小山田壮平さんのライブから来た人いる??
来ました!
@ おおお!! 同士!! 今までそーへーさんのおかげで知れた曲は数知れないですよ!!
今日横浜ライブでも歌ってくれました!
昨日福岡ライブで聴きました お父さんの人生にも思いを馳せてしまった
今日行きました!
故郷の木曽の山々に包まれる気持ちになります。
暖かい歌ですね。
六年生時の学芸会ではだしのゲンをやりました。 最後に我が大地の歌を歌い小学生ながら涙しながら歌ったのを思い出しました。 今日は8月6日、聴きたくなりました。
歌うように語る。語るように歌う。この荒っぽい録音も、なんて素晴らしいんだろう。 歌うようにかたろう、かたるように歌おう。 笠木透さん ありがとう。
この歌を日本の国歌にして欲しい。
僕がまだ幼稚園児だった頃、母が良くギターで弾き語りをして歌っていました。その母も間接リウマチで手の指も変形し、ギターが弾けなくなり、一昨年2020年に天へと旅立ちました。もうこの歌も聞くことができないと思っていましたが、何とか出だしの歌詞で検索をかけて曲名を思い出してここに辿り着いた次第です。とても懐かしく母との思い出を思いながら聞かせて頂きました。有難うございます。! グダグダと長文を書いてしまって申し訳御座いません。
とても素晴らしい想い出ですね❗心温まります。
笠木透さん自身が、大地のような人でしたね。
福井県、勝山市松本です、9すりゆう、かわも、知ってほしいと、思います😂
児童合唱団の元気溢れるコーラスが笠木さんの歌を盛り上げていて最高です。 NHKみんなのうたで放送されていても決しておかしくないというか、こういう歌こそ 取り上げるべき1曲だと思います。 ただ、終始聴く人の心をとらえる印象深く素晴らしい内容ゆえ、わずか5分という限ら れた時間内に何番を収録するかを決めるのに苦心するでしょう。
京都府長岡京市の学童保育が4年生で打ち切りになったので困り果て立ち上げた5〜6年生の学童保育は、勿体ないと中学生までとなった。遊びは釘ナイフつくり、山の中でのチャンバラ、テントを持たずに山で寝るサバイバルキャンプ、無人島暮らし、夜中でのお墓の鬼ごっこ、琵琶湖一周サイクリング、熱気球に室内実験と本格熱気球つくり、笠ヶ岳での打ち上げ、メインは登山、登山のための練習登山、中学生は登山以外は学習、三年生は夏休みに300時間を超える受験勉強。 しかし登山に向かうバスの中、一息ついた夜のアルプスでこの〝我が大地〟のうた〟を歌った。子どもたちが歌詞を3番4番とつくり私たち学童保育所「つくしクラブ」のクラブ歌になっている。 11家族で立ち上げたこの「つくしクラブ」は延々と35年も続き今も年齢を超え連絡を取り合い、その子がまた「つくしクラブ」に入っている。 創立時の専従の逝去に1000人近い親や子が集まった。その専従の奥さんの個展がありまたこの年末に帰省してきた子(オッサン・オバサン)たちが集まってきた。もう誰が誰やら分からない。 お爺さんになったがこの歌は「つくしクラブ」の小学生にも歌い継がれている。 実に懐かしい。
その昔歌声に参加していました。 今から33年前に笠木さんを目の前にしてこの曲を聴くことが出来ました(雨が降り野外ステージ中止になったので) とても感動しましたし、 その場は歌声の場となり大合唱でしたよ🎵 この曲を結婚式で、夫婦で(夫がギターを弾き) 歌いました。 笠木さんはお亡くなりになったのですね💧 心に染み渡る歌です。
せ
歌うことがとっても苦手な私もつい口ずさんでしまいます。歌というより、詩を朗読するような感じ?。でも途中で涙が出てくるので、最後までちゃんと歌えない。 学生時代、おおきなフレームザックを背負って夏の北海道を歩いたりヒッチハイクして一周しました。長い一本道をこの歌を歌いながら歩いたものです。聴いているのは虫と鳥くらい。 風景と歌がとても合ってました。
良い歌ですよね🍀
笠木さん懐かしい ありがとうございます😊
小山田壮平さんのライブから来た人いる??
来ました!
@ おおお!! 同士!! 今までそーへーさんのおかげで知れた曲は数知れないですよ!!
今日横浜ライブでも歌ってくれました!
昨日福岡ライブで聴きました お父さんの人生にも思いを馳せてしまった
今日行きました!
故郷の木曽の山々に包まれる気持ちになります。
暖かい歌ですね。
六年生時の学芸会ではだしのゲンをやりました。 最後に我が大地の歌を歌い小学生ながら涙しながら歌ったのを思い出しました。 今日は8月6日、聴きたくなりました。
歌うように語る。語るように歌う。この荒っぽい録音も、なんて素晴らしいんだろう。 歌うようにかたろう、かたるように歌おう。 笠木透さん ありがとう。
この歌を日本の国歌にして欲しい。
僕がまだ幼稚園児だった頃、母が良くギターで弾き語りをして歌っていました。その母も間接リウマチで手の指も変形し、ギターが弾けなくなり、一昨年2020年に天へと旅立ちました。もうこの歌も聞くことができないと思っていましたが、何とか出だしの歌詞で検索をかけて曲名を思い出してここに辿り着いた次第です。とても懐かしく母との思い出を思いながら聞かせて頂きました。有難うございます。! グダグダと長文を書いてしまって申し訳御座いません。
とても素晴らしい想い出ですね❗心温まります。
笠木透さん自身が、大地のような人でしたね。
福井県、勝山市松本です、9すりゆう、かわも、知ってほしいと、思います😂
児童合唱団の元気溢れるコーラスが笠木さんの歌を盛り上げていて最高です。 NHKみんなのうたで放送されていても決しておかしくないというか、こういう歌こそ 取り上げるべき1曲だと思います。 ただ、終始聴く人の心をとらえる印象深く素晴らしい内容ゆえ、わずか5分という限ら れた時間内に何番を収録するかを決めるのに苦心するでしょう。
京都府長岡京市の学童保育が4年生で打ち切りになったので困り果て立ち上げた5〜6年生の学童保育は、勿体ないと中学生までとなった。遊びは釘ナイフつくり、山の中でのチャンバラ、テントを持たずに山で寝るサバイバルキャンプ、無人島暮らし、夜中でのお墓の鬼ごっこ、琵琶湖一周サイクリング、熱気球に室内実験と本格熱気球つくり、笠ヶ岳での打ち上げ、メインは登山、登山のための練習登山、中学生は登山以外は学習、三年生は夏休みに300時間を超える受験勉強。 しかし登山に向かうバスの中、一息ついた夜のアルプスでこの〝我が大地〟のうた〟を歌った。子どもたちが歌詞を3番4番とつくり私たち学童保育所「つくしクラブ」のクラブ歌になっている。 11家族で立ち上げたこの「つくしクラブ」は延々と35年も続き今も年齢を超え連絡を取り合い、その子がまた「つくしクラブ」に入っている。 創立時の専従の逝去に1000人近い親や子が集まった。その専従の奥さんの個展がありまたこの年末に帰省してきた子(オッサン・オバサン)たちが集まってきた。もう誰が誰やら分からない。 お爺さんになったがこの歌は「つくしクラブ」の小学生にも歌い継がれている。 実に懐かしい。
その昔歌声に参加していました。 今から33年前に笠木さんを目の前にしてこの曲を聴くことが出来ました(雨が降り野外ステージ中止になったので) とても感動しましたし、 その場は歌声の場となり大合唱でしたよ🎵 この曲を結婚式で、夫婦で(夫がギターを弾き) 歌いました。 笠木さんはお亡くなりになったのですね💧 心に染み渡る歌です。
せ
歌うことがとっても苦手な私もつい口ずさんでしまいます。歌というより、詩を朗読するような感じ?。でも途中で涙が出てくるので、最後までちゃんと歌えない。 学生時代、おおきなフレームザックを背負って夏の北海道を歩いたりヒッチハイクして一周しました。長い一本道をこの歌を歌いながら歩いたものです。聴いているのは虫と鳥くらい。 風景と歌がとても合ってました。
良い歌ですよね🍀
笠木さん懐かしい ありがとうございます😊