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生存意欲が高いが故に、自ら鬼に向かって至近距離まで突進する壱ノ型はあえて使わず、遠距離から攻撃できる弐〜陸ノ型で戦おうとした。これは獪岳なりの戦い方だったんじゃないかな。
さ
@@北園大輝-w9d さ?
おお!
コレはサイコロステーキ先輩www二次創作小説サイトではサイコロステーキ先輩生存カイガクが鬼化しないルートでは気が合うのかつるんでいる傾向
善逸と同じのを使いたくなかったんじゃない??
どっかの二次創作であったんだけど、霹靂一閃は他人を傷つけないために攻撃のギリギリまで刀を納めているところから、ぜんいつの心の優しさを表しているっていう推測がすき。
善逸が壱の型しか使えなかったのは、刀を抜くことで何かを傷つけるかもしれないっていう優しさからで、獪岳が壱の型だけ使えなかったのは、敵の前で刀を抜かずにいられないっていう自分を守るための臆病さゆえなんじゃないか。という考察
俺も最後の『勇気がなかった』説を推したい。けど少し違和感を感じたけど、黒死牟に土下座した時は『生きるための勇気』はあると取れるけど、その逆も然り、それは即ち『死ぬ勇気』は無かったとも取れる。悲鳴嶼の時も黒死牟に出会ったときも自分が生き残るために『生きるための勇気』なら出せたのではないだろうか。だから『死ぬ勇気』を持ってして相手の懐に潜り込まないといけない壱の型が使えなかったんだと思う。
自分もその説を推します。剣道や空手をそれなりに稽古しましたが、相手の懐に飛び込むのはとても勇気が要ることです。あと余談ながら突き技もかなり勇気が要る技なので、しのぶはやはり肝が据わっていると思います。
単なるパフォーマンスでしょうね、基礎も軟弱な奴は勝てないということだろうね対比にはうってつけの設定だしな
一番分かりやすいです!勇気にも種類があるんですよね。獪岳は"誰かのために死ぬ勇気"がないから捨て身が出来ないってことですかね。
@@Fujitani 突き技って打つ方も打たれる方も怖いよね。(元剣道部)
アイコン草
善逸は逃げ足で足を鍛えていて霹靂一閃が自然に出来るようになった。が、獪岳は真面目にやっていて逃げ足を鍛えなかった(考察)
めちゃくちゃ納得出来ましたΣ(゚Д゚)スゲェ!!
@keith-k toratora それもあるせいか善逸が霹靂一閃をやる時って当の本人眠ってるときばかりだったけど、無惨との最終決戦の時は目が覚めた状態で業を出していたからこの時にようやく業を完璧に習得出来たってことなんだろうね。
@@ecoful54 業ってそっちの?俺が思ってた技は←こっち
なるほど!笑
@@通りすがりのヒットマン リプ主がカッコつけただけじゃね?
普通に四つ目の説で納得してたかな。霹靂一閃は相手に突っ込んでいく技だから攻撃を受けて死んでも構わないという「覚悟」がいる。だから、どんな手を使っても生きていたくて(死)から「逃げた」獪岳は使えなかった。しかし、善逸は自分は弱いからすぐ死ぬと自信満々で言っていることから(死)は「怖い」けれど「逃げなかった」禰豆子など守る者が居れば気絶してでも守り抜いた。表に現れなかっただけで善逸の心の奥底には「覚悟」があったんだと思う。だから、霹靂一閃・六連・八連と「命懸け」の技である霹靂一閃を何度も使う技に派生していった。
壱の型はもし失敗したり、相手に避けられたり受けられたりしたら、もし相手が格上ならそれで一気に不利に転ずる可能性も秘めてる危険な技だしね。俺もこの説が一番信憑性が高いと思います。
@@ブロまる子ちゃん そうですね
そう考えるとかっこいいキャラですよね。
@@我妻善逸鳴柱 はい。流石、最終人気投票一位ですね‼
そういえば第二次世界大戦の頃の日本の航空機に紫電改ていうのあって紫電ていうのは読んで字の如く紫色の電光つまり稲妻なんだけど、この航空機特攻にも使われたんですよね。霹靂一閃の攻撃体制の事読んでてちょっと思い出した。
剣術の話からは逸れますが昔ボクシングをやっている方とカウンターの事で話をした事が有りましたが其の方曰く「勿論技術や日頃の練習等の努力は大切だけど肝心なのは躊躇わずに相手の懐に飛び込める度胸なんだよ」と仰っておられました。
人間の善逸、鬼の獪岳の対象を描いてるんじゃないかって誰かが言っててそれが1番納得した壱の型の霹靂一閃の霹靂は晴れた時に突然雷が鳴るって意味で、弍の型以降は雨の時(晴れてなくて暗い)。だから人間の善逸は壱の型しか使えなくて、鬼の獪岳には晴れの技が使えないみたいな
それや⚪ちゃんが言ってた
獪岳のキャラクターとしての設定としてはちょっと違うような、、、
それだと昔から使えないのはおかしくないですか?
@@ユキペディア-m5s 対象を描いてるって言ってるから説明つかない?
@@るり-e8l 鬼の獪岳には使えんくて〜の下りは?
居合は刃を納刀しなければならない。奪われること、おびやかされる事を恐れる獪岳には武器を納めて構えるのは難しい。逆に善逸は人に刃を向けることを恐れていたから壱以外ができない、とか。
基礎=簡単であると誤解しておろそかにしていたうえ、善逸が壱の型にみるみる特化していったから、さらに壱の方を練習する気が失せて行ってたのかなと解釈してました。桑島さんなりに誤解を解こうとしていたかもしれないけども、いかんせん他の型は真面目に習得できていたものだから、あまり深く突っ込めなかったのかと。
基礎は簡単なことではなく大切なこと。
そうゆうことなんやな
基礎を笑う者は応用で泣く。
@@user-akamanjuu6955 基礎も応用も泣いてる人は?A.自分!!(すいません。馬鹿にしていません。)
@@zap7431 それ基本のベースすら完成してないからやぞ (数学で痛い目見てるやつ並)
@@しそ-w1x 基本とベースってほぼ同じ意味じゃない?
俺左利きだけど箸と投げるのは右に矯正できたけど蹴るのと消しゴム使う手は矯正できなかったから手は矯正できても足は矯正できないとかの部分的な欠陥はわかる気がする
分かる!ハサミが右利き用しかなったからそうなった。
獪岳は努力家ではあったから、壱の型だけ本来の持ち手に変えるとかして一応、習得はできそうだけどね。無惨様みたいに方向音痴の努力家だったりして…実は無惨と獪岳って仲良かったのでは。
あー確かに、矯正される機会がそもそも無かったのもあるけど箸以外は左になるしありそう
箸・ペン→左スポーツ(テニス・野球)→右
雷の中でもリーチがあって相手を削る攻撃が得意、風の呼吸は範囲の広い攻撃多い。適正は風と雷のハイブリットの嵐の呼吸とか。
桑島さんが片足を失っているから、霹靂一閃を十分に教えることが出来なかったから出来ないんじゃないのかなあと思います😗桑島さんが十分に教えることが出来なくても、習得したから、桑島さんは善逸に「お前には才能がある」って言ったんじゃないでしょうか…
基礎ができないのに応用は出来るの凄い
習った部分だけから基礎を独自に編み出したとか?
足し算理解してないまま、掛け算割り算やってるようなもんかな。
@@ichijo_takeshi280 凄すぎる
@@gameLOVEmen まぁでも凄いよな、、
音楽の基礎が出来てないのに、好きな曲だけは上手に演奏できる人が稀にいるけど、それと同じかな。
獪岳〜😭鬼滅の中でも人間臭すぎて嫌われがちだけど、獪岳がいるからフィクションになり過ぎずリアル感あると思うんだけどね…
オレは高学歴低収入ロスジェネのおっさんなので、獪岳は何気に推しなんですよ。桑島の元にいるときはストイックだったけど、ずっと泣き虫してた善逸にやられるという、巨人の星に逆行する展開を厳粛な思いで見ていました。人気投票に票が入っていないみたいだから、オレが入れてあげようと思いました。
@@はなげバプテスト 自分で高学歴言うのはキツイ
育手であるじいちゃんは片足がなく、霹靂一閃の見本が放てないはずです。なのに壱の型を極めた善逸って本当に適性があったんだなーって思いました。そもそも壱の型と弐〜陸の型は帯刀の仕方から腕さばき、足さばき等全部違いますし、基本とはなんぞやって感じですね😂そう考えると獪岳は雷に近い派生を使っていたというのは納得しやすいです🤔獪岳について友達と考察した時は「足が細い又は内股、雷の適性はなかった」という結果になりましたね(笑)
善逸が使える型は晴れの意味があって、後に鬼となって日光で死んでしまう様になった獪岳は、雨の意味がある型しか使えないんだと思う
いやーそんな深い考察とかなしに、単純に対比を描いただけなんちゃうんかな
獪岳が鬼になる事は既に書かれていた ※ネタバレ注意※先ず その1 勾玉は月の形に似ている 月=黒死牟その2 桃を食べていた古来中国では桃は不老長寿にきく。つまり鬼になって不老長寿になる
めちゃくちゃ単純な話で、善逸が、ほかの方覚えれなかったと同じで、才能や相性だと思う。あえて言うなら、善逸と獪岳は2人で1つのキャラでもあり、2人とも真逆なんだと思う。
何より力が入り過ぎていたのではないかと思う。瞬発力は脱力から生まれるってバキも言ってたし、常に肩に力を入れた彼には難しかったのではないか。
壱ノ型は雷ノ型の基本、誰よりも早く相手に突進することが重要であり、覚悟が決まっていなかった時の善逸や自らを安心な場所に置く獪岳には使えなかったと考えます
獪岳が壱ノ型を使えないのは師範である桑島が足を負傷している為に壱ノ型の見本を見せて上げられなかったからではないかと…獪岳も先生の出来ない型を無理して覚えることはないと考えていたかも。逆に壱ノ型を使えた善逸は才能があったからなんだけど、先生が出来ない型を出来る善逸を良くは思ってなかったのではないでしょうか、善逸が真面目に(炭治郎の様に)修行に取り組んでいれば、善逸と獪岳の関係も違っていたかもしれないですね
原作を見返したら、善逸に桃を投げた時の手は左手っぽいです。食べていた時は右手ですが、投げた後の絵は左手が出ていました。ただのミスの可能性もありますが…
甘露寺さんも炎の呼吸じゃなくて恋の呼吸になったもんね
てかあの見た目で炎の呼吸使えたら違和感が凄そうww
恋愛の情熱はよく炎に例えられるから…
甘露寺ちゃんの炎の呼吸も個人的に見てみたい気持ちもある…w
一の型と七の型は晴れの雷で、2〜6は雨の雷だからじゃね?
それすごく私も思います
なるほどです
もし勇気が有ったとしても、愛が無かったのだろう。
もし決戦が一年後だったら善逸を瞬殺する程強くなった可能性あるがそれでも上弦を単独撃破した善逸は凄い
まぁ沼鬼100体分より強いぐらいあるだろうからね
@@hojiro6437 つまり沼鬼の分身も合わせて300体w
@@ポリスチレン-f1i 沼鬼は常中どころかヒノカミ神楽どころか10の型生々流転すら使ってないからね
鬼に成りたてで能力も十全に使いこなせてなかったが故の勝利。仮に決戦が一年遅かったら、柱が3柱いても勝利は無理だったでしょう。それだけ罅割れが強すぎる。鬼としてのポテンシャルは、ひょっとすると上弦の壱にも匹敵するか…?結論としては、善逸の勝利は運によるものが大きいと言わざるを得ない…
@@アイザックツナマヨ さすがに評価高すぎると思う
剣術の基礎で一番最初が一番難しく重要という事は実は実際にあります。多くの流派でも多様している型"前"は一番最初に覚えますが、最も要点が多く、基礎となります。その後の型については覚える事はできますが、一本目をないがしろにして覚えていくと基本的な動作に乱れや癖が多くなり正しい鞘引きも出来なければ抜刀による抜き付けも遅くなります。
今回の考察は難しいですね。 6:03 つまり獪岳は左利きだから霹靂一閃を使えなかったと。矢琶羽の血鬼術 紅潔の矢は便利なサポート型の血鬼術ではないかという考察も待ってます
自分は「左利きだから説」はちょっと違うと思います。剣道をやると分かりますが、剣を振ったり突いたりするのは基本的に左手がメインです(正しい素振りをすれば先に手に豆ができるのは必ず左)。蹴り出しも左脚ですし、剣道・剣術はむしろ左利きが有利という指導者もいます。ちなみに、胡蝶しのぶは右手で突きを繰り出していますが、現代剣道の基本からすると正しくなく、剣道の片手突きは利き手に関わらず左手で行います(胡蝶の突きはどちらかといえばフェンシングに近い)。
左利きは違いますね。わたしも剣道の経験がありますが。
6:00剣先を下に向けて腕をクロスしてるだけで、これも右で握ってませんかね。剣道でも構える際にたまに見る光景です。
ゆしろうに「人にもらうばっかりのやつは自分でなにも持ってない」だっけ?って言われてたから中身のない雷の呼吸しか使えないとかかな
勇気がなかった説を推します。生きることへの執着、死ぬリスクを避けるといった獪岳の人間性に全て集約していて、鬼と交渉することも生きるためであって、プライドも仲間も師も捨て、自分の命を最優先に考えた結果あの行動をとったのだと思います。技に関しても、遠隔や飛び技でリスクなく闘えるものだけを覚え、懐に飛び込む壱ノ型は鼻から覚える気もなかった。心の弱さから壱ノ型を避けてきたのだと思います。
にわかの個人的な意見です。獪岳が壱の型使えないのは『周りに早く認めて欲しかった』また、それにより『習得に時間がかかる壱の型を後回しにした』のが原因だと思います。考えた理由は下の通りです。□雷の呼吸の習得基準と難易度前提として、雷の呼吸は恐らく壱の型が最も習得難易度が高いです。理由は下の通りです。〇壱の型以外の型壱の型以外の型は全て『呼吸法+オリジナルの動き』で構成されているので、動きを模倣できればそれなりの形になります。その為、仮に本来出せる威力の50%程度でも扱えれば習得したと言えます。〇壱の型『霹靂一閃』霹靂一閃は『呼吸法+抜刀術』という構成の為、動き自体は呼吸法が出来れば、そこそこ剣の才能がある殆どの継子が扱えてしまいます。しかし、それ故に『通常の抜刀術』と『霹靂一閃』は明確に区別しなければ、習得したと言えなくなります。☆霹靂一閃と抜刀術の違い作中や動画でも言うように『霹靂一閃』は『通常の抜刀術』に『強力な踏み込み』がかけ合わさる事で完成する、いわば『抜刀術の進化系』です。つまり他の技と違い、ある程度の完成度でなければ、桑島に『通常の抜刀術』と言われてしまい、霹靂一閃が習得したと言えないのです。その為、壱の型習得には足腰の鍛錬など、地道な大量の基礎修行を必要とします。□獪岳の発想話を獪岳に戻すと、彼は『周りに認められる事に執着』があります。早く周りに認められるには、『他の人ができないことをできるようになろう』と考えるはずです。すると習得に時間がかかる壱の型1つを習得するより、そこそこ模倣すればよい『他の型を他者より早く覚えよう』と思うはずです。□壱の型を後回しにしたデメリットさて壱の型を後回しにした獪岳。これにより弊害が発生します。壱の型を覚えないことで、フォームが二~六の型を使いやすいようにまとまっている獪岳。この状態で後から壱の型を習得しようとするとどうなるか。壱の型は『強い踏み込み』という根本的な基礎能力とフォームを必要とします。だから壱の型覚えて他の型に生かすということは、今まで覚えた全ての型のフォームを変える必要があります。それは自分の間違いに気づき、やり直すため、時間がかかることです。果たして、獪岳にそれが出来るでしょうか?□まとめまとめると獪岳が壱の型を使えないのは、認められたいがため、『基礎を置き去りにした』また『その、間違いを認めて基礎から学び直すことをしたくなかった』ことが原因という予想です。
考察全部正しいんじゃない?作者目線なら、ポッと出のキャラの設定を説明するために「短いシーンで色々な伏線を散りばめないといけない」と考えるだろう。アシ「剣士は左利きでも右手に矯正されるらしいぞ。」アシ「適性が無い事にしたら?」アシ「足が弱いって事にすれば良いかもよ。」作者「んーじゃあ全部入れる代わりに、答えは無いって事にしよう!」的なね。
獪岳が壱の型ができない理由は色々議論されてるけど、もし脚に異常があったり左利きだからだったとしたらもう本人にはどうしようもできないから辛いなあ……鬼になってもじいちゃんのこと「あんなに尽くしてやったのに」って言ってたくらいだしめちゃくちゃ気にしてたんだろうな………
最後辺りになって、スターウォーズのダースベーダーの話みたいなのもでてきましたね。これはもう、10歳以下の子供を拐かして命懸けさせてる、あの育てのお爺さんが悪いってことでいい気がしません?
勇気はあったが悪い意味での自分本位の勇気だった、感じでしょうか。
霹靂一閃って太陽が関係している型だから鬼になる獪岳は使えなかった。逆に2から6の型は、太陽が関係してなかったから、使えた。って思っています。因みに7の型もそうです
昔誰かがそう考察してましたね
@@siotsuki_moon そうですね。
人間の頃から使えなかったから関係ないだろ
@@venommeen それ
なぜ人間だった獪岳がたいように関係あるのだ?
鬼になってでも強くなりたかった黒死牟。獪岳は背中に刀を負ぶってるだけあって壱ノ型は完全に諦めてたのかな?獪岳はただ生きたかっただけなのかでも、鬼殺隊に入ってるしなぁ案外、奥の深い子かも
霹靂一閃は真っ直ぐな性格で、一つのことを真摯に受け止めて進むことができない獪岳には使えなかった。ひねくれて物事をまげて、うけとめる性格の獪岳にはずっと使えない技なのかと。人としての基本がなってないのか。
なるほど👀
なるほどです。やはり、彼の性格ですね。
善逸って真っ直ぐな性格か?
@@アニメガチ勢擬き 禰󠄀豆子に出会って一途ですし、その前も1人の女に貢いで借金背負ってましたし、一つのことを極めて霹靂一閃を、極めて自分の技も編み出したので根は真っ直ぐで素直なんでしょう。しのぶさんにも善逸くんには期待してます。だけで頑張れるんですからねぇ。
@@だらるん そういう意味では一途なのか、、、
参考になるな〜善逸の頭に雷が落ちたんだった。
そうだよ!
確かに左利き説、足が悪かった説はあるかもな…脚を組む癖や貧乏ゆすりは不安になりやすい人(欲求不満、拒絶反応)がするし、そんな感じの理由で脚が曲がっていたりしたら有り得るかもな…
適性が無かった説の「適性が無いのは本人も気付いていたが桑島を尊敬していたため極めたかったのでは」的なとこ、「桑島を尊敬していたため」より「元柱に育てられたというパラメータを捨てられなかったから」のほうがそれっぽい気がする
コメント欄、いろんな人がいろんな説推してて勉強になる
いつか 、「もし 柱達が無限列車で 魘夢の血気術にかかったら 、どんな夢を見るのか ?」をやって欲しいです !
胡蝶しのぶ お姉さんの夢冨岡義勇 お姉さんと錆兎と真菰の夢時透無一郎 家族の夢煉獄杏寿郎 お母さんの夢伊黒小芭内 蜜璃の夢?みたいな
悲鳴嶼さんは寺の子供たちの夢見て欲しい
不死川さんは母親が鬼にならずに、家族と平和に暮らしてる夢を見そう
それは考察待ちより支部漁った方があると思われ…
@@日の出チャンネル-u3m そこに獪岳が反省して誤りに来てる夢を見てほしい…
嵐の呼吸とかありそう 獪岳は雷雨ってイメージ
兄弟子として善逸の1歩先を行こうとして壱の型をすっ飛ばした説
足が悪い説と元々適正がなかった説が好きだわ
ぜんいつが威力を保って技を出せるか否かを気にしているように実戦で使えない程度の本当の意味で「型」としては使える説を推したい。一ノ型は(動きだけ)使えるが実戦レベルではなく、他の型を見るに後半の型の方が難しい、強いようなイメージがあるので、師匠に認められたいからこそニノ型以上の練度を高めたんだと思う。それでいけばニノ型以降を習得するために一ノ型には基本的な事が含まれていることに対して筋が通る。努力しても実戦レベルにはならなかった過去はあって欲しいよね。作中にも努力家って言われてるし。あー使えない。じゃなくてどれだけ努力しても5割程度までしか上手くいかないって方がぜんいつへのジェラシーも高まりそうであれだけ憎むのも頷ける。劣等感や嫉妬をもったキャラっていいよねぇ…
1:35派生の呼吸作った人ってみんな獪岳みたいな悩みかかえてたのかな~
月の呼吸のみちかつもそだったやん
足腰に比べて腕力など上半身の方に特化してしまった場合も在りませんか?
一の型は基本、基本が完全に身に付いていなかったので、獪岳は使えたのは見た目だけで完全なものではなかった。それだけ雷の呼吸は習得が難しいということだと思います。
個人的には左利きだからって説を推します。うっかり死にかけた経験あるけど勇気が足りないだけなら、生存本能で恐怖も限界も軽く吹っ飛ぶ。仮に獪岳が左利きなら利き足も左だろうから出来ない方が自然だし、練習しまくったせいで余計出来なくなってる可能性あると思う。
人としての基本がなってないから技も基本が出来ないって皮肉じゃないですかね?
獪岳推しなんだけどもめちゃくちゃこの説好き…コメ主さん天才なのか??
俺も同じこと考えてた
俺も気づいてた
実は俺も
抜いた状態での剣術は出来るけど、抜刀術は苦手だったという説も考えてみました。
NARUTOでカカシの雷切には写輪眼が必要だったように高速で相手に向かっていくにはカウンター対策が必要だったのでは?善逸には異常な聴覚があり獪岳には術がなかったと覚悟とカウンター対策がないと使えないか使わないのかと(仮に鬼殺隊みんなが使えたら強いよね)鬼になった獪岳にはカウンター対策が必要ないからのちに使えるようになってたかもね
足を主に使う壱ノ型は桑島が教えることが出来なかったんじゃないかな。桑島は片足義足だし見せて教えられないということも関連してくると思う。言葉だけから教えられて出来るようになったが見せられた型(弐ノ方〜陸ノ型)は使えなかった善逸、獪岳は言葉のみで教えられたものは使えなく見せてもらって教わった型は使えたんじゃないかなと思うけど。
声優さんも相まってアニメ化したらみんなのおもちゃになることを予約されてる獪岳さん
ほそやん…
獪岳は悲鳴嶼さん時も黒死牟の時も強者が敵だと仲間の為に敵意を向けたりせず仲間売ったり命乞いしたりとすぐ死から逃げ出した。そんな奴が一直線に敵へと向かう霹靂一閃を使えるわけが無いと思ってました。まあ勇気が無かったり自分自身が1番大切だったからでしょうね。
勇気が無かったからだと思う。この作品は精神面の変化でキャラが化けるから(煉獄さんの死に際を見送った炭治郎や錆兎の死を聞いた義勇さん等)、自分の事ばかり考えてる獪岳と誰かを守る為に命を投げ出せる善逸じゃあそこで差が付いたのでは。最後の型もじいちゃんが自刃したって聞いてから弱音一切吐かなくなって柱稽古こなした後だったし。
居合は刀を抜かず鞘の内のまま敵に対峙するのでその恐怖は相当なものです。己の技(抜き打ちの速さと鋭い踏み込み)に対する自信と恐怖心に打ち勝つ胆力が必要な剣術です。だから善逸も恐怖心を眠ることで消してしまうのでしょう。
勇気がないのなら、善いつの方が習得が困難になるでしょ?
@@やるいるばる善逸の戦い方が特徴的だからって感じですかね。正確には眠った状態(戦闘時)の善逸は勇敢となりますか。本人も普段は自分が強い事なんて知らないですからね。獪岳と闘うまでは毎度眠ってましたし。
あれだね、イラストで言ったら基本のデッサン出来ないけど、線画と塗りでなんとなく上手く仕上げてしまう。みたいな?善逸はデッサンを究極手に極めていた的な。
居合と剣道やってたけど、右利きでも太刀は左手が重要だよ〜、なので、左利きと判断するのは浅はかかと。
この動画関係ないけどさ、キメツ本編が始まる前の"鬼側"が視点の物語とか出ないかな??無惨を主役にして400年の間に起きた日の呼吸狩りや始まりの呼吸の剣士達が痣者で寿命を迎え、鬼殺隊が徐々に弱体化していった話とか見てみたい
なるほど!いいですね!
無惨と上弦の壱のダブル主人公で行こう。
獪岳は自分の命の危機が迫ってる時に、勇気が出る人だったが、生きることにこだわって、その勇気を鬼を倒すことではなく、自分がどんな手を使っても生きるという事に、使ってしまったのだと思います。
桑島さんの脚は片方義足だから一の型だけ手本を見せれなかったから出来なかった説
かいがく戦で善逸が「身を回しながらの?連攻撃」って言ってるから経験的に相当足を踏み込むはず。そう考えると足が悪いのではなく、筋力が見た目の割に少ないとかは?
鬼になったことで足の障害もなおった説でも、足がなおっても人間時代に壱の型を使えないままだったから、変わらず壱の型だけは使えなかった。
個人的には一つ目と四つ目の複合かなと思っています。四つ目については勇気というより、外した時の事を考えてしまう悪い意味での「慎重さ」と解釈してますけど。派生呼吸の音の呼吸も雷の呼吸から派生したのに居合切りが無いし(そもそも鞘がない)、もしかしたら天元も壱の型が使えないか苦手、性に合わないで、壱の型を切り捨てた弐~陸の型を強化、威力不足を日輪刀の改良と爆薬丸で補うスタイルを確立させたのではと考えています。獪岳が弐〜陸ノ型しか使えないのに、雷の呼吸から派生呼吸を作らなかった理由としては、どこかでじいちゃんを『五大流派の元柱』みたいな言い方してた記憶があるから、ブランド意識が高すぎて捨てらなかったんじゃないかと考えています。
脚が結構納得いくかなぁ。善逸がたんじろうに壱の型を教えるときも脚に意識を集中するって言ってたし。スポーツもそうだけどフィジカルって絶望するぐらいどうにもならないことがあるから。
昔は色んな気候系の呼吸があったんだと思う。雨だったり雲だったりがあってその中で派生を繰り返したり他の呼吸を組み込んだりして生まれたのが雷の呼吸で歴史的にも浅い故に派生しやすくてその中でたまたま性質が全く違う善逸と獪岳が来たことで荒々しく鳴り響く「陽」の雷と静寂から一瞬にして地に突き刺さる「陰」の雷とで別れたんじゃって思う。個人的には派生というより全く異なる性質の使い手が習得したことによって使い手自身の性質が反映されて色濃く出た形なんだと思ってる。同じ水の呼吸でも冨岡さんは「静」の水で炭治郎は「陽」の水って感じがするなって思った。まぁ炭治郎は地が日の呼吸だったから陽なのかもだけど炭治郎と冨岡さんで性格が対象的なのもあるから使い手自身の性質によって呼吸の出方も違うのかなって。蜜璃さんは炎そのものじゃなくて燃え上がる恋に対して強く出たから炎じゃなく恋の呼吸として色濃く呼吸そのものが変化したのかなって思ったわ。伊之助は獣の生存本能だったり性質をそのまま呼吸に反映させた完全オリジナルだったしそういう所見ても使用者によってってのが大きく関わってるのかなって
勇気があったから、なかったから、というのは根本的な理由ではなく、「生きるに固執していたからか、していなかったからか」というのが1番だと思います。鬼になるように頼み込んだのも、それが自分にとって1番生き残れる方法だと思ったからでは無いでしょうか。...知らんけど。
霹靂っていう言葉の意味を調べたら、晴れ渡った空に突然起こる雷、「青天の霹靂」と言う言葉が出てきました。晴れ渡った空と言うことは、太陽が出ている日中に起こる雷ということになりますが、鬼になり、夜にしか活動出来なくなった獪岳には使えなかった、そして、獪岳の使用する二の型以降はすべて、雨が降っている時に起こる雷であるため、晴れ渡った、澄みきった、人を思いやる心を持っている善逸には使えなかった。育手である桑島は二人で雷の呼吸の継承者として、手を取り合って戦って欲しかったのではないかと言うことも考えられるのではないでしょうか。
鬼にとっては、一の型は230センチ近くの男が使うと確実に警戒されるけど、頭が金色で汚い高音を喚くタンポポがいきなり瞬間移動するとは思わないから強いに決まっている。あとカイガクが一の型使えないというか、剣術で他人に力を認めさせたいから使いたくないじゃないかな、敵の懐に突っ込む一の型は、不意討ちやフェイント得意そうなカイガクの方が善逸より使えると思うし、逆に一の型以外は、金髪で口から汚い高音を撒き散らす刀振り回す善逸の方がカイガクより使いこなせると思う。
言葉はアレだが。納得できちまうw
雷の呼吸は取得するのが1番難しいらしい
世の中には、基礎=初歩=大したことがないもの、と考える人が一定割合います。獪岳は、ひょっとしたらそんなタイプだったのかもしれません。技術の世界における「基礎」とは、「上手く行った人が常にやっていた」ことと、「上手く行かなかった人がやっていなかったこと」の集大成ですから。。。(基礎を大事にしなかったら上手く行かないのが当たり前なのは、それが上手く行かなかった人の真似だからです。)もしくは、壱の型しかできない善逸と、獪岳が、ともに切磋琢磨しながら技術や知識を教え合うことで、全ての技が使える雷の呼吸の剣士を2人、世に送り出したかった。臆病だけど優しくて素直な善逸と、プライドが高くて素直になれない獪岳との間に、一生ものの剣士としての絆を育むための仕掛けだった。そんなじいちゃんの淡い期待を思うと、獪岳が鬼になったことを苦にした「介錯無しの切腹」は、胸が苦しくなります。。。
左利きってのは、実戦剣術において大変有利だったんですよ。日本語の文字は筆で書く場合全て右利きでなければ書きにくい(上手く書けない)様に出来ています。その為左利きは右利きに矯正されるのです。左利きの剣士は右利きを装い、いざと言う時逆から攻撃を仕掛けるのです。一瞬で命のやり取りをする真剣勝負において「虚を衝く」事がどれほど有効かは考えるまでもない。逆に構えればいいだけの話で、利き足云々なんて使えない理由になる訳がない。現代でも左右同じに使える様に、食事や文字書きを利き手以外でもやる拳術家はいます。スポーツ剣道では型から外れたら一本取れないので、剣道家はやらなくなってます
これ、脚に異常をきたしてた説は有効じゃ無さそう。もし本当に脚に異常があっても、鬼になるんだから、それも再生できるはずだから。左利き説も描写が少ないから確定も無さそう。私が押すのは「勇気がなかった」説。まあ、少し違和感はあるけど確かに、獪岳は主さんがおっしゃる通り、勇気があったともなかったともどちらにも取れるけどどちらかと言えば「死にたくない」が主義だから、寺で鬼に襲われた時だって交渉したけど、あれは多分、「生きるための勇気」はあるけど、「死ぬ覚悟」がないことの強い根拠になると思うからこの説を押しました。まあそうすると厳密には「死ぬ覚悟」がなかったことになるけども。
獪岳は人生そのものに対し常迷いがありそれが剣術としても出ていた。心の中が無意識でも表情に現れる事と同じ。
あれ?雷に撃たれてないからだと思ってたんだけど。水の呼吸の修行でも滝壺に落とされてたし、煉獄さんはお母さんが炎の祈祷してたし。縁壱さんはお母さんが日の神様に祈ってたよね。
あと、かいがくが使う雷⚡️は黒いけど、ぜんいつが使う雷⚡️は、黄色いです!
獪岳の適正は雷の呼吸で、鬼になったから稲妻も黒に変わったし、刀も変わったんじゃないですかね?
人間の時の剣士としてのあり方に固執してるらしいしね。それで自分の日輪刀を模造してるものだとすれば、あの刀の模様自体は獪岳のものだったはずだし。呼吸の適正も十分だったとも思うけどね。穴埋めと言っても鬼になってそこまでの時期しか経ってないのに上弦入り出来てる時点で一定の才覚はあったんだろうし。
霹靂というのは晴れのときに一瞬だけ見える雷のこと。つまり、霹靂で連想されるのは太陽。さらに、善逸のオリジナルの技は「火雷神」。善逸が使える技は両方ともあたたかいものが連想されます。そこで獪岳の性格はあたたかいでしょうか? というのはどうでしょうか?
そして、霹靂でイメージできる太陽は実際に壱ノ型と深い関係を持ってたから、鬼になった獪岳は使えなかった?
@@通りすがりの一般人-x3w 鬼になる前から使えないのでそれはないかな
技名が全てを物語っている説を推します!霹靂とは、晴れでの雷現象。その他の型は、雨天時の雷の現象や様を表すもの。鬼狩りと鬼、光と闇で分けていた可能性。或いは比喩したかったのか。と考察。
これは鬼になったら黒くなっただけですよ黒死牟も自分の肉体で作ったからそれと一緒だよ
左利きなら、無理に右利きに矯正しないでそのまま霹靂一閃を使えば良いのでは?
かいがくは自分を特別扱い(強くなって特別にみられたい)されたくて、じいちゃんに難しい技を教えてもらい、霹靂いっせんをあまり練習しなかったのでは?
読んでた時は「芯のないものを飾っているだけ」「近づくのが怖い」からだと思った。刀を納められないからというコメントも納得したし、曇天の技というのも目から鱗滝。あとは、血を分けた人とも対比で、10や20も技を作っても縁壱のあの一撃を超えられなかった上弦壱と、弟分を超えられない兄貴分といったところか。
善逸が雷に撃たれたのは雷神様に選ばれ気に入られたから、獪岳も血の滲むような練習はしたけど雷神様は善逸を選び善逸に宿ったので使えず諦めるしかなかった。善逸は弐の型以降を使おうと思えばできたかもしれないが後継者は獪岳だと思ってたから極めることをしなかった説を推したい………(・・;)誰かが書いた漫画で霹靂一閃と火雷神が鬼に見極められピンチになった時に頬のひび割れから獪岳が出てきて「いいかカス一度だけ教えてやるからちゃんと覚えろ」と血鬼術として弐の型以降を使えるようになるが善逸は気絶していて記憶にない状態で無事に鬼を倒した後に獪岳が「死んでまで後ついてこられたら迷惑だしな」って捨て台詞吐いて消えるというのを見たけどなんか胸にグッときた。鬼の「貴様…なぜ血鬼術が使える…なんだ…どういうことだ…」って台詞もなんか来るものがあった。もっかい見てみたくなった(´・ω・`)
善逸が壱の型しか使えなかったと言う点を踏まえてない気がする。仮に獪岳がそれらの説で壱の型を使えなかったとするなら、善逸が壱の型を使えるという事は、それ以外の型も使えるはずだ。やはり、特に使えない理由はなく、作者が対比関係に置きたかっただけな気がする。
最後の考察、勇気を少し間違えている。獪岳は勇気はなくとも知恵はあった。それ故に、鬼の様な常軌を逸した存在相手にも、有効な交渉が出来た。それは頭の中でこねくり出した手段であって、血を流してでも次に繋ぐ『勇気』とは別物。
善逸は霹靂一閃しか使えなかったなので唯一善逸が使えた霹靂一閃を否定(?)したくなかったんじゃないかな?善逸からしたら義兄なんで義弟に絶望させないように………的な。
ってことは、黒が大成しないって言われてたのは日の呼吸だったけど、日の呼吸がヒノカミ神楽でしか伝承されてなかったから違う型を使って適正じゃなかったからか
才能の差としか思ってなかったわ少なくとも原作では獪岳は鍛錬に対して真面目だったって記述無かったっけ?(なかったらごめんなさい)善逸はそもそも耳が良かったり鍛錬したら急に技使えたり才能が溢れてる人って印象だったわ
改心させて味方にしたら相当頼もしいやつ
純粋に才能そのものが善逸より下だったのでは?善逸を執拗に追い出そうとしていたのも無意識に才能の差を察していたからという可能性・・・
レッツゴーテュンヘブンインザモーニングパーティーギャラクシーバージョンアルファ抗がんフェニックスインフィニチードラゴニックスープパスタコングラッチョレーショニングダイナソウンセンタービコーズ裏スジクリニック
このチャンネルすごくお気に入りです!
左利きでも右手で刀を持たされるとかかわいそう筆書きや裁縫なんかの細かな動作に比べると。利き手じゃない手でもそれなりに扱えるけど辛いだろうな
かいがくは善逸の事が嫌いで善逸と一緒なのが嫌だったからだと思う。
なぜ善一が一ノ型を習得できたのかが肝な気がする。善一にはあってガイカクにはないものは何なのか。それを考えると人のために何とかしなきゃいけないみたいな必死さなんじゃないかと。自分が生き残る為に戦うのであれば、一ノ型のような決まれば強いけど常にカウンターのリスクがつきまとう突進系の技なんてやらないと思う。ガイカクって恐らく幼少期から自分が損をしないように立ち回ってきた人間だろうから。そういう人間って肝心なところで絶対に他人を蹴落として自分の為に行動することが頭の奥に刷り込まれちゃってるから。そういう心根の部分の問題でどうしても一ノ型が習得できないんだろうなと思った。鬼殺の技の基本の型ということは人の為に自分の命を懸けれるかどうかという精神的なことも含まれてるんじゃないかな?善一は少し頭が足りないけど、自分が好きになった女の為に借金背負い込んで破滅する寸前までいってた訳だから、他人のために命を張ることに躊躇しないから一ノ型を習得できたと。桑島に見込みがあると思われたのはそういうことだったりして。個人的にはギャンブルで根拠がないのに全賭けできるようなぶっ飛んだ思考がないとできない技が霹靂一閃という技だと思ってるから善一は適性有りだったんだろうと思ってる。善一はネズコの為にギャンブルで全賭けするイメージが簡単にわくけど、ガイカクは天と地がひっくり返ってもそんなことしないだろう。
太陽が関係するからって理由について。自分もその説を取りたかったのですが、堕転する前から壱ノ型が使えなかったのでちょっと弱い気がしてきました。
生存意欲が高いが故に、自ら鬼に向かって至近距離まで突進する壱ノ型はあえて使わず、遠距離から攻撃できる弐〜陸ノ型で戦おうとした。これは獪岳なりの戦い方だったんじゃないかな。
さ
@@北園大輝-w9d さ?
おお!
コレはサイコロステーキ先輩www
二次創作小説サイトでは
サイコロステーキ先輩生存
カイガクが鬼化しないルートでは
気が合うのかつるんでいる傾向
善逸と同じのを使いたくなかったんじゃない??
どっかの二次創作であったんだけど、霹靂一閃は他人を傷つけないために攻撃のギリギリまで刀を納めているところから、ぜんいつの心の優しさを表しているっていう推測がすき。
善逸が壱の型しか使えなかったのは、刀を抜くことで何かを傷つけるかもしれないっていう優しさからで、獪岳が壱の型だけ使えなかったのは、敵の前で刀を抜かずにいられないっていう自分を守るための臆病さゆえなんじゃないか。
という考察
俺も最後の『勇気がなかった』説を推したい。
けど少し違和感を感じたけど、黒死牟に土下座した時は『生きるための勇気』はあると取れるけど、その逆も然り、それは即ち『死ぬ勇気』は無かったとも取れる。
悲鳴嶼の時も黒死牟に出会ったときも自分が生き残るために『生きるための勇気』なら出せたのではないだろうか。
だから『死ぬ勇気』を持ってして相手の懐に潜り込まないといけない壱の型が使えなかったんだと思う。
自分もその説を推します。剣道や空手をそれなりに稽古しましたが、相手の懐に飛び込むのはとても勇気が要ることです。あと余談ながら突き技もかなり勇気が要る技なので、しのぶはやはり肝が据わっていると思います。
単なるパフォーマンスでしょうね、基礎も軟弱な奴は勝てないということだろうね
対比にはうってつけの設定だしな
一番分かりやすいです!勇気にも種類があるんですよね。獪岳は"誰かのために死ぬ勇気"がないから捨て身が出来ないってことですかね。
@@Fujitani 突き技って打つ方も打たれる方も怖いよね。(元剣道部)
アイコン草
善逸は逃げ足で足を鍛えていて霹靂一閃が自然に出来るようになった。が、獪岳は真面目にやっていて逃げ足を鍛えなかった(考察)
めちゃくちゃ納得出来ましたΣ(゚Д゚)スゲェ!!
@keith-k toratora
それもあるせいか善逸が霹靂一閃をやる時って当の本人眠ってるときばかりだったけど、無惨との最終決戦の時は目が覚めた状態で業を出していたからこの時にようやく業を完璧に習得出来たってことなんだろうね。
@@ecoful54 業ってそっちの?俺が思ってた技は←こっち
なるほど!笑
@@通りすがりのヒットマン リプ主がカッコつけただけじゃね?
普通に四つ目の説で納得してたかな。
霹靂一閃は相手に突っ込んでいく技だから攻撃を受けて死んでも構わないという「覚悟」がいる。だから、どんな手を使っても生きていたくて(死)から「逃げた」獪岳は使えなかった。しかし、善逸は自分は弱いからすぐ死ぬと自信満々で言っていることから(死)は「怖い」けれど「逃げなかった」禰豆子など守る者が居れば気絶してでも守り抜いた。表に現れなかっただけで善逸の心の奥底には「覚悟」があったんだと思う。だから、霹靂一閃・六連・八連と「命懸け」の技である霹靂一閃を何度も使う技に派生していった。
壱の型はもし失敗したり、相手に避けられたり受けられたりしたら、もし相手が格上ならそれで一気に不利に転ずる可能性も秘めてる危険な技だしね。
俺もこの説が一番信憑性が高いと思います。
@@ブロまる子ちゃん そうですね
そう考えるとかっこいいキャラですよね。
@@我妻善逸鳴柱 はい。流石、最終人気投票一位ですね‼
そういえば第二次世界大戦の頃の日本の航空機に紫電改ていうのあって紫電ていうのは読んで字の如く紫色の電光つまり稲妻なんだけど、この航空機特攻にも使われたんですよね。霹靂一閃の攻撃体制の事読んでてちょっと思い出した。
剣術の話からは逸れますが昔ボクシングをやっている方とカウンターの事で話をした事が有りましたが其の方曰く「勿論技術や日頃の練習等の努力は大切だけど肝心なのは躊躇わずに相手の懐に飛び込める度胸なんだよ」と仰っておられました。
人間の善逸、鬼の獪岳の対象を描いてるんじゃないかって誰かが言っててそれが1番納得した
壱の型の霹靂一閃の霹靂は晴れた時に突然雷が鳴るって意味で、弍の型以降は雨の時(晴れてなくて暗い)。
だから人間の善逸は壱の型しか使えなくて、鬼の獪岳には晴れの技が使えないみたいな
それや⚪ちゃんが言ってた
獪岳のキャラクターとしての設定としてはちょっと違うような、、、
それだと昔から使えないのはおかしくないですか?
@@ユキペディア-m5s
対象を描いてるって言ってるから
説明つかない?
@@るり-e8l 鬼の獪岳には使えんくて〜の下りは?
居合は刃を納刀しなければならない。
奪われること、おびやかされる事を恐れる獪岳には武器を納めて構えるのは難しい。
逆に善逸は人に刃を向けることを恐れていたから壱以外ができない、とか。
基礎=簡単であると誤解しておろそかにしていたうえ、善逸が壱の型にみるみる特化していったから、さらに壱の方を練習する気が失せて行ってたのかなと解釈してました。桑島さんなりに誤解を解こうとしていたかもしれないけども、いかんせん他の型は真面目に習得できていたものだから、あまり深く突っ込めなかったのかと。
基礎は簡単なことではなく大切なこと。
そうゆうことなんやな
基礎を笑う者は応用で泣く。
@@user-akamanjuu6955 基礎も応用も泣いてる人は?A.自分!!
(すいません。馬鹿にしていません。)
@@zap7431 それ基本のベースすら完成してないからやぞ (数学で痛い目見てるやつ並)
@@しそ-w1x 基本とベースってほぼ同じ意味じゃない?
俺左利きだけど箸と投げるのは右に矯正できたけど蹴るのと消しゴム使う手は矯正できなかったから手は矯正できても足は矯正できないとかの部分的な欠陥はわかる気がする
分かる!ハサミが右利き用しかなったからそうなった。
獪岳は努力家ではあったから、壱の型だけ本来の持ち手に変えるとかして一応、習得はできそうだけどね。
無惨様みたいに方向音痴の努力家だったりして…
実は無惨と獪岳って仲良かったのでは。
あー確かに、矯正される機会がそもそも無かったのもあるけど箸以外は左になるしありそう
箸・ペン→左
スポーツ(テニス・野球)→右
雷の中でもリーチがあって相手を削る攻撃が得意、風の呼吸は範囲の広い攻撃多い。
適正は風と雷のハイブリットの嵐の呼吸とか。
桑島さんが片足を失っているから、
霹靂一閃を十分に教えることが出来なかったから出来ないんじゃないのかなあと思います😗
桑島さんが十分に教えることが出来なくても、習得したから、桑島さんは善逸に「お前には才能がある」って言ったんじゃないでしょうか…
基礎ができないのに応用は出来るの凄い
習った部分だけから基礎を独自に編み出したとか?
足し算理解してないまま、掛け算割り算やってるようなもんかな。
@@ichijo_takeshi280 凄すぎる
@@gameLOVEmen まぁでも凄いよな、、
音楽の基礎が出来てないのに、好きな曲だけは上手に演奏できる人が稀にいるけど、それと同じかな。
獪岳〜😭鬼滅の中でも人間臭すぎて嫌われがちだけど、獪岳がいるからフィクションになり過ぎずリアル感あると思うんだけどね…
オレは高学歴低収入ロスジェネのおっさんなので、獪岳は何気に推しなんですよ。桑島の元にいるときはストイックだったけど、ずっと泣き虫してた善逸にやられるという、巨人の星に逆行する展開を厳粛な思いで見ていました。人気投票に票が入っていないみたいだから、オレが入れてあげようと思いました。
@@はなげバプテスト 自分で高学歴言うのはキツイ
育手であるじいちゃんは片足がなく、霹靂一閃の見本が放てないはずです。なのに壱の型を極めた善逸って本当に適性があったんだなーって思いました。
そもそも壱の型と弐〜陸の型は帯刀の仕方から腕さばき、足さばき等全部違いますし、基本とはなんぞやって感じですね😂そう考えると獪岳は雷に近い派生を使っていたというのは納得しやすいです🤔
獪岳について友達と考察した時は「足が細い又は内股、雷の適性はなかった」という結果になりましたね(笑)
善逸が使える型は晴れの意味があって、後に鬼となって日光で死んでしまう様になった獪岳は、雨の意味がある型しか使えないんだと思う
いやーそんな深い考察とかなしに、単純に対比を描いただけなんちゃうんかな
獪岳が鬼になる事は既に書かれていた ※ネタバレ注意※
先ず その1 勾玉は月の形に似ている 月=黒死牟
その2 桃を食べていた古来中国では桃は不老長寿にきく。つまり鬼になって不老長寿になる
めちゃくちゃ単純な話で、善逸が、ほかの方覚えれなかったと同じで、才能や相性だと思う。
あえて言うなら、善逸と獪岳は2人で1つのキャラでもあり、2人とも真逆なんだと思う。
何より力が入り過ぎていたのではないかと思う。
瞬発力は脱力から生まれるってバキも言ってたし、常に肩に力を入れた彼には難しかったのではないか。
壱ノ型は雷ノ型の基本、誰よりも早く相手に突進することが重要であり、覚悟が決まっていなかった時の善逸や自らを安心な場所に置く獪岳には使えなかったと考えます
獪岳が壱ノ型を使えないのは師範である桑島が足を負傷している為に壱ノ型の見本を見せて上げられなかったからではないかと…獪岳も先生の出来ない型を無理して覚えることはないと考えていたかも。
逆に壱ノ型を使えた善逸は才能があったからなんだけど、先生が出来ない型を出来る善逸を良くは思ってなかったのではないでしょうか、善逸が真面目に(炭治郎の様に)修行に取り組んでいれば、善逸と獪岳の関係も違っていたかもしれないですね
原作を見返したら、善逸に桃を投げた時の手は左手っぽいです。
食べていた時は右手ですが、投げた後の絵は左手が出ていました。
ただのミスの可能性もありますが…
甘露寺さんも炎の呼吸じゃなくて恋の呼吸になったもんね
てかあの見た目で炎の呼吸使えたら違和感が凄そうww
恋愛の情熱はよく炎に例えられるから…
甘露寺ちゃんの炎の呼吸も個人的に見てみたい気持ちもある…w
一の型と七の型は晴れの雷で、2〜6は雨の雷だからじゃね?
それすごく私も思います
なるほどです
もし勇気が有ったとしても、
愛が無かったのだろう。
もし決戦が一年後だったら善逸を瞬殺する程強くなった可能性あるがそれでも上弦を単独撃破した善逸は凄い
まぁ沼鬼100体分より強いぐらいあるだろうからね
@@hojiro6437 つまり沼鬼の分身も合わせて300体w
@@ポリスチレン-f1i 沼鬼は常中どころかヒノカミ神楽どころか10の型生々流転すら使ってないからね
鬼に成りたてで能力も十全に使いこなせてなかったが故の勝利。
仮に決戦が一年遅かったら、柱が3柱いても勝利は無理だったでしょう。
それだけ罅割れが強すぎる。
鬼としてのポテンシャルは、ひょっとすると上弦の壱にも匹敵するか…?
結論としては、善逸の勝利は運によるものが大きいと言わざるを得ない…
@@アイザックツナマヨ さすがに評価高すぎると思う
剣術の基礎で一番最初が一番難しく重要という事は実は
実際にあります。
多くの流派でも多様している型
"前"は一番最初に覚えますが、最も要点が多く、基礎となります。
その後の型については覚える事はできますが、一本目をないがしろにして覚えていくと基本的な動作に乱れや癖が多くなり
正しい鞘引きも出来なければ抜刀による抜き付けも遅くなります。
今回の考察は難しいですね。 6:03 つまり獪岳は左利きだから霹靂一閃を使えなかったと。
矢琶羽の血鬼術 紅潔の矢は便利なサポート型の血鬼術ではないかという考察も待ってます
自分は「左利きだから説」はちょっと違うと思います。剣道をやると分かりますが、剣を振ったり突いたりするのは基本的に左手がメインです(正しい素振りをすれば先に手に豆ができるのは必ず左)。
蹴り出しも左脚ですし、剣道・剣術はむしろ左利きが有利という指導者もいます。
ちなみに、胡蝶しのぶは右手で突きを繰り出していますが、現代剣道の基本からすると正しくなく、剣道の片手突きは利き手に関わらず左手で行います(胡蝶の突きはどちらかといえばフェンシングに近い)。
左利きは違いますね。
わたしも剣道の経験がありますが。
6:00
剣先を下に向けて腕をクロスしてるだけで、これも右で握ってませんかね。
剣道でも構える際にたまに見る光景です。
ゆしろうに
「人にもらうばっかりのやつは自分でなにも持ってない」だっけ?
って言われてたから
中身のない雷の呼吸しか使えないとかかな
勇気がなかった説を推します。生きることへの執着、死ぬリスクを避けるといった獪岳の人間性に全て集約していて、鬼と交渉することも生きるためであって、プライドも仲間も師も捨て、自分の命を最優先に考えた結果あの行動をとったのだと思います。技に関しても、遠隔や飛び技でリスクなく闘えるものだけを覚え、懐に飛び込む壱ノ型は鼻から覚える気もなかった。心の弱さから壱ノ型を避けてきたのだと思います。
にわかの個人的な意見です。
獪岳が壱の型使えないのは『周りに早く認めて欲しかった』また、それにより『習得に時間がかかる壱の型を後回しにした』のが原因だと思います。
考えた理由は下の通りです。
□雷の呼吸の習得基準と難易度
前提として、雷の呼吸は恐らく壱の型が最も習得難易度が高いです。理由は下の通りです。
〇壱の型以外の型
壱の型以外の型は全て『呼吸法+オリジナルの動き』で構成されているので、動きを模倣できればそれなりの形になります。
その為、仮に本来出せる威力の50%程度でも扱えれば習得したと言えます。
〇壱の型『霹靂一閃』
霹靂一閃は『呼吸法+抜刀術』という構成の為、動き自体は呼吸法が出来れば、そこそこ剣の才能がある殆どの継子が扱えてしまいます。
しかし、それ故に『通常の抜刀術』と『霹靂一閃』は明確に区別しなければ、習得したと言えなくなります。
☆霹靂一閃と抜刀術の違い
作中や動画でも言うように『霹靂一閃』は『通常の抜刀術』に『強力な踏み込み』がかけ合わさる事で完成する、いわば『抜刀術の進化系』です。
つまり他の技と違い、ある程度の完成度でなければ、桑島に『通常の抜刀術』と言われてしまい、霹靂一閃が習得したと言えないのです。
その為、壱の型習得には足腰の鍛錬など、地道な大量の基礎修行を必要とします。
□獪岳の発想
話を獪岳に戻すと、彼は『周りに認められる事に執着』があります。
早く周りに認められるには、『他の人ができないことをできるようになろう』と考えるはずです。
すると習得に時間がかかる壱の型1つを習得するより、そこそこ模倣すればよい『他の型を他者より早く覚えよう』と思うはずです。
□壱の型を後回しにしたデメリット
さて壱の型を後回しにした獪岳。
これにより弊害が発生します。
壱の型を覚えないことで、フォームが二~六の型を使いやすいようにまとまっている獪岳。
この状態で後から壱の型を習得しようとするとどうなるか。
壱の型は『強い踏み込み』という根本的な基礎能力とフォームを必要とします。
だから壱の型覚えて他の型に生かすということは、今まで覚えた全ての型のフォームを変える必要があります。
それは自分の間違いに気づき、やり直すため、時間がかかることです。
果たして、獪岳にそれが出来るでしょうか?
□まとめ
まとめると獪岳が壱の型を使えないのは、認められたいがため、『基礎を置き去りにした』また『その、間違いを認めて基礎から学び直すことをしたくなかった』ことが原因という予想です。
考察全部正しいんじゃない?
作者目線なら、
ポッと出のキャラの設定を説明するために「短いシーンで色々な伏線を散りばめないといけない」と考えるだろう。
アシ「剣士は左利きでも右手に矯正されるらしいぞ。」
アシ「適性が無い事にしたら?」
アシ「足が弱いって事にすれば良いかもよ。」
作者「んーじゃあ全部入れる代わりに、答えは無いって事にしよう!」
的なね。
獪岳が壱の型ができない理由は色々議論されてるけど、もし脚に異常があったり左利きだからだったとしたらもう本人にはどうしようもできないから辛いなあ……鬼になってもじいちゃんのこと「あんなに尽くしてやったのに」って言ってたくらいだしめちゃくちゃ気にしてたんだろうな………
最後辺りになって、スターウォーズのダースベーダーの話みたいなのもでてきましたね。
これはもう、10歳以下の子供を拐かして命懸けさせてる、あの育てのお爺さんが悪いってことでいい気がしません?
勇気はあったが悪い意味での自分本位の勇気だった、感じでしょうか。
霹靂一閃って太陽が関係している型だから
鬼になる獪岳は使えなかった。
逆に2から6の型は、
太陽が関係してなかったから、
使えた。って思っています。
因みに7の型もそうです
昔誰かがそう考察してましたね
@@siotsuki_moon そうですね。
人間の頃から使えなかったから関係ないだろ
@@venommeen それ
なぜ人間だった獪岳がたいように関係あるのだ?
鬼になってでも強くなりたかった黒死牟。
獪岳は背中に刀を負ぶってるだけあって
壱ノ型は完全に諦めてたのかな?
獪岳はただ生きたかっただけなのか
でも、鬼殺隊に入ってるしなぁ
案外、奥の深い子かも
霹靂一閃は真っ直ぐな性格で、一つのことを真摯に受け止めて進むことができない獪岳には使えなかった。ひねくれて物事をまげて、うけとめる性格の獪岳にはずっと使えない技なのかと。人としての基本がなってないのか。
なるほど👀
なるほどです。
やはり、彼の性格ですね。
善逸って真っ直ぐな性格か?
@@アニメガチ勢擬き 禰󠄀豆子に出会って一途ですし、その前も1人の女に貢いで借金背負ってましたし、一つのことを極めて霹靂一閃を、極めて自分の技も編み出したので根は真っ直ぐで素直なんでしょう。しのぶさんにも善逸くんには期待してます。だけで頑張れるんですからねぇ。
@@だらるん そういう意味では一途なのか、、、
参考になるな〜
善逸の頭に雷が落ちたんだった。
そうだよ!
確かに左利き説、足が悪かった説はあるかもな…
脚を組む癖や貧乏ゆすりは不安になりやすい人(欲求不満、拒絶反応)がするし、そんな感じの理由で脚が曲がっていたりしたら有り得るかもな…
適性が無かった説の「適性が無いのは本人も気付いていたが桑島を尊敬していたため極めたかったのでは」的なとこ、「桑島を尊敬していたため」より「元柱に育てられたというパラメータを捨てられなかったから」のほうがそれっぽい気がする
コメント欄、いろんな人がいろんな説推してて勉強になる
いつか 、「もし 柱達が無限列車で 魘夢の血気術にかかったら 、どんな夢を見るのか ?」
をやって欲しいです !
胡蝶しのぶ お姉さんの夢
冨岡義勇 お姉さんと錆兎と真菰の夢
時透無一郎 家族の夢
煉獄杏寿郎 お母さんの夢
伊黒小芭内 蜜璃の夢?
みたいな
悲鳴嶼さんは寺の子供たちの夢見て欲しい
不死川さんは母親が鬼にならずに、家族と平和に暮らしてる夢を見そう
それは考察待ちより支部漁った方があると思われ…
@@日の出チャンネル-u3m そこに獪岳が反省して誤りに来てる夢を見てほしい…
嵐の呼吸とかありそう 獪岳は雷雨ってイメージ
兄弟子として善逸の1歩先を行こうとして壱の型をすっ飛ばした説
足が悪い説と元々適正がなかった説が好きだわ
ぜんいつが威力を保って技を出せるか否かを気にしているように
実戦で使えない程度の本当の意味で「型」としては使える説を推したい。
一ノ型は(動きだけ)使えるが実戦レベルではなく、他の型を見るに後半の型の方が難しい、強いようなイメージがあるので、
師匠に認められたいからこそニノ型以上の練度を高めたんだと思う。
それでいけばニノ型以降を習得するために一ノ型には基本的な事が含まれていることに対して筋が通る。
努力しても実戦レベルにはならなかった過去はあって欲しいよね。作中にも努力家って言われてるし。
あー使えない。じゃなくてどれだけ努力しても5割程度までしか上手くいかないって方がぜんいつへのジェラシーも高まりそうであれだけ憎むのも頷ける。
劣等感や嫉妬をもったキャラっていいよねぇ…
1:35派生の呼吸作った人ってみんな獪岳みたいな悩みかかえてたのかな~
月の呼吸のみちかつもそだったやん
足腰に比べて腕力など上半身の方に特化してしまった場合も在りませんか?
一の型は基本、基本が完全に身に付いていなかったので、獪岳は使えたのは見た目だけで完全なものではなかった。
それだけ雷の呼吸は習得が難しいということだと思います。
個人的には左利きだからって説を推します。
うっかり死にかけた経験あるけど勇気が足りないだけなら、生存本能で恐怖も限界も軽く吹っ飛ぶ。
仮に獪岳が左利きなら利き足も左だろうから出来ない方が自然だし、練習しまくったせいで余計出来なくなってる可能性あると思う。
人としての基本がなってないから技も基本が出来ないって皮肉じゃないですかね?
獪岳推しなんだけどもめちゃくちゃこの説好き…コメ主さん天才なのか??
俺も同じこと考えてた
俺も気づいてた
実は俺も
抜いた状態での剣術は出来るけど、抜刀術は苦手だったという説も考えてみました。
NARUTOでカカシの雷切には写輪眼が必要だったように
高速で相手に向かっていくにはカウンター対策が必要だったのでは?
善逸には異常な聴覚があり獪岳には術がなかったと
覚悟とカウンター対策がないと使えないか使わないのかと(仮に鬼殺隊みんなが使えたら強いよね)
鬼になった獪岳にはカウンター対策が必要ないからのちに使えるようになってたかもね
足を主に使う壱ノ型は桑島が教えることが出来なかったんじゃないかな。桑島は片足義足だし見せて教えられないということも関連してくると思う。言葉だけから教えられて出来るようになったが見せられた型(弐ノ方〜陸ノ型)は使えなかった善逸、獪岳は言葉のみで教えられたものは使えなく見せてもらって教わった型は使えたんじゃないかなと思うけど。
声優さんも相まってアニメ化したらみんなのおもちゃになることを予約されてる獪岳さん
ほそやん…
獪岳は悲鳴嶼さん時も黒死牟の時も強者が敵だと仲間の為に敵意を向けたりせず仲間売ったり命乞いしたりとすぐ死から逃げ出した。そんな奴が一直線に敵へと向かう霹靂一閃を使えるわけが無いと思ってました。まあ勇気が無かったり自分自身が1番大切だったからでしょうね。
勇気が無かったからだと思う。
この作品は精神面の変化でキャラが化けるから(煉獄さんの死に際を見送った炭治郎や錆兎の死を聞いた義勇さん等)、自分の事ばかり考えてる獪岳と誰かを守る為に命を投げ出せる善逸じゃあそこで差が付いたのでは。
最後の型もじいちゃんが自刃したって聞いてから弱音一切吐かなくなって柱稽古こなした後だったし。
居合は刀を抜かず鞘の内のまま敵に対峙するのでその恐怖は相当なものです。己の技(抜き打ちの速さと鋭い踏み込み)に対する自信と恐怖心に打ち勝つ胆力が必要な剣術です。だから善逸も恐怖心を眠ることで消してしまうのでしょう。
勇気がないのなら、善いつの方が習得が困難になるでしょ?
@@やるいるばる
善逸の戦い方が特徴的だからって感じですかね。
正確には眠った状態(戦闘時)の善逸は勇敢となりますか。
本人も普段は自分が強い事なんて知らないですからね。
獪岳と闘うまでは毎度眠ってましたし。
あれだね、イラストで言ったら基本のデッサン出来ないけど、線画と塗りでなんとなく上手く仕上げてしまう。みたいな?
善逸はデッサンを究極手に極めていた的な。
居合と剣道やってたけど、右利きでも太刀は左手が重要だよ〜、なので、左利きと判断するのは浅はかかと。
この動画関係ないけどさ、キメツ本編が始まる前の"鬼側"が視点の物語とか出ないかな??
無惨を主役にして400年の間に起きた日の呼吸狩りや始まりの呼吸の剣士達が痣者で寿命を迎え、鬼殺隊が徐々に弱体化していった話とか見てみたい
なるほど!いいですね!
無惨と上弦の壱のダブル主人公で行こう。
獪岳は自分の命の危機が迫ってる時に、勇気が出る人だったが、生きることにこだわって、その勇気を鬼を倒すことではなく、自分がどんな手を使っても生きるという事に、使ってしまったのだと思います。
桑島さんの脚は片方義足だから一の型だけ手本を見せれなかったから出来なかった説
かいがく戦で善逸が「身を回しながらの?連攻撃」って言ってるから経験的に相当足を踏み込むはず。そう考えると足が悪いのではなく、筋力が見た目の割に少ないとかは?
鬼になったことで足の障害もなおった説
でも、足がなおっても人間時代に壱の型を使えないままだったから、変わらず壱の型だけは使えなかった。
個人的には一つ目と四つ目の複合かなと思っています。
四つ目については勇気というより、外した時の事を考えてしまう悪い意味での「慎重さ」と解釈してますけど。
派生呼吸の音の呼吸も雷の呼吸から派生したのに居合切りが無いし(そもそも鞘がない)、もしかしたら天元も壱の型が使えないか苦手、性に合わないで、壱の型を切り捨てた弐~陸の型を強化、威力不足を日輪刀の改良と爆薬丸で補うスタイルを確立させたのではと考えています。
獪岳が弐〜陸ノ型しか使えないのに、雷の呼吸から派生呼吸を作らなかった理由としては、どこかでじいちゃんを『五大流派の元柱』みたいな言い方してた記憶があるから、ブランド意識が高すぎて捨てらなかったんじゃないかと考えています。
脚が結構納得いくかなぁ。善逸がたんじろうに壱の型を教えるときも脚に意識を集中するって言ってたし。スポーツもそうだけどフィジカルって絶望するぐらいどうにもならないことがあるから。
昔は色んな気候系の呼吸があったんだと思う。
雨だったり雲だったりがあってその中で派生を繰り返したり他の呼吸を組み込んだりして生まれたのが雷の呼吸で歴史的にも浅い故に派生しやすくてその中でたまたま性質が全く違う善逸と獪岳が来たことで
荒々しく鳴り響く「陽」の雷と
静寂から一瞬にして地に突き刺さる「陰」の雷とで別れたんじゃって思う。
個人的には派生というより全く異なる
性質の使い手が習得したことによって
使い手自身の性質が反映されて色濃く
出た形なんだと思ってる。
同じ水の呼吸でも冨岡さんは「静」の水で
炭治郎は「陽」の水って感じがするなって思った。
まぁ炭治郎は地が日の呼吸だったから
陽なのかもだけど炭治郎と冨岡さんで性格が対象的なのもあるから使い手自身の性質によって呼吸の出方も違うのかなって。
蜜璃さんは炎そのものじゃなくて燃え上がる恋に対して強く出たから炎じゃなく恋の呼吸として色濃く呼吸そのものが変化したのかなって思ったわ。
伊之助は獣の生存本能だったり性質をそのまま呼吸に反映させた完全オリジナルだったしそういう所見ても使用者によってってのが大きく関わってるのかなって
勇気があったから、なかったから、というのは根本的な理由ではなく、「生きるに固執していたからか、していなかったからか」というのが1番だと思います。
鬼になるように頼み込んだのも、それが自分にとって1番生き残れる方法だと思ったからでは無いでしょうか。
...知らんけど。
霹靂っていう言葉の意味を調べたら、晴れ渡った空に突然起こる雷、「青天の霹靂」と言う言葉が出てきました。晴れ渡った空と言うことは、太陽が出ている日中に起こる雷ということになりますが、鬼になり、夜にしか活動出来なくなった獪岳には使えなかった、そして、獪岳の使用する二の型以降はすべて、雨が降っている時に起こる雷であるため、晴れ渡った、澄みきった、人を思いやる心を持っている善逸には使えなかった。育手である桑島は二人で雷の呼吸の継承者として、手を取り合って戦って欲しかったのではないかと言うことも考えられるのではないでしょうか。
鬼にとっては、一の型は230センチ近くの男が使うと確実に警戒されるけど、頭が金色で汚い高音を喚くタンポポがいきなり瞬間移動するとは思わないから強いに決まっている。あとカイガクが一の型使えないというか、剣術で他人に力を認めさせたいから使いたくないじゃないかな、敵の懐に突っ込む一の型は、不意討ちやフェイント得意そうなカイガクの方が善逸より使えると思うし、逆に一の型以外は、金髪で口から汚い高音を撒き散らす刀振り回す善逸の方がカイガクより使いこなせると思う。
言葉はアレだが。納得できちまうw
雷の呼吸は取得するのが1番難しいらしい
世の中には、基礎=初歩=大したことがないもの、と考える人が一定割合います。
獪岳は、ひょっとしたらそんなタイプだったのかもしれません。
技術の世界における「基礎」とは、「上手く行った人が常にやっていた」ことと、「上手く行かなかった人がやっていなかったこと」の集大成ですから。。。
(基礎を大事にしなかったら上手く行かないのが当たり前なのは、それが上手く行かなかった人の真似だからです。)
もしくは、壱の型しかできない善逸と、獪岳が、ともに切磋琢磨しながら技術や知識を教え合うことで、
全ての技が使える雷の呼吸の剣士を2人、世に送り出したかった。
臆病だけど優しくて素直な善逸と、プライドが高くて素直になれない獪岳との間に、一生ものの剣士としての絆を育むための仕掛けだった。
そんなじいちゃんの淡い期待を思うと、獪岳が鬼になったことを苦にした「介錯無しの切腹」は、胸が苦しくなります。。。
左利きってのは、実戦剣術において大変有利だったんですよ。日本語の文字は筆で書く場合全て右利きでなければ書きにくい(上手く書けない)様に出来ています。その為左利きは右利きに矯正されるのです。左利きの剣士は右利きを装い、いざと言う時逆から攻撃を仕掛けるのです。一瞬で命のやり取りをする真剣勝負において「虚を衝く」事がどれほど有効かは考えるまでもない。逆に構えればいいだけの話で、利き足云々なんて使えない理由になる訳がない。現代でも左右同じに使える様に、食事や文字書きを利き手以外でもやる拳術家はいます。スポーツ剣道では型から外れたら一本取れないので、剣道家はやらなくなってます
これ、脚に異常をきたしてた説は有効じゃ無さそう。
もし本当に脚に異常があっても、鬼になるんだから、それも再生できるはずだから。
左利き説も描写が少ないから確定も無さそう。
私が押すのは「勇気がなかった」説。まあ、少し違和感はあるけど
確かに、獪岳は主さんがおっしゃる通り、勇気があったともなかったともどちらにも取れるけど
どちらかと言えば「死にたくない」が主義だから、寺で鬼に襲われた時だって交渉したけど、あれは多分、「生きるための勇気」はあるけど、「死ぬ覚悟」がないことの強い根拠になると思うから
この説を押しました。まあそうすると厳密には「死ぬ覚悟」がなかったことになるけども。
獪岳は人生そのものに対し常迷いがありそれが剣術としても出ていた。心の中が無意識でも表情に現れる事と同じ。
あれ?雷に撃たれてないからだと思ってたんだけど。
水の呼吸の修行でも滝壺に落とされてたし、煉獄さんはお母さんが炎の祈祷してたし。縁壱さんはお母さんが日の神様に祈ってたよね。
あと、かいがくが使う雷⚡️は黒いけど、ぜんいつが使う雷⚡️は、黄色いです!
獪岳の適正は雷の呼吸で、鬼になったから稲妻も黒に変わったし、刀も変わったんじゃないですかね?
人間の時の剣士としてのあり方に固執してるらしいしね。それで自分の日輪刀を模造してるものだとすれば、あの刀の模様自体は獪岳のものだったはずだし。
呼吸の適正も十分だったとも思うけどね。穴埋めと言っても鬼になってそこまでの時期しか経ってないのに上弦入り出来てる時点で一定の才覚はあったんだろうし。
霹靂というのは晴れのときに一瞬だけ見える雷のこと。つまり、霹靂で連想されるのは太陽。さらに、善逸のオリジナルの技は「火雷神」。善逸が使える技は両方ともあたたかいものが連想されます。そこで獪岳の性格はあたたかいでしょうか?
というのはどうでしょうか?
そして、霹靂でイメージできる太陽は実際に壱ノ型と深い関係を持ってたから、鬼になった獪岳は使えなかった?
@@通りすがりの一般人-x3w 鬼になる前から使えないのでそれはないかな
技名が全てを物語っている説を推します!
霹靂とは、晴れでの雷現象。
その他の型は、雨天時の雷の現象や様を表すもの。
鬼狩りと鬼、光と闇で分けていた可能性。或いは比喩したかったのか。と考察。
これは鬼になったら黒くなっただけですよ
黒死牟も自分の肉体で作ったから
それと一緒だよ
左利きなら、無理に右利きに矯正しないでそのまま霹靂一閃を使えば良いのでは?
かいがくは自分を特別扱い(強くなって特別にみられたい)されたくて、じいちゃんに難しい技を教えてもらい、霹靂いっせんをあまり練習しなかったのでは?
読んでた時は「芯のないものを飾っているだけ」「近づくのが怖い」からだと思った。
刀を納められないからというコメントも納得したし、曇天の技というのも目から鱗滝。
あとは、血を分けた人とも対比で、10や20も技を作っても縁壱のあの一撃を超えられなかった上弦壱と、弟分を超えられない兄貴分といったところか。
善逸が雷に撃たれたのは雷神様に選ばれ気に入られたから、獪岳も血の滲むような練習はしたけど雷神様は善逸を選び善逸に宿ったので使えず諦めるしかなかった。善逸は弐の型以降を使おうと思えばできたかもしれないが後継者は獪岳だと思ってたから極めることをしなかった説を推したい………(・・;)誰かが書いた漫画で霹靂一閃と火雷神が鬼に見極められピンチになった時に頬のひび割れから獪岳が出てきて「いいかカス一度だけ教えてやるからちゃんと覚えろ」と血鬼術として弐の型以降を使えるようになるが善逸は気絶していて記憶にない状態で無事に鬼を倒した後に獪岳が「死んでまで後ついてこられたら迷惑だしな」って捨て台詞吐いて消えるというのを見たけどなんか胸にグッときた。鬼の「貴様…なぜ血鬼術が使える…なんだ…どういうことだ…」って台詞もなんか来るものがあった。もっかい見てみたくなった(´・ω・`)
善逸が壱の型しか使えなかったと言う点を踏まえてない気がする。仮に獪岳がそれらの説で壱の型を使えなかったとするなら、善逸が壱の型を使えるという事は、それ以外の型も使えるはずだ。
やはり、特に使えない理由はなく、作者が対比関係に置きたかっただけな気がする。
最後の考察、勇気を少し間違えている。
獪岳は勇気はなくとも知恵はあった。それ故に、鬼の様な常軌を逸した存在相手にも、有効な交渉が出来た。それは頭の中でこねくり出した手段であって、血を流してでも次に繋ぐ『勇気』とは別物。
善逸は霹靂一閃しか使えなかったなので唯一善逸が使えた霹靂一閃を否定(?)したくなかったんじゃないかな?
善逸からしたら義兄なんで義弟に絶望させないように………的な。
ってことは、黒が大成しないって言われてたのは
日の呼吸だったけど、日の呼吸がヒノカミ神楽でしか伝承されてなかったから違う型を使って適正じゃなかったからか
才能の差としか思ってなかったわ
少なくとも原作では獪岳は鍛錬に対して真面目だったって記述無かったっけ?(なかったらごめんなさい)
善逸はそもそも耳が良かったり鍛錬したら急に技使えたり才能が溢れてる人って印象だったわ
改心させて味方にしたら相当頼もしいやつ
純粋に才能そのものが善逸より下だったのでは?
善逸を執拗に追い出そうとしていたのも無意識に才能の差を察していたからという可能性・・・
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左利きでも右手で刀を持たされるとかかわいそう
筆書きや裁縫なんかの細かな動作に比べると。利き手じゃない手でもそれなりに扱えるけど辛いだろうな
かいがくは善逸の事が嫌いで善逸と一緒なのが嫌だったからだと思う。
なぜ善一が一ノ型を習得できたのかが肝な気がする。
善一にはあってガイカクにはないものは何なのか。
それを考えると人のために何とかしなきゃいけないみたいな必死さなんじゃないかと。
自分が生き残る為に戦うのであれば、一ノ型のような決まれば強いけど常にカウンターのリスクがつきまとう突進系の技なんてやらないと思う。
ガイカクって恐らく幼少期から自分が損をしないように立ち回ってきた人間だろうから。そういう人間って肝心なところで絶対に他人を蹴落として自分の為に行動することが頭の奥に刷り込まれちゃってるから。
そういう心根の部分の問題でどうしても一ノ型が習得できないんだろうなと思った。
鬼殺の技の基本の型ということは人の為に自分の命を懸けれるかどうかという精神的なことも含まれてるんじゃないかな?
善一は少し頭が足りないけど、自分が好きになった女の為に借金背負い込んで破滅する寸前までいってた訳だから、他人のために命を張ることに躊躇しないから一ノ型を習得できたと。
桑島に見込みがあると思われたのはそういうことだったりして。
個人的にはギャンブルで根拠がないのに全賭けできるようなぶっ飛んだ思考がないとできない技が霹靂一閃という技だと思ってるから善一は適性有りだったんだろうと思ってる。
善一はネズコの為にギャンブルで全賭けするイメージが簡単にわくけど、ガイカクは天と地がひっくり返ってもそんなことしないだろう。
太陽が関係するからって理由について。
自分もその説を取りたかったのですが、堕転する前から壱ノ型が使えなかったのでちょっと弱い気がしてきました。