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正光寺のお寺チャンネル
Япония
Добавлен 27 июл 2020
兵庫県神戸市にあるお寺でございます( ..)φ
皆さんに、お寺の行事やお坊さんのお話など
気軽に知ってもらいたくて
チャンネルを作成いたしました!
お気軽にご視聴くださいませ(^^)/♬
また、正光寺のホームページもござます
ぜひ、ご覧ください!
アクセス↓↓
www.shokoji-kobe.com/
皆さんに、お寺の行事やお坊さんのお話など
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芥川龍之介の蜘蛛の糸、幼い頃よくお寺さんでお聞きしました。 悪い事をした人間が(カンダガ)地獄から一本の糸にすがり這い上がろうとして苦しみから逃れようと必死になっているところに、下の地獄の池から沢山の罪人たちがその糸にしがみついて這い上がって来るではありませんか、カンダガは足蹴りして他の者を蹴落そうとします。しかし、空しく非常にも自分が捕まった先から糸は切れてしまい、奈落の底に再び落ちていったという話でした。 この話の教えから、今月の法話にありましたように何事にも、自己中である私の戒めとして、私の心の底に深く残っている物語です。1/13 doujikennzou
太平洋戦争も終わろうかと言う昭和19年10月に私は生まれました。親の話を聞きますと、私の生まれ故郷は鹿児島の奥深い山村でしたが、生まれてすぐにアメリカ軍の空襲が我が村にも2発墜ちたそうです。 防空壕に避難していたら酸欠で死にかけた状態であったそうです。その話は幼心に聞かされ大変複雑で悲しい思いをいたしました。 親もわが身を守ることを顧みず、生まれたての我が子を必死で守ってくれたことが、親の年に近づいた今、親の思いに重ねると胸が痛みます。 私の年代は戦争を知らない時代といわれていますが、記憶には無くとも確かに戦争体験者であることを知らされました。今の世界、考えられない戦争があちこちで起こっています。人間として平和を願う気持ちは必ず心の中に有ると思います。一刻も早く平和な世界が来ることを願います。
大東和戦争が始まったのは私らが国民学校の一期生でしたそれから6年間の戦争終戦大変忘れる事は無いです今日はありがとう
終活セミナー 大変有意義なお話で良かったです。 お話も分かりやすく、退屈せずお聞かせいただきました。 多方面のお話で、中身が濃く自宅に帰り今ではよく覚えていません。 幸い、立派なレジメを頂きました。 読み直して、自分に足らないことを確認したいと思います。 有難うございました」
親鸞上人尊敬してます😊
私は桜は女性や子供だと思うのですが!
優しい方ですね😊
保育士さんの様に感じるのですが。
一度お顔を見せて頂ければ幸いです😊
お観音様の前で唱える女性への煩悩はどうしたらいいでしょうか😊❤
綺麗な方ですね😊
老いを生きる、面白くお聞かせいただきました、どれもこれも思い当たることだらけで高齢社会の一員の仲間入となり、笑い話では済まされない現実が見えてきました。 いつも何のために生きているのだろうかとふと考えることが多くなったような気がしていす。 若い頃には予想もしていなかったことが起こる事に戸惑っている毎日であります。 しかし、私には幸い先人の尊い教えを頂き、無力で浅はかな私を如何に生きべきか指示して頂いています これからも、このご縁を大切に精進したいと願っています、
いつもご視聴有り難うございます。親鸞さまは90歳でご往生されました。当時では大変ご長命だと思います。長生きされましたが決して人生は順風満帆ではなかったように思います。しかし、お念仏を拠り所とされ、法然さまをいつも尊敬された人生でありました。84歳の閏年のお手紙(御消息)に「目も見えず候、何事も忘れて候」とあります。晩年、多くのご和讃、ご消息を残しておられます。生来の天分と日頃の精進努力の賜物と思います。合掌
返信ありがとうございました。 特別展法然と極楽浄土が開幕される新聞記事を、今朝の新聞で見ました 【 弥陀三十五菩薩來迎図(早来迎)臨終の念仏者のもとに阿弥陀仏が来迎し、極楽浄土へ導くという浄土教の教え 】は、身も心も力なく、齢をかさねた私を、救いいただけるという安心を頂きました。 また、先人の尊い教えに出合うことができました。これからの人生も、皆様と一緒に大事にしたいと思っています。2024.10.4 doujikennzou
【 蝉こ(蝉)春夏をしらず 】の古事、深い思いでお聞きしました。 お盆は毎年のように、祖先の供養と親、兄弟で相続してきました、この事は大事な事と思います。今回、古事のお話から、私の生き方が問われていることを知らされました。 雑多な日常にあって、何が正しくて、何が虚偽であるのかも判らない娑婆世界です。 本当に、今を生きると言う事は難し事だなあと思います。 道元禅師の仏道の教えに「自己を忘れる」をお聞きしました。 私も仏縁を頂き、ご住職の教えを賜り育てていただきました、学ぶことそして志を同じくしている法友の皆様と一緒にこれからも生きる道を学んで参りたいと思います。 2024.8.11 doujikennzou
主上臣下、法に背き、義に違し、念をなし、怨を結ぶ、世のなかの不合理な出来事に翻弄され、理不尽な事が身に振りかかり、聖人は非常な思いをされた事でしょう。 しかし、その後、益々念仏の道を突き進まれその教えが今に伝え受け継がれています。 今、その教えにご縁を頂き親鸞聖人のお心の一端を学ばせていただいている私は何物にも代えがたい事と感謝し、導いていただいたご住職、また法友に感謝いたします。 2024.7.13 doujikennzou
@user-nm8lq9tt9f 2 週間前 教誨師として長年ご奉仕されこの度春の叙勲授賞誠におめでとうございます。 これまで多難な事も多々あったと思いますが、ご住職の熱い思いと、ご家族対し今回の授賞になったことと思います。 これまで、20数年ご住職のもとで仏教を学ばせていただきました。 いまだ自分の事が理解できずに、悩み、苦しみにまみれている私であります。 ご住職の生き方に、仏教は知識も大事ではありますが実践が仏道そのものであることを思い知らされました。 2024.6.9 doujikennzou 未着とお聞きしましたので再信させていただきました 2024.6.27 doujikennzou
教誨師として長年ご奉仕されこの度春の叙勲授賞誠におめでとうございます。 これまで多難な事も多々あったと思いますが、ご住職の熱い思いと、ご家族対し今回の授賞になったことと思います。 これまで、20数年ご住職のもとで仏教を学ばせていただきました。 いまだ自分の事が理解できずに、悩み、苦しみにまみれている私であります。 ご住職の生き方に、仏教は知識も大事ではありますが実践が仏道そのものであることを思い知らされました。 2024.6.9 doujikennzou
「知らずに犯す罪は重く、知ってつくる罪は軽い」一見、そうかなと思うような言葉のように思われます。私も長い間どうしてだろうと疑問に思っていました。 私事として、これまでの人生どれほど知らずに多くの罪を犯してきたことかと思わずにはおれません。自分の浅はかな思い込みで、この人生を生きてきました。よくよく考えてみますと、罪深い私であったと懺悔せざるを得ません。 刑務所巻頭言のお話、「仏法の香りのする人間になれ」自ら恥じて、罪を作らせない。 「他に罪をつらせない」しっかりと胸に受け止めなければならない言葉とお聞きいたしました。ありがとうございました。 追伸:2024年春の叙勲瑞宝双光章受賞おめでとうございます。篤志面接委員として長年ご奉仕され、その功績に与えられたものですね、この素晴らしい受賞に心からお喜び申し上げます。5月13日授賞式にはお体に気をつけられてお元気でご出席ください。 2024.5.1 doujikennzou
第45回視聴させていただきました、有難うございました。 他人事で済ますことの愚かさを知らされました、誰でも嫌な事には目を背け安易な方に逃げたくなるのが常のように思います。 しかし、その教訓として、しっかり自分の事として受け止める事が大切であるとお聞きしました。 2024.4.21 doujikennzou
至急 ユーチュウブが更新してから、コメントが遮断されています 解除願います 2023.12.9 堂路健蔵
ご連絡ありがとうございます。 原因がわかりましたので、コメントの方よろしくお願いいたします。
施す、についてのお話でしたが、我々俗世界で暮らしている身である限り、欲、妬みなどからは離れなれないものではないでしょうか。 私は、恥ずかしながら、損得で毎日を生きています しかし、事件、事故、戦争など毎日のように目にしますと何とかならないものかと悶々とした気持ちなり心が、暗くなります。 朝晩、犬の散歩や、所要で近所の方と顔を合わせます、初対面でもおはようございます、今日は、今晩はと声をかけるようにしています 次から、その人と会うのが楽しくなります、また、日常会話も弾み気持ちが明るくなります。これも大げさになりますが、施すことになると思っています 折角いただいたご縁を大事にしたいと思っています 9/30 doujikennzou
目健連尊者のお話、盂蘭盆の謂れを知ることが出来ました。 母親の子供や孫に対する愛情は、父親にない思い入れがありますね。 現在は、父親も家族思いがあり素晴らしい事だと思います。 小さい頃、わが身は捨ててでも人に尽くしなさいと育てられましたが、まず身内を、そして何よりも自分を中心に考えてしまいますね、心しなくてはならない事です。 有難うございました
高瀬舟、朗読も拝聴させていただきました このお話をお聞きしますと、わが身の凍る思いでございます 特に裕福ということでもない我が家ではありますが、人並みに暮らしていける日々でありながら不平、不満が絶えることがありません 真剣に向き合えることが大切であることが頭で分かっていながらなかなか直せないでいる自分が虚構の塊のように思えてなりません 阿弥陀様は必ずこの私を助けると誓ってくださいます いつか、喜んで阿弥陀様のもとに行けることを信じ、仏法を学ばせていただきたいと思います
何時もご視聴有難うございます。今回は森鴎外の高瀬舟を取り上げました。人間の生きることの辛さ、悲しさ、社会というものの中での生きづらさ、不条理をテーマにしました。本当の幸せとは何か?深く考えさせられた思いがいたしました。豊かさの中にどっぷりと浸かっていると、中々真実が見えません。仏さまという鏡に我が身を照らしてみると気が付かない私が見えてくる気がいたします。合掌
多忙のところ、いつもご返信くださりありがとうございます 歎異抄輪読会、今月の第14条は真宗の教えと相反することへの親鸞聖人のお言葉が語られています。 800年の時を超えて、今に聖人の言葉が引き継がれています。素晴らしい事です ご住職が、今、心の時代と言われながら心が語られていないとお示しくださいました。本当に悲しく、寂しい気持ちです。 微力ながら、人に親切に居心地のいい人生で終えたいと願っています
縁起と言うは非常に難しい言葉でなかなか理解しがたいですね。山から海につながる話、桶屋の話、他にも寓話的な話は沢山あると思いますが、山から海への話などは実証され、多くの漁民の方が恩恵に授かっておられます。 縁起を、今の私の生きている空間で実感出来たら、少しは生き方が変われるのではないか?先ずは縁起についてしっかり学びたいと思います
釈尊尊者のお話、老病死と求道者が出て参りました。生の言葉が見当たらないのですが求道者としてお受け致しました この世は、無常と儚さであることを知らされ、今生かされていることを大事にしようと思いました。いつもお話有難うございます 4/25 doujikennzou 先日は、正信偈納経大変有難うございまいた、有城さんにはお世話になり有難うございました。今後は写経をライフワークにしたいと思います。
今日は心に染みるお話を有難うござぃました
シュリハンドクの話「 塵を払わん 垢を取り除かん 」1本の箒の寓話、興味深くお聞きしました 外ならぬ人間の本性を明らかにされたお言葉であったと知らされました 人生の究極は「煩悩」であり「煩悩」にまみれた私が如何に生きていくのかが問われているのだと教えられました 有難うございました 2/5doujikennzou
うさぎと亀、興味深く拝聴させて頂きました。 人生、いい時もあれば悪い時もありますね、どのような状況に置かれても卑下することもなく、また傲慢になることもないという事ですね。 人間、誰しも弱いものです、難しい事ではありますが、一喜一憂する事なく、確かなものに身も心もゆだねられる生活が出来れば幸せな娑婆性を送れるのではないかと思います。 本日の法話で挫けることなく前向きに生きる力を頂きました、有難うございました。 1/1doujikennzou
新年、明けましておめでとうございます。いつもご視聴、有難うございます。誰も、いつも勝つときもあり、負ける時もある。立場の逆転が生じるときが必ずやってくる。亀はゴールを目指し、兎は亀に勝つことだけに終始していた結果ではないかと思います。人生勝ち負けだけではありません。置かれた立場で如何生きるか。また、その後の生き方に、重要なものを感じたことです。合掌
33回忌法要、子供のために営むことが出来なかったお母さん本当に辛かったことでしょう 私も、田舎から来阪した若い頃、アパート生活をしている家主さんの男の中学生の子供を足首のリンパ癌で亡くされたお母さんのことを思い出しました 3人兄弟の末っ子でとても母親思いの優しい子供さんでした、またすぐ上のお姉さんと仲のいい兄弟でした 家はクリーニング店をされていましたが、事情あって、ご主人と離婚され辛い思いをされた後に、子供さんを亡くされました ご住職のお話のように、これからの人生が夢と希望に満ちている最中の出来事で母親の心境は計り知れないものがあったことと思います この事実をどのように折り合いをつけていくのかすぐには答えは見いだせないのではないでしょうか 仏教では極楽浄土の教えがありますね、人間の力ではどうする事も出来ない出来事に出会うとそれを信ずることで救われると教えられました 今まだそのような事に出会えていない私ですが、阿弥陀様にお任せする生き方を今から自分の事として生きられたらと強く思います 12/10 doujikennzou
何時もご視聴有難うございます。貴重な経験を返信していただき、感慨深く読ませていただきました。人生には、マサか、想定外のことに遭遇することが多々あります。他人事ではない、明日は我が身だと、何時もきもに命じています。 しかし、どのように予測しても避けてとおれないことばかりです。お釈迦様没後、北に向かって阿弥陀仏信仰が伝播していきました。貧しくて文字も読めない、世にいう弱者のための浄土教が広まっていきました。親鸞様や法然様の時代もまさにそのような時代背景です。お念仏一つで救われるみ教えが民衆の拠り所となったのだと思います。合掌
短いご法話の中に現在の私の生きているそのままが透かされました。 毎日を気付くことなくただ無意味に生きている自分を知らされました 御恩、阿弥陀様の御恩、日常では感じることのできない、恩という意識が遠い事でありました 子供のころ、村の菩提寺で11月になればいつも報恩講がありました 平日でしたが、昼、学校を抜け出しお寺さんで檀家の人たちの接待で、その頃は食べることに事欠いた時代でしたから、白いご飯を腹いっぱい食べさせて頂いて幸せな気持ちのなったことを思い出しました その時は、御馳走にありつけたことで満足していましたが、今にして考えますと、阿弥陀様の御恩に感謝するというう事は全く思いも考えもありませんでした 今こうして、ご縁を頂き御同朋の方々と共に阿弥陀様の御恩に与ることが出来ることは何にも代えがたい私の生きる希望と支えでございます これからも阿弥陀様の智慧に導きを頂き最後まで生き続けたいと願っています。 11/4 doujikennzou
「 お陰様、もったいない、有難う、」この言葉は日常的によく使っていますね また、出会いの時には「 こんにちは 」の挨拶も欠かさずするように心がけるようにしています 金子みすゞさんの詩から、何とも言えない心優しさが沸き上がってきますね 乾いた日常から潤いのある日常が戻ってきますね 結局、私を含めて人間、皆、心の平穏を求めているのだと思います、だとしたら初対面の人とでも、自分から進んで先ず挨拶から始めることが大事ではないかと思います 自分の人生を豊かにするのは自分の意識を変えることから始まる思います いつも、ご住職様のお話有難うごさいます 10/5 doujikennzou
落語2題楽しく聞かせていただきました 最初から最後まで涙が出るほど久しぶりに笑いましたね 大変ありがとうございました。
ありがとうございました♪♪♪ 楽しかったです!!! また是非是非よろしくお願い致します。
お彼岸の時には喬介さん喬路さんには遠路はるばる正光寺にお越しいただきまして、落語のご縁を頂きましたこと、ありがとうございます。参詣者と共に楽しく拝聴させていただきました。また次回のご縁を楽しみにしております。合掌。
盂蘭盆会法要ですね。母方の御先祖御霊が神奈川県鎌倉市です。生前法学者だった方です。生前法学者だった母方の御先祖様が盂蘭盆会法要により浄化されますようにお祈り申し上げます。
お話を聞きながら「空気のようなも」日常では忘れていますね、たしかに大切なものを失ってしまう時「その事の重大さを知らさせる事になる」が、日常ではなかなかです なぜでしょう、今はまだ曲りなりに、身体も動いて不便ながらでも生活があり、雑多な日常生活があります この年になって、なかなか本当の大切なものが見えて来ません、多分、その時に身に染みて後悔することになると思いますが 本当は、何物にも代えられないものを大切にしたい気持ちは大いにありますが 7/13 doujikennzou
「人生の案内人」 御拝聴させていただきました 私にとっての師は誰かと考えてみました 子供のころは父母であり、就学すると先生であり、就職すると先輩、上司が師であったように思います 永年勤めた職場を定年退職し、束縛から解放され自由になり1年ぐらいは素晴らしい毎日でしたが、その後、無性に落ち着かず不安な状態でした その後、関連会社に勤めたり全く異業種の仕事もしてそれはそれで新鮮な毎日でした しかし、80歳近くになりますと体力の衰えはどうしようもなく周りに迷惑にならないうちにと思いきっぱり辞め、今度は全く家が全てになりました 家にいてもそれなりに生きてはいますが、生活範囲が狭くなり充実感は薄らいでくるのは仕方のない事かと思いますが、何か満たされない思いもあります そこで、これからの人生、何を主柱にすべきかと考えてみました 私は、幸いなことに正光寺様とご縁を頂く出来ました 仏が何かとも判らず、現役から学ばさせていただきながら娑婆世界の垢が抜けきらず、いつ迄たっても中途半端な生活でした、いまでもそうですが しかしながら「石の上にも三年」とありますように永年、聴聞を重ねていますと法語が少しずつ解き放され、深い味わいが湧いてくるように思われます 「ナモアミダブツと称えればすべて救われる」このことが本当にそうかと思えるには、まだ随分先の事になると思います、いや永遠にわからないと思います 残された人生、この素晴らしい「人生の案内人」親鸞聖人を法友と学び語り合えたら私の宝物です 2022.6.27 doujikennzou
吉川英治の名言「我以外皆師なり」とあります。親鸞聖人は第二条に「よき人」法然上人のことをさしておられます。第五条に「一切の衆生は皆世々生々の父母兄弟なり」とあります。生きとし生けるものはうまれたり死に変わったりしながら、父にもなり母にもなっているのだとあります。土手に生えてある一本一本の草木にもいのちが宿りお互いに支えあって生きている。様々のものは、それぞれの存在理由があるということではないでしょうか。それは決して都合の良いことばかりではないと思います。不都合なことも含めての有難いではないかと思います。合掌
瀬戸内寂聴、植木等、淀川長治さんの心にしみる言葉、深い感慨がありました 亡き母が、言い残してくれた言葉に「真面目に生きなさい」と諭してくれました これまでの私は恥ずかしながら親の気持ちを思う事なく周りに迷惑ばかりかけてきましたこれからは、何事にも感謝の気持で残された人生を幸せに終えることが出来るようにと思います 5/19
いつもご視聴有難うございます。「一期一会」という禅宗や茶道で使われる言葉があります。私流ですが、このように解釈しています。人生には出会いがあると、必ず別れがやってきます。親子、夫婦、兄弟、同僚、など、又、気が付かない出会いと別れもあります。決して都合の良い出会いばかりではありません。不都合のことのほうがより多いかもしれません。悲しい、辛い、涙した等、後者のほうが私にとって多く経験したことのように思います。今を支えてくれているのはこのことではなかったかと思います。み佛と皆様のお陰により今を過ごさせていいただいています。合掌。
「兵戈無用」お互いに尊重し合えば戦争はない しかしこの地球上で争いは尽きません 国境、民族、宗教等、理不尽な行動が武力によって決められようとしています 私たちは、無力でただ傍観者として悶々としているだけです 国連は平和を掲げて唯一の砦のはずが、全く機能不全でだだ虚しさだけが世界の人々を覆っています 今回の出来事から、これまでの紛争解決の在り方を全く違う事柄で考え直す必要があります 非常に複雑な問題ばかりです 私に名案は思い浮かびませんが、今の理不尽な争いを人間の英知で解決する事が出来るような仕組み作りを願っています 2022.4.29 doujikennzou
勉強会で会員の皆様から様々な情報やご意見を提供していただき、私自身、貴重な経験をさせていただいております。大変感謝しています。例えば、有城さんの恩師からの貴重な資料「兵戈無用」言葉の意味を改めて教えられ、お釈迦様の思想の深さを実感させていただきました。時代の重みや背景を担っていることを再度考えさせられました。仏教では「縁起」が基本です。運命論や宿命論ではありません。詳細は輪読会で申します。
@@正光寺のお寺チャンネル ありがとうございました 仏説無量寿経経文『仏の教えの諭し』深いものがあります 「縁起」と共に学びを深めたいと思います 5/5/ doujikennzou
3月21日彼岸法要有難うございました 三浦明利住職による音楽法話初めて拝聴させていただきました ご住職の歌声で大変感銘を受けました、歌詞に生きる喜び、大切さが伝わってきました ご住職様ならではの深い味わいを頂きました、有難うございました 正光寺住職の今月の法話、私の人生の先達、善智識につてお話がありました 我以外皆師也の言葉の通り沢山の先達の方々から生き方を学ばれたのですね 私も沢山の人々に人生の道を教えていただきました、正に我以外皆師也の言葉の通りと思いました 今現在、まさしくすべての事柄が私の人生のすべてであります 何事にも謙虚に皆様にお助けいただく事を旨として最後まで生きてゆきたいと思っています
ご視聴ありがとうございます。歌や楽器はいいものですね。三浦明利さんの濁りのない歌声に思わず、うっとりと聞きほれてしまいました。今後共、ご視聴とコメントをお待ちしています。宜しくお願いいたします。合掌
あけましておめでおうございます 昨年は大変お世話になりました、今年もよろしくお願い申し上げます ご住職にはご多忙中毎月の輪読会有難うございます 会員の皆さん、毎回楽しみにしておられます、私も一緒ですが お互いに自分の立ち位置でお話が出来て何かを頂いてお帰りになっておられます 本当に素晴らしい事ではないでしょうか 今年もよろしくお願い申し上げます 私事で恐縮ですが先々月から両腕の付け根のすじを痛めまして現在針治療中です 原因は分かっていますが、体の自由がままなりません 日々回復には向かっていますが3か月の治療期間を予定しています 毎月の例会は参加させていただきますのでよろしくお願いいたします 1/5 堂路
12月29日のお餅つき大会、元旦会法要と堂路さんお顔が見えないので心配しておりました。、
わざわざご返信ありがとうございました 1/19 輪読会参加させていただきます。 1/9 doujikennzou
お話お聞きし、長嶋愛生園の様子を知ることが出来ました ご住職は1975年ごろから、半世紀近い奉仕活動をされ、今も続けられていることに対し敬意と尊敬の念に堪えません これまで続けてこられたものは、私のような凡人では計り知れませんが、お話になった「普通の家庭のお話が聞きたい」とおっしゃた方のお言葉であったのではないかと思いました また、外の社会と閉ざされた島での生活で、ご住職のお話を待ち焦がれておられる様子が目に浮かんできます 再会を待ち望んで人がいるからこそ、長年にわたり続けられて、今に至っているのではないでしょうか 世間では、知られていないところで地道に活動をされていることに心から感謝いたします。 ありがとうございました 12/7堂路
日本の釈迦様と呼ばれていた事はあまり知られていないように思われます 当時の憲政の生みの親という位置づけが一般的でしょうか しかし、太子の思想は、多くの人や社会に現在も普遍的な影響を及ぼしています 日本人なら太子のお名前を知らない人はいないでしょう、日本人の心に深く宿された聖人ですね。 いつも、貴重なお話有難うございます 10/2 doujikennzou 不思議だね豆柴君、何故あんなに急いで走って行ったのかな、きっとご飯が早く食べたかったのかな?
聖人の文字が上人となっています。訂正お願いいたします。親鸞聖人は、太子を観音菩薩の化身・和国の教主(日本のお釈迦様)と敬われました。太子の願いは、争いのない平和な世の中でした。
聖人の文字が上人となっていました。訂正お願いします。親鸞聖人は、太子を観音菩薩の化身(日本のお釈迦様)と敬わっておられます。
親鸞聖人の正像末和讃に「和国の教主聖徳皇」とあります。また、200首の聖徳太子の和讃をおつくりになっておられます。それほど太子を尊敬しておられたことです。太子信仰は 中世(平安末期から鎌倉、室町)などに盛んになったとも言われています。太子の信仰と思想は今、現代人が忘れ去った大切な御心を学ぶことができると思います。
親鸞聖人の和讃に「和国の教主聖徳皇」とあります。ここが親鸞聖人から見ると、日本のお釈迦様という、所以です。
カナカナゼミの話を聞き少し悲しくなりました 7年も地中に住み1週間で死んでゆく運命、生き物の世界本当に惨いものだなあと心が穏やかではありません 人生もまた長生きする人もいれば、病気、事故など思いがけないことで短い命を終える運命となる人もおられます 日常、何も知らずにただ健康健康と自分の殻に閉じこもって生きている自分がいます 生まれ、死に、老い、今の私には全く無明でしかありません 残された命、少しでも仏の教えを頂き、自己を洗い流し真人間として往生させていただければと思います 豆柴くん、おいしいケーキよかったね、これからもしっかりとお寺さんを守ってくださいね 7/26 doujikennzou
コメントは166文字が限界だそうです。いつもご視聴有難うございます。いつも堂路さんの感慨深いご意見に胸打たれます。勉強会の皆様の発言に私自身多くのことを教えられ、諭されています。今後も宜しくご視聴ください。合掌。
中道という言葉はよく聞く言葉です、一般的に偏らない考え方を指すものと受け止めていました 悩み苦しみの時、行き詰まって落ち込む時があります 今月の法話でお釈迦様の教えがその苦悩から解放されることに気づかされました これまで自分の努力だけが頼りとしていたものが、他人との摩擦や迷惑をかけていたことに気づき痛感させられました 有難うごぜいました 7/26 doujikennzou
背景の桜、満開で大変綺麗でしたね、お花見気分を十分味わいさせていただきました 恩送りの言葉初めてお聞きしました、御恩報謝とは私流に言いますと、阿弥陀様に対してのお言葉でしょうか。 いずれにしましても、これまで長い人生の中でよく職場の先輩に「いろんな人のお陰で生きているんだよ、迷惑もかけているんだよ」と聞かされてきました。全くその通りでした 振り返ってみますと、私の人生も法に触れることはありませんでしたが、ずい分周りに迷惑をかけてきた人生だったとつくづく思わされてなりません。今でもそうですが。 残された命を少しでも役に立つ事をと思いつつ頑張らさせていただきたいと願っています。
いつも貴重なコメント、有難く頂戴しております。作家の高史明さんの一人息子さんが以前高いビルから飛び降りて自死をされました。高さんはいつも学校に行くとき「お前も中学一年生なったんだから、他人に迷惑をかけてはいけないよ⁈」と言い続けたそうです。しかし高さんをは、私はこう言うべきであったと「人間というものは人に迷惑をかけないと生きてはいけないものだと」迷惑をかけるな‼と迷惑をかけている⁉と何処が如何違うでしょうか?あらためて日常に潜む大切なことを気づかされたことです。合掌
まさか、ですね。考えさせられました。 前回からのまめがかわいくて❤️
いつも、ご視聴有難うございます。私は豆助と言う柴犬です。お客さんが来ると必ず吠えます。好物はお肉の缶詰です。おやつは歯磨きガムです。朝夕の散歩が一番の楽しみです。他の犬に出会うと必ず威嚇をする気の強い犬です。時々ユーチューブに登場しますので宜しくね。
いつもありがとうございます ご住職のお話をお聞きして、改めて何気なく見逃している大切な事柄がたくさん出て参りまして身の引き締まる思いでございます 本来、身についているはずの事柄が全く備わっていない私が思い起こされ、これまでの生き方に指針をいただきました、一つでもこのお言葉が身に備わるようにして精進して参りたいと思います 第10回 安心安全に潜むま坂(さか)の世界、有難うございました 4/6 doujikennzou
いつもご視聴ありがとうございます。私自身えらそな顔をしながらご法話をしていますが、身近な方にお育てをいただています。多くのご縁をいただいて生かされて生きている身でございます。吉川英治の名言に「我以外、皆師なり」とあります。都合の良い人も、不都合なひともみんな私にとって先生であると承っています。合掌。
田のあぜ道を歩くと草木に小さな花が咲いているのを見かけます。私はここに咲いているんだよ。踏まないでおくれと言っているようです。駅まで歩くと、ここにこんな看板が、こんなお店が、こんな花がと気が付きます。歩くって好いですね‼
春の彼岸法要有難うございました 春秋年2回の法要いつも感謝しています いずれこの身も阿弥陀様のお浄土に往生させていただけるよう、日々精進を重ね大切に生きたいと願っています
毎回のご視聴、感謝申し上げます。いつも貴重なコメント、身が引き締まる思いでいっぱいです。阿弥陀様におまかせするだけで、お浄土に生まれる有難い御宗旨です。しかし、私たちは疑心を常にもちあわせています。愚かで恥ずかしいことです。合掌。
1月の法話聴聞が遅くなりました(3月8日聴聞聴取) 短い時間ですが、示唆に富んだ素晴らしいお話有難うございました 今、家族は妻と2人暮です 現役引退後16年となりました、それまで嘱託社員、シルバー人材センターなど現在は接客サービス業で社会参加しています 素晴らしい世界が手の届くところにあるにもかかわらずなかなか溶け込めない私があります わがままな心、これまで生きてきた人生の垢のようなものが積もり積もってどうしようもない自分を感じています 素晴らしい法に出会い、これからも少しずつ少しずつ進んでいきたいと思います どうぞよろしくお願い致します。 合掌 2021.3.8
コロナにより今年は失礼しました 丑年のご法話面白く拝聴させていただきました 家内が今年年女となりました 今年、1年が明るい年になりますようにお祈り申し上げます また、正光寺歎異抄輪読会、今年もよろしくお願いいたします 齢を重ね、法の教えが有難く感謝の気持ちが強く感じられるようになりました 今年は、もっと、深く今年は学ぶことができればと思っています どうぞよろしくお願いいたします。 追伸:年賀早々に頂戴し誠にありがとうございました 明日香さんの版画、親鸞聖人 有難うございました、聖人の求道心のお顔が よく出ていましたネ、ありがとうございました
いつもご視聴ありがとうございます。皆様のご視聴とコメントが励みになっています。年末に長男清隆享年83歳で往生いたしました。心にぽっかりと穴が開いたような気がいたします。改めて諸行無常を学習しています。有り難いことです。合掌。
ご長男様のご逝去心よりお悔やみ申し上げます ご不自由なお身体で辛かった事でしたでしょう 丁度、年末にお伺いした折デイサービスから帰宅されたときに入り口でお見掛けしました その時はお元気そうでしたが、突然なことで驚かれたことでしょう 私もそれまでお話は聞いていましたが、まさか最後の時にお会いできるとは実に不思議なことです 正光寺様には長年、お世話になりこれも何かのご縁と思います 83才の生涯、安らかにお休みください 合掌 2021.1.8
@@堂路健蔵 往生したのは豊中にいる長男です。正光寺にいるのは次男です。お気遣い有難うございます。
大変失礼いたしました、てっきり本人さんと思い勘違いしました 次男様のことで私が役に立つことがありましたらおっしゃってください
「お陰様で」の言葉はよく使っていますがその意味はよく分からず今日に至っていました ありがとうございました。
日本語の感謝の言葉は沢山あります。有難う、有難い、勿体ない等です。但し、本当の感謝は決して都合のよいことばかりではありません。不都合なことも含めての感謝です。悲しい、辛い、恥ずかしい、愚か、等です。
深い教えを頂きました これまで、まったく考えもしなかった事です そのようにお聡を頂きますと、仏智のお心が大変深く偉大なものであると痛感させられました 11/23堂路 @@正光寺のお寺チャンネル