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普通急行が無くなり、特別急行ばかりになった今、普通急行が運行されたら特別な急行になる皮肉
急行は田舎と田舎を結ぶ貴重な存在だった。周遊券で乗れたし、越前・能登・立山・ゆのくに・よねやま・きそ…懐かしいなぁ。
急行列車が廃止されるケースとしては大抵の場合特急格上げもしくは快速格下げが多いです。
急行きたぐにも、午前3時頃に富山駅を通過したので遅くまで富山で飲んでいても大丈夫で、華金とかは高岡や金沢方面に酔っ払ったサラリーマンがたくさん乗車していたのを思い出しました笑
@@マニアックとやま きたぐにには1997年に大阪から直江津まで乗りました。自由席に。その度きりでしたね。😢
急行列車、各地の周遊券があれば、自由席はそのまま乗れて便利でしたよね。個人的には、大阪から大社まで走っていた、夜行の急行「だいせん」に悪友と乗ったのが良い思い出です。
昔の上野駅は特急&急行列車の宝庫だったのに…
ただ、隣接する京成上野駅には4種類の特急が来る!(スカイライナー・モーニングライナー・イブニングライナー・通勤車両)急行は2002年に快速に置き換わって廃止された...
JRになる頃には長距離はあさまとひたちくらいしか残ってなかったけどねあとはあいづつばさや白山が細々と乗り入れていた程度
特急はつかり(上野〜青森)みちのく(上野〜青森、常磐線経由)やまびこ(上野〜盛岡)ひばり(上野〜仙台)ひたち(上野〜仙台など、常磐線経由)つばさ(上野〜秋田)やまばと(上野〜山形)あいづ(上野〜喜多方)いなほ(上野〜青森など、羽越線経由)とき(上野〜新潟)はくたか(上野〜金沢、長岡経由)あさま(上野〜長野)白山(上野〜金沢、長野経由)白根(上野〜長野原など)急行いわて(上野〜盛岡)もりおか(上野〜盛岡、常磐線経由)まつしま(上野〜仙台)ときわ(上野〜仙台など、常磐線経由)おが(上野〜秋田)ざおう(上野〜山形)あづま(上野〜福島)ばんだい(上野〜喜多方など)いいで(上野〜新潟、磐越西線経由)つくばね(上野〜水戸、水戸線経由)なすの(上野〜黒磯)日光(上野〜日光)わたらせ(上野〜高崎、両毛線経由)佐渡(上野〜新潟)よねやま(上野〜直江津、長岡経由)妙高(上野〜直江津、長野経由)信州(上野〜長野)伊香保(上野〜長野原など)ゆけむり(上野〜水上)あかぎ(上野〜前橋など)昭和55年時点だと昼行だけでこんなに…
@@user-cg5ti3gf3d 大体廃止か新幹線化ですよね
@@user-cg5ti3gf3d本当に多いですね父もJR東北本線(現IGRいわて銀河鉄道、青い森鉄道)の「はつかり」なら乗ったことあります。新幹線開業後なので盛岡〜青森に短縮された後だけど…
私も急行つやまに乗りました。津山線の同じ区間を走る快速ことぶきと所要時間全く変わりなく、停車駅もほぼ同じ、使用車両も同じで何のための急行列車なのかわからず不満でした。一年後快速ことぶきに吸収されました。JR最後の昼間の急行列車でした。もう一つ最後まで残ったのが青森と札幌を結んだ夜行急行列車はまなす号はB寝台、グリーン車、普通車などを連結した素晴らしい夜行列車でした。私も乗りました。
急行「つやま」の前身である急行「砂丘」は国鉄分割民営化以降唯一本数が増発された急行だった。
魔理沙さん、霊夢さん、こんばんは!急行がなくなった最大の要因は利用者が短区間でも急行ではなくて特急に乗るようになったことが最大の要因だと思います、例えば信越本線上田から長野まで特急あさまに乗るような利用者が多くいて直後にでる急行とがくしはガラガラだった特急鉄道ジャーナル誌でルポされていました。この考えが当時の国鉄は急行を特急に格上げした結果少ししか違わなかったら飛行機にするか!なんてしっぺ返しを食らってしまったのではないか?わずか5分や10分違うだけでこうなのですから長距離が飛行機に転移するのは当たり前です。言いたいのは利用者が自分で自分の首を締めてしまったのも大きな原因では?
大昔、急行砂丘号なんて山陰本線に乗り入れると快速として使われていました。山陰本線の快速は砂丘と同じキハ58系だからそうせざるを得なかったんでしょう。(あれで急行料金取られたら暴動ものです。)夜行のだいせんはまだ寝台車をつなげていたので座席が12系客車でも仕方ないかなと思いましたけど。砂丘はね。
まぁ、その12系も物申されまして、リクライニングシートに改装されていました。しかし、自由席で増結になるクルマは結構な頻度でボックスシートのオハ12が連結されてましたねぇ。
国鉄時代は急行停車駅というのがステイタスでした。特急は幹線の遠距離速達便であり、よほどの用事が無いと乗らなかったし、停車駅はごく限られていました。急行は料金も比較的安く、利用しやすい列車でした。また準急もあって、昭和40年代は区間100km以内の運転に限られました。それより長い距離は急行の出番。だから急行と準急の特別料金は100km迄なら同じでした。今でも急行や準急の名前は私鉄では根強いですね。区間急行とか快速急行とか直通特急なんてのもあって、私鉄はバラエティに富みます。
かくして、優等列車は特別でも何でもない「特別急行」だらけになってしまったというわけですか。ところで、東海道新幹線の英語アナウンスで、"This is the NOZOMI Super Express bound for Tokyo."などと言っているが、日本語の列車種別で「超特急」とはならないんでしたっけ。これもなんか不思議な感じですね。
はまなす、懐かしい…大学生の頃に鹿児島から親戚のいる根室まで列車で行った際に、特急白鳥で青森に着いた後に乗ったはまなすのB寝台で横になれた安心感は今だに忘れられない思い出です。
僕がチビの頃、周遊券がもてはやされ急行列車は乗り放題だったなぁ。母方の田舎が九州だったので、帰省ついでに親父にあちこち付いて行ったな。「くまがわ」「えびの」「火の山」全部キハ58やったな…。でも冷房もよく効いていて出入口にデッキがあって紙コップで飲める冷水器もあったな。懐かしいな…
大阪生まれ、長野県住まいだったけど「大阪しなの」と客車列車時代の「ちくま」は毎年お世話になったなぁ…😢
JR北海道の特急すずらんも実質的にかつての準急、今だと快速レベル。
私鉄では「特急」があるものの、「急行」の種別が無い鉄道会社がありますね。それは、山陽電車がそうです。あと、京成はおろか相鉄も「急行」が無くなりました。
急行はまなす懐かしい俺が初めて北海道行った時に乗った列車で、20回くらいお世話になった北海道&東日本パスを使う時に唯一乗れる優等列車だったからなあれが廃止されて以降、函館までのアクセスの悪さと長万部周辺の接続の悪さから北海道行く時は飛行機一択になってしまったJRに急行列車があるって知った時は理解不能すぎて驚きましたね急行券という言葉が存在するのがもう...特急でええやんって思ってた案の定中途半端な存在になって廃止されていったんだね
JR急行が絶滅した最大の要因の、「国民の意識が変わって、ボックスシートが敬遠されるようになった」が抜けてますよ。
敬遠というより、料金に見合わないのかと。近距離の旅行者にとっては今でもボックスシートは重宝ですぜ。
確かにそうですね。急行は最低でも転換クロスシート、できればリクライニングしない回転クロスシートとしていれば違っていたのは間違いないと思います。
それが正ならツアーバスが流行りません単純にコスト負けしてるだけ
急行「能登」489系時代は下りは高崎までホームライナー代わりに通勤客が利用、冬のスキーシーズンはシュプール号代わりにスキー客の利用と、富山~金沢~福井は朝の通勤客が通勤ライナー代わりに利用客がいたので、マルチな面がありましたね
急行はまなすはぶっちゃけまだ廃止すべきではなかったと思う。
急行列車は、急行えびのと急行くまがわが好きでした。青いキハ58・65系かっこいい。KATOが製品化していた。あとでマイクロエースも製品化していましたね。10年以上前に両方とも購入しました。寝台急行銀河も懐かしい。
三戸岡カラーのキハ58…
歴史のある私鉄の社名に「××急行」というのが多数ありますが、近年は「××高速鉄道」が主流ですよね。これも歴史なのでしょうか
急行電車は私鉄は通勤列車のような感覚
今時、JR以外に急行料金を徴収するところなんてないと思いこんでて、大井川鉄道で、急行に乗ろうと意気揚々とホームに向かってったら、SL牽引のイベント列車で、慌てて急行券を買いに、改札に戻った。
秩父鉄道の有料急行列車『秩父路』(休日ダイヤ)は、SLパレオエクスプレスを途中で追い越せる重要な列車。
大昔幼少の頃、門司港から急行かいもんに乗って西鹿児島(現在の中央駅)まで三段寝台で行ったのが善き思い出。
自分は東海道本線を走っていた急行東海とごてんば号が印象に残っていますし、何回か利用した事が有りますね。
急行ときわで爺様ん家に毎年盆と正月行ってたわときわかひたち。昔はダイヤを調べて出発 なんて概念無かったから。早起きしておかんと上野まで行って 一番近い時間の列車に乗る てだけの乗り方。でもときわも味わいがあって子供の自分には楽しかったよ。
うぽつですあこがれのロンドン急行〜♬ブルーの色に白帯かけて山を越え 丘を越え…なんか友達以上恋人未満の関係を続けた挙句、自然消滅したような感じですね私鉄だと急行って主要駅しか止まらない電車ってイメージですけど、それだとJRなら特別快速みたいになるのかな?
私が子供の頃走ったのが、だいせん、さんべ、石見、ちどりでした。
国鉄時代、地方じゃ停車駅は急行だが、普通列車と同じ車両使いながらも急行料金とる列車もあったな…
昭和後期には、新潟ー長野間は急行「赤倉」・急行「とがくし」で1本で行けた。今じゃ新幹線を使って高額な運賃を払うか、信越本線・えちごトキめき鉄道・しなの鉄道を乗り継いで長時間かかるか不便になった。
北陸新幹線長野方はしらゆきと接続取ってないから信越間移動には使えないで素直に高速バス使った方がいい
@puriamious 高速バスって全席指定だから事前に席を取りますよね。突然の旅行は基本自由席ですから。
@@将棋仮面 飛び乗りでも空席あれば乗れるけどというよりその理論が正しいなら特急列車が高速バスに負け続けることはないはずでは?ここにしてもその高速バスに負けて直通特急列車無くなったんだし
現状として北海道以外は急行が特急を名乗ってる状態。設備はリクライニングシートと空調完備だが現代ではその水準が当然だし、食堂車や車販すらもケチってやらないのだから、単に専用車両で早く到着できるだけの現状は昔ながらの「急行」そのもの。特急の最後の牙城とも言えるJR北海道も財政難が原因で車販が消えて所要時間が数十分増えて久しく、特急の体裁を保てるか危うい。
当然の水準が上がったから急行が特急に吸収されたと考えることもできますね
@@reokasai3540 うーん、国鉄の急行は普及するにつれ全車が冷房化され、客車時代の花形特急つばめ普通車より高い設備水準となっていたのですが、それでも急行だったのですよ。そういう歴史的経緯を考慮すると当然の水準が上がったから特急に格上げは説明が成立できてないと考えます
@@se.v4809 とはいえ特急と快速の隙間がだいぶ小さいですけどどんな設備にしましょうか?
特急料金と違って急行料金は障害者割引で半額になるみたいですね可部線の三段峡へ行く際に広島で急行みよしを見ましたが普通のボックス席で優先席まであったので本当に別料金が必要な列車なのかと思いました
11:58昔福岡県南部辺りをよく利用してた自分としては電車特急をエル特急と呼ぶのかと思ってた「ゆふ」とか気動車特急は自動放送で単に「特急」と言ってたからけど調べたら「かいおう」などは電車特急だけどエル特急指定されてなかったんだな…
北近畿エリアを運行していた、急行丹後は運転経路がやたら複雑な急行だった。
あの手の列車は、70年代、ごっそりありました
秩父路初めて乗った時は利用客もそこそこで1ボックスに1人ゆったり座れる状態だった。普通と比べてかなり車内は快適で、それなりにスピード出して、駅も飛ばすから凄いお得感はあるけど減便もしてるみたいだし...関東で唯一乗れる有料急行も時間の問題かもしれない...
東武は急行りょうもうが特急に格上げになり通勤車の急行を半蔵門線直通を機に新設
東武では日比直が「普通」、半直が「急行」又は「準急」の棲み分けがなされてますね。
国鉄の種別を語る上で準急は欠かせないので次の解説は準急列車で決まりですね
在来線である津軽海峡線が廃止されてしまったから、はまなすも廃止せざるを得なかった…
急行の響き知ってるのは昭和世代だからだいぶ前だな
west express銀河急行にすれば良かったのに。超豪華なクルーズトレインとの差別化ができて、もっともっとアピールになったよね。
次は「準急列車」の解説ですね。
そして準急の次は特急かな?
現在走っている特急列車の中にはおよそ特急料金を徴収するに値しない列車が数多くある様に思えてなりません。リクライニングシートだけで特急料金を徴収するのはいかがなものでしょうか?まずは大阪・名古屋・米原~敦賀間の「サンダーバード」「しらさぎ」を車両はそのままにしては急行に格下げするべきです。特急のままにしているのではJRは乗客を減らしたいのではと勘ぐってしまいます。
急行はまなすの区間は、夜行バスが設定できず、夜間に移動したければはまなす一択だから生き残ったのもある気がする。
それでも無くなったのは結局一度青森まで出なきゃならないという手間よな正直なところ新潟や大洗から船乗ってしまった方が車バイクも持ち出せるし人の運賃は高くもなく確実に横になれて楽で快適という
特別急行がまだそこそこあって、急行無し。特別とは……はて?
例えばのぞみが全席指定になれば、のぞみ料金とひかり•こだま料金が異なるので、実質現代での特別急行はのぞみ、普通急行はひかり•こだまという棲み分けをしていることになると思う。
やがて私鉄でもレアになるところもある...けど京急では急行が復活!一方北総では急行が廃止...
寝台急行銀河、俺の地元の湘南地区だと、大船駅から大阪に直行出来る列車だったので、強力な切り札に近い存在でした。
国鉄時代、急行もよく乗ったなあ。でも特急のほうが早いし、車内の座席も綺麗で快適だから人気はありましたね。最近は時刻表を買ってなかったから急行列車が定期運行では既に無くなっているとは知らなんだ🧐
特急列車へ格上げの、増収増々計画の1つと、新規車両の開発製造無し=車輌の老朽化で、廃止🤘🤟👍
京阪神緩行72系に乗車中,複々線で並んだ特急列車(パーラーカー)は別世界.
「はまなす」の晩年は、外販がボロボロに錆びていて、満身創痍、という表現そのものでしたね。
ヘッドマークすら薄汚れて煤けてましたね。単に付ける事になってるから付けてた感が滲んでたあれは何とかならんものだったのか?
青函トンネル内は多湿かつ塩害があるという過酷な環境ですからねぇ・・・。
かつては四国は気動車急行王国だったぜ。サムネに懐かしの急行ありずり号を載せてくれて高知県民として嬉しいぜ。😆
国鉄~JR初期は東北の肋骨路線(磐越西線、米坂線、陸羽西線、陸羽東線、花輪線、釜石線、山田線等)は気動車急行の宝庫でしたねぇ。四半世紀前の話になりますが・・・。
@0715MT 分かります。👍
飯田線の【こまがね】は高速バスによって廃止になったケース
晩年に乗りましたが三両編成が貸し切りでした。人の乗ってない営業列車はひどく寒いことを知りました。
急行を無くすなら「特別」急行を無くした方が言葉として正しいのでは、、、
まさにそう思います。現存する全ての特別急行を普通急行へ種別変更した上で特急料金を急行料金に改名すれば名称上の矛盾が解決します。現状、普通急行が無いのに特別急行だけが存在するというのは言葉上は矛盾状態です。
国鉄が急行をどんどん廃止していって、それと入れ替わりに、私鉄各社が急行の種別をあちこちで採用するようになっていった
急行がなくなったので、特急が何に対して特別なのか?意味が破綻してますよね
中国語で急行は快速と表示されてるそうです。
北陸トンネルが開通する前、母の里の富山に帰郷するとき、敦賀で蒸気機関車を前後に重連、今庄まで峠を登っていたころの急行立山。今、その頃、車窓から先頭と後尾を写した写真を探しているんだが…。蒸気機関車連結等で30分も停車したので、ゆっくり食べられた今庄そばが美味かった。
急行はグリーン車以外は普通と変わらないグレードの車両が使われてた。食堂車も軽食程度だったし、シートも固定ボックスシートだったしね。
ビュッフェが連結されているなら十分に急行の格を保ってると思いますよ。今では特急にビュッフェはおろか売店も車販も自販機も無いときた。コーヒーすら飲めやしない。
親戚が茨城県に住んでたので1980年代半ばまで運転していた上野―勝田間を水戸線経由の「つくばね」が懐かしいです。現在は間々田の連絡線も無くなりましたが再び整備して、e531で勝田からjr水戸線経由の池袋・新宿方面の直通運転をしてほしいです。
かすが、快速でいいから復活しないかな…名古屋から奈良まで、快速だったら近鉄と差別化できる気がするんだ…
末期のかすがは使用車両からして快速として走らせるべきでした。それなら現在でも走っていたかもしれません。
銀河に乗ったのが懐かしい…
尺束にあった新特急、特急と言えず急行よりだった。ときわ改めひたち、特急車両を使っただけのぼったくり。
はつきり言ってJRが特急料金をボッタクリができます客がだまされただけですよ
急行ってなんか中途半端なんだよなー。
よく急行列車にはよく乗りました。特急より少し料金が安いし便利だった。
普通急行が無くなり、特別急行ばかりになった今、普通急行が運行されたら特別な急行になる皮肉
急行は田舎と田舎を結ぶ貴重な存在だった。周遊券で乗れたし、越前・能登・立山・ゆのくに・よねやま・きそ…懐かしいなぁ。
急行列車が廃止されるケースとしては大抵の場合特急格上げもしくは快速格下げが多いです。
急行きたぐにも、午前3時頃に富山駅を通過したので遅くまで富山で飲んでいても大丈夫で、華金とかは高岡や金沢方面に酔っ払ったサラリーマンがたくさん乗車していたのを思い出しました笑
@@マニアックとやま きたぐにには1997年に大阪から直江津まで乗りました。自由席に。その度きりでしたね。😢
急行列車、各地の周遊券があれば、自由席はそのまま乗れて便利でしたよね。個人的には、大阪から大社まで走っていた、夜行の急行「だいせん」に悪友と乗ったのが良い思い出です。
昔の上野駅は特急&急行列車の宝庫だったのに…
ただ、隣接する京成上野駅には4種類の特急が来る!
(スカイライナー・モーニングライナー・イブニングライナー・通勤車両)
急行は2002年に快速に置き換わって廃止された...
JRになる頃には長距離はあさまとひたちくらいしか残ってなかったけどね
あとはあいづつばさや白山が細々と乗り入れていた程度
特急
はつかり(上野〜青森)
みちのく(上野〜青森、常磐線経由)
やまびこ(上野〜盛岡)
ひばり(上野〜仙台)
ひたち(上野〜仙台など、常磐線経由)
つばさ(上野〜秋田)
やまばと(上野〜山形)
あいづ(上野〜喜多方)
いなほ(上野〜青森など、羽越線経由)
とき(上野〜新潟)
はくたか(上野〜金沢、長岡経由)
あさま(上野〜長野)
白山(上野〜金沢、長野経由)
白根(上野〜長野原など)
急行
いわて(上野〜盛岡)
もりおか(上野〜盛岡、常磐線経由)
まつしま(上野〜仙台)
ときわ(上野〜仙台など、常磐線経由)
おが(上野〜秋田)
ざおう(上野〜山形)
あづま(上野〜福島)
ばんだい(上野〜喜多方など)
いいで(上野〜新潟、磐越西線経由)
つくばね(上野〜水戸、水戸線経由)
なすの(上野〜黒磯)
日光(上野〜日光)
わたらせ(上野〜高崎、両毛線経由)
佐渡(上野〜新潟)
よねやま(上野〜直江津、長岡経由)
妙高(上野〜直江津、長野経由)
信州(上野〜長野)
伊香保(上野〜長野原など)
ゆけむり(上野〜水上)
あかぎ(上野〜前橋など)
昭和55年時点だと昼行だけでこんなに…
@@user-cg5ti3gf3d 大体廃止か新幹線化ですよね
@@user-cg5ti3gf3d本当に多いですね
父もJR東北本線(現IGRいわて銀河鉄道、青い森鉄道)の「はつかり」なら乗ったことあります。新幹線開業後なので盛岡〜青森に短縮された後だけど…
私も急行つやまに乗りました。津山線の同じ区間を走る快速ことぶきと所要時間全く変わりなく、停車駅もほぼ同じ、使用車両も同じで何のための急行列車なのかわからず不満でした。一年後快速ことぶきに吸収されました。JR最後の昼間の急行列車でした。もう一つ最後まで残ったのが青森と札幌を結んだ夜行急行列車はまなす号はB寝台、グリーン車、普通車などを連結した素晴らしい夜行列車でした。私も乗りました。
急行「つやま」の前身である急行「砂丘」は国鉄分割民営化以降唯一本数が増発された急行だった。
魔理沙さん、霊夢さん、こんばんは!急行がなくなった最大の要因は利用者が短区間でも急行ではなくて特急に乗るようになったことが最大の要因だと思います、例えば信越本線上田から長野まで特急あさまに乗るような利用者が多くいて直後にでる急行とがくしはガラガラだった特急鉄道ジャーナル誌でルポされていました。この考えが当時の国鉄は急行を特急に格上げした結果少ししか違わなかったら飛行機にするか!なんてしっぺ返しを食らってしまったのではないか?わずか5分や10分違うだけでこうなのですから長距離が飛行機に転移するのは当たり前です。言いたいのは利用者が自分で自分の首を締めてしまったのも大きな原因では?
大昔、急行砂丘号なんて山陰本線に乗り入れると快速として使われていました。山陰本線の快速は砂丘と同じキハ58系だからそうせざるを得なかったんでしょう。(あれで急行料金取られたら暴動ものです。)夜行のだいせんはまだ寝台車をつなげていたので座席が12系客車でも仕方ないかなと思いましたけど。砂丘はね。
まぁ、その12系も物申されまして、リクライニングシートに改装されていました。
しかし、自由席で増結になるクルマは結構な頻度でボックスシートのオハ12が連結されてましたねぇ。
国鉄時代は急行停車駅というのがステイタスでした。特急は幹線の遠距離速達便であり、よほどの用事が無いと乗らなかったし、停車駅はごく限られていました。急行は料金も比較的安く、利用しやすい列車でした。また準急もあって、昭和40年代は区間100km以内の運転に限られました。それより長い距離は急行の出番。だから急行と準急の特別料金は100km迄なら同じでした。今でも急行や準急の名前は私鉄では根強いですね。区間急行とか快速急行とか直通特急なんてのもあって、私鉄はバラエティに富みます。
かくして、優等列車は特別でも何でもない「特別急行」だらけになってしまったというわけですか。
ところで、東海道新幹線の英語アナウンスで、"This is the NOZOMI Super Express bound for Tokyo."などと言っているが、日本語の列車種別で「超特急」とはならないんでしたっけ。これもなんか不思議な感じですね。
はまなす、懐かしい…
大学生の頃に鹿児島から親戚のいる根室まで列車で行った際に、特急白鳥で青森に着いた後に乗ったはまなすのB寝台で横になれた安心感は今だに忘れられない思い出です。
僕がチビの頃、周遊券がもてはやされ急行列車は乗り放題だったなぁ。母方の田舎が九州だったので、帰省ついでに親父にあちこち付いて行ったな。「くまがわ」「えびの」「火の山」全部キハ58やったな…。でも冷房もよく効いていて出入口にデッキがあって紙コップで飲める冷水器もあったな。懐かしいな…
大阪生まれ、長野県住まいだったけど「大阪しなの」と客車列車時代の「ちくま」は毎年お世話になったなぁ…😢
JR北海道の特急すずらんも実質的にかつての準急、今だと快速レベル。
私鉄では「特急」があるものの、「急行」の種別が無い鉄道会社がありますね。
それは、山陽電車がそうです。
あと、京成はおろか相鉄も「急行」が無くなりました。
急行はまなす懐かしい
俺が初めて北海道行った時に乗った列車で、20回くらいお世話になった
北海道&東日本パスを使う時に唯一乗れる優等列車だったからな
あれが廃止されて以降、函館までのアクセスの悪さと長万部周辺の接続の悪さから北海道行く時は飛行機一択になってしまった
JRに急行列車があるって知った時は理解不能すぎて驚きましたね
急行券という言葉が存在するのがもう...特急でええやんって思ってた
案の定中途半端な存在になって廃止されていったんだね
JR急行が絶滅した最大の要因の、
「国民の意識が変わって、ボックスシートが敬遠されるようになった」
が抜けてますよ。
敬遠というより、料金に見合わないのかと。
近距離の旅行者にとっては今でもボックスシートは重宝ですぜ。
確かにそうですね。急行は最低でも転換クロスシート、できればリクライニングしない回転クロスシートとしていれば違っていたのは間違いないと思います。
それが正ならツアーバスが流行りません
単純にコスト負けしてるだけ
急行「能登」489系時代は下りは高崎までホームライナー代わりに通勤客が利用、冬のスキーシーズンはシュプール号代わりにスキー客の利用と、富山~金沢~福井は朝の通勤客が通勤ライナー代わりに利用客がいたので、マルチな面がありましたね
急行はまなすはぶっちゃけまだ廃止すべきではなかったと思う。
急行列車は、急行えびのと急行くまがわが好きでした。青いキハ58・65系かっこいい。
KATOが製品化していた。あとでマイクロエースも製品化していましたね。10年以上前に両方とも購入しました。
寝台急行銀河も懐かしい。
三戸岡カラーのキハ58…
歴史のある私鉄の社名に「××急行」というのが多数ありますが、近年は「××高速鉄道」が主流ですよね。これも歴史なのでしょうか
急行電車は私鉄は通勤列車のような感覚
今時、JR以外に急行料金を徴収するところなんてないと思いこんでて、大井川鉄道で、急行に乗ろうと意気揚々とホームに向かってったら、SL牽引のイベント列車で、慌てて急行券を買いに、改札に戻った。
秩父鉄道の有料急行列車『秩父路』(休日ダイヤ)は、SLパレオエクスプレスを途中で追い越せる重要な列車。
大昔幼少の頃、門司港から急行かいもんに乗って
西鹿児島(現在の中央駅)まで三段寝台で行ったのが善き思い出。
自分は東海道本線を走っていた急行東海とごてんば号が印象に残っていますし、何回か利用した事が有りますね。
急行ときわで爺様ん家に毎年盆と正月行ってたわ
ときわかひたち。昔はダイヤを調べて出発 なんて概念無かったから。早起きしておかんと上野まで行って 一番近い時間の列車に乗る てだけの乗り方。でもときわも味わいがあって子供の自分には楽しかったよ。
うぽつです
あこがれのロンドン急行〜♬
ブルーの色に白帯かけて
山を越え 丘を越え…
なんか友達以上恋人未満の関係を続けた挙句、自然消滅したような感じですね
私鉄だと急行って主要駅しか止まらない電車ってイメージですけど、それだとJRなら特別快速みたいになるのかな?
私が子供の頃走ったのが、だいせん、さんべ、石見、ちどりでした。
国鉄時代、地方じゃ停車駅は急行だが、普通列車と同じ車両使いながらも急行料金とる列車もあったな…
昭和後期には、新潟ー長野間は急行「赤倉」・急行「とがくし」で1本で行けた。今じゃ新幹線を使って高額な運賃を払うか、信越本線・えちごトキめき鉄道・しなの鉄道を乗り継いで長時間かかるか不便になった。
北陸新幹線長野方はしらゆきと接続取ってないから信越間移動には使えないで
素直に高速バス使った方がいい
@puriamious 高速バスって全席指定だから事前に席を取りますよね。突然の旅行は基本自由席ですから。
@@将棋仮面 飛び乗りでも空席あれば乗れるけど
というよりその理論が正しいなら特急列車が高速バスに負け続けることはないはずでは?
ここにしてもその高速バスに負けて直通特急列車無くなったんだし
現状として北海道以外は急行が特急を名乗ってる状態。
設備はリクライニングシートと空調完備だが現代ではその水準が当然だし、食堂車や車販すらもケチってやらないのだから、単に専用車両で早く到着できるだけの現状は昔ながらの「急行」そのもの。
特急の最後の牙城とも言えるJR北海道も財政難が原因で車販が消えて所要時間が数十分増えて久しく、特急の体裁を保てるか危うい。
当然の水準が上がったから急行が特急に吸収されたと考えることもできますね
@@reokasai3540 うーん、国鉄の急行は普及するにつれ全車が冷房化され、客車時代の花形特急つばめ普通車より高い設備水準となっていたのですが、それでも急行だったのですよ。
そういう歴史的経緯を考慮すると当然の水準が上がったから特急に格上げは説明が成立できてないと考えます
@@se.v4809 とはいえ特急と快速の隙間がだいぶ小さいですけどどんな設備にしましょうか?
特急料金と違って急行料金は障害者割引で半額になるみたいですね
可部線の三段峡へ行く際に広島で急行みよしを見ましたが普通のボックス席で優先席まであったので本当に別料金が必要な列車なのかと思いました
11:58
昔福岡県南部辺りをよく利用してた自分としては電車特急をエル特急と呼ぶのかと思ってた
「ゆふ」とか気動車特急は自動放送で単に「特急」と言ってたから
けど調べたら「かいおう」などは電車特急だけどエル特急指定されてなかったんだな…
北近畿エリアを運行していた、急行丹後は運転経路がやたら複雑な急行だった。
あの手の列車は、70年代、ごっそりありました
秩父路初めて乗った時は利用客もそこそこで1ボックスに1人ゆったり座れる状態だった。普通と比べてかなり車内は快適で、それなりにスピード出して、駅も飛ばすから凄いお得感はあるけど減便もしてるみたいだし...
関東で唯一乗れる有料急行も時間の問題かもしれない...
東武は急行りょうもうが特急に格上げになり
通勤車の急行を半蔵門線直通を機に新設
東武では日比直が「普通」、半直が「急行」又は「準急」の棲み分けがなされてますね。
国鉄の種別を語る上で準急は欠かせないので次の解説は準急列車で決まりですね
在来線である津軽海峡線が廃止されてしまったから、はまなすも廃止せざるを得なかった…
急行の響き知ってるのは昭和世代だからだいぶ前だな
west express銀河
急行にすれば良かったのに。
超豪華なクルーズトレインとの差別化ができて、もっともっとアピールになったよね。
次は「準急列車」の解説ですね。
そして準急の次は特急かな?
現在走っている特急列車の中にはおよそ特急料金を徴収するに値しない列車が数多くある様に思えてなりません。リクライニングシートだけで特急料金を徴収するのはいかがなものでしょうか?まずは大阪・名古屋・米原~敦賀間の「サンダーバード」「しらさぎ」を車両はそのままにしては急行に格下げするべきです。特急のままにしているのではJRは乗客を減らしたいのではと勘ぐってしまいます。
急行はまなすの区間は、夜行バスが設定できず、夜間に移動したければはまなす一択だから生き残ったのもある気がする。
それでも無くなったのは結局一度青森まで出なきゃならないという手間よな
正直なところ新潟や大洗から船乗ってしまった方が車バイクも持ち出せるし人の運賃は高くもなく確実に横になれて楽で快適という
特別急行がまだそこそこあって、急行無し。
特別とは……
はて?
例えばのぞみが全席指定になれば、のぞみ料金とひかり•こだま料金が異なるので、実質現代での特別急行はのぞみ、普通急行はひかり•こだまという棲み分けをしていることになると思う。
やがて私鉄でもレアになるところもある...
けど京急では急行が復活!
一方北総では急行が廃止...
寝台急行銀河、俺の地元の湘南地区だと、大船駅から大阪に直行出来る列車だったので、強力な切り札に近い存在でした。
国鉄時代、急行もよく乗ったなあ。でも特急のほうが早いし、車内の座席も綺麗で快適だから人気はありましたね。
最近は時刻表を買ってなかったから急行列車が定期運行では既に無くなっているとは知らなんだ🧐
特急列車へ格上げの、増収増々計画の1つと、新規車両の開発製造無し=車輌の老朽化で、廃止🤘🤟👍
京阪神緩行72系に乗車中,複々線で並んだ特急列車(パーラーカー)は別世界.
「はまなす」の晩年は、外販がボロボロに錆びていて、満身創痍、という表現そのものでしたね。
ヘッドマークすら薄汚れて煤けてましたね。
単に付ける事になってるから付けてた感が滲んでたあれは何とかならんものだったのか?
青函トンネル内は多湿かつ塩害があるという過酷な環境ですからねぇ・・・。
かつては四国は気動車急行王国だったぜ。サムネに懐かしの急行ありずり号を載せてくれて高知県民として嬉しいぜ。😆
国鉄~JR初期は東北の肋骨路線(磐越西線、米坂線、陸羽西線、陸羽東線、花輪線、釜石線、山田線等)は気動車急行の宝庫でしたねぇ。四半世紀前の話になりますが・・・。
@0715MT 分かります。👍
飯田線の【こまがね】は高速バスによって廃止になったケース
晩年に乗りましたが三両編成が貸し切りでした。
人の乗ってない営業列車はひどく寒いことを知りました。
急行を無くすなら「特別」急行を無くした方が言葉として正しいのでは、、、
まさにそう思います。
現存する全ての特別急行を普通急行へ種別変更した上で特急料金を急行料金に改名すれば名称上の矛盾が解決します。現状、普通急行が無いのに特別急行だけが存在するというのは言葉上は矛盾状態です。
国鉄が急行をどんどん廃止していって、
それと入れ替わりに、私鉄各社が急行の種別をあちこちで採用するようになっていった
急行がなくなったので、特急が何に対して特別なのか?意味が破綻してますよね
中国語で急行は快速と表示されてるそうです。
北陸トンネルが開通する前、母の里の富山に帰郷するとき、敦賀で蒸気機関車を前後に重連、今庄まで峠を登っていたころの急行立山。今、その頃、車窓から先頭と後尾を写した写真を探しているんだが…。
蒸気機関車連結等で30分も停車したので、ゆっくり食べられた今庄そばが美味かった。
急行はグリーン車以外は普通と変わらないグレードの車両が使われてた。
食堂車も軽食程度だったし、シートも固定ボックスシートだったしね。
ビュッフェが連結されているなら十分に急行の格を保ってると思いますよ。
今では特急にビュッフェはおろか売店も車販も自販機も無いときた。コーヒーすら飲めやしない。
親戚が茨城県に住んでたので1980年代半ばまで運転していた上野―勝田間を水戸線経由の「つくばね」が懐かしいです。現在は間々田の連絡線も無くなりましたが再び整備して、e531で勝田からjr水戸線経由の池袋・新宿方面の直通運転をしてほしいです。
かすが、快速でいいから復活しないかな…名古屋から奈良まで、快速だったら近鉄と差別化できる気がするんだ…
末期のかすがは使用車両からして快速として走らせるべきでした。それなら現在でも走っていたかもしれません。
銀河に乗ったのが懐かしい…
尺束にあった新特急、特急と言えず急行よりだった。
ときわ改めひたち、特急車両を使っただけのぼったくり。
はつきり言って
JRが特急料金をボッタクリができます
客がだまされただけですよ
急行ってなんか中途半端なんだよなー。
よく急行列車にはよく乗りました。特急より少し料金が安いし便利だった。