1994年度 東京大学 入学試験 第五問「黄昏のコブシの花は美しい」
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- Опубликовано: 10 фев 2025
- (1)奥羽の人がタウエザクラやタネマキザクラというコブシの花がさきだすと、伊賀の山里では、田を打ちかえしはじめること。
(2)俗をきらって人煙すこしはなれた山に、筆者の庭があること。
(3)黄昏の山に浮かぶコブシの花を想わせてくれるコブシの柱で、小間の茶室は自然のしぐさをそのままになったことへの満足。
この問題ではとりわけ「問1」が、文中での表現としては「農家の人々は花が咲くことで季節を知る」と文学的に書かれているが、論理としては、「花が咲く時期に行っている農作業によって、花に名前を付けることで、その花と農作業のスケジュールとを関連付けている」ということが記述されている<ことになる>(つまり、これは「解釈」)。しかし、解釈をする必要はない、ということである。だから、1.論理をきちんと見る、2.自分の解釈を加えない、という原則通りのことをやればよい、という、東大からの強力な指導がうかがえる問題になっている。
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1994年度 東京大学 入学試験問題 国語 第五問
次の文章を読んで、後の設問に答えよ。
黄昏のコブシの花は美しい。山の雑木が芽をふくらませるころ、白いコブシの花がさく。
大阪にいたころ、わたしはよく伊賀へ帰った。天理から名阪道路をかけのぼると、風景は一変して道はのどかな山と谷をかきわけて走る。
走る山里は、苣原・福住・都祁・針と、その名も仙人のいる里のようだ。黄昏どきになるとこの高原の風景は墨絵となる。
雑木の林は紫めいて、黒ずんだ松や檜の林とのコントラストをつよめるのだ。
春さき、そんな墨絵のなかに白いコブシの花がさく。哀歓を秘めて、コブシの花はあちらこちらに浮かぶのだ。
でも、この高原のコブシは、ほんとうのコブシではない。コブシとごく近縁のタムシバというやつで、ちょっと見にはどちらがどれかわからないほど、よく似ている。山里では、コブシもタムシバもひっくるめて、コブシなのである。
昔、このコブシの花がさきだすと、畑も田んぼもせわしくなった。「ぼちぼちタウチザクラ(田打ち桜)さきだしたのう」と、山里の人は忙しい季節の到来をたしかめた。
春の農事は、田を打ちかえし畑を打つことからはじまる。コブシの花はその季節を知らせてくれたのだ。山のコブシはちょうどサクラの風情さながらで、ア誰がいいだしたのか、タウチザクラと呼ばれつづけた。
奥羽の人はそんなコブシやタムシバを、タウエザクラといったりタネマキザクラというそうだ。人はみな、自然の摂理に従順で、雲の色をみたり花を眺めたりしながら、暦をめくっていたのである。
ところが、そのコブシ。タウチザクラと呼ばれても、サクラのようになれなれしく人家の庭にやってこない。人煙すこしはなれた山で、俗をきらって花をつける。いささか淋しげに、そして清らかにさき誇るのである。
そんなコブシは、木肌も抜群に美しい。素朴な白っぽさといい、ざらっとしたソフトな地合いといい、コブシはまさに雑木の女王、とわたしは思いつづけている。
コブシが好きなわたしは、コブシに惚れてコブシを植えた。十数年まえ、庭のあちこちに数本植えた。イコブシは俗をきらわずにごきげんである。
四、五年まえ、古い茶室の隣へ「三畳台目の小間をつくる」と女房がいいだした。このごろはやりの数寄屋ムードではなくて、草庵ムードのわびた茶室がほしくなったらしい。
わび茶の極意はどこまでも、山居の陋をよしとする。壁は苆を切りこんだ荒壁風で、使うクギも掻折クギ。軒下は昔さながらの叩き土。どこもかしこも自然のしぐさをそのままにというのである。
床の柱は皮つきの細い赤松、台目柱にはいくらか曲ったコブシの木を使った。細いコブシの柱には、すそのほうに抽象の絵のような紋様があった。女房が大和の宇陀へ大工とでかけ、みつけてきたのである。
ソフトな風情満点のコブシの柱で、小間の茶室はめっきりわびた。淡い光にほんのり白めくコブシの柱は、黄昏の山に浮かぶコブシの花を想わせてくれる。柱のすその紋様は、山にいたとき細いツタが巻きついて、その跡をのこしているようだ。
黒く這う、可憐な自然のいたずらをわたしは気分よく眺めながら悦にひたっているのである。
茶の湯の作法はむずかしい。わたしはむずかしいことを抜きにして、時折茶室に入るのだ。わびの世界なんてわたしにはまだ遠い。人間がわびてもいないのに、わびがわかるはずもなく、コブシの柱を眺めては、ウこういう姿でいたきものと、思いながら茶をすすっている。
庭ではフキノトウがわれも俺もと背を伸ばし、コブシが白くさきはじめた。コブシの花は「茶のんだら、畑へ出ろよ」と、風にゆれて声をかけてくる。
ミズナもカブも花をつけ、畑は早く衣替えをとせきたてる。今日は、ジャガイモでもふせるとするか。
設問
(1)「誰がいいだしたのか、タウチザクラと呼ばれつづけた」(傍線部ア)とあるが、ここで筆者はどういうことを言おうとしているのか、説明せよ。13.7cm×2行
(2)「コブシは俗をきらわずにごきげんである」(傍線部イ)とあるが、どういうことか、説明せよ。13.7cm×1行
(3)「こういう姿でいたきもの」(傍線部ウ)には、筆者のどのような思いがこめられているか、わかりやすく説明せよ。13.7cm×2行