ウラヌス号も競馬のクリフジ号も 戦時中の馬とそのパートナーは悲しい結果があまりにも多すぎる…
依田郁子
西中尉が競技中の動画を初めて見ることができました。ありがとうございます。😊
何だか、戦時中の精神みたいだね😢
実況というより、もうアナ一個人としての前畑の応援ですよね。これだけストレートに感情を震わせて、勇気と感動をくれた実況は後にも先にもないのでは?本当に素晴らしい。
小国チェコはソ連侵攻に負けない!素晴らしい。感動した!
ベラ・チャスラフスカさんのは1960年のローマオリンピック、1964年の東京オリンピック、1968年のメキシコオリンピックと3回連続出場され世界中を魅了させて頂き誠に感謝に耐えません!
硫黄島で米軍が西に投降をよびかけたとか、よくそんな真偽の怪しい情報を流せるなNHK
ルーマニアが参加していたのに・・・。
92年前に金メダルをとった ウラヌスが生まれた場所が フランスだったから 今回の銅メダルにもなにか縁を感じるなぁ
河西アナの歴史に残る 前畑ガンバレ
この「いちかばちかの一発勝負」感がね、 やっぱスポーツってのは、この感じが無いとウソだ、 その一戦に全てを賭ける、というね。
人見絹枝とは岡山出身のアスリートで、日本人女性として初めてオリンピックメダリストとなった人物です。日本人離れした恵まれた体格で、100m走や走り幅跳びで世界記録を樹立したこともあります。人見絹枝は17歳で現在の日本女子体育大学の前身となる二階堂体操塾に入ります。三段跳びややり投げ、体操など様々な種目で記録を打ち立てました。そして1928年に出場したアムステルダムオリンピックの800m走で、銀メダルを獲得したのです。「人見絹枝」の晩年は人見絹枝はオリンピックメダリストとなってからは、多忙な日々を送っていました。競技者としてハードな日程で遠征を行っており、一時期競技を離れたこともあります。また、メダリストとして有名になったことで講演会などにも招かれることもありました。大会に参加するための費用なども工面しなければなりませんでした。人見絹枝には、女子スポーツを発展させたいという思いがあったようです。海外遠征をする中で、海外では日本とは違い恵まれた環境が整っていることに衝撃を受けたといいます。専属のコーチがつき、年間のトレーニング計画がしっかりと立てられていることに日本との違いを痛感しました。日本では、女性がスポーツをすることに偏見もありました。年頃の娘が太ももをさらして走るなんてはしたないという風潮があったのです。そのため人見絹枝は、周囲からバッシングを受けたこともありました。「人見絹枝」の死に様はハードなスケジュールをこなしていた人見絹枝は、病に倒れてしまいます。助膜炎を発症し、大阪の病院に入院します。その後、肺炎を発症して重篤な状況に陥りました。そして、乾酪性肺炎により逝去します。24歳の若さです。人見絹枝の両親は娘の危篤の報せを受け病院に駆けつけますが、生きているうちに会うことは叶いませんでした。病院に向かう途中のラジオ放送で、その死を知ったといわれています。「人見絹枝」の死に様の信憑性は人見絹枝の死因は乾酪性肺炎ですが、これは結核の一種です。結核は当時不治の病と恐れられていて、日本人の死因の第一位でした。人見絹枝は晩年忙しい日々を送っていましたが、病に倒れてしまいます。結核を患い、24歳の若さで逝去しました。アムステルダムオリンピックで銀メダルを獲得してから3年後のことです。別に幸せな家庭も思い通りに迎えたことを思い浮か びます。合掌再拝
ぽかぽかのゲストで鈴木大地さんの話を聞いてユーチューブ見に来ました。天宮良さんのナレーション!驚いた😂❤
乾酪性肺炎 肺結核乾の一種で、肺葉全体またはその大部分に浸出性病変が広がった状態を指します。古典結核病学では結核性肺炎とも呼ばれ、その特徴は次のとおりです。 肺結核症の病態は、多量の菌体成分に対する宿主の免疫応答が主体とされる。 臨床上、青壮年に好発し、高熱・咳・痰を伴い急速に発症する。 肺葉全体またはその大部分に一様に拡がった浸出性病変を主とし、放置すれば大きい乾酪壊死病巣を形成し、軟化して多房性の空洞を生ずる。 臨床症状、胸部X線像が一般細菌による大葉性あるいは区域性肺炎と類似している。 結核菌は取り込まれたマクロファージ内で増殖し、滲出性病巣を作り中心部が壊死(乾酪壊死)します。肉芽腫の中心部は壊死を起こしてカッテージチーズ状に見えるため、乾酪壊死とよばれます。乾酪性肺炎は結核性肺炎とも呼ばれ、現代は抗結核薬による治療します。Dr.松平
サロメチールが懐かしいです!長生きして欲しかったね!❤
정신조 대 사꾸라이 동경올림픽 복싱 밴텀급 결승전 가슴 졸이며 Radio 중계방송 듣던 기억이 납니다. 난 그 때 중학생이었습니다
夏季オリンピックの記憶は、この瞬間しかありません。バルセロナで水泳を辞める事を決断。
圧倒的に力が抜けてても勝てない事も ある中で、しっかり結果を出し続ける デュプランティスは陸上界でも 一番のレジェンド
この生意気な発言、リアルタイムで見てた。 生意気なやつだなぁなんて言ってたら本当に金メダル取ったもんだから何も言えなくなった思い出があるww
嫌10万分の1でいいよアマチャン人類とちがうのでね
当時で9:95ならば、今の時代にメキシコで走ればウサイン・ボルトの9:58なんぞ軽く破れるんじゃないの?
病気を苦に自ら命を絶ったのが残念です。 また女子短距離でオリンピック決勝に進出する日本人女子が出て欲しいです。
岩崎宏美さんがプラハのドボルザークホールでコンサートを行った時に、チャスラフスカさんも招待されて居ましたね。
ジャージのNIPPONがいいねぇ! 最後のジャンプの伸びが凄い。
依田さんと言えばサロメチール,中学校の運動会で多くの生徒が徒競走の前に速く走れると信じてサロメチール塗っていました,今では庭の草むしりの後,腰にサロンパスを貼っています
ホームディシジョンの優勝で、サボーの方が実力は上と当時は言われていたね。 2024.09.02 04:04
ゲネンゲルって名前から強そうだよな、前畑さんよう頑張った。 中学の時先生から教わりました。
1964年の東京オリムピックの準決勝でボブ・ヘイズが 追い風参考記録ながら9秒9をだしたような記憶がありますが間違いだったらごめんなさい。
悔しいですね!戦争がなければ指導者やスター選手として扱われたと思うと残念でなりませんが92年後に団体が銅メダルを獲得をしました。天で喜んでいると思います。
最後の方(韓国選手をダウンに追い込むあたり)で気付いたけど、この当時はヘッドギアを付けてないんだね。024.08.31 16:25
今だったら七種競技向きかな?
試合終了後の「嬉しいに決まっています!」のコメントも見たいです。
実況,解説 大変素晴らしい、 行った,行った,行ったぁ!
生で見てた、タッチした瞬間オッーてテレビ前で大絶叫した。五輪金メダル日本数々あるが、水泳不振の時代の革命的メダル。日本五輪史上の最上位。当時numbersに、水中でバーコフのメガネ越しの目が動揺したのを確認したとかの大地コメントが、スゴ。。
やり投げで北口選手がパリ五輪で金メダルを獲得した世界線を人見さんにも見てほしかった。人見さんが死に物狂いで頑張り伝えようとしたことは、後世にも確実に受け継がれています。アリス・ミリヤの訴えから90年余りの時を経て、オリンピック種目の男女比が半々になりました。甲子園の校歌斉唱も、人見さんがアムステルダム五輪の表彰式でラトケ選手のドイツ国歌が流れたことに感動し、提案されたことです。今では当たり前になっています。
多分アメリカ合衆国も、バロン西を、敬意を、払っていたのでしょう。バロン西に、敗れたのが、アメリカ人で、あっても!日本では、敵ながらあっぱれ!と言う。バロン西よ!あなたは、最後の英雄、ヒーローです。
その昔、あるクイズ番組で河西アナウンサーが「がんばれ!」を何回コールしたか? というくだらない(失礼(^^;)問題がありましたね。※正解は23回。
見てた。アナウンスの声もすごい覚える。 かっこよかったなぁ。 プールでバサロみんな練習してた
島村俊治さん。 高校野球でも、名実況ぶりで素敵でした。 この方の声は緊張感、躍動感がそのまま乗ってくる。
サボーさんが平均台で4回もバック転して、凄いと思った😮。
これも岩崎恭子の金メダルも、島村アナの落ち着いた名実況 今のスポーツアナだったらとんでもない絶叫調になるんだろうな(ゲンナリ)
バーコフの娘がパリオリンピックに出ていて時の流れを感じた ライバルのバーコフはハーバードの学生で文武両道でも話題になりましたね
中央大学在学中での金メダルでした。手足が長くスマートなテクニシヤン。プロ転向後あと一歩で世界タイトルを取れませんでした。引退後、高田馬場で喫茶店「メダリスト」を開店されたとの事。左カウンター気味ストレートは素晴らしかったですね。
バサロ真似したら、死にそうになった😂
バサロ禁止になってるの今知りました😂
女子体操が13歳14歳15歳が主流となったころチャフラフスカが「今の女子体操はサーカス 恋も知らない年齢では女子の体操は演じられない」と苦言を呈しそれで16歳以上になりました 同じくメキシコ五輪でソ連の女子体操のキャプテンも「女子の体操は動いている時だけきれいではいけません 静止している時でも美しくなければ」と後推ししましたね
守備ガバガバだし、スピードも遅せえ!!何にも凄くねえよ!!
短距離の女子選手が今の時代でも初めて走って2分17秒はまず無理だろう。人見選手の中距離の適正能力があったんでしょうね。
チューさんの愛称で面白いおじさんだったの覚えてる。
世界中に立派な方はいますが、日本には本当に尊敬できるスピリットの方が多く一般人にも沢山おられると思っています。 殆どの日本人は小柄で、大きい外国人に技術と頭で闘って勝つのが魅力だと思ってたけど、西男爵は日本人離れした体格でウラヌスも大きく華やかな感じがします。 しかし魂は日本人そのもので、新たな感動が有りました。 有難うございました。
ウラヌス号も競馬のクリフジ号も 戦時中の馬とそのパートナーは悲しい結果があまりにも多すぎる…
依田郁子
西中尉が競技中の動画を初めて見ることができました。ありがとうございます。😊
何だか、戦時中の精神みたいだね😢
実況というより、もうアナ一個人としての前畑の応援ですよね。これだけストレートに感情を震わせて、勇気と感動をくれた実況は後にも先にもないのでは?本当に素晴らしい。
小国チェコはソ連侵攻に負けない!素晴らしい。感動した!
ベラ・チャスラフスカさんのは1960年のローマオリンピック、1964年の東京オリンピック、1968年のメキシコオリンピックと3回連続出場され世界中を魅了させて頂き誠に感謝に耐えません!
硫黄島で米軍が西に投降をよびかけたとか、よくそんな真偽の怪しい情報を流せるなNHK
ルーマニアが参加していたのに・・・。
92年前に金メダルをとった ウラヌスが生まれた場所が フランスだったから 今回の銅メダルにもなにか縁を感じるなぁ
河西アナの歴史に残る 前畑ガンバレ
この「いちかばちかの一発勝負」感がね、 やっぱスポーツってのは、この感じが無いとウソだ、 その一戦に全てを賭ける、というね。
人見絹枝とは岡山出身のアスリートで、日本人女性として初めてオリンピックメダリストとなった人物です。日本人離れした恵まれた体格で、100m走や走り幅跳びで世界記録を樹立したこともあります。人見絹枝は17歳で現在の日本女子体育大学の前身となる二階堂体操塾に入ります。三段跳びややり投げ、体操など様々な種目で記録を打ち立てました。そして1928年に出場したアムステルダムオリンピックの800m走で、銀メダルを獲得したのです。「人見絹枝」の晩年は人見絹枝はオリンピックメダリストとなってからは、多忙な日々を送っていました。競技者としてハードな日程で遠征を行っており、一時期競技を離れたこともあります。また、メダリストとして有名になったことで講演会などにも招かれることもありました。大会に参加するための費用なども工面しなければなりませんでした。人見絹枝には、女子スポーツを発展させたいという思いがあったようです。海外遠征をする中で、海外では日本とは違い恵まれた環境が整っていることに衝撃を受けたといいます。専属のコーチがつき、年間のトレーニング計画がしっかりと立てられていることに日本との違いを痛感しました。日本では、女性がスポーツをすることに偏見もありました。年頃の娘が太ももをさらして走るなんてはしたないという風潮があったのです。そのため人見絹枝は、周囲からバッシングを受けたこともありました。「人見絹枝」の死に様はハードなスケジュールをこなしていた人見絹枝は、病に倒れてしまいます。助膜炎を発症し、大阪の病院に入院します。その後、肺炎を発症して重篤な状況に陥りました。そして、乾酪性肺炎により逝去します。24歳の若さです。人見絹枝の両親は娘の危篤の報せを受け病院に駆けつけますが、生きているうちに会うことは叶いませんでした。病院に向かう途中のラジオ放送で、その死を知ったといわれています。「人見絹枝」の死に様の信憑性は人見絹枝の死因は乾酪性肺炎ですが、これは結核の一種です。結核は当時不治の病と恐れられていて、日本人の死因の第一位でした。人見絹枝は晩年忙しい日々を送っていましたが、病に倒れてしまいます。結核を患い、24歳の若さで逝去しました。アムステルダムオリンピックで銀メダルを獲得してから3年後のことです。別に幸せな家庭も思い通りに迎えたことを思い浮か びます。合掌再拝
ぽかぽかのゲストで鈴木大地さんの話を聞いてユーチューブ見に来ました。天宮良さんのナレーション!驚いた😂❤
乾酪性肺炎 肺結核乾の一種で、肺葉全体またはその大部分に浸出性病変が広がった状態を指します。古典結核病学では結核性肺炎とも呼ばれ、その特徴は次のとおりです。 肺結核症の病態は、多量の菌体成分に対する宿主の免疫応答が主体とされる。 臨床上、青壮年に好発し、高熱・咳・痰を伴い急速に発症する。 肺葉全体またはその大部分に一様に拡がった浸出性病変を主とし、放置すれば大きい乾酪壊死病巣を形成し、軟化して多房性の空洞を生ずる。 臨床症状、胸部X線像が一般細菌による大葉性あるいは区域性肺炎と類似している。 結核菌は取り込まれたマクロファージ内で増殖し、滲出性病巣を作り中心部が壊死(乾酪壊死)します。肉芽腫の中心部は壊死を起こしてカッテージチーズ状に見えるため、乾酪壊死とよばれます。乾酪性肺炎は結核性肺炎とも呼ばれ、現代は抗結核薬による治療します。Dr.松平
サロメチールが懐かしいです!長生きして欲しかったね!❤
정신조 대 사꾸라이 동경올림픽 복싱 밴텀급 결승전 가슴 졸이며 Radio 중계방송 듣던 기억이 납니다. 난 그 때 중학생이었습니다
夏季オリンピックの記憶は、この瞬間しかありません。バルセロナで水泳を辞める事を決断。
圧倒的に力が抜けてても勝てない事も ある中で、しっかり結果を出し続ける デュプランティスは陸上界でも 一番のレジェンド
この生意気な発言、リアルタイムで見てた。 生意気なやつだなぁなんて言ってたら本当に金メダル取ったもんだから何も言えなくなった思い出があるww
嫌10万分の1でいいよアマチャン人類とちがうのでね
当時で9:95ならば、今の時代にメキシコで走ればウサイン・ボルトの9:58なんぞ軽く破れるんじゃないの?
病気を苦に自ら命を絶ったのが残念です。 また女子短距離でオリンピック決勝に進出する日本人女子が出て欲しいです。
岩崎宏美さんがプラハのドボルザークホールでコンサートを行った時に、チャスラフスカさんも招待されて居ましたね。
ジャージのNIPPONがいいねぇ! 最後のジャンプの伸びが凄い。
依田さんと言えばサロメチール,中学校の運動会で多くの生徒が徒競走の前に速く走れると信じてサロメチール塗っていました,今では庭の草むしりの後,腰にサロンパスを貼っています
ホームディシジョンの優勝で、サボーの方が実力は上と当時は言われていたね。 2024.09.02 04:04
ゲネンゲルって名前から強そうだよな、前畑さんよう頑張った。 中学の時先生から教わりました。
1964年の東京オリムピックの準決勝でボブ・ヘイズが 追い風参考記録ながら9秒9をだしたような記憶がありますが間違いだったらごめんなさい。
悔しいですね!戦争がなければ指導者やスター選手として扱われたと思うと残念でなりませんが92年後に団体が銅メダルを獲得をしました。天で喜んでいると思います。
最後の方(韓国選手をダウンに追い込むあたり)で気付いたけど、この当時はヘッドギアを付けてないんだね。024.08.31 16:25
今だったら七種競技向きかな?
試合終了後の「嬉しいに決まっています!」のコメントも見たいです。
実況,解説 大変素晴らしい、 行った,行った,行ったぁ!
生で見てた、タッチした瞬間オッーてテレビ前で大絶叫した。五輪金メダル日本数々あるが、水泳不振の時代の革命的メダル。日本五輪史上の最上位。当時numbersに、水中でバーコフのメガネ越しの目が動揺したのを確認したとかの大地コメントが、スゴ。。
やり投げで北口選手がパリ五輪で金メダルを獲得した世界線を人見さんにも見てほしかった。人見さんが死に物狂いで頑張り伝えようとしたことは、後世にも確実に受け継がれています。アリス・ミリヤの訴えから90年余りの時を経て、オリンピック種目の男女比が半々になりました。甲子園の校歌斉唱も、人見さんがアムステルダム五輪の表彰式でラトケ選手のドイツ国歌が流れたことに感動し、提案されたことです。今では当たり前になっています。
多分アメリカ合衆国も、バロン西を、敬意を、払っていたのでしょう。バロン西に、敗れたのが、アメリカ人で、あっても!日本では、敵ながらあっぱれ!と言う。バロン西よ!あなたは、最後の英雄、ヒーローです。
その昔、あるクイズ番組で河西アナウンサーが「がんばれ!」を何回コールしたか? というくだらない(失礼(^^;)問題がありましたね。※正解は23回。
見てた。アナウンスの声もすごい覚える。 かっこよかったなぁ。 プールでバサロみんな練習してた
島村俊治さん。 高校野球でも、名実況ぶりで素敵でした。 この方の声は緊張感、躍動感がそのまま乗ってくる。
サボーさんが平均台で4回もバック転して、凄いと思った😮。
これも岩崎恭子の金メダルも、島村アナの落ち着いた名実況 今のスポーツアナだったらとんでもない絶叫調になるんだろうな(ゲンナリ)
バーコフの娘がパリオリンピックに出ていて時の流れを感じた ライバルのバーコフはハーバードの学生で文武両道でも話題になりましたね
中央大学在学中での金メダルでした。手足が長くスマートなテクニシヤン。プロ転向後あと一歩で世界タイトルを取れませんでした。引退後、高田馬場で喫茶店「メダリスト」を開店されたとの事。左カウンター気味ストレートは素晴らしかったですね。
バサロ真似したら、死にそうになった😂
バサロ禁止になってるの今知りました😂
女子体操が13歳14歳15歳が主流となったころチャフラフスカが「今の女子体操はサーカス 恋も知らない年齢では女子の体操は演じられない」と苦言を呈しそれで16歳以上になりました 同じくメキシコ五輪でソ連の女子体操のキャプテンも「女子の体操は動いている時だけきれいではいけません 静止している時でも美しくなければ」と後推ししましたね
守備ガバガバだし、スピードも遅せえ!!何にも凄くねえよ!!
短距離の女子選手が今の時代でも初めて走って2分17秒はまず無理だろう。人見選手の中距離の適正能力があったんでしょうね。
チューさんの愛称で面白いおじさんだったの覚えてる。
世界中に立派な方はいますが、日本には本当に尊敬できるスピリットの方が多く一般人にも沢山おられると思っています。 殆どの日本人は小柄で、大きい外国人に技術と頭で闘って勝つのが魅力だと思ってたけど、西男爵は日本人離れした体格でウラヌスも大きく華やかな感じがします。 しかし魂は日本人そのもので、新たな感動が有りました。 有難うございました。