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佐保姬是日本傳說中春天的保護神,這首鄒族歌曲的創作者是前文中提到的吾雍·雅達烏猶卡那(漢名高一生)。是鄒族的才子,曾任阿里山鄉鄉長。他在國民黨武誣指為共產黨後被捕,隨後在1954.4.17與一群原住民菁英同時被屠殺!這首春之佐保姬是吾雍·雅達烏猶卡那在槍決前於獄中所寫,盼望佐保姬能庇佑其妻(湯川春子,高春芳),比起「阿里山的姑娘美如水」這種膚淺的歌曲,春之佐保姬才是鄒族美麗勇敢靈魂的闡釋。吾雍·雅達烏猶卡那的父親早逝,母親改嫁,其異父弟博尤‧特士庫醫師(杜孝生)亦遭國民黨迫害坐牢四年。曾在埔里基督教醫院服務,隨後在台東金崙部落開設診所。
很美且令人讚嘆的曲子~也很感傷❤
春之佐保姫 について (japanese)(歌詞:現代仮名遣い)〜誰か呼びます みやまの森で 静かな夜明けに 銀の鈴のような 麗しい声で 誰を呼ぶのだろう あぁ佐保姫よ 春の佐保姫よ 誰か呼びます みやまの森で 淋しい夜ふけに 銀の鈴のような 麗しい声で 森に響き渡り あぁ佐保姫よ 春の佐保姫よ〜佐保姫とは春の季語で春の天女のことです。なぜ台湾のチャンネルで日本語の歌を歌っているのでしょうか?春之佐保姫がなぜ日本語で作られたのか、台湾の作曲家 高一生/高義生/矢多一生/Gao Yisheng (時代に合わせ改名しなければならなかったのでいくつもの名前の表記があります)の半生と台湾の歴史を織り交ぜながらご説明します。台湾は九州と同じくらいの面積の島です。台湾にはオーストロネシア語族の言語を話す16民族以上の原住民が各地分かれて住んでいました。その後、清(中国)が1683-1895年の間、統治しました。日清戦争後、台湾は中国から日本へ受け渡され、台湾では日本による統治と日本語教育が行われていました。作曲者の高一生(1908.07.05-1954.04.17)は阿里山のツォウ族出身の秀才で、その村から初めて師範学校を卒業し、卒業後はツォウ族の村の発展のために尽力されました。師範学校では近代西洋音楽の作曲法も学び、多くの歌曲を作曲しました。しかし、日本が敗戦することによって事態は変わります。日本が撤退し、中国が再び統治し始めました。中国の政府は、日本の統治の際に知識を得た台湾の優秀な人材が中国の敵になることを恐れ、多くの台湾の人々は無実の罪で逮捕され、死刑となりました。(白色テロ)高一生もその一人で、投獄中にいくつもの手紙と歌曲を家族に送りました。その一つがこの「春之佐保姫」です。1954年に死刑となりました。1987年に戒厳令が解除されるまで、高一生に関わる表現は禁止されていました。歌詞にもう一度戻りますと、台湾の中央に阿里山という大きな山脈があります。3、4月頃は桜が満開になります。佐保姫がまとっている桜色の衣のような春の阿里山をよく表現した歌となっています。他に日本語で作られた歌曲もあり、鹿狩り、長春歌(フロックスの花)、つつじの山 などがあります。
私が台湾へ旅行に行った際には、日本統治下で日本語教育を受けた多くのご高齢の方が日本語で親切に迎えてくださいました。そのような暖かい話がある一方で、過去に日本も台湾で日本統治に対する反対運動を鎮圧したということが事実としてあります。台湾の友人からこの日本語の歌を知りました。日本語での情報があまりなかったので、この度勝手ながら大まかに纏めてみました。東日本大震災をはじめとする巨大災害の際には、台湾の方々は日本へ多くの支援をしてくださいました。今後も隣人として長く平和に友好関係を続けられることを切に願っています。○Link○・阿里山の桜(台湾国際放送): m.ruclips.net/video/qwdFuHqaAFY/видео.html&feature=emb_imp_woyt・矢多一生(日本語wiki): ja.wikipedia.org/wiki/ウオグ・エ・ヤタウヨガナ・佐保姫神社(日本): 〒630-8202 奈良県奈良市川上町ameblo.jp/navihico-8/entry-12684981332.html(日本にある佐保姫神社の紹介と日本文学における佐保姫についての考察)
佐保姬是日本傳說中春天的保護神,這首鄒族歌曲的創作者是前文中提到的吾雍·雅達烏猶卡那(漢名高一生)。是鄒族的才子,曾任阿里山鄉鄉長。
他在國民黨武誣指為共產黨後被捕,隨後在1954.4.17與一群原住民菁英同時被屠殺!
這首春之佐保姬是吾雍·雅達烏猶卡那在槍決前於獄中所寫,盼望佐保姬能庇佑其妻(湯川春子,高春芳),比起「阿里山的姑娘美如水」這種膚淺的歌曲,春之佐保姬才是鄒族美麗勇敢靈魂的闡釋。
吾雍·雅達烏猶卡那的父親早逝,母親改嫁,其異父弟博尤‧特士庫醫師(杜孝生)亦遭國民黨迫害坐牢四年。曾在埔里基督教醫院服務,隨後在台東金崙部落開設診所。
很美且令人讚嘆的曲子~
也很感傷❤
春之佐保姫 について (japanese)
(歌詞:現代仮名遣い)
〜誰か呼びます みやまの森で
静かな夜明けに 銀の鈴のような
麗しい声で 誰を呼ぶのだろう
あぁ佐保姫よ 春の佐保姫よ
誰か呼びます みやまの森で
淋しい夜ふけに 銀の鈴のような
麗しい声で 森に響き渡り
あぁ佐保姫よ 春の佐保姫よ〜
佐保姫とは春の季語で春の天女のことです。
なぜ台湾のチャンネルで日本語の歌を歌っているのでしょうか?
春之佐保姫がなぜ日本語で作られたのか、台湾の作曲家 高一生/高義生/矢多一生/Gao Yisheng (時代に合わせ改名しなければならなかったのでいくつもの名前の表記があります)の半生と台湾の歴史を織り交ぜながらご説明します。
台湾は九州と同じくらいの面積の島です。台湾にはオーストロネシア語族の言語を話す16民族以上の原住民が各地分かれて住んでいました。その後、清(中国)が1683-1895年の間、統治しました。
日清戦争後、台湾は中国から日本へ受け渡され、台湾では日本による統治と日本語教育が行われていました。作曲者の高一生(1908.07.05-1954.04.17)は阿里山のツォウ族出身の秀才で、その村から初めて師範学校を卒業し、卒業後はツォウ族の村の発展のために尽力されました。師範学校では近代西洋音楽の作曲法も学び、多くの歌曲を作曲しました。
しかし、日本が敗戦することによって事態は変わります。
日本が撤退し、中国が再び統治し始めました。
中国の政府は、日本の統治の際に知識を得た台湾の優秀な人材が中国の敵になることを恐れ、多くの台湾の人々は無実の罪で逮捕され、死刑となりました。(白色テロ)
高一生もその一人で、投獄中にいくつもの手紙と歌曲を家族に送りました。その一つがこの「春之佐保姫」です。1954年に死刑となりました。1987年に戒厳令が解除されるまで、高一生に関わる表現は禁止されていました。
歌詞にもう一度戻りますと、
台湾の中央に阿里山という大きな山脈があります。3、4月頃は桜が満開になります。佐保姫がまとっている桜色の衣のような春の阿里山をよく表現した歌となっています。
他に日本語で作られた歌曲もあり、鹿狩り、長春歌(フロックスの花)、つつじの山 などがあります。
私が台湾へ旅行に行った際には、日本統治下で日本語教育を受けた多くのご高齢の方が日本語で親切に迎えてくださいました。そのような暖かい話がある一方で、過去に日本も台湾で日本統治に対する反対運動を鎮圧したということが事実としてあります。
台湾の友人からこの日本語の歌を知りました。日本語での情報があまりなかったので、この度勝手ながら大まかに纏めてみました。
東日本大震災をはじめとする巨大災害の際には、台湾の方々は日本へ多くの支援をしてくださいました。今後も隣人として長く平和に友好関係を続けられることを切に願っています。
○Link○
・阿里山の桜(台湾国際放送): m.ruclips.net/video/qwdFuHqaAFY/видео.html&feature=emb_imp_woyt
・矢多一生(日本語wiki): ja.wikipedia.org/wiki/ウオグ・エ・ヤタウヨガナ
・佐保姫神社(日本): 〒630-8202 奈良県奈良市川上町
ameblo.jp/navihico-8/entry-12684981332.html
(日本にある佐保姫神社の紹介と日本文学における佐保姫についての考察)