
アメリカドルは現在でもクオーターという25セント硬貨(1/4ドル)がありますね。
なぜ、歴史的に繋がりの無い国で共に4進法になったのか、不思議に感じます。
1/4が便利なら、円も1/4で良くない?と思いますが、近い額である2000円紙幣は期間限定になってしまいましたね。
ありがとうございます、1両はかなりの大金ですね。
だいだい小判の用途は貯蔵する為のもので、普段使うものではなかったと聞きました。
僕の親友の現代芸術家は、本家に沢山或るらしく、常に寛永通宝を持ち歩いて居て、時々買い物の時出してどんな反応が来るかを見るそうです。時々結構機転をきかせる店員さんも居るそうです。
アメリカ在住の僕にも帰国する度に何枚かくれるんですよ。笑
めちゃくちゃ分かりやすく、かつ勉強になりました(^-^)
1両小判(金貨)
=
絹織物一反。
=
一石(約120キロ)の米。
=
一石の米が採れる
一反の田。
がざっくりした価値感
だった。
但し、米の産地により旨い、不味いのランク別がなされる
米相場制(世界初の先物相場取引)により
同じ一石の米でも
雲泥の差が生まれました。
例えば10万石の
中堅大名だとしても
1石=1両金貨
とは限らない事になり、
旨い産地米(一等~特等)はウハウハ。
不味い産地米、不出来な米は
悲惨な低空飛行
高いといえば、意外ですが心太が高価だったそうです。今のお金にすると1杯1,800円くらい。これは天草が取れる地域で、火をガンガン燃やして製造する。それを都会まで運ぶ運賃もかかるゆえの値段だったのでしょうね。一般に火を多く使うものは高額でした。
煮売り家も天ぷらもイカ焼きも火を使うよ?
心太が火を多く使うからと言うのは少し違うと思う
心太の製造は天草を雨ざらしにして色抜き、その後乾燥させてから1年は待ってやらないと美味しいのが出来ない。
で、火を燃す必要というのは単に煮汁を出す為であって天草の生産地でやる必要は無いんです。干した天草を消費地に輸送すりゃ良いので。
その煮汁に少しだけ とろみ が出た所で火を止め冷やして固まらせる訳です。
現代の、私の地域では漁師の家でも天草を採るのは本当に暇つぶしでして売り物としての感覚ではないです。
なので当時でも同じ感覚だったとしたらそもそもの天草の生産量が少ないゆえの高額だったのではないでしょうか。
加齢のせいか、おエロ系youtuberに聞こえちゃいました・・・すみません。江戸時代の小判は10種類位発行されています。良品は重量17.78g金含有86.1%、江戸末期では3.3g金含有57.4%です。金含有57.4%でも特殊な制作方法から黄金色を呈しています。
子供の頃、お堂、本堂の床下で、土を掘って遊んでると1文銭、4文銭が出て来ました。
一度、一分金を探して持ってましたが行方不明です。ドスも見つけて磨きました。鞘も自分で作りました。
自慢気に持ってましたら親父に盗まれて千円で売って酒代に代わりました。当時の千円は三万円くらいの価値です
我ながら、良い腕をしてたと思ってます。(聖徳太子の千円札)※今でも使えるが価値は同じ
銭形平次が実在したかは知りませんが、投げるためには安い方がいいですが、武器としての威力は重い方が高くなります。
実際に貨幣を投げて武器にする武術は存在していますから。
合気道の元祖である大東流合気術の武田惣角という武術の達人が、あるとき手裏剣を自慢したら、傍らにいたみすぼらしい人が、「尖ったものが刺さるのは当たり前だ」と言って、持っていた小銭を柱に投げつけて打ち込んだのを見て、恥じて手裏剣をやめたという逸話があります。
その人の投銭には殺傷力もあったでしょうね。
この方はアマチュア研究家の形でしょうか?真摯に研究すればRUclipsでアマチュア研究家の発表が出来てそれを観てくれる人達がいる、良い時代になったなあと。
昔から京都〜舞子さんとか、まぁ年少さん年長さんがありますけど、自分自身興味があって、江戸にも京都から伝わって芸子&舞子さんが下って来てたのでしょうか?
初歩的な質問ですみません😊
一貫文は正確には1000枚無くて、崩して使う時の両替代になっていたと記憶しています。
銭形平時は100円玉を投げて武器にしていたのですね、ぜいたくぅー!一文のほうが武器になりそうな気がします。日本古来の伝統とでも言うのでしょうか?4文均一の名残が100均だと感じました。
南鐐二朱銀問題を解説してもらいたいです。東西の金銀のレートであったりが絡んで非常に現代の経済につながる面白い話になるかと。
一昨年ぐらいヤフオクで
レプリカの小判落札したが
たまに1両ずつ取る仕事人ごっこするの楽しい
θθθ θθ θヾ(ーー;)
落語の芝浜で拾った四十二両は300〜450万円ってところでしょうか。
確かに大金ではありますが、それだけで生涯遊んで暮らせる額ではないですね。
お金を拾ったのは夢だと思い込まされて、一年心を入れ換えて働いた旦那の様子を見て、かみさんが拾ったお金の事をバラす展開だったと思います。
それまで天秤棒を担いでの露天売りから、物件を借りてお店を出すのに充分に資金だったと思います。
なるほど。傘貼り浪人てのは貧乏武士の代表みたいなイメージでしたが、そうでもなかったかも…ですかね😅
こんにちは!ホーリーさん
江戸の歴史を題材に動画を配信しているRUclipsrさんは沢山居ますが、皆さん1両を現代に換算した場合はまちまちですね。
1両=30万円、1両=20万円、1両=15万円、1両=10万円、1両=8万円と様々ですが、江戸時代は265年間ですから物価の変動が有るし貨幣改鋳も有った筈なのに簡単に断定していいのか、以前から疑問に思っていました。(正直余り信用して居ない)
ホーリーさんは現代の相場で1文=20円、1両=8万円換算で江戸時代後期以降を述べられる事が多いですね。
RUclipsrさんが、江戸時代のいつ頃の相場なのか迄述べる事は非常に大事だと思います!
同じ江戸時代でも、いつ頃にあたるかで貨幣価値の変動が激しいですよね。
そもそも貨幣自体が、当時は額面価値で通用していないパターンも有りますし・・・
江戸後期に発行された天保通寶とか凄いことになってます。
元々、天保通寶は1枚で銅銭100文と定められていましたが幕末には価値が思い切り下落してて・・・
我が家にある「貨幣取調書(慶応四年版)」では「天保百文銭1枚ニ付 寛永銅銭八枚ヲ以換」とあり
元々100文で通用してたはずのものが、江戸の最末期にはたったの8文・・・
10分の1以下に価値が落ちてます(泣)
I think 1Ryo is about 80000 yen for today's money.
大変興味深い動画だった。
正直価値基準から生活様式、果ては文明に至るまでことなるので集計サイトみたいなものが欲しいね。
例えば、元禄の江戸のレートはこう。
細かく物価はこんな感じ、みたいな。
年代、場所、物のグレートで実文献のデータがみられる簡易検索サイトが欲しい。
1両がいくらくらいだったのか、は以前、誰だったか研究者が解説してました。江戸の初期で10万円位で末期になると4万円位だと言ってました。
歴史家の泉茂さんは、大工の棟梁が月2両だったことから1両=30万円
映画『殿、利息でござる』も1両=30万円が目安でした
「一分もらってありがとうございますと……」てえ与三郎のセリフから考えると、お富が地廻り同様の銭貰いに与える金は、今の感覚でいえば一万円が関の山。となると一両は高くても四万円くらいなもんだろうね(1850年代で)。男伊達の必須道具は尺八で、助六でも出端の前に尺八を聴かせるけど、芝居での蛇の目傘は助六に限ったもんだろうね。贅沢品だから高いのはあたりまえでバーバリーの高級品みたいなもんだね。
だ·か·ら江戸の始めなら一両が十万円もしようけれど、幕末ともなれば二万円から四万円の間がいいとこじゃない、八万円は高すぎだよ。
しかし一文四十円としたって、夜鷹の値段は安いよね、まぁ瘡を掻くのは怖いけど。
それから以前指摘した「新造」。
与三郎のセリフ
「え〜御しんぞさんへ……」
助六河東節の歌詞
「しんぞ命を揚巻の……」
助六のセリフ
「しんぞ火の用心が悪うごんしょう」
くらいしかすぐ思い出せないけど、
まぁ「しんぞう」と言う場合もあるかもしれないけど、やはり「しんぞ」じゃないと落ち着かないね。
江戸時代の初めは、一両の価値は、現在の価値で、5万円から10万円位で、江戸後期で、7千円から1万円位だった。😊
現代のお金と、江戸時代のお金の、価値関係は何となくわかりましたが、
これだけだと、江戸時代の貨幣価値が、イマイチわかりづらい気がしました。
この動画中でも少し触れられていましたが、もう少し、江戸時代の物価事情が
知りたい感じ。
蝋燭で5000円(でしたっけ?)とか、4文銭でイカ焼き・串煮とか、傘に2万とか有りましたヨネ。
それを更に拡大して、江戸庶民は、ひと月にどれ位のお足で生活出来てたのか、とか、そのお足の
内訳はどうだったのか、とかって分かると、さらに理解が深まる気はしますが
(自分で調べりゃいいんだろうケドさ・・・。)
日々の食事・買い物・光熱費等、どんな経費に、どれ位の銭コを使って、
どれ位の儲けを得てたのが、通常なのか、とか。
武家役人・商人・役者など、それぞれでの違いとか、まぁ、調べればキリが無いんでしょうけど、
その辺を上手くマトメてもらえると、面白そうカナなど、謎の上から目線で考えたりするのでした。
ちょっと素人ですよ!
江戸時代も10種類の小判が作られていて金の含有量も目方も違います。
何を基準にするかによって1両の価値も違って来ます。
比較的小判が安定していた江戸中期、元文小判くらいですと20万円くらいですか、幕末の万延小判ですと4万円から5万円くらい、初めの小判、慶長小判でしたら30万円くらいですよね。
銭も銅製、鉄製、真鍮製によって価値が変わってきましたが1文50円位です。
江戸庶民が節約して生活して約1両かかったと言われています。
米の値段は江戸時代は、今の時代より高かったのでお米を基準にして考えると1両の価値は安くなります。
江戸時代、東京タワーの近く土地1坪が1両で取引されていました。
江戸時代は土地に何が建てられていたかによって価値がだいぶ違ったようです。
江戶是以4倍為單位 金1兩=4分=16朱=4000文 早年那時從明國進口的永樂通寶 是一兩=1000文 後來日本有寬永通寶 匯率是1比4 後來日本自製銅元為主流就以4文為主
大概就100日円 在台灣依7-11 關東煮一個要15元 這樣來換算 就差不多 但日本最近通膨可能得換算到120円 台灣關東煮原本一隻10元
所以1兩金大約是12萬日円 台幣約15000元的物価標準 (不過現在純金1兩=94000元NT 金銀比1:72)
江戶時代金銀比例是1:6 現代是因為白銀被剃除儲備貨幣整個價值差很大
喜歡看日本江戶時代劇 可惜翻譯小說有限 但原文我程度又不好
目前台灣還是用 37.5g=兩 3.75g=1錢計価黃金 房子也是用坪(二疊)計算 重量也常用1斤=600g 1兩=37.5g做為食物買賣的計価
我要去看江戶的照明 現在最想知道是江戶木炭価格怎麼算
銭形平次、実際に視聴者から「勿体無い!」という意見(というか問い合わせ)が
多数出てたらしく、局内では「銭形平次は町人のヒーローなので、投げた銭は無駄
にせず必ず子分が拾っている」という設定で回答が一貫されてたそうな。
あれ1回で100円と考えると、その『勿体無い』にも凄い説得力が・・・!
作者の野村胡堂もまさか死後に想定していなかった事態に。
蕎麦が一杯16文だったのは四文銭蛾あったからですね。
ということで、落語の時蕎麦の背景よくわかったな。
1両金貨(小判)
1石の米。
一反の田んぼ
(一反の米が採れる?)
一反の絹織物。
が、当初は同じ価値観、経済のベースだった。
武士、特権階級は米が給料手当だった(米本位製経済?)から
貨幣経済に転換すると、
米を貨幣に交換しなければ
にっちもさっちも行かなくなりました。
但し、米の産地等により
旨い、不味いの等級分けがされて
それが即、米の価値、価格を決める事に。
米相場をきめる米取引所、米会所が出来ました。
これが今に続く、世界初の先物取引所。
同じ藩内でも、地域によっては値段に天地程も開きが出るのはごく当たり前。
しかし、米の相場、評価が即、藩財政に直結しますからさぁ大変です。
例えば、所謂、蜂須賀藩/徳島藩などは
淡路国(約6万石)と阿波国(約20万石)の2国を領しました(淡路、阿波併せて約26万石)が、
淡路島産の米は総じて旨い米~高値が常に約束された
一等以上が定席だった。
しかし、肝心要の阿波の米は20万石を号しながら
土壌が痩せていて
パサパサした不味い米の代名詞(四国地域全体的な傾向らしい)
すると
米相場はグズ米迄は行かない迄も安値低空飛行が定席の惨憺たる結果。
火を見るより明らか
大坂蔵屋敷の藩士がやる事は1つ?
高値が常に約束されている淡路島産米を更に高値に誘導して最も高値の時に売り抜き、
反対にそれを原資に?、
グズ米迄は行かない安値低空飛行の産地の米を更に買い叩いて
徳島藩内の需要分を確保。
それを藩内に流通消費させていた。
淡路島産6万石の米が
阿波(徳島)の20万石の米と
同等か上回る価値(値段)だったかもしれません。
冗談なく。😅
惨憺たる結果しか出せない米に蜂須賀藩(徳島藩)は
一定の見切りを付けて、
付加価値の高い産物の供給販売を模索。
それが徳島の特産となった、
染料の藍。
痩せた徳島の土地でも藍(植物)は良く育ちますから。
これにが徳島藩の財政の一大柱となりました。
↑により一大産地、中継地の脇町等は藍の豪商が軒を並べて
ウダツ(一種の飾り付き防火壁)を軒に競って上げるました。
ある意味、米の増産(新田開発)に固執しない事で
活路が開けた好例かと。
子供の頃銭形平次を見てて、その辺の石ころでもいいべやと思ってました。
子門真人は100円でたいやきを売ったのか
ほーりーに質問です。1年後に日本でタイムマシンが完成して、国民全員が1回だけ過去に戻って、歴史の謎を確認できるとしたら、何時代の何を確認したいですか?
10両有れば町人一家族が1年暮らせたんだよね
食費や日用品は現代と同じくらいでも、教育費のような固定支出が少なく、娯楽交際費等も少なかったのだろう
その点、下級武士でもそれなりに衣服や交際費が必要で、御家人は屋敷の一部を貸したり、畑にしていたらしい
😂米ドル 百円札 😂なるほど面白い😂
江戸時代中後期の一文銭の価値は
現代では言うと12円弱らしいですね
ちなみに、お蕎麦の値段が16文だったらしい
時代ごとに区切って表にするといいのでは・・・ 家康のころ、家光、元禄、田沼時代、吉宗、田沼、文化文政、等。
この時代から普及した物とかも同時に示せるし。
伴い慶長8年に神田台へ、さらに2年(1616年)に現在地へ遷座した[9]。江戸総鎮守として尊崇された。神田祭は江戸三大祭りの一つである。山車は将軍上覧のために江戸城中に入ったので、「天下祭」と言われた。当時は山車が中心だったが、明治に入ると電線の普及等により山車の数は大幅に減少した。「神田囃子」は東京市の無形民俗文化財に指定されている。江戸時代初期に豪華な桃山風社殿が、天明2年(1782年)には権現造の社殿が造営されたが、1923年(大正12年)の関東大震災で焼失した。その後、1934年に当時では珍しい鉄骨鉄筋コンクリート構造で権現造を模して再建されたことから、1945年(昭和20年)の東京大空襲では、境内に焼夷弾が落ちたにもかかわらず本殿・拝殿などは焼失を免れた。また、岡っ引きで、
十手は無く銭の腕前が上手
で下手人を逮捕できるおりました。
明治30年頃は東京でも寛永通宝は1銭として使えていたらしい。湯銭や豆腐が1銭5厘。今長生きのおじいちゃん達の親世代は普通に使っていた。
江戸時代は金銀銭の交換レートが両替屋で決まっていて毎日相場によって左右された。と聞いたのだけど
それなら何故幕末の金流出が起きたのでしょうか?
鎖国前の金銀価値は大体5:1ぐらいだったのが、鎖国中に南米で大きな銀鉱山が開発されたので20:1ぐらいになり、銀の交換レートが低い日本に銀を持っていって金を持ち帰る西欧人により金の流出が起きた。と本に説明されていました。
しかし両替屋による交換レート変動の仕組みが生きていたなら、当然少なくなった金の価値が上がり銀の価値が下がったはずです。当然西欧人の交換レートまで補正されたはずで、その時点で金流出は止まったと思うのですが、当時の解説では金流出が原因で激しいインフレになった。と書かれています。
この理由はなんですか?
甲州金か。碁石金は戦国時代~江戸時代にかけて流通した金。甲州金の始まりが碁石金だよな。
「ニ八そば」と言うくらいで、屋台のそばの価格は江戸期通じて16文と変動しなかったようですね。蕎麦の価格から考えると、「♪按摩〜上下〜16文」というのはかなり安い気がしますが、あれは創作物の中の話で、実際にはその2〜3倍していたようで。
そば粉8割、繋ぎ2割の蕎麦の意味でも「二八そば」とも言いましたが価格と被ってるのが
わかり安くて良いです。
船女郎が1番安く蕎麦の値段。丘女郎・茣蓙をもってるのが倍くらいです。
女郎屋に上がり酒を飲みながら楽しむのが1分~2分と聞いてます。花魁を観たかったです。
物価事情も、家康君や慶喜に吉宗君の時代によっては違うんだからね。そこら辺を書いた本で見たですよね。
三貨制度って言ってみれば国内でドルとユーロと円が流通しているようなもので、金・銀・銭間の相場が変動していたわけですねぇ
江戸時代を平均していえば、1両は約8万円かな。
250年だから時代によって変動は大きいけど、えてして初期の方が価値があった。
母方の実家は田舎の神職兼名主だったのですが、裏庭を小さなスコップで地面を攫うと、寛永通宝がザラザラと集められました、小判を目指した幼き日の私の愚行をお笑い下さい😂😂😂😂😂
私鋳したビタ銭なんかも出回っていたから貨幣を統一しても商取引は苦労しただろうねえ。
三途の川の渡り賃が六文と言われています。
25*6=150
150円、安いですね。
黄金色の饅頭…とんでもない金額を贈ってた。(笑)
40年くらい前の学習雑誌に 1両=6万円位って書いてあった事を思い出しました。
損料屋が舞台の漫画アニメ『つくもがみ貸します』が好きです。
昔の江戸時代の街並みのイメージそっくりな城下町、郡上市八幡町へ昨夏旅して来ました。馬籠や奈良井もまた行きたいです。