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母方のお祖母様は、ご先祖は熊襲だと言っておられ戦争の時全てが燃えてしまって何も残らなくなったが、日向出身で私が小さな時に、色んな話を聞いて育ちました。とても興味深く視聴させて頂いています❣️
中央構造線、四国、巨石、滝行、、茂木先生の好奇心の旅に同行させていただいているようで、いつもワクワクしています。配信ありがとうございます。神谷さんのCGSで、アヤ毎の大まかな解説を参考にしながらホツマツタエ読みましたが、古事記と頭の中で分けるのも楽しい作業でした。今回の配信を機に、久しぶりにホツマツタエを本棚から出しました。虎さんの解説も楽しみにしています。
RUclipsができたおかげで、こんなに素晴らしい動画が無料で見れることに感謝です。先生の動画は、高い専門性だけでなく、内容的なエンタメ度も抜群です。ホツマツタエ、神代文字、縄文の王権の物語と、歴史のロマンが広がりますね!カナ以前は文字がなかった、というのは俄に納得できないですよね。日本にはペトログリフなんかも結構見つかってるみたいですし。確実に音はあったはずで、日本人の先祖がそれを形にしなかったはずはないと思いました。天照大神が男神だった、というのは、竹内むっちゃん先生もおっしゃってたと記憶してます。竹内文書と共通な点がどのぐらいあるのか興味深いですね。ホツマツタエに関してこのような説明を聞いたことがなかったので、とてもワクワクしました。次回を楽しみにしております。
難しい箇所は何度も戻って聞き直しましたが、混乱しています!ですが、興味深くて楽しいです!伊勢神宮の内宮外宮はおかしい…と思っていましたが、ホツマの説明だと納得がいきます。アマテルは男性神だし、トヨウケは外祖父であると。津軽のお話も出て来ましたが、古代の東北には大きなくに、文化圏があったのでしょう!まだ混乱中ですが、少しずつホツマについて学んでみたいと思います。本当に楽しくて、朝から何も手につかず動画を拝聴いたしました。ありがとうございます😊
ふんどしの友人は、しきりに私に「ほつまつたえ」を学べと勧めてくれてましたが、今回の動画でその意味が理解できました。なるほど。やはり日本は本当に太古の昔から人が住み、文化を持ち、自然を崇め信仰し、時代が下るにつれやはり人族らしく戦をし領地を納め、この時代につながってきたのだなと思いを馳せました。古きを温って新しきを知ることの重要性は、その根源の哲学的な魂を受け継ぎ、変わりゆく世界に翻弄されない事に繋がるのだろうなとひと歳とって強く感じます。次回も楽しみです。
いつもわくわく楽しいお話ありがとうございます😊古事記も日本書紀もホツマも詳しく知らない私ですが、日本の国造り、国譲りの歴史そして権威にまとまる民の生活を一番大切にしてきた日本の素晴らしさに氣づきました。家宝と同じく国宝も侵されないように守るべく方法が昔からあったのでしょうね。日本の神神に氣が向く時に真の生き方に導かれるような氣がします。
あちこち行ったり人に話を聞いたりして日本の謎に迫ろうとしているのを見ているとまるでドラゴンクエストのようなロールプレイングゲームを見ているような気分になります。。否定されてきた文書の中に真実が隠れているのかもしれませんね。アマテラスが男神という分析は随分前に茂木先生が歩きながら喋っている動画で見たような記憶があります。
すごい!TOLANDVLOGとも絡めて見るとおもろいです…!!天孫族や朝廷…。東北民としてはついつい引いた眼で見ちゃいそうになるけど、古代のことだし、「思いやれる人々同士でみんなで仲良く」が日本だと信じてクニヅクリ、今度こそ本当に成し遂げられたらいいな
配信ありがとうございます。秀真伝をこんなに詳しく解説していただけて嬉しいです。秀真の世界は縄文時代を色濃く感じ、ワクワクします。茂木先生と秀真伝を一緒に学べるなんて、、、最高です!
ホツマツタエを秀真伝と記し解してしまうと誤りの元となるそうですね。池田満先生のご指摘です。ご参考まで!
@@レイライン-s6o ご指摘ありがとうございます。ホツマツタエ、ミカサフミ、ワクワクしますよね!
どうして誤りの元に?
@@ひらがな-t2d解釈が変わってしまうのです。
組織的に構築された政治機構になる前の、属人性の高い日本の統治=シラスのシステムが見えてきて、心おどるお話ですね。我が国の正しい建国史観を再構築するために、記紀に要約取捨選択される前の、このような「実話」に迫って行く必要も感じます。
私の地元朝倉の昔は三輪町と言ってましたが、そこにおおなむちじんじゃ通称おんがさま、という神社があり、奈良の大三輪神社の周辺の地名と非常に似通っています。
私の場合は今村聡夫著「はじめてのホツマツタエ」で勉強しました。分かりやすい本でお勧めです。ホツマの研究をしている人は多くおられ、内容の解釈は諸説あります。
ホツマツタエの都鳥を模して例えた国家のあり様を見れば、すでに立派な国作りがなされてたのが本当によく分かりますます。茂木先生ありがとうございます。
台風は直撃してきそうだし、お盆だし、You Tube見てる余裕はないのに、ついつい大好物をアップされては、食べなきゃ。ご馳走ありがとうございます😊
コメント失礼します。トラさん最高です。流石、松本善之助先生から直接教えを請えた方は別物ですね。高畠先生もトラさんを松本先生にお引き合わせして本当に良かったと思ってらっしゃると思います。自分はコロナ前の数年、ホツマツタヱ勉強会で高畠先生から教えを頂いておりましたが、残念ながら高畠先生は神上がりなされました。先生は言葉のエキスパートとしてホツマツタヱの流麗で気品に溢れた文・詞を解説、教えて下さいました。先生とはホツマツタヱの記述の地に色々出かけました。その中でも天照大神が神上がりした神社、瀬織津姫大神が神上がりした神社に上がった時話した「そもそも論」古神道の修導士である自分と先生の共通の解釈は至って簡単な事で神々とは「宇宙人」であるという事。そして高天原は「宇宙」であるという事。皆さんは人間として考えるから可笑しな話になるだけで、人間よりはるかに優れ先進的な英知を持った宇宙人なら簡単に納得できますよ。考えられない長寿も人間ならそりゃ無理だけど高度な科学技術・医療技術?を持っていただろう宇宙人なら長生きなんて楽勝だったでしょう。そう考えると全てが辻褄が合います。寿命がだんだんと人間の様になっていくのは瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)の姉上である磐長姫尊(いわながひめのみこと)を一緒に娶る事を拒んだために次の世代から人間に少しずつ近くなっていったとされますね。まあそれでも紀元前1000年ころまでは何百年とかは生きてるけどね。本居宣長も賀茂真淵、平田篤胤も吉田兼永も今の時代に生まれなかった事を悔しがってるはずです。彼らの替りに、トラさんには是非ともRUclipsでホツマツタヱの真実。日本の真実を茂木先生と共に伝えて下さい、お願いします。
励ましをありがとうございます。地球外生命体の存在を無視は出来ないとわたしも思います。でも、そもそも地球と地球外を異次元的に捉えることが変だと言えますね。天地人はつながっていたと、ホツマは伝えているのですから。
1~4まで 一度見て、今 二度目の 拝見です。今回 二回目は 敢えて動画を見ずに、 お二人の話だけ 言葉だけ聞いています。流れは分かっているので、耳に 全神経を集中して 聞いています。一度目より より理解出来ました。 面白いです!Toland Vlog と Tolandの小部屋 も 好きで見ているので、古史古伝 の 話 面白いし 大好きです。.
くり返し視聴いただきうれしいです。励みになります。
茂木先生とホツマツタエを学べるなんて最高です😊次の動画の神代文字(ヲシテ文字?)も興味津々、楽しみです。この不調和な世界が続く今こそ、ホツマツタエを読み解く意義があるのかも知れませんね。
動画UPありがとうございます。とても興味深く視聴いたしました。古事記・日本書紀で敢えて語られていない部分(歴史・物語の空白部分)が気になっておりました。GHQ等の、日本正史を葬ろうとする勢力に把握されることなく(推測ですが)、今日残っているのは、使用されている文字のためもあるものの、奇跡ですね。LGBT法成立もあり、現在および今後の言語空間が危惧されますので、なるべく早い時期に古事記・日本書紀の補完版のような形で出版されることを期待しております。
とら先生🐯誠先生😺ほつま講座 ありがとうございます🙇🙏✨個人覚え書き✍️内宮アマテル アマテラスでなく外宮トヨウケ 男性 イザナミの父3つのつぼ 大きな古い都 ①おきつぼ 琵琶湖畔 ②はらみのつぼ 富士山麓③けたつぼ 東北16:40✨国常立尊✨ 初代 ‼️縄文 中期‼️🐣おぉ~🙈🐣官職 職名 トップ大物主 オオモノヌシ 副 事代主 コトシロヌシ 官僚 物部モノノベ 軍事 地域裁判 *祖父スサノオ父オオナムチ(大物主)出雲‼️息子クシヒコ(官職 コトシロヌシ)‼️→のちに 官職 大物主になる*オオクニヌシは出てこない (オオクニタマ オコノヌシ) *富士のお宮 と のかみ 天照もきた 次ニニキネ の子孫代々 はらの宮 ケイコウ天皇まで栄えていた*天孫降臨は? 琵琶湖説天から宇宙の天界から降り立った *渡来人は表記なし 驚きの連続でしたが なんかしっくりくる 不思議🥰🙇🙏✨対話形式ですと大変わかりやすいです✨このシリーズ 神バズりますね🙈💖両先生のご縁に大感謝🙏✨💖
たけつぼではなくてけたつぼでーす♪おまとめ頂きありがとう😊
@@torasan3776 とら先生🐯ありがとうございます🥰修正致します💕注文した先生のご著書届くのが楽しみ今年の夏は ほつま沼に はまる予感😁
とらさん✨茂木先生✨お話ありがとうございます🤓
古事記との比定が面白い、ホツマツタエが縄文から続く正統な歴史に思えてきた。次回も楽しみ
良い発言ありがとうございます
😅😅😅😅😅😮😮😮😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅 10:27 10:28 😅?
@user-jk2sv3bj9m 緒99お999「お9お⁹99😅
999
『勿来の関』という言葉が出てきたので、驚きました。ホツマツタヱについて殆ど知らなかったので、良い気付きでした。ありがとうございます。
なこその浜は、アマノコヤネと叔父フツヌシがであった旧蹟です。そもそもは「関所」ではなく「出会い」の浜ですね。
@@torasan3776 出会いの浜だったんですね。ありがとうごさいます
大国主命というのは記紀を編纂するにあたり作られた呼び方だとどこかで読みました。その他の古史古伝や風土記や出雲国風土記にすら出てこないそうです。記紀の系譜も改竄されているとすると、当てはめようとしても混乱します。ホツマツタエの文字が正多面体にも対応していて、昔の人の知識に驚きます。次回も楽しみです!!
ホツマツタヱの研究専門同人誌の編集長でいらっしゃるトラさんですね❤いつか滝行に伺いたく思います🙇♂️
はーいお待ちしております♪滝みそぎ、良いですよ♪
その時は宜しくお願い致します🙇♀️
ホツマツタエ読みました。古事記との違いも面白いですが、五七調の美しい叙事詩でした。特に興味深かったのは、中臣大祓の不明だった背景のストーリーが書いてあったことです。
ホツマツタエは本当に文献としてとても面白い。茂木先生のチャンネルでホツマに触れるとは思っていなかったので、嬉しい☆
わたしも茂木先生には深く感謝しています。うれしいですね。
ほつまの存在を、今回初めて知りました!非常に興味深いです✨✨「古代日本には文字は無く、中国から漢字が入ってきた」と習ったような記憶がありますが、決してそうではないのですね!次回も楽しみです😊
漢字が渡来してくる以前の列島に文字文化を受け入れる素地が皆無であったという解釈はやはり不自然でしょうね。不比等という天才戦略家を従えた天武が自らの正当性を記紀に残し、先史を無きものにしたというだけの事でしょう。数千年に渡り、この列島に繰り広げられてきた人々の歴史をあれこれ思い描くことのできる私たちはたいへん幸せだと思うばかりです。
いつも配信ありがとうございます❤おはようございます。ヲシテ文字 解読されて…まことのまことを伝えるなんですね。「ホツマ」は縄文時代から山の民、海の民が居てそれぞれ共通の言葉だったんですか。ゆっくり視聴させて頂きます。
頭がこんがらがってしまいそうですよ😅もう一度見直します。次回も楽しみです。👍👍
ホツマツタエは百人の学者がいれば、それぞれ違った見解を主張します。ヲシテ文字をひらがなもしくはカタガナに変換し、五七調で分を形成していくようですが、あという一文字、いという一文字に語彙があるのが日本言語の特徴です。言葉というのは時代によって変化します。正確な解釈は不可能ですが、ある程度の時の流れが理解でき、日本の創生が分かります。とても素晴らしい文献だと思います。
母音と父音の相関で捉えることが大切だと思います。ちなみにホツマツタヱ研究に百人の学者なぞ居ません。アカデミズムで奮闘されていらっしゃる方は数名です。現在では、まだ在野中心の研究ですね。
古代の各地にある痕跡と、神話の内容がリンクする箇所があると面白いですね。ホツマの内容は知らなかったので、とてもありがたい対談です。
配信、有難うございます。私の浅い知識では、ご説明が繋がらず、混乱中。スサノオが出入り……?…って、例えば、朝貢のようなことをされていた結果のこと?ホツマツタエは、難解です〜
動画ありがとうございます。正直言って基本がわかってない部分もありましたので、混乱しましたが大変楽しく視聴しました。次回の動画も楽しみです。
記紀を学ばれていると、混乱しますが、ホツマの原文読むと、深く心にしみます。
歴史にほとんど興味のなかった自分ですが、引き込まれてしまっています。ありがとうございます。
日本人として最大の謎は、日本列島には様々な民族が移り住んできたと思われますが、その中で極めて争わない歴史があること。それは日本列島という自然環境が争わない精神性を育むのか、あるいはそういった精神性を持つ民族が列島に移り住んできたのか。世界中でも際立って日本人は特殊性があり、それが古代から続いていることが奇跡的だと思います。縄文時代の精神性がよりはっきりわかると未来の日本人若しくは世界の人々にとっておおきな模範になり得るかもしれません。世界平和にとって大きな鍵が日本人の遺伝子には刻まれていて、それを呼び起こすことが出来れば世界を平和に導くことが出来るような気が致します。
ご指摘、素直に首肯致します。縄文一万年の長きに渡りそもそも大きな争いのない列島であったが、徐々に権力が乱立する時代に至り、これを武力によって支配統治するに成功したのが(その名の通り)天武であり、比類なき戦略家であった不比等を従えて自己正当化のストーリーを漢字で残させたものが記紀であるのでしょう。原始列島の精神文化を伝えるカタカムナ、ヲシテ(ホツマツタエ)などをよく知り、その心を世界に広めていくことこそが、これからの日本人の真の役割だと思っております。
もう一つの古事記。ホツマツタヱ。日本史を別角度から見れるのが良くわかり、研究したい分野だと思いました。比較歴史にもってこいの文書ですね。令和の本居宣長が出てきそうですね。
高床式建物は縄文からですよ。4千年前にはあったとされています。富山県の桜町遺跡からホゾ穴の建材が出ています。木材は残りにくく、遺跡から出る事はほとんどありません。たった一つの遺跡の発見が、高床の発祥を2千年遡らせたのです。ですからもっと前からあったのかもしれませんね。ただ、ホツマツタヱの「ムロヤ」は、高床式ではなく、竪穴住居ではないかと? 「穴に住まいて人ならず」の穴とは竪穴ではなく、洞穴を指しているのではないでしょうか。
おっしゃる通りです。わっしの説明が舌足らずでした。ご指摘ありがとうございます。
高床式の構築物と竪穴式の住居と用途の違いも含めて説明すべきでした。それとそもそも弥生時代という時代区分はもはや不要なのでは無いかというのが私の考えです。水田耕作も灌漑も、集団社会性もそして鉄器の使用さえ縄文時代の発展の中で形成されてきており戦後、洗脳しようとされてきたような渡来勢力がもたらしたものでは無いからです。
う…ん、面白い話の流れ方。ホツマツタヱのほうが頭の中に映像が浮かびやすく聴いてて楽しい。ナニしろ富士山🗻が出てくるのが👍️
私のアタマの中がupdateされてませんでした。桜町遺跡、ウッドサークルも出ていますね。行ってみましょう。
茂木先生おはようございます!
次も楽しみ。秀真好きだなぁ縄文の優しさを感じます
勿来の話はさらっと流されましたね。くまさんからもっと聞きたかったよ
勉強になります😊
ホツマツタヱは学校で必修にしてほしいくらいです。そうなるように自分でもがんばって勉強します。
平田篤胤の弟子で娘婿の平田鐵胤、その門人の一人に尾崎松太郎という者がおります。彼が村長であった東濃西白川周辺は平田国学の影響が強い苗木藩領、国内でも廃仏毀釈が徹底された地です。その嵐が止んだ1874年、松太郎の子として生まれたのが尾崎秀真、ホツマツタヱから取られた名でしょうから、当時の一部の平田派への影響が伺えます。彼の子が日本共産党員であり日本ペンクラブ会長の尾崎秀樹、そして尾崎秀実です。
おおっ!そこに繋がりますか。
ホツマを伝世したとされる三尾氏は、彦坐王を祖とする血縁的・地縁的集団と近しい関係にあったので、その集団(もう一つの王族といえます)の歴史観が投影されていると推測します。そして記紀では語られていない、東国の歴史を含んでいるように感じました。東国の歴史。たとえば山代の椿井大塚山古墳から出土した銅鏡は、東国の古墳からも同笵鏡がでていて、ヤマトタケル東征以前に東国に影響力もった謎の氏族が山代にいたことがわかっています。ホツマになにか手掛かりがあるかもしれません。わくわくしますね。これからホツマを読みたいと思います
大切な視点ですね!
なるほど!
さり気なく、阿波のことをお尋ねしていましたが、阿波に関して何か思うところがあるのでしょうか。阿波巡りの動画は拝見しましたが、いつか阿波について深堀りしていただければと思います。阿波には様々な痕跡があるので史実ではえがかれていない何らかのストーリーがあったのだと思うのですが、一方で、あまりにも揃いすぎていると考えてしまう自分もいます。完全妄想で構いませんので、いつか先生のお話を聞ければ幸いです。
阿波には阿波の建国神話があるので、それとの整合性を確認したかったのです。
@@maomao96363 各地に伝わる建国神話を、先生独自の視点でまとめた本を書いてくださることを希望します。そのための全国神社巡りと勝手に思い込み、これからも参拝動画を楽しみにしております。
AIで新たにホツマツタヱや宮下文書、記紀など学習させられないですか?共通点や新しい発見、誤差などか明らかになりそうですね。
富士山もさることながら、瀬織津姫と関与があるといわれる英彦山もかなり古そうですが。
英彦山は私も大好きな山ですが、ホツマツタヱ的にはヤマトタケとのつながりが深いです♪
時系列とか混乱するけど、古すぎて面白い。
高床式は縄文時代ですね。三内丸山遺跡。
これは情報が多すぎて、記紀とほつまを比較して図表にしないと理解できない〜〜〜😭でも、めちゃめちゃ興味深い。
子供の頃、登った山中に神代文字の石柱が立ち寂れ朽た神社が有ったのを思い出し見ておりますと…そこは滋賀高浜へ京都から抜ける街道、大原近くにある金毘羅山山頂にある三壷大神を祀る神社で三つの壷、火壷、雨壷、風壷が祀られ、途中の道にはほつまつたゑではないですが阿比留文字で天之御中主神と彫られた大きな石柱、現在は新しいのに変わってるそうですが誰が建てたのかは不明…や大国主之命、天御中主之命、魔王大神の御名が彫られた石碑など…何か関連があるのかも知れませんね🤔なお、麓に金毘羅山山頂の神様を御鎮座願い創建された江文神社には倉稲魂神、級長津彦神、軻遇突智神が御祭神となっておりますが…🤔
日本には文字がなかったと言う定説を覆すのか、何が書かれているのか、ワクワクします。
ワクワクして下さい
『古事記』は稗田阿礼さんの“口伝”を《漢》字 で書いた てコト? ↑ の前には何百人 何千人の “あれいさん”が居たワケでつまりはやっと “書き残す手段”??が できるようになつたと言うコトなのかな【ほつま】文字を(が)なぜ 使わなく(使われなく)なったのか?!?次回 が 楽しみです
今晩は。時々何かが降りてくる不思議な子(お爺様)です。よろしくお願いいたします。それはそれは太古のお話なので、主に口伝やら、伝承者の性格やら、アヒル草文字(骨が割れたような変な文字)などに置き換わった際に、擬人化されて行って、幾度も修正されて行って、古事記でもまたまた修正され・・・はたまた継体天皇の様な遠くの親戚を探してきて天皇を無事にお継ぎになられた・・・などが 遠く以前にもあったのでしょうと思われますネ。物語としては 擬人化と現象が大分前後してしまうところがありますがそれもまた興味深い所があるようです。雨トコタチから6代目で世継ぎが絶え田舎の親戚を訪ね歩き出雲アワキネの若者と松島タマキネの娘を夫婦として無事天皇家を継いだ話が史跡を訪ねてわかります。出雲と松島が大国(おおくに、國府、コフ)となっています。富士山は、出来たのは今から13万年前とされていますので、神代にはまだ到底、存在しえません。太陽の神様が生まれるお話なので。そして8年ほどかかってアマテル様が生まれたお話も面白くオジイサマが毎日頂上に上り朝日にお参りしたのも変な話ですが感動します。おなかで大きくなっていく子供を8年間お参りしたのでしょう。そしてアマノコヤネおじさんが私は16年で生まれたというささやき(私だけ?)がまた面白い話です。途方もない長い長い年月なのでしょう。アマテル様(天照大御神)がハラミ山、今の富士函南あたりに都を置き お家断絶が無いように東西南北にお后を置かれたのが感動的です。のち、伊勢に移っていきますが、アマテルさんの話で、これでチヨミ草(永遠の長生きの薬草)が無くなってしまったこと、国譲りなどで八百万の神を、都(高天が原)から大国主出雲に移した事などから、緊急事態、富士山の噴火の始まりかと思われます。今でもポンペイのように昔の街がうずもれているかもしれません。それから長い長い平和が続きますが孫のニニキネさんが鹿島に預けられて稲作をし、九州のツクヨミを助けに幾千もの ほかけ船で米を届けるお話は口伝で昔懐かしいです。漢字などで翻訳された際 また江戸時代の翻訳か?・・・江戸に運ばれて・・・などなどは 渡会さんが 後で直された様だとおっしゃっておられたようです。モチコさんがお菓子を作って 餅。スズメが竹の割れ目に米を運んだら 酒になった。カモが流木に乗っていたのを見て、創った 鴨船。など とても面白いですね。うる覚えですが。では 又。楽しみです。
お二人はご親類でしょうか?とても相貌が似てらっしゃる。
茂木先生はイケメンですよ。とらさんは変なおっさん。
原田先生と茂木先生……って、顔 似てるよね。☝😂w💨
顔、似てますよね、やはり
記紀を含め古史古伝を読むときは、御祖神たちは素直に「天」から来た、でええんじゃぁないか?と思います。ただし、こっち(=現実)にちゃんと戻ってこないとヤバい人になってしまいます。これは陰謀論とかを学ぶときと同じで、学ぶ間はそっちの頭になっている方が理解がしやすいが、ちゃんとこっち(=正論)に戻ってこないとヤバい人になってしまいます。 どちらも理解した上で日本としてはやっぱりこうなんじゃぁないか、ってのを纏めてくれるのが茂木先生の御本です。神話で読み解く超古代史的なやつ、期待してしまう。
「父音」初めてききます✨縄文叙事詩⛰️🌈年代的にはカタカムナ→ホツマ→古事記→日本書記みたいな感じでしょうか?Yに似た字もありますね。アルファベットも日本が源流だと言われる時代が来るかもですね🎉世界四大文明はそうだと言われる時代😅頭ついて行きたいです😊✨
カタカムナは戦後の創作文学です。日月神示も戦後ですが、こちらは霊示であることが確実です。
興味深い話題ありがとうございました。「ほつま」文書が古いのだということが強調されすぎていた気がして、あまり興味がなかったのですが、本日の話は大変に興味深いです。天照大神が男神だと言い切られたあたりから身を入れて聞きました。日本書紀も古事記もだいたい同じようなグループの中での勝ち組負け組の主張を書いたものだろうという気はありました。仏教の人たちが勉強したということは修験道の世界で語り継がれてきたのですね。すいません、茂木先生のそこら辺の動画は拝見できていません。伝承を秘密の文字で書き残すというのは、「らしい」ですね。それは別として、今日の話が在ると、何で神武天皇が関西にすでに天降りた仲間がいて、それを証明できる品物をお持ちになっていたかの話も具体性を帯びてきました。そもそも、何で九州の片田舎に居られた神武天皇が奈良を目指したのかは不思議でした。それと、「鉄」の話が出ていませんでしたが、神武天皇の御代以前ですと、鉄の生産が権力の原泉だったと思います。朝鮮半島との関わりは主に製鉄関連だった印象があります。そこら辺はどうなのでしょうか。すいません、自身で調べればよいのでしょうが、残り少ない自分の時間は別の目的のために使っているので、教えて教えてになってしまいます。蛇足ですが、「天下る」という所は現実的に船に乗ってやって来たとかんがえるべきでしょう。すでによく知られていることですが、弥生時代には入れ墨文化がありましたが、それの在る地方と無い地方に明確に分かれています。入れ墨文化はポリネシアの方でもつい最近まで在ったもので、そもそもポリネシア人の故郷は台湾に在ると言うので、海洋文化というか台湾にいた人たちの文化であったようです。そこら辺の話が説明されると面白いですね。今はポリネシア関連のことに入れ込んでいるものですから。(追)天皇家は入れ墨なしの文化の流れにあられるようです。
鉄についてのご指摘ごもっともです。半島との交易を行なっていた日本海側にたたらなど製鉄の遺跡があるのは興味深いですね。入れ墨に関しては南洋ネシア諸地域と縄文人、アイヌなどとの繋がりを連想します。今の天皇家にとっては消し去りたい歴史ではないでしょうか?ホツマツタエ、カタカムナと同様に。
鉄器の存在ホツマツタヱでは、同時代として記述されています。倭人が南朝鮮で、鉄鉱石掘り出しを現地の方々と行なっていたのは、時代がかなり下るお話ですね。
レイライン様、ありがとうございます。ただ、アイヌは元々大陸の内部にいたのが、他民族をいじめたせいで、モンゴルに追われて沿海地方に逃げてきて北海道に渡ってきたので、日本文化とは全く関係がないと思います。
@@torasan3776さま、ありがとうございます。5千年前に朝鮮半島に渡った縄文人は縄文人の中でも航海術に優れた民だったはずですから、当然本土との交易を行ったとおもいます。何しろ、黒潮も乗り切ってしまう人たちです。その場合、当時朝鮮からもってこれるものと言えば鉄鉱石、もしくは製鉄した鉄くらいしか無いでしょう。朝鮮半島は1万年前から5千年前までは無住であったのですから、もってこれるような特産品は他にないと思います。半島の縄文人は、他に交易の相手はいないので、日本からの物資が必要ですから、兎に角何か交易できるものを必死に探したと思います。黒曜石なんかは良いものは半島にはありません。日本人が現地の人と、という時代は縄文人が大陸人に侵略されて朝鮮人化してからの話ですから、ずっと後の話です。朝鮮人の祖先は縄文人であったという説は様々な証拠が在るようですから、議論の出発点とすべきだと思います。つまり、5千年前から半島との交易が有ったと言うことを前提とすべきだと思います。縄文文化を考えれば不思議でもなんでも無い話だと思います。
ホツマ頭混乱します。徐福はいないのですね。うーん。しばらく寝かせたら何かと繋がるかしら。
ホツマ辞典の付録系図の左端に徐福は出てきます。徐福-------ソロリヨシタケ--ソロリヨスナ(ヒトボシ)
@@kodenjiki 様ありがとうございます🥰ヒトボシ…ニギハヤヒ(ホアカリ)ではないのですね~ぐぬぬ。やっぱり高いけどホツマ辞典買ってみます。
勿来の関地元です!🙌
昔の人もファンタジーを作り出してたんじゃないかなって思いました。
ファンタジーをつくったり、隠す必要もボカす意味もあったのでしょうね。古代史に連なる神話の共通性を世界的にとらえると、ユングのいう集合無意識にも通じるところが奥深く、後世を生きる私たちが様々に歴史を読み解き思い描く喜びは尽きません。歴史すなわち今ここの連続であり、永遠の現在しかないところに果てなき魅力を感じます。
ファンタジー的要素も、確かにありますね。要は、学ぶものが何を読み取るかが大切ですね。
ニニギのお兄さんといえば、ニギハヤヒ‼️出雲口伝とどっかで繋がるのかな…と聞いているのですが💦出雲口伝では事代主が職名でなく、スクナヒコが副王、主王が大国主。まあ、どこかで逆に伝わる可能性がありますよね。宮下文書とも繋がるのかな…琵琶湖、といえば、正統竹内文書、何か繋がるものがありそうですね。出雲口伝が一番説得力ある気もしますが。
出雲大社の元は杵築神社です出雲は、明治に作られたと思いますが❓️ ホツマは出雲をどの様に書かれているのですか❓️教えて下さい🙏また、明治政府になり、かなり歴史が変えられてます。地名で歴史を掘って行くと見える物が有ると思います🙏宜しくお願いします🙏
杵築神社(今の神栖神社か)を建造したと思われるのは崇神天皇ではないかと、わたしや今村先生は考えています。その後、ある強力な勢力によって出雲大社は(あの強大な柱構造で)造られたのではないかなぁ。出雲に関する記述は、ホツマには満載です。ご自身でお読みになると良いですよ。
全くの素人なので教えてほしいのですが、古事記は何故神代文字で書かれていないのでしょうか。日本書紀は、国外向けの歴史書なので漢字で書かれているのはわかるのですが、古事記は国内向けなので不思議です。どなたか教えてください。
秀真伝 序文「家々の文も其々変りある」熱田神世を辞む文「代々の文まちまちなれば」三笠文 序文「されど上代、今の代と言葉違えば道離る。これ諸家の伝え文」編纂された当時から『諸説あり』だったようです。疫病と大乱のせい?
そもそも”神”様とは 一体どうゆう方なのか? 単なる抽象名詞の”神”ではないはずです。聖書の創世記の冒頭で「1 元始に神天地を創造たまへり」(文語訳)とあります。また「26 なんぢら眼をあげて高をみよ たれか此等のものを創造せしやをおもへ 主は數をしらべてその萬象をひきいだしおのおのの名をよびたまふ 主のいきほひ大なり その力のつよきがゆゑに一も缺ることなし」(イザヤ40:26(文語訳))「28 汝しらざるか聞ざるかヱホバはとこしへの神地のはての創造者にして倦たまふことなく また疲れたまふことなく その聰明こと測りがたし」(〃40:28(文語訳))そして日本はかつて ヤマト神国 とも言われていました。ヤマトはヘブル語で ヤ(ハ)マト つまりヤハ(エホバ)の民 という意味のようです。また イザヤ43:17(文語訳),歴代第一12:23(文語訳),エステル1:3(文語訳)には”武士(もののふ)”なる語も出てきます。また イザナギ イザナミはこのイザヤから来ていると思われます。「6 わたしたちには父なるただひとりの神がおられ,この方からすべてのものが出ており,わたしたちはこの方のためにあるのです。また,ひとりの主,イエス・キリストがおられ,この方を通してすべてのものがあり,わたしたちもこの方を通してあるのです。」(コリント第一8:6)そうです 日本人のルーツが途中で途切れているように見えても アダムとエバの子孫であることに疑問の余地はありません。
あちこちに、那珂川がありまして、茨城県の那珂川の上流には、上伊勢畑、下伊勢畑、天照皇大神宮があります。途中には阿波山もあります。
お疲れさまです。神代文字をスーパーコンピューターに掛ければ、現代の標準語に変換できそうなきがします。そもそも中国語の漢字で書かれた古文書は削除や誇張された可能性が多いような?
575で記述されたところが改竄の魔の手を逃れたポイントだと思います。ですが、ホツマツタヱも史書故に取捨選択があることは確実です。かなり大っぴらですが、あえてスルーされた史実もあるでしょう。
10:00 「オオナムチが言うこときかないのを釣りをして諌めた人がいました。それがクシヒコ」↑すみません、主語が何にかかっているのか....理解できませんでした😭大国主がクシヒコで、言うこときかないのはオオナムチ?釣りをしたのはクシヒコ?クシヒコがオオナムチを諌めたのですか?事代主vsタケミカヅチの話とは関係ないところでしょうか?ストーリー自体が違うとは思いますが、記紀との、登場人物の対照表を見たいです。
出雲大神宮が京都府亀岡市にありますが、歴史的には大きな関連がありませんか?
丹波=出雲説。
杵築と出雲の地名をよく勘案する必要があります。亀岡あたりは、やはりかつての出雲(古出雲)であったと思います。
クシヒコさんで混乱🌀クシヒコさんがオオクニヌシ.オオクニタマで大神神社に祀られているなら事白主がご祭神?クシキネさんではない?…😅
ここややこしいところなんです。
初代大物主がオホナムチ、二代目クシヒコ、三代目コモリ、四代目カンタチ、五代目フキネ、六代目クシミカタマ…初代事代主がクシヒコ・・・・・・しばらく不在・・・・・ツミハ(八重事代主)大物主は世襲で受け継ぐ役職で、事代主もそのようですが、ホツマでは二人しか出てきません。ざっと、このような歴史になります。
@@tassy_hozma たっしーさん補足のご案内、ありがとうございます。
@@torasan3776 原田先生、横から口出し失礼しました🙇🏻大物主、大国主、事代主の関係を説明するのは、本当に難しいですから🥹💦
たっしーさんどんどん横からご発言くださいね♪RUclipsも宣伝して下さい。貴重な情報源です。応援しています♪
田中英道先生は、茨城県鹿嶋市に「高天原」という地名が残っていること、旅行に出発することを意味する「鹿島立ち」という表現、九州の鹿児島が、鹿島の子供という意味にも解釈できるので、天孫降臨とは茨城県鹿嶋周辺の人々が、「鹿島立ち」して鹿児島へ向かったこと、というような説を語っていたのを思い出しました。
以前から縄文人の存在感を確り日本人の源流として感じたい知りたいと思って居ました渡来系民族の日本への流入に翻弄されながら渡来系と混血しながら歴史の中に埋もれて言ったとはどうしても思いたく無かった自分がいましたホツマツタヱの様に縄文文化の中に渡来系民族が融和しながら今日の日本人を作り出した決めてが欲しかったのでこの様な実にわかりやすくしていただいた話を聞く機会が有って良かったと思います記紀プラスホツマツタヱで今迄の謎だった空白のパズルが埋まって行くような気さえします阿波の立ち位置やニニギの兄のニニキネはニギハヤヒ?スサノウの系譜〜役職名〜大神神社の大物主の意味〜東北な北上川地域の統治など縄文時代に繋がる九州の一部を除いた日本列島ネットワークが朧げながら見えて来ますね〜記紀で何らかの理由で書かれ無かった空白の部分を繋ぎ合わせるのにホツマツタヱは必須ではないでしょうか?
ホツマツタエが必須とのご指摘は正しいでしょうね。記紀はたしかに重要な記録ですが、その名の如く武力によって天下を治めた天武天皇が、比類なき戦略家であった藤原不比等を従えて、後世に残した自己正当化のストーリーである面は否めません。天皇家に連なる家系や王朝により弾圧抹殺された他の有力者や先住民たち(カタカムナ、ヲシテ、フトマニなどの神代文字文化を醸成した人々)こそが縄文の主役であったと考えるのも自然な連想かと思います。
ニニキネの兄はホノアカリさんです。ホツマツタヱの記述では、お兄さんには世継ぎ子が無かったので、ニニキネの孫が養子入りされました。その方がニギハヤヒです。
ワカヒルメと成ってるので史実とは中々不特定な物です今後もどう変わるかわかりませんので中庸性を持って見て行く必要がありますね〜?
天照大御神と素戔嗚尊がうけいを行って授かった御子が天忍穂耳命と栲幡千千姫の御子がクシタマホノアカリとニニキネですね!ホツマツタエでは天照大御神と瀬織津姫の御子がオシホヰで産まれたどん詰まりの御子がおしほみの御子でその後の記実はほぼ同じですね~ホツマツタエでは流離刑になった素戔嗚尊が、うけいを立てたのは幼少期の素戔嗚尊のイザナミ亡き後の母親代わりのワカヒルメ様と成ってるので史実とは不特定中物です今後もどう変わるかわかりませんので中庸性を持って見て行く必要がありますね〜!
アメノホノアカリは別名は神饒速日命とか天照御魂神等があります
外宮には伊邪那美様のお父上がお祀りされているのですか‼だから 外宮の千木は外削りで鰹木奇数の男神様式 だったのですね!
厳格なルールはないようです。内宮もアマテルなら外削ぎになるはずですよね。
あっそういえば!!アマテルで考えるならそうですよね。ご指摘ありがとうございます!!それはそうと先生、滝行の直後の目がとっても輝いてて少年のよう😊こちらも気分爽快になれました。小田原にある役小角さまゆかりのお寺でこの5年ほど、私も滝行させて頂いております。魂レベルで洗い清められるような感覚ですよね。@@maomao96363
タカマ→高島市
ホツマツタヱ、すごいですね。原田先生は、アマテルと呼ばれていました。アマテル 自動詞 主祭神 男神アマテラス 他動詞 巫女と感じられます。饒速日が、アマテルクニテル・・・・なので、彼もアマテルでしょうか。そうすると、アマテルは、地位か職名のように感じられます。
天孫降臨ということでは、ホアカリが大和に派遣されて、ニニキネが九州に派遣されていますね
ホツマツタヱではニニキネはつくしには派遣はされていません。ただ奥津城として高千穂の地を選ばれたました。世継ぎのホオデミはつくしとの縁が深く孫のウガヤフキアワセズもつくしとの結びつきが濃いですね。
ホツマツタエに徐福の事は書かれていないのですが、イザナギとイザナミの仲人をしようとした速玉王という人がそうじゃないかという説があります。なので、アマテルは紀元前207年頃の生まれだと思われます。
同時は海の果てが宇宙だと捉えてる
古事記とほつま、どちらが先でしょうか。神代文字で書かれているから、ほつまが先とは言えないのではないでしょうか。京都では漢字が使われていても、地方では、とくに神社の神主やその周辺の人々は、伝統を重んじて神代文字を使っていた。日本全国に神社を中心として、いろいろな口伝があったと考えるのが正しいのではないでしょうか。エジプトの神々を調べると、とても興味深い神話形成が見られます。エジプトを中心にして、周辺国で信仰されていた神々が取り入れられています。シリア生まれの神さまがアスタルテ女神、アーンティト女神、ケデシュ女神になったりしています。そして最近の発掘では、シリア出身の女官が高い地位にいたこともわかっています。古事記が編纂されて時期に、エジプトと同じような出来事が起きたというのは、容易に想像できることです。古事記は京都周辺の口伝を集めて編集したのではなく、日本列島の広い地域から古代から継承されてきた伝承を集めて、再編成した神話ではないかと。だからこそ、あれほどまでに多くの神さまが登場し、統一性のない物語が語られ、最後は皇室へと繋がってゆく。忘れてならないのは、日本の神さまは日本列島で生まれたとは限らないこと。秦氏もそうですが、人は新しい移住地を求めて旅をするとき、神さまも一緒に連れて旅します。ザビエルもそうですね。宣教師という役割を担っていましたが、それ以前にも、仏教の僧侶や、景教の信仰者や、ゾロアスターの神官、他にも多くの宗教家が渡ってきたことでしょう。そうした人々は頑なに自分たちの信仰を守り続け、神社という形式で信仰を継承することを朝廷が許すようになると、それぞれの宗教を神社形式の中に収めて信仰するようになったのでしょう。しかし信仰する対象の神さまは、口伝によって父から子へ、母から娘へと伝承されました。それらの伝承文学を集めて、編纂したのが古事記です。古事記の記述に、どうしても納得のいかない人々が神代文字で書き残して後世に伝えようとしたのかもしれませんし、あるいは古事記が編纂される以前に、神代文字を使って文献として編纂される事業が、地方豪族のもとで行われたのかもしれません。そういう意味では、古事記はより多くの人々が納得できる形に編纂された神話。いわゆる神話の一般化です。
滋賀郡には景行天皇の高穴穂宮がありました。后や女官によって語られていた古事記のような伝承が、天皇の異母兄弟からつづく三尾氏(高島郡)にひきつがれ、記紀編纂と同じような時期にあるいはそれ以降に、神代文字によってまとめられたと考えるとどうしょう? 漢字は仏教の文字であるため、神社などではあえて神代文字をつかった、とも考えられるのではないでしょうか。
系譜について、当時は腕っぷしで取り上げたり乗っ取りが横行したという事なので、何処から何処までが信用できる範囲であるかをよく吟味しないと、事実から離れてしまう。ある意味、嗅覚ですよね。自分が簒奪者になった気持ちで資料に当たる必要があると思いますよ。
その意味では、さすらうだけではなく、一族の伝承を聞きに行くのも有効だと思いますよ。関係無い人に聞いても仕方がない。そう言う点も、資料と照合して資料を評価しないといけませんよ。
先ずは、平民の苗字を分析する事から始めた方がいいでしょう。私は教えてもらえなかったけど、名前を聞いただけで大体分かる様ですよ。まあ、トノクニサツチからクニトコタチ神に繋がる伝承や、天照系への御代がわりのニュアンスを得ることができたのは、私の幸運だったと思いますが。
ヲシテ文献のホツマツタエを知らない人はオオクニヌシとは誰かってわかりにくいですよねオオクニヌシの名前を貰った人は存在しません。オオクニヌシの名前に似た称え名を貰ったのが、オオナムチの息子のコトシロヌシさんで、誤解されてオオナムチの事をオオクニヌシと今では呼ばれているという事で、単純にオオナムチが名前をオオクニヌシと間違われて呼ばれているだけです。オオクニヌシのエピソードは、丸々オオナムチのエピソードです。とはいえ、八人の兄貴にいじめられたり、殺されたりはしてません。ソサノヲから火つけらりたり、逃げ出したりもしてません。それとソサノヲの子孫ではなく、息子です、オオナムチはイヅモを朝廷に返却して、青森県な津軽に移住しました、この時にコトシロヌシさんは、父親のオオナムチを諌めていて、朝廷の尊さを説いて説教していた事を認められて、父親が取られたオオモノヌシの役職をついで日本の武官のトップ右大臣の事である、二代目オオモノヌシの役職を与えられて、イヅモから離れて朝廷で仕事する事になりました、これ以降は子孫が代々オオモノヌシの役職を受け継いでいきました。父親のオオナムチは、あんな事件があったのに腐らずに津軽の発展に尽力した事が認められて、途中からカルノキミという称え名で呼ばれて、朝廷の長老格の一人として、神武天皇が生まれた時に、ソサノヲから受け継いだアメノムラクモを神武天皇にプレゼントして、神武天皇こそが正当な皇室の担い手である、跡継ぎであると一票投じています。その証拠にヤマトタケさんかアメノムラクモを津軽の豪族に見せたら、先祖から聞いてます、神武天皇とその子孫が正当な皇室の跡継ぎですと、鉾を収めました。オオナムチは間違って、息子が貰った称え名に似た架空の名前オオクニヌシと今は呼ばれているという事です。
はじめてのホツマツタヱを読んでますが、日高見(東北)が起源のような印象です。
自分も読んでいますが、東北ではなく、琵琶湖でもなく、富士周辺と思っています。
殘念ですが、神代文字や記紀以前の古代文字を扱つた文獻は略、德川治世以降に編纂された僞書と云つて閒違ひ在りません。先ず、古代文字の中に「ん」と云ふ文字が含まれてゐる事自體が有り得勿い事なのです。縄文人は其の會話の中で日常的に「ん」を發音はしていましたが、言葉の音韻としては全く意識されてゐませんでした。其の起源が縄文時代にまで遡る萬葉集、中でも枕詞には「ん」と云ふ音韻は存在しません。撥音や促音が音韻として意識されるのは大陸から漢字が流入してから。假名として文字化するのは平安時代に爲つてからです。縄文時代に譬へ文字が存在してゐたとしても、其の中に音韻としては存在し勿い、認識されてゐ勿い文字が混在するのは整合性を缺いてゐます。更には、縄文人の發してゐた縄文語は今の現代假名遣ひの五十音を約二十越える音韻を持つてゐました。其れに關しては福田恆存氏の名著「私の國語敎室」に詳しいので參照して頂きたいのですが、神代文字は奈良時代から平安時代に懸けて衰退して終つた、縄文語の源流で在り、縄文語を語る上でイロハのイで在る「上代特殊假名遣ひ」にすら對應してゐません。古代文字と呼ばれる物の殆どは、明治政府の敎育制度に因つて規定(限定)された五十音圖の音節表に卽しており、ややもすれば明治開闢以後に僞造された物で、日本の學界が神代文字を認め勿いのは、明白な學術的根據が在るからです。 私も本居宣長先生の「學びとは獨學で在る。」と云ふ御言葉を澪標に日日研鑽に勉めている躰では在るのですが、此の神代文字を日本文化の源泉として正統化する事に關しては、健全な檢證主義と批判精神を缺いた、素人の獨學、其の悪弊に因る暴走と云はざるを得ません。白川靜氏の著書「後期萬葉集論」には、太安万侶が古事記を真名(漢字)に因つて日本語化するのに苦心した樣に、萬葉集も真名を如何に和歌と融合させるかで、佰年以上の試行錯誤を繰り返した事が記されてゐます。日本に漢字流入以前から流通する文字言語が元元存在したのなら、此の樣な苦勞は勿かつた筈です。若し、記紀以前の文字の存在を研究したいので在れば、先ず、古事記、萬葉集の原文を読破し、大和言葉と真名(漢字)との格鬭の曆史を學んでからでも遅くは勿いと思ひます。學問の道は幾ら遠回りをしても、し過ぎる事は在りませんし、少なくとも其處には神代文字の付け入る餘地も在りません。 私は記紀以前の曆史に考古學や文獻に因って新發見が在り、記紀の内容が全面的に覆つたとしても、日本国民の平和と幸せの爲に、日日祭祀の勤めに勵まれてゐる天皇陛下と皇室の權威に傷が付くとは微塵も思ひません。記紀に記された曆史をタブー視する事勿く研究に勤める事は日本の爲で在り、皇室の爲でも在ると思つてゐます。現に天皇陛下は、去る第四回亞細亞太平洋水サミットで記念講演を行われ、記紀以前の日本の信仰と文化、部族に關して詳細に言及されてゐました。天皇陛下自ら、記紀以前の曆史を皇國史觀に囚はれず、分け隔て勿く學ばれておられるのです。だからこそ、曖昧な推論と妄想で容易く齒止めの效か勿く爲る考古学は、慎重で勿ければ爲りません。 僞書の伏魔殿とも呼ばれる古史古傳は蔴藥の様な物です。オウム真理教の松本智津夫は古史古傳の中で最も有名な僞書「竹内文書」を敎義に盛り込み、吉本隆明、中澤新一、島田裕巳、ビートたけし、と云つた數多くの似非知識人、文化人タレントを欺き、手玉に取りました。僞書には魔性の魅力が在り、其の存在を求める人人の心にいとも容易くバイアスを懸けて終ふ事を、是非御畱意頂きたく存じます。 乍恐、己の恥ぢの上塗りとは重重承知の上で、弱輩者の突然の亂筆。誠に御見苦しい限りでは在りますが、後學の壹助に爲れば幸ひです。
ご教示、感謝です。批判精神を忘れた盲信は、人々を惑わす。おっしゃる通りです。
典型的な偽書説を開陳頂きありがとうございます。
ヤマトに天下ってたニニキネさんのお兄さんってニギハヤヒですか?
ホノアカリ・テルヒコ様です(^^) ニキハヤヒは、ニニキネ様の長男ムメヒト様の息子、クニテル様です。ヤマトに入られた時に、ニキハヤヒの称え名を贈られました♪
@@tassy_hozma 天孫降臨のクニテルさんとイワレヒコさんは従兄弟なんですね、ありがとうございます!
@@田中健三-x5p ニニキネ様の息子は三人、長男ムメヒト様の息子がクニテル様。そして三男ウツキネ様の息子がウカヤフキアワセス様…このお二人が従兄弟ということになります。イハワレヒコ様は、ウカヤ様の末の息子ですから、一世代後になりますね☺️
@@tassy_hozma 仲の良い一族だったらいとこの息子にヤマト譲っちゃうかも、ほつま伝にはそんなに詳しく書いてあるんですね、ありがとうございます!
ホツマツタエにはオオクニヌシ、出て来ないのですかー( ゚ェ゚)オオモノヌシ=オオクニヌシ説はここからきているのかしら?むむぅ謎は深まった。
大物主が「私は貴方の幸御魂・櫛御魂です」と大国主に言ったって話ありませんでしたっけ?
@@noel8446 日本書紀はそうですね。古事記には書いてないのが謎なのです(´- `*)
よくできた偽書ではないですか🎉
大己貴神社と書きます
ヲシテ文献ホツマツタエには、天孫降臨は書いていません。初代アマカミのクニトコタチさんは第25代アメノミナカヌシでもあるんですが、最初から人間の歴史として書かれています、天孫降臨など無かったので、天孫降臨は当然書かれていません。クニトコタチさんが作り方を教えたのは、栗の木栽培と竪穴式住居でこと時から縄文時代が始まりました。1万年以上前の話ですよ、縄文時代の天皇陛下は全て2代目のアマカミ、クニサツチとして全員1万年分統合されています、なぜなら歴史が動かなかったからです、稲作の試験栽培が始まったトヨクンヌさんから三代目アマカミとしてカウントされます。クニサツチは、長男のエノミコトの子孫と、次男のトノミコトの子孫が交代で天皇陛下をやっていました、トノミコトの子孫がトヨクンヌさんで、猿田彦大神がエノミコトの子孫です。クマソもエミシも外国勢力ではなく、稲作の研究をして、作り方の指導をして全国を豊かにした天皇陛下に逆らう者は、アメノタミの資格を剥奪された、元日本人の事です、許されて日本人に復帰した者達もいます。土蜘蛛もその通りです、外国勢力ではありません
外宮。ソトの宮。と読んだらその神様の素性が露になります?ソト。素兎(ソト)神。月に住むと言う兎。月兎。に因み、元々(素)は兎族と号した宇佐(兎佐)族。彼らが信奉したのが月の女神、月読尊。月読尊を奉祀した神宮が宇(兎)佐神宮。(二ノ御殿)月読尊=豊受大神(丹波の海部氏(徐福の子孫)が政変(神武東征神話の闇)で大和から逃避してきた豊国宇佐王家軍と月読尊の姫巫女で親魏倭王宇佐豊日女命(女王トヨ)が丹波で月読尊を布教した際、月読尊を豊受大神と呼んだ(豊国(宇佐族)の神(月読尊)を受け入れた)のが端緒)(=、八幡大神(宇佐神宮の月読尊の神前に全軍が集結して華々しく東征への出陣式を挙行した際に魏の黄色幡が八幡はためいた(魏の傘下に有った(属国化していた))のに由来)、稚日女神、(↑大和入りした宇佐軍と姫巫女の豊媛命が大和で月読尊の信仰を檜原神社を建立して布教。すると、大和の出雲族らが稚日女神などと尊称した。)天ウズ女神、丹生都媛大神(丹生を支配する神。宇佐神宮や八幡宮が真っ赤な理由))
ホツマツタエは良く分かりませんが偽書と思われますね?琵琶湖の高島市は高島屋発祥の地ですので何らかの権力集団がいたのでしょうが?そちらの作文に思われます。
古事記は阿波の渡来系⁉︎ホツマツタエは縄文の伝聞⁉︎
イザヤ書の内容に酷似しているようにも思えます。直接イザヤ書を読む語学力がないので和訳解釈されてあるものを見ただけですが。
記紀には、聖書系の(というか景教影響)がスパイスとして振りかけられていると思います。
@@torasan3776 なるほど。。。ヒトの書いたものですし、ソレにも原書みたいなものとか引用とかもあるでしょうし、現代より遥かに情報不足感はいなめませんね。書いた人に聞いてみたいですw
お兄さん?
笑える。遠い親戚のおっさんです。
やっぱね 納 得
これもう観ました?お好きだと思います。視聴済みでしたらすみません【秦氏】本物の陰陽師!?子孫が登場!二千年に渡る口伝を大公開!ruclips.net/video/Qk-IS1ScGys/видео.html
母方のお祖母様は、ご先祖は熊襲だと言っておられ戦争の時全てが燃えてしまって何も残らなくなったが、日向出身で私が小さな時に、色んな話を聞いて育ちました。とても興味深く視聴させて頂いています❣️
中央構造線、四国、巨石、滝行、、茂木先生の好奇心の旅に同行させていただいているようで、いつもワクワクしています。配信ありがとうございます。
神谷さんのCGSで、アヤ毎の大まかな解説を参考にしながらホツマツタエ読みましたが、古事記と頭の中で分けるのも楽しい作業でした。
今回の配信を機に、久しぶりにホツマツタエを本棚から出しました。虎さんの解説も楽しみにしています。
RUclipsができたおかげで、こんなに素晴らしい動画が無料で見れることに感謝です。先生の動画は、高い専門性だけでなく、内容的なエンタメ度も抜群です。ホツマツタエ、神代文字、縄文の王権の物語と、歴史のロマンが広がりますね!カナ以前は文字がなかった、というのは俄に納得できないですよね。日本にはペトログリフなんかも結構見つかってるみたいですし。確実に音はあったはずで、日本人の先祖がそれを形にしなかったはずはないと思いました。天照大神が男神だった、というのは、竹内むっちゃん先生もおっしゃってたと記憶してます。竹内文書と共通な点がどのぐらいあるのか興味深いですね。ホツマツタエに関してこのような説明を聞いたことがなかったので、とてもワクワクしました。次回を楽しみにしております。
難しい箇所は何度も戻って聞き直しましたが、混乱しています!ですが、興味深くて楽しいです!
伊勢神宮の内宮外宮はおかしい…と思っていましたが、ホツマの説明だと納得がいきます。アマテルは男性神だし、トヨウケは外祖父であると。
津軽のお話も出て来ましたが、古代の東北には大きなくに、文化圏があったのでしょう!
まだ混乱中ですが、少しずつホツマについて学んでみたいと思います。
本当に楽しくて、朝から何も手につかず動画を拝聴いたしました。ありがとうございます😊
ふんどしの友人は、しきりに私に「ほつまつたえ」を学べと勧めてくれてましたが、今回の動画でその意味が理解できました。
なるほど。やはり日本は本当に太古の昔から人が住み、文化を持ち、自然を崇め信仰し、時代が下るにつれやはり人族らしく戦をし領地を納め、この時代につながってきたのだなと思いを馳せました。
古きを温って新しきを知ることの重要性は、その根源の哲学的な魂を受け継ぎ、変わりゆく世界に翻弄されない事に繋がるのだろうなとひと歳とって強く感じます。次回も楽しみです。
いつもわくわく楽しいお話ありがとうございます😊古事記も日本書紀もホツマも詳しく知らない私ですが、日本の国造り、国譲りの歴史そして権威にまとまる民の生活を一番大切にしてきた日本の素晴らしさに氣づきました。家宝と同じく国宝も侵されないように守るべく方法が昔からあったのでしょうね。日本の神神に氣が向く時に真の生き方に導かれるような氣がします。
あちこち行ったり人に話を聞いたりして日本の謎に迫ろうとしているのを見ていると
まるでドラゴンクエストのようなロールプレイングゲームを見ているような気分になります。。
否定されてきた文書の中に真実が隠れているのかもしれませんね。
アマテラスが男神という分析は随分前に茂木先生が歩きながら喋っている動画で見たような記憶があります。
すごい!TOLANDVLOGとも絡めて見るとおもろいです…!!
天孫族や朝廷…。東北民としてはついつい引いた眼で見ちゃいそうになるけど、
古代のことだし、「思いやれる人々同士でみんなで仲良く」が日本だと信じて
クニヅクリ、今度こそ本当に成し遂げられたらいいな
配信ありがとうございます。秀真伝をこんなに詳しく解説していただけて嬉しいです。秀真の世界は縄文時代を色濃く感じ、ワクワクします。
茂木先生と秀真伝を一緒に学べるなんて、、、最高です!
ホツマツタエを秀真伝と記し解してしまうと誤りの元となるそうですね。池田満先生のご指摘です。ご参考まで!
@@レイライン-s6o ご指摘ありがとうございます。ホツマツタエ、ミカサフミ、ワクワクしますよね!
どうして誤りの元に?
@@ひらがな-t2d解釈が変わってしまうのです。
組織的に構築された政治機構になる前の、属人性の高い日本の統治=シラスのシステムが見えてきて、心おどるお話ですね。我が国の正しい建国史観を再構築するために、記紀に要約取捨選択される前の、このような「実話」に迫って行く必要も感じます。
私の地元朝倉の昔は三輪町と言ってましたが、そこにおおなむちじんじゃ通称おんがさま、という神社があり、奈良の大三輪神社の周辺の地名と非常に似通っています。
私の場合は今村聡夫著「はじめてのホツマツタエ」で勉強しました。分かりやすい本でお勧めです。
ホツマの研究をしている人は多くおられ、内容の解釈は諸説あります。
ホツマツタエの都鳥を模して例えた国家のあり様を見れば、すでに立派な国作りがなされてたのが本当によく分かりますます。茂木先生ありがとうございます。
台風は直撃してきそうだし、お盆だし、You Tube見てる余裕はないのに、ついつい大好物をアップされては、食べなきゃ。ご馳走ありがとうございます😊
コメント失礼します。
トラさん最高です。流石、松本善之助先生から直接教えを請えた方は別物ですね。高畠先生もトラさんを松本先生にお引き合わせして本当に良かったと思ってらっしゃると思います。
自分はコロナ前の数年、ホツマツタヱ勉強会で高畠先生から教えを頂いておりましたが、残念ながら高畠先生は神上がりなされました。先生は言葉のエキスパートとしてホツマツタヱの流麗で気品に溢れた文・詞を解説、教えて下さいました。先生とはホツマツタヱの記述の地に色々出かけました。その中でも天照大神が神上がりした神社、瀬織津姫大神が神上がりした神社に上がった時話した「そもそも論」古神道の修導士である自分と先生の共通の解釈は至って簡単な事で神々とは「宇宙人」であるという事。そして高天原は「宇宙」であるという事。皆さんは人間として考えるから可笑しな話になるだけで、人間よりはるかに優れ先進的な英知を持った宇宙人なら簡単に納得できますよ。考えられない長寿も人間ならそりゃ無理だけど高度な科学技術・医療技術?を持っていただろう宇宙人なら長生きなんて楽勝だったでしょう。そう考えると全てが辻褄が合います。寿命がだんだんと人間の様になっていくのは瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)の姉上である磐長姫尊(いわながひめのみこと)を一緒に娶る事を拒んだために次の世代から人間に少しずつ近くなっていったとされますね。まあそれでも紀元前1000年ころまでは何百年とかは生きてるけどね。
本居宣長も賀茂真淵、平田篤胤も吉田兼永も今の時代に生まれなかった事を悔しがってるはずです。
彼らの替りに、トラさんには是非ともRUclipsでホツマツタヱの真実。日本の真実を茂木先生と共に伝えて下さい、お願いします。
励ましをありがとうございます。
地球外生命体の存在を無視は出来ないとわたしも思います。
でも、そもそも地球と地球外を異次元的に捉えることが変だと言えますね。天地人はつながっていたと、ホツマは伝えているのですから。
1~4まで 一度見て、今 二度目の 拝見です。
今回 二回目は 敢えて動画を見ずに、 お二人の話だけ 言葉だけ聞いています。
流れは分かっているので、耳に 全神経を集中して 聞いています。
一度目より より理解出来ました。 面白いです!
Toland Vlog と Tolandの小部屋 も 好きで見ているので、
古史古伝 の 話 面白いし 大好きです。
.
くり返し視聴いただきうれしいです。励みになります。
茂木先生とホツマツタエを学べるなんて最高です😊
次の動画の神代文字(ヲシテ文字?)も興味津々、楽しみです。
この不調和な世界が続く今こそ、ホツマツタエを読み解く意義があるのかも知れませんね。
動画UPありがとうございます。とても興味深く視聴いたしました。
古事記・日本書紀で敢えて語られていない部分(歴史・物語の空白部分)が気になっておりました。
GHQ等の、日本正史を葬ろうとする勢力に把握されることなく(推測ですが)、今日残っているのは、使用されている文字のためもあるものの、奇跡ですね。
LGBT法成立もあり、現在および今後の言語空間が危惧されますので、なるべく早い時期に古事記・日本書紀の補完版のような形で出版されることを期待しております。
とら先生🐯誠先生😺
ほつま講座 ありがとうございます🙇🙏✨
個人覚え書き✍️
内宮アマテル アマテラスでなく
外宮トヨウケ 男性 イザナミの父
3つのつぼ 大きな古い都 ①おきつぼ 琵琶湖畔 ②はらみのつぼ 富士山麓
③けたつぼ 東北
16:40
✨国常立尊✨ 初代
‼️縄文 中期‼️
🐣おぉ~🙈🐣
官職 職名 トップ大物主 オオモノヌシ
副 事代主 コトシロヌシ
官僚 物部モノノベ 軍事 地域裁判
*祖父スサノオ父オオナムチ(大物主)出雲
‼️息子クシヒコ(官職 コトシロヌシ)‼️→のちに 官職 大物主になる
*オオクニヌシは出てこない (オオクニタマ オコノヌシ)
*富士のお宮 と のかみ 天照もきた 次ニニキネ の子孫代々 はらの宮 ケイコウ天皇まで栄えていた
*天孫降臨は? 琵琶湖説
天から宇宙の天界から降り立った *渡来人は表記なし
驚きの連続でしたが なんかしっくりくる 不思議🥰🙇🙏✨
対話形式ですと大変わかりやすいです✨
このシリーズ 神バズりますね🙈💖
両先生のご縁に大感謝🙏✨💖
たけつぼ
ではなくて
けたつぼ
でーす♪
おまとめ
頂きありがとう😊
@@torasan3776 とら先生🐯ありがとうございます🥰修正致します💕
注文した先生のご著書届くのが楽しみ今年の夏は ほつま沼に はまる予感😁
とらさん✨茂木先生✨お話ありがとうございます🤓
古事記との比定が面白い、ホツマツタエが縄文から続く正統な歴史に思えてきた。次回も楽しみ
良い発言ありがとうございます
😅😅😅😅😅😮😮😮😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅
😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅 10:27 10:28 😅?
@user-jk2sv3bj9m 緒99お999「お9お⁹99😅
999
『勿来の関』という言葉が出てきたので、驚きました。
ホツマツタヱについて殆ど知らなかったので、良い気付きでした。
ありがとうございます。
なこその浜は、アマノコヤネと叔父フツヌシがであった旧蹟です。
そもそもは「関所」ではなく「出会い」の浜ですね。
@@torasan3776
出会いの浜だったんですね。
ありがとうごさいます
大国主命というのは記紀を編纂するにあたり作られた呼び方だとどこかで読みました。その他の古史古伝や風土記や出雲国風土記にすら出てこないそうです。記紀の系譜も改竄されているとすると、当てはめようとしても混乱します。
ホツマツタエの文字が正多面体にも対応していて、昔の人の知識に驚きます。次回も楽しみです!!
ホツマツタヱの研究専門同人誌の編集長でいらっしゃるトラさんですね❤
いつか滝行に伺いたく思います🙇♂️
はーい
お待ちしております♪
滝みそぎ、良いですよ♪
その時は宜しくお願い致します🙇♀️
ホツマツタエ読みました。古事記との違いも面白いですが、五七調の美しい叙事詩でした。特に興味深かったのは、中臣大祓の不明だった背景のストーリーが書いてあったことです。
ホツマツタエは本当に文献としてとても面白い。茂木先生のチャンネルでホツマに触れるとは思っていなかったので、嬉しい☆
わたしも茂木先生には深く感謝しています。うれしいですね。
ほつまの存在を、今回初めて知りました!
非常に興味深いです✨✨
「古代日本には文字は無く、中国から漢字が入ってきた」と習ったような記憶がありますが、決してそうではないのですね!
次回も楽しみです😊
漢字が渡来してくる以前の列島に文字文化を受け入れる素地が皆無であったという解釈はやはり不自然でしょうね。不比等という天才戦略家を従えた天武が自らの正当性を記紀に残し、先史を無きものにしたというだけの事でしょう。数千年に渡り、この列島に繰り広げられてきた人々の歴史をあれこれ思い描くことのできる私たちはたいへん幸せだと思うばかりです。
いつも配信ありがとうございます❤おはようございます。
ヲシテ文字 解読されて…まことのまことを伝えるなんですね。「ホツマ」は縄文時代から山の民、海の民が居てそれぞれ共通の言葉だったんですか。ゆっくり視聴させて頂きます。
頭がこんがらがってしまいそうですよ😅もう一度見直します。次回も楽しみです。👍👍
ホツマツタエは百人の学者がいれば、それぞれ違った見解を主張します。
ヲシテ文字をひらがなもしくはカタガナに変換し、五七調で分を形成していくようですが、
あという一文字、いという一文字に語彙があるのが日本言語の特徴です。
言葉というのは時代によって変化します。
正確な解釈は不可能ですが、ある程度の時の流れが理解でき、日本の創生が分かります。
とても素晴らしい文献だと思います。
母音と父音の相関で捉えることが大切だと思います。
ちなみにホツマツタヱ研究に百人の学者なぞ居ません。アカデミズムで奮闘されていらっしゃる方は数名です。現在では、まだ在野中心の研究ですね。
古代の各地にある痕跡と、神話の内容がリンクする箇所があると面白いですね。
ホツマの内容は知らなかったので、とてもありがたい対談です。
配信、有難うございます。
私の浅い知識では、ご説明が繋がらず、混乱中。
スサノオが出入り……?
…って、例えば、朝貢のようなことをされていた結果のこと?ホツマツタエは、
難解です〜
動画ありがとうございます。正直言って基本がわかってない部分もありましたので、混乱しましたが大変楽しく視聴しました。次回の動画も楽しみです。
記紀を学ばれていると、混乱しますが、ホツマの原文読むと、深く心にしみます。
歴史にほとんど興味のなかった自分ですが、引き込まれてしまっています。ありがとうございます。
日本人として最大の謎は、日本列島には様々な民族が移り住んできたと思われますが、その中で極めて争わない歴史があること。それは日本列島という自然環境が争わない精神性を育むのか、あるいはそういった精神性を持つ民族が列島に移り住んできたのか。
世界中でも際立って日本人は特殊性があり、それが古代から続いていることが奇跡的だと思います。縄文時代の精神性がよりはっきりわかると未来の日本人若しくは世界の人々にとっておおきな模範になり得るかもしれません。
世界平和にとって大きな鍵が日本人の遺伝子には刻まれていて、それを呼び起こすことが出来れば世界を平和に導くことが出来るような気が致します。
ご指摘、素直に首肯致します。縄文一万年の長きに渡りそもそも大きな争いのない列島であったが、徐々に権力が乱立する時代に至り、これを武力によって支配統治するに成功したのが(その名の通り)天武であり、比類なき戦略家であった不比等を従えて自己正当化のストーリーを漢字で残させたものが記紀であるのでしょう。原始列島の精神文化を伝えるカタカムナ、ヲシテ(ホツマツタエ)などをよく知り、その心を世界に広めていくことこそが、これからの日本人の真の役割だと思っております。
もう一つの古事記。ホツマツタヱ。日本史を別角度から見れるのが良くわかり、研究したい分野だと思いました。比較歴史にもってこいの文書ですね。令和の本居宣長が出てきそうですね。
高床式建物は縄文からですよ。4千年前にはあったとされています。富山県の桜町遺跡からホゾ穴の建材が出ています。木材は残りにくく、遺跡から出る事はほとんどありません。たった一つの遺跡の発見が、高床の発祥を2千年遡らせたのです。ですからもっと前からあったのかもしれませんね。
ただ、ホツマツタヱの「ムロヤ」は、高床式ではなく、竪穴住居ではないかと? 「穴に住まいて人ならず」の穴とは竪穴ではなく、洞穴を指しているのではないでしょうか。
おっしゃる通りです。
わっしの説明が舌足らずでした。ご指摘ありがとうございます。
高床式の構築物と竪穴式の住居と
用途の違いも含めて説明すべきでした。
それと
そもそも弥生時代という時代区分は
もはや不要なのでは無いかというのが
私の考えです。
水田耕作も灌漑も、集団社会性も
そして鉄器の使用さえ縄文時代の
発展の中で形成されてきており
戦後、洗脳しようとされてきたような
渡来勢力がもたらしたものでは無いからです。
う…ん、面白い話の流れ方。ホツマツタヱのほうが頭の中に映像が浮かびやすく聴いてて楽しい。ナニしろ富士山🗻が出てくるのが👍️
私のアタマの中がupdateされてませんでした。桜町遺跡、ウッドサークルも出ていますね。行ってみましょう。
茂木先生おはようございます!
次も楽しみ。秀真好きだなぁ縄文の優しさを感じます
勿来の話はさらっと流されましたね。くまさんからもっと聞きたかったよ
勉強になります😊
ホツマツタヱは学校で必修にしてほしいくらいです。
そうなるように自分でもがんばって勉強します。
平田篤胤の弟子で娘婿の平田鐵胤、その門人の一人に尾崎松太郎という者がおります。彼が村長であった東濃西白川周辺は平田国学の影響が強い苗木藩領、国内でも廃仏毀釈が徹底された地です。その嵐が止んだ1874年、松太郎の子として生まれたのが尾崎秀真、ホツマツタヱから取られた名でしょうから、当時の一部の平田派への影響が伺えます。
彼の子が日本共産党員であり日本ペンクラブ会長の尾崎秀樹、そして尾崎秀実です。
おおっ!そこに繋がりますか。
ホツマを伝世したとされる三尾氏は、彦坐王を祖とする血縁的・地縁的集団と近しい関係にあったので、その集団(もう一つの王族といえます)の歴史観が投影されていると推測します。そして記紀では語られていない、東国の歴史を含んでいるように感じました。
東国の歴史。たとえば山代の椿井大塚山古墳から出土した銅鏡は、東国の古墳からも同笵鏡がでていて、ヤマトタケル東征以前に東国に影響力もった謎の氏族が山代にいたことがわかっています。ホツマになにか手掛かりがあるかもしれません。わくわくしますね。これからホツマを読みたいと思います
大切な視点ですね!
なるほど!
さり気なく、阿波のことをお尋ねしていましたが、阿波に関して何か思うところがあるのでしょうか。阿波巡りの動画は拝見しましたが、いつか阿波について深堀りしていただければと思います。阿波には様々な痕跡があるので史実ではえがかれていない何らかのストーリーがあったのだと思うのですが、一方で、あまりにも揃いすぎていると考えてしまう自分もいます。完全妄想で構いませんので、いつか先生のお話を聞ければ幸いです。
阿波には阿波の建国神話があるので、それとの整合性を確認したかったのです。
@@maomao96363 各地に伝わる建国神話を、先生独自の視点でまとめた本を書いてくださることを希望します。そのための全国神社巡りと勝手に思い込み、これからも参拝動画を楽しみにしております。
AIで新たにホツマツタヱや宮下文書、記紀など学習させられないですか?共通点や新しい発見、誤差などか明らかになりそうですね。
富士山もさることながら、瀬織津姫と関与があるといわれる英彦山もかなり古そうですが。
英彦山は
私も大好きな山ですが、
ホツマツタヱ的には
ヤマトタケとのつながりが深いです♪
時系列とか混乱するけど、古すぎて面白い。
高床式は縄文時代ですね。三内丸山遺跡。
これは情報が多すぎて、記紀とほつまを比較して図表にしないと理解できない〜〜〜😭でも、めちゃめちゃ興味深い。
子供の頃、登った山中に神代文字の石柱が立ち寂れ朽た神社が有ったのを思い出し見ておりますと…
そこは滋賀高浜へ京都から抜ける街道、大原近くにある金毘羅山山頂にある三壷大神を祀る神社で三つの壷、火壷、雨壷、風壷が祀られ、途中の道にはほつまつたゑではないですが阿比留文字で天之御中主神と彫られた大きな石柱、現在は新しいのに変わってるそうですが誰が建てたのかは不明…や大国主之命、天御中主之命、魔王大神の御名が彫られた石碑など…何か関連があるのかも知れませんね🤔
なお、麓に金毘羅山山頂の神様を御鎮座願い創建された江文神社には倉稲魂神、級長津彦神、軻遇突智神が御祭神となっておりますが…🤔
日本には文字がなかったと言う定説を覆すのか、何が書かれているのか、ワクワクします。
ワクワクして下さい
『古事記』は
稗田阿礼さんの“口伝”を《漢》字 で書いた てコト?
↑ の前には
何百人 何千人の “あれいさん”が居たワケで
つまりは
やっと “書き残す手段”??が できるようになつたと言うコトなのかな
【ほつま】文字を(が)なぜ 使わなく(使われなく)なったのか?!?
次回 が 楽しみです
今晩は。時々何かが降りてくる不思議な子(お爺様)です。よろしくお願いいたします。
それはそれは太古のお話なので、主に口伝やら、伝承者の性格やら、アヒル草文字(骨が割れたような変な文字)などに置き換わった際に、擬人化されて行って、幾度も修正されて行って、古事記でもまたまた修正され・・・はたまた継体天皇の様な遠くの親戚を探してきて天皇を無事にお継ぎになられた・・・などが 遠く以前にもあったのでしょうと思われますネ。
物語としては 擬人化と現象が大分前後してしまうところがありますがそれもまた興味深い所があるようです。
雨トコタチから6代目で世継ぎが絶え田舎の親戚を訪ね歩き出雲アワキネの若者と松島タマキネの娘を夫婦として無事天皇家を継いだ話が史跡を訪ねてわかります。出雲と松島が大国(おおくに、國府、コフ)となっています。
富士山は、出来たのは今から13万年前とされていますので、神代にはまだ到底、存在しえません。
太陽の神様が生まれるお話なので。そして8年ほどかかってアマテル様が生まれたお話も面白くオジイサマが毎日頂上に上り朝日にお参りしたのも変な話ですが感動します。
おなかで大きくなっていく子供を8年間お参りしたのでしょう。そしてアマノコヤネおじさんが私は16年で生まれたというささやき(私だけ?)がまた面白い話です。途方もない長い長い年月なのでしょう。
アマテル様(天照大御神)がハラミ山、今の富士函南あたりに都を置き お家断絶が無いように東西南北にお后を置かれたのが感動的です。
のち、伊勢に移っていきますが、アマテルさんの話で、これでチヨミ草(永遠の長生きの薬草)が無くなってしまったこと、国譲りなどで八百万の神を、都(高天が原)から大国主出雲に移した事などから、緊急事態、富士山の噴火の始まりかと思われます。今でもポンペイのように昔の街がうずもれているかもしれません。
それから長い長い平和が続きますが
孫のニニキネさんが鹿島に預けられて稲作をし、九州のツクヨミを助けに幾千もの ほかけ船で米を届けるお話は口伝で昔懐かしいです。
漢字などで翻訳された際 また江戸時代の翻訳か?・・・江戸に運ばれて・・・などなどは 渡会さんが 後で直された様だとおっしゃっておられたようです。
モチコさんがお菓子を作って 餅。
スズメが竹の割れ目に米を運んだら 酒になった。
カモが流木に乗っていたのを見て、創った 鴨船。
など とても面白いですね。うる覚えですが。
では 又。楽しみです。
お二人はご親類でしょうか?とても相貌が似てらっしゃる。
茂木先生はイケメンですよ。とらさんは変なおっさん。
原田先生と茂木先生……って、
顔 似てるよね。☝😂w💨
顔、似てますよね、やはり
記紀を含め古史古伝を読むときは、御祖神たちは素直に「天」から来た、でええんじゃぁないか?と思います。ただし、こっち(=現実)にちゃんと戻ってこないとヤバい人になってしまいます。これは陰謀論とかを学ぶときと同じで、学ぶ間はそっちの頭になっている方が理解がしやすいが、ちゃんとこっち(=正論)に戻ってこないとヤバい人になってしまいます。 どちらも理解した上で日本としてはやっぱりこうなんじゃぁないか、ってのを纏めてくれるのが茂木先生の御本です。神話で読み解く超古代史的なやつ、期待してしまう。
「父音」初めてききます✨縄文叙事詩⛰️🌈年代的にはカタカムナ→ホツマ→古事記→日本書記みたいな感じでしょうか?Yに似た字もありますね。アルファベットも日本が源流だと言われる時代が来るかもですね🎉世界四大文明はそうだと言われる時代😅頭ついて行きたいです😊✨
カタカムナは
戦後の創作文学です。
日月神示も戦後ですが、
こちらは霊示であることが確実です。
興味深い話題ありがとうございました。「ほつま」文書が古いのだということが強調されすぎていた気がして、あまり興味がなかったのですが、本日の話は大変に興味深いです。天照大神が男神だと言い切られたあたりから身を入れて聞きました。日本書紀も古事記もだいたい同じようなグループの中での勝ち組負け組の主張を書いたものだろうという気はありました。仏教の人たちが勉強したということは修験道の世界で語り継がれてきたのですね。すいません、茂木先生のそこら辺の動画は拝見できていません。伝承を秘密の文字で書き残すというのは、「らしい」ですね。それは別として、今日の話が在ると、何で神武天皇が関西にすでに天降りた仲間がいて、それを証明できる品物をお持ちになっていたかの話も具体性を帯びてきました。そもそも、何で九州の片田舎に居られた神武天皇が奈良を目指したのかは不思議でした。それと、「鉄」の話が出ていませんでしたが、神武天皇の御代以前ですと、鉄の生産が権力の原泉だったと思います。朝鮮半島との関わりは主に製鉄関連だった印象があります。そこら辺はどうなのでしょうか。すいません、自身で調べればよいのでしょうが、残り少ない自分の時間は別の目的のために使っているので、教えて教えてになってしまいます。蛇足ですが、「天下る」という所は現実的に船に乗ってやって来たとかんがえるべきでしょう。すでによく知られていることですが、弥生時代には入れ墨文化がありましたが、それの在る地方と無い地方に明確に分かれています。入れ墨文化はポリネシアの方でもつい最近まで在ったもので、そもそもポリネシア人の故郷は台湾に在ると言うので、海洋文化というか台湾にいた人たちの文化であったようです。そこら辺の話が説明されると面白いですね。今はポリネシア関連のことに入れ込んでいるものですから。(追)天皇家は入れ墨なしの文化の流れにあられるようです。
鉄についてのご指摘ごもっともです。半島との交易を行なっていた日本海側にたたらなど製鉄の遺跡があるのは興味深いですね。入れ墨に関しては南洋ネシア諸地域と縄文人、アイヌなどとの繋がりを連想します。今の天皇家にとっては消し去りたい歴史ではないでしょうか?ホツマツタエ、カタカムナと同様に。
鉄器の存在ホツマツタヱでは、同時代として記述されています。
倭人が南朝鮮で、鉄鉱石掘り出しを現地の方々と行なっていたのは、時代がかなり下るお話ですね。
レイライン様、ありがとうございます。ただ、アイヌは元々大陸の内部にいたのが、他民族をいじめたせいで、モンゴルに追われて沿海地方に逃げてきて北海道に渡ってきたので、日本文化とは全く関係がないと思います。
@@torasan3776さま、ありがとうございます。5千年前に朝鮮半島に渡った縄文人は縄文人の中でも航海術に優れた民だったはずですから、当然本土との交易を行ったとおもいます。何しろ、黒潮も乗り切ってしまう人たちです。その場合、当時朝鮮からもってこれるものと言えば鉄鉱石、もしくは製鉄した鉄くらいしか無いでしょう。朝鮮半島は1万年前から5千年前までは無住であったのですから、もってこれるような特産品は他にないと思います。半島の縄文人は、他に交易の相手はいないので、日本からの物資が必要ですから、兎に角何か交易できるものを必死に探したと思います。黒曜石なんかは良いものは半島にはありません。日本人が現地の人と、という時代は縄文人が大陸人に侵略されて朝鮮人化してからの話ですから、ずっと後の話です。朝鮮人の祖先は縄文人であったという説は様々な証拠が在るようですから、議論の出発点とすべきだと思います。つまり、5千年前から半島との交易が有ったと言うことを前提とすべきだと思います。縄文文化を考えれば不思議でもなんでも無い話だと思います。
ホツマ頭混乱します。徐福はいないのですね。うーん。しばらく寝かせたら何かと繋がるかしら。
ホツマ辞典の付録系図の左端に徐福は出てきます。
徐福-------ソロリヨシタケ--ソロリヨスナ(ヒトボシ)
@@kodenjiki 様
ありがとうございます🥰ヒトボシ…ニギハヤヒ(ホアカリ)ではないのですね~ぐぬぬ。やっぱり高いけどホツマ辞典買ってみます。
勿来の関地元です!🙌
昔の人もファンタジーを作り出してたんじゃないかなって思いました。
ファンタジーをつくったり、隠す必要もボカす意味もあったのでしょうね。古代史に連なる神話の共通性を世界的にとらえると、ユングのいう集合無意識にも通じるところが奥深く、後世を生きる私たちが様々に歴史を読み解き思い描く喜びは尽きません。歴史すなわち今ここの連続であり、永遠の現在しかないところに果てなき魅力を感じます。
ファンタジー的要素も、確かにありますね。
要は、学ぶものが何を読み取るかが大切ですね。
ニニギのお兄さんといえば、ニギハヤヒ‼️
出雲口伝とどっかで繋がるのかな…と聞いているのですが💦
出雲口伝では事代主が職名でなく、スクナヒコが副王、主王が大国主。
まあ、どこかで逆に伝わる可能性がありますよね。
宮下文書とも繋がるのかな…
琵琶湖、といえば、正統竹内文書、何か繋がるものがありそうですね。
出雲口伝が一番説得力ある気もしますが。
出雲大社の元は
杵築神社です
出雲は、
明治に作られたと
思いますが❓️
ホツマは出雲を
どの様に書かれて
いるのですか❓️
教えて下さい🙏
また、
明治政府になり、
かなり歴史が
変えられてます。
地名で歴史を掘って
行くと見える物が
有ると思います🙏
宜しくお願いします🙏
杵築神社(今の神栖神社か)を建造したと思われるのは崇神天皇ではないかと、わたしや今村先生は考えています。その後、ある強力な勢力によって出雲大社は(あの強大な柱構造で)造られたのではないかなぁ。
出雲に関する記述は、ホツマには満載です。ご自身でお読みになると良いですよ。
全くの素人なので教えてほしいのですが、古事記は何故神代文字で書かれていないのでしょうか。日本書紀は、国外向けの歴史書なので漢字で書かれているのはわかるのですが、古事記は国内向けなので不思議です。どなたか教えてください。
秀真伝 序文「家々の文も其々変りある」熱田神世を辞む文「代々の文まちまちなれば」
三笠文 序文「されど上代、今の代と言葉違えば道離る。これ諸家の伝え文」
編纂された当時から『諸説あり』だったようです。疫病と大乱のせい?
そもそも”神”様とは 一体どうゆう方なのか? 単なる抽象名詞の”神”ではないはずです。
聖書の創世記の冒頭で「1 元始に神天地を創造たまへり」(文語訳)とあります。また
「26 なんぢら眼をあげて高をみよ たれか此等のものを創造せしやをおもへ 主は數をしらべてその萬象をひきいだしおのおのの名をよびたまふ 主のいきほひ大なり その力のつよきがゆゑに一も缺ることなし」(イザヤ40:26(文語訳))
「28 汝しらざるか聞ざるかヱホバはとこしへの神地のはての創造者にして倦たまふことなく また疲れたまふことなく その聰明こと測りがたし」(〃40:28(文語訳))
そして日本はかつて ヤマト神国 とも言われていました。ヤマトはヘブル語で ヤ(ハ)マト つまりヤハ(エホバ)の民 という意味のようです。また イザヤ43:17(文語訳),歴代第一12:23(文語訳),エステル1:3(文語訳)には”武士(もののふ)”なる語も出てきます。また イザナギ イザナミはこのイザヤから来ていると思われます。
「6 わたしたちには父なるただひとりの神がおられ,この方からすべてのものが出ており,わたしたちはこの方のためにあるのです。また,ひとりの主,イエス・キリストがおられ,この方を通してすべてのものがあり,わたしたちもこの方を通してあるのです。」(コリント第一8:6)
そうです 日本人のルーツが途中で途切れているように見えても アダムとエバの子孫であることに疑問の余地はありません。
あちこちに、那珂川がありまして、茨城県の那珂川の上流には、上伊勢畑、下伊勢畑、天照皇大神宮があります。途中には阿波山もあります。
お疲れさまです。
神代文字をスーパーコンピューターに掛ければ、
現代の標準語に変換できそうなきがします。
そもそも中国語の漢字で書かれた古文書は
削除や誇張された可能性が多いような?
575
で記述されたところが
改竄の魔の手を逃れたポイントだと思います。
ですが、ホツマツタヱも
史書故に
取捨選択があることは確実です。
かなり大っぴらですが、あえてスルーされた史実もあるでしょう。
10:00 「オオナムチが言うこときかないのを釣りをして諌めた人がいました。それがクシヒコ」
↑
すみません、主語が何にかかっているのか....理解できませんでした😭
大国主がクシヒコで、言うこときかないのはオオナムチ?釣りをしたのはクシヒコ?クシヒコがオオナムチを諌めたのですか?
事代主vsタケミカヅチの話とは関係ないところでしょうか?
ストーリー自体が違うとは思いますが、記紀との、登場人物の対照表を見たいです。
出雲大神宮が京都府亀岡市にありますが、歴史的には大きな関連がありませんか?
丹波=出雲説。
杵築と出雲の地名をよく勘案する必要があります。
亀岡あたりは、やはりかつての出雲(古出雲)であったと思います。
クシヒコさんで混乱🌀
クシヒコさんがオオクニヌシ.オオクニタマで大神神社に祀られているなら事白主がご祭神?クシキネさんではない?…😅
ここ
ややこしいところなんです。
初代大物主がオホナムチ、二代目クシヒコ、三代目コモリ、四代目カンタチ、五代目フキネ、六代目クシミカタマ…
初代事代主がクシヒコ・・・・・・しばらく不在・・・・・ツミハ(八重事代主)
大物主は世襲で受け継ぐ役職で、事代主もそのようですが、ホツマでは二人しか出てきません。
ざっと、このような歴史になります。
@@tassy_hozma たっしーさん
補足のご案内、ありがとうございます。
@@torasan3776
原田先生、横から口出し失礼しました🙇🏻
大物主、大国主、事代主の関係を説明するのは、本当に難しいですから🥹💦
たっしーさん
どんどん横からご発言くださいね♪
RUclipsも宣伝して下さい。貴重な情報源です。応援しています♪
田中英道先生は、茨城県鹿嶋市に「高天原」という地名が残っていること、旅行に出発することを意味する「鹿島立ち」という表現、九州の鹿児島が、鹿島の子供という意味にも解釈できるので、天孫降臨とは茨城県鹿嶋周辺の人々が、「鹿島立ち」して鹿児島へ向かったこと、というような説を語っていたのを思い出しました。
以前から縄文人の存在感を確り日本人の源流として感じたい知りたいと思って居ました渡来系民族の日本への流入に翻弄されながら渡来系と混血しながら歴史の中に埋もれて言ったとはどうしても思いたく無かった自分がいましたホツマツタヱの様に縄文文化の中に渡来系民族が融和しながら今日の日本人を作り出した決めてが欲しかったのでこの様な実にわかりやすくしていただいた話を聞く機会が有って良かったと思います記紀プラスホツマツタヱで今迄の謎だった空白のパズルが埋まって行くような気さえします阿波の立ち位置やニニギの兄のニニキネはニギハヤヒ?スサノウの系譜〜役職名〜大神神社の大物主の意味〜東北な北上川地域の統治など縄文時代に繋がる九州の一部を除いた日本列島ネットワークが朧げながら見えて来ますね〜記紀で何らかの理由で書かれ無かった空白の部分を繋ぎ合わせるのにホツマツタヱは必須ではないでしょうか?
ホツマツタエが必須とのご指摘は正しいでしょうね。記紀はたしかに重要な記録ですが、その名の如く武力によって天下を治めた天武天皇が、比類なき戦略家であった藤原不比等を従えて、後世に残した自己正当化のストーリーである面は否めません。天皇家に連なる家系や王朝により弾圧抹殺された他の有力者や先住民たち(カタカムナ、ヲシテ、フトマニなどの神代文字文化を醸成した人々)こそが縄文の主役であったと考えるのも自然な連想かと思います。
ニニキネの兄は
ホノアカリさんです。
ホツマツタヱの記述では、お兄さんには世継ぎ子が無かったので、ニニキネの孫が養子入りされました。
その方がニギハヤヒです。
ワカヒルメと成ってるので史実とは中々不特定な物です今後もどう変わるかわかりませんので中庸性を持って見て行く必要がありますね〜?
天照大御神と素戔嗚尊がうけいを行って授かった御子が天忍穂耳命と栲幡千千姫の御子がクシタマホノアカリとニニキネですね!ホツマツタエでは天照大御神と瀬織津姫の御子がオシホヰで産まれたどん詰まりの御子がおしほみの御子でその後の記実はほぼ同じですね~ホツマツタエでは流離刑になった素戔嗚尊が、うけいを立てたのは幼少期の素戔嗚尊のイザナミ亡き後の母親代わりのワカヒルメ様と成ってるので史実とは不特定中物です今後もどう変わるかわかりませんので中庸性を持って見て行く必要がありますね〜!
アメノホノアカリは別名は神饒速日命とか天照御魂神等があります
外宮には伊邪那美様のお父上がお祀りされているのですか‼だから 外宮の千木は外削りで鰹木奇数の男神様式 だったのですね!
厳格なルールはないようです。内宮もアマテルなら外削ぎになるはずですよね。
あっそういえば!!アマテルで考えるならそうですよね。ご指摘ありがとうございます!!それはそうと先生、滝行の直後の目がとっても輝いてて少年のよう😊こちらも気分爽快になれました。小田原にある役小角さまゆかりのお寺でこの5年ほど、私も滝行させて頂いております。魂レベルで洗い清められるような感覚ですよね。@@maomao96363
タカマ→高島市
ホツマツタヱ、すごいですね。原田先生は、アマテルと呼ばれていました。
アマテル 自動詞 主祭神 男神
アマテラス 他動詞 巫女
と感じられます。
饒速日が、アマテルクニテル・・・・なので、彼もアマテルでしょうか。そうすると、アマテルは、地位か職名のように感じられます。
天孫降臨ということでは、ホアカリが大和に派遣されて、ニニキネが九州に派遣されていますね
ホツマツタヱでは
ニニキネは
つくしには派遣はされていません。
ただ奥津城として
高千穂の地を選ばれたました。
世継ぎのホオデミは
つくしとの縁が深く
孫のウガヤフキアワセズもつくしとの結びつきが濃いですね。
ホツマツタエに徐福の事は書かれていないのですが、イザナギとイザナミの仲人をしようとした速玉王という人がそうじゃないかという説があります。なので、アマテルは紀元前207年頃の生まれだと思われます。
同時は海の果てが宇宙だと捉えてる
古事記とほつま、どちらが先でしょうか。神代文字で書かれているから、ほつまが先とは言えないのではないでしょうか。京都では漢字が使われていても、地方では、とくに神社の神主やその周辺の人々は、伝統を重んじて神代文字を使っていた。日本全国に神社を中心として、いろいろな口伝があったと考えるのが正しいのではないでしょうか。エジプトの神々を調べると、とても興味深い神話形成が見られます。エジプトを中心にして、周辺国で信仰されていた神々が取り入れられています。シリア生まれの神さまがアスタルテ女神、アーンティト女神、ケデシュ女神になったりしています。そして最近の発掘では、シリア出身の女官が高い地位にいたこともわかっています。古事記が編纂されて時期に、エジプトと同じような出来事が起きたというのは、容易に想像できることです。古事記は京都周辺の口伝を集めて編集したのではなく、日本列島の広い地域から古代から継承されてきた伝承を集めて、再編成した神話ではないかと。だからこそ、あれほどまでに多くの神さまが登場し、統一性のない物語が語られ、最後は皇室へと繋がってゆく。忘れてならないのは、日本の神さまは日本列島で生まれたとは限らないこと。秦氏もそうですが、人は新しい移住地を求めて旅をするとき、神さまも一緒に連れて旅します。ザビエルもそうですね。宣教師という役割を担っていましたが、それ以前にも、仏教の僧侶や、景教の信仰者や、ゾロアスターの神官、他にも多くの宗教家が渡ってきたことでしょう。そうした人々は頑なに自分たちの信仰を守り続け、神社という形式で信仰を継承することを朝廷が許すようになると、それぞれの宗教を神社形式の中に収めて信仰するようになったのでしょう。しかし信仰する対象の神さまは、口伝によって父から子へ、母から娘へと伝承されました。それらの伝承文学を集めて、編纂したのが古事記です。古事記の記述に、どうしても納得のいかない人々が神代文字で書き残して後世に伝えようとしたのかもしれませんし、あるいは古事記が編纂される以前に、神代文字を使って文献として編纂される事業が、地方豪族のもとで行われたのかもしれません。そういう意味では、古事記はより多くの人々が納得できる形に編纂された神話。いわゆる神話の一般化です。
滋賀郡には景行天皇の高穴穂宮がありました。后や女官によって語られていた古事記のような伝承が、天皇の異母兄弟からつづく三尾氏(高島郡)にひきつがれ、記紀編纂と同じような時期にあるいはそれ以降に、神代文字によってまとめられたと考えるとどうしょう? 漢字は仏教の文字であるため、神社などではあえて神代文字をつかった、とも考えられるのではないでしょうか。
系譜について、当時は腕っぷしで取り上げたり乗っ取りが横行したという事なので、何処から何処までが信用できる範囲であるかをよく吟味しないと、事実から離れてしまう。ある意味、嗅覚ですよね。自分が簒奪者になった気持ちで資料に当たる必要があると思いますよ。
その意味では、さすらうだけではなく、一族の伝承を聞きに行くのも有効だと思いますよ。関係無い人に聞いても仕方がない。そう言う点も、資料と照合して資料を評価しないといけませんよ。
先ずは、平民の苗字を分析する事から始めた方がいいでしょう。私は教えてもらえなかったけど、名前を聞いただけで大体分かる様ですよ。まあ、トノクニサツチからクニトコタチ神に繋がる伝承や、天照系への御代がわりのニュアンスを得ることができたのは、私の幸運だったと思いますが。
ヲシテ文献のホツマツタエを知らない人はオオクニヌシとは誰かってわかりにくいですよね
オオクニヌシの名前を貰った人は存在しません。
オオクニヌシの名前に似た称え名を貰ったのが、オオナムチの息子のコトシロヌシさんで、誤解されてオオナムチの事をオオクニヌシと今では呼ばれているという事で、単純にオオナムチが名前をオオクニヌシと間違われて呼ばれているだけです。オオクニヌシのエピソードは、丸々オオナムチのエピソードです。とはいえ、八人の兄貴にいじめられたり、殺されたりはしてません。ソサノヲから火つけらりたり、逃げ出したりもしてません。それとソサノヲの子孫ではなく、息子です、オオナムチはイヅモを朝廷に返却して、青森県な津軽に移住しました、この時にコトシロヌシさんは、父親のオオナムチを諌めていて、朝廷の尊さを説いて説教していた事を認められて、父親が取られたオオモノヌシの役職をついで日本の武官のトップ右大臣の事である、二代目オオモノヌシの役職を与えられて、イヅモから離れて朝廷で仕事する事になりました、これ以降は子孫が代々オオモノヌシの役職を受け継いでいきました。父親のオオナムチは、あんな事件があったのに腐らずに津軽の発展に尽力した事が認められて、途中からカルノキミという称え名で呼ばれて、朝廷の長老格の一人として、神武天皇が生まれた時に、ソサノヲから受け継いだアメノムラクモを神武天皇にプレゼントして、神武天皇こそが正当な皇室の担い手である、跡継ぎであると一票投じています。その証拠にヤマトタケさんかアメノムラクモを津軽の豪族に見せたら、先祖から聞いてます、神武天皇とその子孫が正当な皇室の跡継ぎですと、鉾を収めました。オオナムチは間違って、息子が貰った称え名に似た
架空の名前オオクニヌシと今は呼ばれているという事です。
はじめてのホツマツタヱを読んでますが、日高見(東北)が起源のような印象です。
自分も読んでいますが、東北ではなく、琵琶湖でもなく、富士周辺と思っています。
殘念ですが、神代文字や記紀以前の古代文字を扱つた文獻は略、德川治世以降に編纂された僞書と云つて閒違ひ在りません。先ず、古代文字の中に「ん」と云ふ文字が含まれてゐる事自體が有り得勿い事なのです。縄文人は其の會話の中で日常的に「ん」を發音はしていましたが、言葉の音韻としては全く意識されてゐませんでした。其の起源が縄文時代にまで遡る萬葉集、中でも枕詞には「ん」と云ふ音韻は存在しません。撥音や促音が音韻として意識されるのは大陸から漢字が流入してから。假名として文字化するのは平安時代に爲つてからです。縄文時代に譬へ文字が存在してゐたとしても、其の中に音韻としては存在し勿い、認識されてゐ勿い文字が混在するのは整合性を缺いてゐます。更には、縄文人の發してゐた縄文語は今の現代假名遣ひの五十音を約二十越える音韻を持つてゐました。其れに關しては福田恆存氏の名著「私の國語敎室」に詳しいので參照して頂きたいのですが、神代文字は奈良時代から平安時代に懸けて衰退して終つた、縄文語の源流で在り、縄文語を語る上でイロハのイで在る「上代特殊假名遣ひ」にすら對應してゐません。古代文字と呼ばれる物の殆どは、明治政府の敎育制度に因つて規定(限定)された五十音圖の音節表に卽しており、ややもすれば明治開闢以後に僞造された物で、日本の學界が神代文字を認め勿いのは、明白な學術的根據が在るからです。
私も本居宣長先生の「學びとは獨學で在る。」と云ふ御言葉を澪標に日日研鑽に勉めている躰では在るのですが、此の神代文字を日本文化の源泉として正統化する事に關しては、健全な檢證主義と批判精神を缺いた、素人の獨學、其の悪弊に因る暴走と云はざるを得ません。白川靜氏の著書「後期萬葉集論」には、太安万侶が古事記を真名(漢字)に因つて日本語化するのに苦心した樣に、萬葉集も真名を如何に和歌と融合させるかで、佰年以上の試行錯誤を繰り返した事が記されてゐます。日本に漢字流入以前から流通する文字言語が元元存在したのなら、此の樣な苦勞は勿かつた筈です。若し、記紀以前の文字の存在を研究したいので在れば、先ず、古事記、萬葉集の原文を読破し、大和言葉と真名(漢字)との格鬭の曆史を學んでからでも遅くは勿いと思ひます。學問の道は幾ら遠回りをしても、し過ぎる事は在りませんし、少なくとも其處には神代文字の付け入る餘地も在りません。
私は記紀以前の曆史に考古學や文獻に因って新發見が在り、記紀の内容が全面的に覆つたとしても、日本国民の平和と幸せの爲に、日日祭祀の勤めに勵まれてゐる天皇陛下と皇室の權威に傷が付くとは微塵も思ひません。記紀に記された曆史をタブー視する事勿く研究に勤める事は日本の爲で在り、皇室の爲でも在ると思つてゐます。現に天皇陛下は、去る第四回亞細亞太平洋水サミットで記念講演を行われ、記紀以前の日本の信仰と文化、部族に關して詳細に言及されてゐました。天皇陛下自ら、記紀以前の曆史を皇國史觀に囚はれず、分け隔て勿く學ばれておられるのです。だからこそ、曖昧な推論と妄想で容易く齒止めの效か勿く爲る考古学は、慎重で勿ければ爲りません。
僞書の伏魔殿とも呼ばれる古史古傳は蔴藥の様な物です。オウム真理教の松本智津夫は古史古傳の中で最も有名な僞書「竹内文書」を敎義に盛り込み、吉本隆明、中澤新一、島田裕巳、ビートたけし、と云つた數多くの似非知識人、文化人タレントを欺き、手玉に取りました。僞書には魔性の魅力が在り、其の存在を求める人人の心にいとも容易くバイアスを懸けて終ふ事を、是非御畱意頂きたく存じます。
乍恐、己の恥ぢの上塗りとは重重承知の上で、弱輩者の突然の亂筆。誠に御見苦しい限りでは在りますが、後學の壹助に爲れば幸ひです。
ご教示、感謝です。批判精神を忘れた盲信は、人々を惑わす。おっしゃる通りです。
典型的な偽書説を開陳頂きありがとうございます。
ヤマトに天下ってたニニキネさんのお兄さんってニギハヤヒですか?
ホノアカリ・テルヒコ様です(^^)
ニキハヤヒは、ニニキネ様の長男ムメヒト様の息子、クニテル様です。
ヤマトに入られた時に、ニキハヤヒの称え名を贈られました♪
@@tassy_hozma 天孫降臨のクニテルさんとイワレヒコさんは従兄弟なんですね、ありがとうございます!
@@田中健三-x5p
ニニキネ様の息子は三人、長男ムメヒト様の息子がクニテル様。そして三男ウツキネ様の息子がウカヤフキアワセス様…このお二人が従兄弟ということになります。
イハワレヒコ様は、ウカヤ様の末の息子ですから、一世代後になりますね☺️
@@tassy_hozma 仲の良い一族だったらいとこの息子にヤマト譲っちゃうかも、ほつま伝にはそんなに詳しく書いてあるんですね、ありがとうございます!
ホツマツタエにはオオクニヌシ、出て来ないのですかー( ゚ェ゚)オオモノヌシ=オオクニヌシ説はここからきているのかしら?むむぅ謎は深まった。
大物主が
「私は貴方の幸御魂・櫛御魂です」と大国主に言ったって話ありませんでしたっけ?
@@noel8446 日本書紀はそうですね。古事記には書いてないのが謎なのです(´- `*)
よくできた偽書ではないですか🎉
大己貴神社と書きます
ヲシテ文献ホツマツタエには、天孫降臨は書いていません。初代アマカミのクニトコタチさんは第25代アメノミナカヌシでもあるんですが、最初から人間の歴史として書かれています、天孫降臨など無かったので、天孫降臨は当然書かれていません。クニトコタチさんが作り方を教えたのは、栗の木栽培と竪穴式住居でこと時から縄文時代が始まりました。1万年以上前の話ですよ、縄文時代の天皇陛下は全て2代目のアマカミ、クニサツチとして全員1万年分統合されています、なぜなら歴史が動かなかったからです、稲作の試験栽培が始まったトヨクンヌさんから三代目アマカミとしてカウントされます。
クニサツチは、長男のエノミコトの子孫と、次男のトノミコトの子孫が交代で天皇陛下をやっていました、トノミコトの子孫がトヨクンヌさんで、猿田彦大神がエノミコトの子孫です。クマソもエミシも外国勢力ではなく、稲作の研究をして、作り方の指導をして全国を豊かにした天皇陛下に逆らう者は、アメノタミの資格を剥奪された、元日本人の事です、許されて日本人に復帰した者達もいます。土蜘蛛もその通りです、外国勢力ではありません
外宮。
ソトの宮。
と読んだらその神様の素性が露になります?
ソト。素兎(ソト)神。
月に住むと言う兎。
月兎。
に因み、元々(素)は兎族と号した
宇佐(兎佐)族。
彼らが信奉したのが
月の女神、月読尊。
月読尊を奉祀した神宮が
宇(兎)佐神宮。
(二ノ御殿)
月読尊
=豊受大神
(丹波の海部氏(徐福の子孫)が政変(神武東征神話の闇)で大和から逃避してきた
豊国宇佐王家軍と
月読尊の姫巫女で
親魏倭王宇佐豊日女命(女王トヨ)が
丹波で月読尊を布教した際、
月読尊を豊受大神と呼んだ(豊国(宇佐族)の神(月読尊)を受け入れた)のが端緒)
(=、八幡大神
(宇佐神宮の月読尊の神前に全軍が集結して
華々しく東征への出陣式を挙行した際に
魏の黄色幡が
八幡はためいた(魏の傘下に有った(属国化していた))のに由来)、
稚日女神、
(↑大和入りした宇佐軍と姫巫女の豊媛命が大和で月読尊の信仰を檜原神社を建立して布教。
すると、大和の出雲族らが稚日女神などと尊称した。
)
天ウズ女神、
丹生都媛大神
(丹生を支配する神。宇佐神宮や八幡宮が真っ赤な理由))
ホツマツタエは良く分かりませんが偽書と思われますね?琵琶湖の高島市は高島屋発祥の地ですので何らかの権力集団がいたのでしょうが?そちらの作文に思われます。
古事記は阿波の渡来系⁉︎
ホツマツタエは縄文の伝聞⁉︎
イザヤ書の内容に酷似しているようにも思えます。直接イザヤ書を読む語学力がないので和訳解釈されてあるものを見ただけですが。
記紀には、聖書系の(というか景教影響)がスパイスとして振りかけられていると思います。
@@torasan3776 なるほど。。。
ヒトの書いたものですし、ソレにも原書みたいなものとか引用とかもあるでしょうし、現代より遥かに情報不足感はいなめませんね。書いた人に聞いてみたいですw
お兄さん?
笑える。遠い親戚のおっさんです。
やっぱね 納 得
これもう観ました?お好きだと思います。視聴済みでしたらすみません
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