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中年タケシのユルいキャンプでOK
Добавлен 15 окт 2021
徳島県在住です。
中年タケシのユルいキャンプとは、大自然の中、広い空間で遊んだりご飯を食べたりと楽しいものを気軽に出来るユルいキャンプ動画を配信しています。
オリジナルな発想で阿波古代史の紹介を配信しています。
阿波には隠されていた古代史が沢山ありますね。
邪馬壹国は阿波にあった。
ruclips.net/p/PLonQ4va8MjkOKtQns-vUre7Vmxcq-pzF6
中年タケシのユルいキャンプとは、大自然の中、広い空間で遊んだりご飯を食べたりと楽しいものを気軽に出来るユルいキャンプ動画を配信しています。
オリジナルな発想で阿波古代史の紹介を配信しています。
阿波には隠されていた古代史が沢山ありますね。
邪馬壹国は阿波にあった。
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猿と渦の奇妙な関係(裏編) サルタヒコ 邪馬壹国阿波説をレポート
海陽町の御崎神社
御崎神社 旧無格社
海部郡海陽町浅川字中相四七
主祭神
猿田彦命
由緒沿革
創立年代不詳。
『寛保改神社帳』 に「浅川浦 御崎明神 別当浅川浦 山伏吉祥院」と、
『阿波志』には「岬祠 浅川村に在り 寛永八年(一六三一)重造す」とある。
御崎神社 旧無格社
海部郡海陽町浅川字川ヨリ西一六八
主祭神
猿田彦命
由緒沿革
慶長二年(一五九七)浅川浦開拓に当り祀ると伝えられている。
『寛保改神社帳』に「浅川村 御崎明神 別当浅川村山伏 吉祥院」とある。
昭和二十八年、愛宕神社(字山の上一〇))、厳島神社字川ヨリ西一五七)何れも旧無格社を合祀。
御崎神社 旧村社
海部郡海陽町熱田字御崎谷一七
主祭神
猿田彦命
由緒沿革
創立年代不詳。『寛保改神社帳』に「熱田村 御崎大明神 神主吉野村 伊野八大夫」と、『阿波志』には「岬祠 熟田村に在り」とある。
また『海部郡取調廻在録』には「熟田村、神社 御崎大明神 宝劒則別図、此村は吉野村の枝村のよし伝ふ」と記しているが、この宝劒は現存していない。明治三年(一八七○)現社号に改称した。
御崎神社 旧無格社
海部郡海陽町相川字笹無谷七ニノニ
主祭神
猿田彦神
由緒沿革
創立年代不詳。『寛保改神社帳』に「相川村 三崎大明神 神主細野村 惣大夫」と、
また『阿波志』には「相川村に岬祠あり」とある。
御崎神社 旧村社
海部郡海陽町若松字土平一三ノ一
主祭神
猿田彦神
(相殿)
須佐男神
天穂日神
速秋津彦神
由緒沿革
創立年代不詳。
もと若松宮前に鎮座。
『寛保改神社帳』に「細野村(今若松村ト云ヨシ)三崎大明神 神主細野村惣大夫」と、また『阿波志』には「岬祠若松に在り」とある。
当社所蔵の永享年間の古鐘は青銅製、高...
御崎神社 旧無格社
海部郡海陽町浅川字中相四七
主祭神
猿田彦命
由緒沿革
創立年代不詳。
『寛保改神社帳』 に「浅川浦 御崎明神 別当浅川浦 山伏吉祥院」と、
『阿波志』には「岬祠 浅川村に在り 寛永八年(一六三一)重造す」とある。
御崎神社 旧無格社
海部郡海陽町浅川字川ヨリ西一六八
主祭神
猿田彦命
由緒沿革
慶長二年(一五九七)浅川浦開拓に当り祀ると伝えられている。
『寛保改神社帳』に「浅川村 御崎明神 別当浅川村山伏 吉祥院」とある。
昭和二十八年、愛宕神社(字山の上一〇))、厳島神社字川ヨリ西一五七)何れも旧無格社を合祀。
御崎神社 旧村社
海部郡海陽町熱田字御崎谷一七
主祭神
猿田彦命
由緒沿革
創立年代不詳。『寛保改神社帳』に「熱田村 御崎大明神 神主吉野村 伊野八大夫」と、『阿波志』には「岬祠 熟田村に在り」とある。
また『海部郡取調廻在録』には「熟田村、神社 御崎大明神 宝劒則別図、此村は吉野村の枝村のよし伝ふ」と記しているが、この宝劒は現存していない。明治三年(一八七○)現社号に改称した。
御崎神社 旧無格社
海部郡海陽町相川字笹無谷七ニノニ
主祭神
猿田彦神
由緒沿革
創立年代不詳。『寛保改神社帳』に「相川村 三崎大明神 神主細野村 惣大夫」と、
また『阿波志』には「相川村に岬祠あり」とある。
御崎神社 旧村社
海部郡海陽町若松字土平一三ノ一
主祭神
猿田彦神
(相殿)
須佐男神
天穂日神
速秋津彦神
由緒沿革
創立年代不詳。
もと若松宮前に鎮座。
『寛保改神社帳』に「細野村(今若松村ト云ヨシ)三崎大明神 神主細野村惣大夫」と、また『阿波志』には「岬祠若松に在り」とある。
当社所蔵の永享年間の古鐘は青銅製、高...
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徳島県吉野川市 美郷の古き言い伝え この伝承の裏に隠された真実とは
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美郷の伝説 www.city.yoshinogawa.lg.jp/docs/2023092000015/file_contents/17.pdf
製塩と導きの神 塩椎神 邪馬壹国阿波説をレポート
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塩土老翁(シオツチノオジ)は名前の「老翁」の部分からも想像できる通り、老人の姿であらわされる事が多い海の神です。 神話の中では見識を備え幅広い知識を持っている人生経験が豊かな神として描かれています。 海の神でもあるのですが、それ以上に新たな世界へ続く、道しるべの神様になるのです。
天照大神の宇気比から生まれた五人の皇子達 邪馬壹国阿波説をレポート
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「王子神社縁起」には、 天照大神の第一皇子・天忍穂耳命(アメノオシホミミ)を祀る一王子祠が八万町福万谷に、 第二皇子・天之菩卑能命(アメノホヒ)を祀る御縣神社が小松島市に、 第三皇子・天津日子根命(アマツヒコネ)が当社に、 第四皇子・活津日子根命(イクツヒコネ)を祀る四王子神社が八万町長谷に、 第五皇子・熊野久須毘命(クマノクスビ)を祀る熊野神社が丈六町に在ると記されている。 また八万村史には第二皇子は八万町柿谷の二王子祠に祀られ、一王子から四王子までが八万村に在ったとされる。
来訪神 少彦名命の逸話 邪馬壹国阿波説をレポート
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『播磨国風土記』揖保郡 稲種山 稲種山。大汝命、少日子根命、二柱の神、神前郡堲の里生野の岑に在して、此の山を望み見て云ひたまひしく、「彼の山は、稲種を置くべし」といひたまひき。稲種を遣りて、 此の山に積みき。山の形も稲積に似たり。故、号けて稲積山と曰ひき。 『伊予国風土記』逸文 温泉 伊予国の風土記に曰はく、湯郡。大穴持命、見て悔い恥ぢて、宿奈毗古那命を活けむと欲して、大分の速見の湯を、下樋より持ち度り来て、宿奈毗古那命を以ちて漬浴ししかば、蹔が間に活起り居りき。然ありて詠して曰はく、 「真に蹔し寝ねつるかも」と曰ひて、践み健びし跡処、今も湯の中の石の上にあり。 『釈日本紀』巻十四「幸于伊予温泉宮」 『万葉集註釈』巻第三、三二二) 『尾張国風土記』登々川 尾張国二登々川ト云フ河アリ。菅清公記云。大己貴ト少彦ノ命ト巡国之時、往還ノ足ノ跡ナル故ニ曰跡々。 『伊豆国風土記』逸文 温泉 大己...
大日孁の神名で祀られている阿波の神社を紹介
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小松島市大林町字北浦 東宮神社 阿南市羽ノ浦町古庄宮ノ後 八幡神社 勝浦郡上勝町福原字川北 王子神社 勝浦郡上勝町生実字府殿 三所神社 名西郡神山町鬼籠野字東分 鬼籠野神社 名西郡神山町阿野字持部 神明神社 名西郡神山町阿野字雨返 八幡神社 板野郡板野町大坂字宮ノ本20 大宮神社 阿波市吉野町西条町口 一條神社 三好市山城町光兼 大日靈神社 徳島市国府町西矢野 天石門別八倉比賣神社 板野郡藍住町笠木字中野 杉尾神社 名西郡石井町石井字前山 八倉姫神社 徳島市名東町 若宮神社
神山町神領 卑弥呼の山城(後編) 邪馬壹国阿波説をレポート
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前回の中年タケシのユルいキャンプでOKは 卑弥呼の山城といわれる高根悲願寺に向かう中年タケシと初老トクベイ。 先ずは雨乞いの滝の入口にやってきました。 その場所は神山町神領石堂になり岩門になっている地形になる。 第一石門のすぐ近くにはうぐいす滝。 不動滝の近くにある大玉石。 地獄淵には第ニ石門がある。 もみじ滝から観音滝へ最後に雨乞いの滝を訪問してから 大岩壁の登山道を使って高根悲願寺に向かうのであった。 阿波を発信しているRUclips ANYAチャンネル youtube.com/@anya5810 阿波千年物語り youtube.com/@takaokamm 神社ねこ youtube.com/@right-post 邪馬台国は阿波だった! youtube.com/@yamataikoku リアル神社 youtube.com/@kanji-kun1280 ソロモンクロニクル you...
神山町神領 卑弥呼の山城(前編) 邪馬壹国阿波説をレポート
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前回の中年タケシのユルいキャンプでOKは 吉野川市山川町舟戸 旧美馬郡穴吹町と木屋平村との境界に位置する杖立峠 那賀町坂州追立 勝浦町坂本と佐那河内村村下の境界にある杖立権現越 徳島市一宮町西丁にある船尽比咩神社 徳島市入田町大久の船盡比賣神社 岐神に関係ある地名を全部で5箇所回ってきた。 これらを線で引いてみると、なんと、五角形の形になり、この五角形こそ高天原の結界になる。 そして、この五角形の中心部分が神山町神領になり、その場所には高根悲願寺がある。 阿波を発信しているRUclips ANYAチャンネル youtube.com/@anya5810 阿波千年物語り youtube.com/@takaokamm 神社ねこ youtube.com/@right-post 邪馬台国は阿波だった! youtube.com/@yamataikoku リアル神社 youtube.com/@ka...
一宮城主と一宮神社の大宮司を兼任した戦国武将 一宮成祐 波乱に満ちた生涯
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一宮城は、南北朝時代に天険を利用した山城で、のちに大幅に改修された。東竜王山の北東に延びた枝尾根の最先端にあり、本丸部分は標高144.3m、麓からの比高は約120mの山嶺に築かれ、石垣下は急傾斜となっている。北は鮎喰川、東は船戸川、園瀬川が天然の濠として、背後には四国山脈がひかえている。一宮城は南城と北城の二城から成り立っている。本丸は北城に属し、明神丸等の曲輪は南城に属し、山麓には居館があったと言われている。一宮城は徳島県内で最大級の山城である。三好氏と長宗我部氏の攻防の舞台にもなった。1954年(昭和29年)8月6日、徳島県指定史跡に指定。
高天原の結界(後編) 邪馬壹国阿波説をレポート
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前回の中年タケシのユルいキャンプでO Kは、 高天原は岐神の結界で守護されていると聞いた中年タケシと初老トクベイは、舟戸と杖立に関係している場所へ行きます。 吉野川市山川町舟戸に行くと、そこは高越山が拝める場所の近くで、藩政時代は交通の要所として人や物資の往来が多い渡しであった。 岩津の渡し船は、阿波町岩津と吉野川市舟戸を結ぶだけでなく、隣国を連絡する交通の要路でもあったのです。 次に向かったのが美馬市に位置する杖立峠。杖立峠は剣山への参拝道としてよく使われた峠でかつて「杖の森」とも呼ばれた場所だった。 那賀町坂州追立では坂州木頭川の峡谷にのぞむ断崖地帯であり、平家落人伝説がある地だ。この地は何もかも寄せ付けない天然の要害だったのです。 そして、次は勝浦町と佐那河内村の境界にある杖立権現越に向かいます。 阿波を発信しているRUclips ANYAチャンネル youtube.com/@...
高天原の結界(前編) 邪馬壹国阿波説をレポート
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阿波を発信しているRUclips ANYAチャンネル youtube.com/@anya5810 阿波千年物語り youtube.com/@takaokamm 神社ねこ youtube.com/@right-post 邪馬台国は阿波だった! youtube.com/@yamataikoku リアル神社 youtube.com/@kanji-kun1280 ソロモンクロニクル youtube.com/@solomon88358 のだせんいち youtube.com/@のだせんいち J's Life and History youtube.com/@jslifeandhistory?si=T2GR1YHNsKWyRXIl 目から鱗の歴史チャンネル youtube.com/@castleman4502?si=VmgGs0eMvFz3z85n シン・きー歴史沼チャンネル youtube.co...
邪霊の侵入を防ぐ神 邪馬壹国阿波説をレポート
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参考資料 www.lib.kyutech.ac.jp/libi/tech-repo/naoyakondo.pdf 阿波を発信しているRUclips ANYAチャンネル youtube.com/@anya5810 阿波千年物語り youtube.com/@takaokamm 神社ねこ youtube.com/@right-post 邪馬台国は阿波だった! youtube.com/@yamataikoku リアル神社 youtube.com/@kanji-kun1280 ソロモンクロニクル youtube.com/@solomon88358 のだせんいち youtube.com/@のだせんいち J's Life and History youtube.com/@jslifeandhistory?si=T2GR1YHNsKWyRXIl 目から鱗の歴史チャンネル youtube.com/@c...
神倭伊波礼毘古命 東征への出発 邪馬壹国阿波説をレポート
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阿波を発信しているRUclips 阿波を発信しているRUclips ANYAチャンネル youtube.com/@anya5810 阿波千年物語り youtube.com/@takaokamm 神社ねこ youtube.com/@right-post 邪馬台国は阿波だった! youtube.com/@yamataikoku リアル神社 youtube.com/@kanji-kun1280 ソロモンクロニクル youtube.com/@solomon88358 のだせんいち youtube.com/@のだせんいち J's Life and History youtube.com/@jslifeandhistory?si=T2GR1YHNsKWyRXIl 目から鱗の歴史チャンネル youtube.com/@castleman4502?si=VmgGs0eMvFz3z85n シン・きー歴史...
竜宮 ワダツミ神の宮殿は四国最東端の島 伊島 邪馬壹国阿波説をレポート
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古代は海水が深く入込んでいた阿波の式内社 邪馬壹国阿波説をレポート
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式内社 和多都美豊玉比賣神社のミステリー 邪馬壹国阿波説をレポート
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ヤマタノオロチの正体は三大暴れ川 四国三郎吉野川 邪馬壹国阿波説をレポート
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ヤマタノオロチの正体は三大暴れ川 四国三郎吉野川 邪馬壹国阿波説をレポート
チャンネル登録させて頂きました。長と粟が合併して『阿波』とした。別の動画にそうありましたよね。この記述にピンと来ました。 下関市粟野町の隣に、長門市があります。 粟と長。なるほど地名相似。因みに長門には徐福伝説があります。 下関市豊北町と言う名にも、思うところがあります。 日本人の故郷、阿波国。来年は神社巡りに行きます。ありがとうございます。
中年たけしさんのフィールドワーク、レポートは映像もそうですがリアリスティック過ぎて現実感がすごいですね😅 名称や地勢などから鑑みても阿波の整合性の高さが伺えます。 猿田彦とはつまり佐田、狭田、狭長田彦ということでしょうか。 佐(サ)の彦という意味? 猿田の「る」はオオヒルメの「ル」と同じく「の」の意味なんでしょうかね? (確かにサルタヒコと動物の猿が結びつきません) あと沖縄のサダル神とサルタ彦が語感や属性が似すぎてて同一系統としか思えないですね。 愛媛県西端も佐田岬がありますね。サルタヒコと関係があるのでしょうか? 海陽町の 御崎神社の数の多さにびっくりです。 御崎(ミサキ、岬、御先、先、)も「サ」としての意味を持っていると思われますね。 猿田彦=積羽八重事代主という説もありますよね。 事代主も大神としての属性を持っていますし(恵比寿大神)、大国主曰く 「事代主神が先頭に立てば国津神たちはみな事代主神に従って天津神に背かないだろう。」とも言わしめる大人物ですね。 そんな事代主の兄弟には阿遅鉏高日子根神がおり、別称は「迦毛大御神」ですね。 これはちょっと天津神>国津神という単純な構図では無さそうですねm(_ _)m
ご視聴いただきありがとうございます。 次回は事代主にチャレンジしてみようかなと思います。 猿田彦にチャレンジした時、調べていたらと事代主と同一神? 三輪高宮家の系図にあるようで、調べるほど古代史の沼にはまっている感じです。 佐田岬半島は日本一細長い半島で、陸の孤島と呼ばれていたようで、魏志倭人伝に出てくる帯方郡の使者はこの半島を目印に四国まで航海してきたと思います。 地名や土地の名前の由来は5大要素があるようで、地形・地勢、象徴的なもの、人名、合成地名、新しい地名。 佐田岬もサルタヒコと関係しているのかもしれません。 阿南市椿泊にも佐田神社がありますので、ここも何かサルタヒコに関係しているのかとも思いました。
温故知新、素晴らしい、ありがとうございます
佐那河内村出身の者です。佐那河内村の名東郡は、今でこそ一郡一村ですがかつては今の徳島市や国府も名東郡だったと聞いて育ったので、伊で勢いがあったから伊勢にはなるほどと思いました。
ご視聴いただきありがとうございます。佐那河内村は徳島県の中でも歴史深い場所ですね。
サルタヒコ、天照大神、面白かったです👍次回も楽しみにしてます😄
ありがとうございます😊 猿田彦珈琲はサルタヒコが好きだったのかな😊
これは、すごい考察力ですね!
ありがとうございます。 最近、YAMAPを使って、天孫降臨のルートを調べていました。
色々な所で祀られる猿田彦神、とても勉強になりました。 那佐半島は稲佐(委那佐?)の小浜に突き立てたツルギのように見えますよね。 また、天鳥船神を天夷鳥命・阿波伎閉委奈佐毘古命と同神とする系図もあるとwikipediaで見ましたので かつては那佐湾を見下ろす山に鎮座されていた和奈佐意富曽神社と合わせて海部との繋がりが本当にあるような気がしてきます。
ご視聴いただきありがとうございます。 和奈佐意富曹神社も謎が多すぎて元々どこに鎮座されていたのか? 御祭神はどの神様になるのか。 機会があれば考察してみたいです。
いつ見ても参考になります。山伏吉祥院は轟神社宮司の祖先になります。
ご視聴いただきありがとうございます。 浅川の情報ありがとうございます。 轟神社は近くまでは行っているのですが、訪問することが出来なかったので、次回、海陽町に行く事があれば行ってみたいです。
@Takeshi-no-yuruicamp-de-Ok 宮司の家は浅川です😄
11:48 概要欄の6伊都国に「世々王がある。みな女王国に属している」と書いて有りますが、 実際には「丗有王 皆統屬女王國」ですね 丗という漢字は、1文字だけだと、30を意味します 「30の王が伊都国に居て、みんなが女王国の統治に属す」ですね 2:55 直線距離だと、対馬までは86km、壱岐までは40km程、宗像市までは60km程ですよ 7:41 都から都の距離ではなく、後漢書倭伝でも有る様に、国境から国境までの距離 30国の王は伊都国に居たと思います 8:16 これだと、宮崎県までに灘と湾で水行を2度してますよね もう邪馬壹國は宮崎県で良くないですかね
2:45 4:20 4:58 5:05 前方後円墳ですね ですが、卑弥呼の墓は「大作冢(大きな墓穴)」であり、大きな墓穴を土で塞いだだけの墓です 史記正義では「言冢內作宮觀及百官位次 奇器珍怪徙滿冢中 臧才浪反」 「按 今帝王用漆燈 冢中 則火不滅」「音延下同謂冢中神道」 始皇帝陵の地下の埋葬空間を「冢內 冢中」と書いています 蜀志諸葛亮伝「亮遺命葬漢中定軍山 因山為墳 冢足(足りる)容棺 斂以時服不須(不要)器(明器)物」 諸葛亮孔明の墓には、墳があり、墳とは別に冢がああり、「冢は棺が入る程度の容量で足りる」と書いています 「塚」は「土」+「冢」 冢に土をかけた状態を意味する 南北朝時代の北朝を書いた「北史」で初めて使われる漢字ですね
アメノウズメ楽しく拝聴しました🤗👍表編ということは次は裏編かな?楽しみにしています😊
次回は裏編です😀 表編のアメノウズメと違って裏編は「ヤバイ人」になっているかもしれません😀
最近の研究が進んで四国から畿内に内需拡大に遷都して九州は支那などの外敵から防衛する拠点でコレら一帯は連合国家だった。と言う見方が増えつつありますね。
毎回楽しみに観ています、今回も大変勉強になりました、阿波巡りの参考とさせて頂きます
ご視聴いただきありがとうございます。 山の中の神社だと、カーナビでも変な場所に案内される場合がありますので、ご注意下さい。 素敵な阿波巡りになればいいですね。
Exceptional content, created with dedication, gained valuable takeaways, thankful for your sharing! Subscribed and liked! Thanks for sharing from a new friend. 👍 SUBSCRIBED 😁! Like.
美郷村という名称は昭和50年の町村合併で、三山村、東山村、中枝村の合併で生まれました。近隣町村では元の村や町の名称を合わせて、山川町とか美馬町とかなずけたけれど美郷村というのはいい名称でうらやましがられたものです。この話の焼山寺以外は中枝村の話です。でも在所の人々の間で語り継がれた話だとは聞いたことがないけれど、どこかに残っていたのでしょうね。
ご視聴いただきありがとうございます。 みさとの伝説という本を読んで今回は考察しました。 みさとの伝説はインターネットでも閲覧できます。 概要欄にリンクを貼っていますので、よければご覧になってください。
タケシさん素晴らしい考察です。私も焼山寺の名前の由来が気になっていたのですが、納得です!
個人的には一宇の天磐戸神社奥の神楽が踊れるくらい広い磐座がスピリチュアル感一杯で好きです。(恐らく忌部系の遺跡だと思いますが‥)勿論ここ神山も佐那河内も立岩神社もいいですが‥一宇は別格です!
卑弥呼さんの伝説が。 なるほど、九州から四国へ。 あり得ますね。そして近畿へと。 興味深い動画、ありがとうございます。
毎回動画が有益です。面白い。高画質でありがたいのですが、できればHDRをオフでアップが嬉しい。 毎度輝度をコントロールするのが面倒なのが惜しい。
美郷の古き言い伝え、なるほど!南海トラフ地震の事なのかも知れないですね😲 焼山寺という名前も気になってました。とても立派なお寺で行ってみたくなりました😄凄く見応えありました👍
面白かったです!地震や火山は古神道では神😊
美郷の生まれですが初めて聞きました。途中まで美郷は法螺吹きが多いですからねとコメントしようと思ってましたが笑。地震のことを都市伝説にしてたんですかね。ちなみに中村の西条は(にしじょう)でGoogle Earthでは中畠表記になってます初めて聞きました。ちなみに私は中村の生まれです。
少彦名のお話はロマンがありますね!話は変わりますが、大阪の道修町(どしょうまち)に祀られています少彦名神社(中国の神農様と一緒に祀られていて別名 神農さん)は近くの有名製薬会社がこぞってお参りする製薬業界では特に有名な医薬の神様ですね⛩️(昔は有名製薬会社の本社が軒を並べておりましたが、今は東京に本社を 移転する企業が多いのが残念です💦
これは、面白い!見ごたえありましたv
ANYAさんのチャンネルでいつも勉強させていただいていますけど、白鳳地震が阿波古代史の転換期だという事に影響を受けています。 日本書記には白鳳地震は阿波の事は書かれていませんが、今回は美郷の伝説にあるお話しの一つに白鳳地震の事だったんじゃ ないだろうか? そう思い動画にしてみました。
@@Takeshi-no-yuruicamp-de-Ok 白鳳地震が分岐点と考えていますv今度オンライン参加してください~~v
タケシさん、とても面白かったです。 伝承って、当時の人が、後世の子や孫に語り継ぎたい何かなんでしょうね。 今回の考察腑に落ちます。美郷町という場所へ行ってみたくなりました。
ねこさん。ご視聴ありがとうございます。 今回の動画は前回のツクヨミで月野を調べていなかったら多分、みさとの伝説という本があることに気がついていなかったかも知れないです。 前回は単純に月野に隕石が落ちたからこのような伝承になったのだろうかな? そう思っていたのですが、あまりにも非現実だったので、再度、調べなおしたのが今回の動画のきっかけです。 それはないでしょうという伝承でも、当時に何かの出来事があって語り継がれていく。 なにがあったのだろうか? と考えるのも古代の面白いところです。
興味深い動画ありがとうございます。いつもよりBGMもマッチしてましたね。四国の古い伝承集めて共通点集めると歴史的事実が浮かび上がる可能性がありますよね。隠れ場所の祖谷も多くの伝承がありますよね。
昨日は、ありがとうございました。 掘割の近くからの眺めってほんとに綺麗ですよね。チェリーロードは4月のツーリングは最高です。 今鞍は現知事・後藤田の祖ですよね。月読命神話が残るのですね・・・、徳島はホントに深いです。 さて、 長官というか刺史を、日本語では”そち”とか”そつ”とか言っていました。 延喜式を読むと、10世紀の九州は大宰府が統括し、税も一括して扱っていました。長官は、大宰帥(だざいのそつ)と呼ばれています。一大卒は「伊大-帥(意味的に)」「委大-帥」あるいは「伊つ大-帥」「委つ大-帥」(”つ”は助詞)の音写かもしれませんね。みやこ町勝山地区は古代の東西南北の交通の要衝です。(昨日示したように)南の山の山上は要塞化された神籠石で有名です。
実は堀割にあるチェリーロードは最近知りました。 月野の調査で現地に行くことがなければ知らないままだったかも知れせん。 桜が咲く頃に車でドライブしてみたいですね。 最近、よく思うのは紀の国が和歌山県、豊の国が大分県のように阿波が伊の国だったっていうのを世間的に認知されたら阿波の古代史も進みやすいかなと感じました。 財団ももっと伊の国だった事をアピールするべきです。 御所ヶ谷神籠石は7世紀後半頃に作られた山城跡だとする説が有力のようですが、僕の動画でも既に3世紀には福岡県京都郡みやこ町の周辺は重要地であり拠点にしていたとの紹介をさせていただいたことがあります。 阿波が伊の国と古代史に興味ない人でも知るようになれば、 伊都国だけでも阿波に繋がりがあると直ぐに分かると思います。
So nice upload, awesome presentation, thanks for sharing dear. All the best to you. Have a wonderful day and see you next time again. Many Greetings from Germany. ♥ Like 44
月読尊は東北唯一の旧官幣大社月山神社に祀られていますよ。
アップロード有難う御座います。とても勉強になる動画でした。また、月読命の回、やって下さい。☺️ 所で、背景が白っぽくなると字幕が見え難くなるので、黒色で囲うフォントにしてはどうでしょうか?折角、良い字幕を入れて頂いているので、少し気になりました。✍️
ご視聴いただきありがとうございます。 次回動画を更新する時は注意しながら字幕を入れていきたいと思います。
こんばんは🌛お疲れ様です☺ 月野の地形の話し!面白かったです🤭👍
ご視聴いただきありがとうございます。 次回は月野の話しに続く、美郷の話しにチャレンジしてみようと思います。
天照大御神(賀志波比賣・かしはひめ)についてですが、 場所:津峯神社 日時:令和6年11月17日(日)・18日(月)午前10時から 祭典:秋季例大祭 18日(月) 神幸式(御輿渡御)で天照大御神(賀志波比賣)に境内で会うことができます。 先頭の赤い着物を着た人物は天狗(宮司さんに教えてもらいました)だそうです。 参拝の後で、紅白のお餅がいただけるのが楽しみなんですよ。
ご視聴いただきありがとうございます。 津峯神社は駐車場が広くて、その日は大勢の方が参拝に来られるかと思います。
去年、登山口から津峯神社まで、山登りの訓練のために行ったのですが、 18日(木)平日お昼の12時過ぎに社殿に着いたのですが、参拝者の方は ほとんどいなかったんですよ。 今年も、18日(月)も平日なので、登山口から津峯神社まで、山登りの 訓練のために歩いて登る予定です。 (境内の人数は少なかったので、去年18日(木)平日の駐車場は。がら 空と思いますよ。)
津峰神社まで登山しながら登るのもいいですね。 すぐ近くに岩窟が点在していたと思いますので、前に津峰神社に来た時に、その辺りも一回見てみたいかなと思いました。
夜の食国=食国の西側(陽が沈む側) 食国=夜の食国の東側(朝日が昇る側) 食国=飯の国=伊の国=阿波(大宜津比売)、讃岐(イイヨリヒコ) 食国と言う以上は食の神様がいなければいけませんね。 食の神がそのまま国を表しているのは阿波と讃岐だけですね。
ご視聴いただきありがとうございます。 夜の食国を研究したらこのような深い意味があったのですね。 勉強になりました。 ありがとうございます。
こちらこそいつもとても勉強になっております。 たけしさんが配信してくださる阿波の景色の映像を見るたびにここが倭国であり邪馬壹国であったんだろうなという思いになりますね。 山と川と平野の丁度いいバランスというか、、何とも言えない心地良いスケール感覚と言いますか。。 東に海が開けているので爽やかな海風や明るい太陽の光があり 牧歌的で神話的な’情景だと思います。 南北をなだらかな山々に挟まれその間に東西に真っすぐ流れる吉野川と平野の情景はまさに 邇邇芸命が言われた「朝日直射し、夕日が日照る国」そのままだと思います。 南北を山々に挟まれることによって自ずと視線は東西にフォーカスされ朝日と夕日の光景がよりダイナミックに感じられたため そのような直接的でリアリスティックな表現をされたのだと思います。
嵯峨天一神社は 例の"昇龍杉"のある神社ですね! 辰年に突如 姿を現された神威を感じます!
ご視聴いただきありがとうございます。 去年に昇竜杉を地元のテレビで特集していたのを見て、嵯峨天一神社には何かがあると思っていました。 佐那河内村は凄いところだと思います。
西照♪ 凄く綺麗に纏まりましたね 快い考察 流石です😊
ご視聴いただきありがとうございます。西を照らす神社、なぜ、そのような社名なのか気になります🙂
月読って天橋立の元伊勢籠神社ではなかったのですね!!
ご視聴いただきありがとうございます。 阿波を中心に考えたらこのような考察になりました。
なるほど。ありがとうございます。 悪い事するとバチが当たる。って言いますがその時見てる神様が月読みですよね?? 違いましたっけ?💦
So wonderful and makes me feel excited!.✌️
中年タケシさん海部でも赤飯に砂糖かけて食べます😄
徳島県全体に砂糖をかける文化が残っているようですね😊
先日は、講演お疲れ様でした。 月見ヶ丘は時々散歩に行きます。でも、キャンプしたことが無いのです。一度一度と思いつつ、機会を逃しています。 子供らのはしゃぎ声、広がる海、爽やかな風、とってもいいところですね。
講演とか初めてですので、正直戸惑いました。 これも人生経験だと思い色々チャレンジしていけたらなと思います。 次のRUclipsはツクヨミを題材に考え中です。 よくよく考えてみましたら月見ヶ丘公園もツクヨミと関係しているのではないかと妄想できますね。 月見ヶ丘公園はデイキャンプで、タープを張って、芝生の上でボーと寝ているだけが多かったです。 近場でノンビリするには最高の場所でした。
キスを釣るのになんで船通で釣るのでしょう? 恵比須浜で釣るか 大浜海岸の波止で釣った方が間違いなくキスは釣れますよ
塩田公園!知らなかったです😮ウチノ海公園は行ったことあるけど塩田公園行ってみたいです😄
塩田公園は僕も知りませんでした😅 地元の人しか使わないと思います😊
いつも動画を楽しませていただいてます。やはり古代から鳴門で塩を作っていたのですね。神山の人々は飲み水には困らなかったとは思いましたが塩はどうしたのかなと、ちょうど考えていたところだったのでタイムリーな動画でした。ありがとうございます!
ご視聴いただきありがとうございます。 今回は主人公に行くべき道を示すというシオツチノカミが気になって動画にしてみました。 シオツチは鳴門の渦潮が関係しているのではないかと妄想しています。
思い立ったらすぐにフィールドワークができるご環境で羨ましい限りです。これからもいろいろな妄想を紹介ください!
なかなかいいキャンプ場ですね😄
5年程前に調べに参りました🙂一之鳥居から参道を左へ回り込んだ辺りの石組みかとも考えました🤔
@@中川洋作 ご視聴いただきありがとうございます😊 昔の石組みの写真をよく見たら竹が写っていましたので、多分、竹林の中にあるんだろうと思い、探してみたけど見つからずでした😅
シェアイタチました🦦🙊🦝
ありがとうございます😊
お疲れ様です😄良くまとめられて素晴らしいです👍✨ 猫ちゃん可愛い😸💕😆
@@mizuironeko18 文化の森の猫ちゃんは人懐っこいですね😊
大変ご苦労様でした❗配信ありがと😉👍️🎶うございました❕ それにしても、祠😢発見出来ず残念でしたよね❗残してもらいたいですが❗どうなんだろう気になります😢‼️ 今後も👊😆🎵頑張って下さい!ませ‼️
@@DIKOKUKEN ご視聴いただきありがとうございます😊 別の日にも祠を探しにいきましたが、見つける事が出来ませんでした。 今もあるのかどうか謎です。
佐田神社の拝殿基礎石のウサギは櫓を漕いでいると言われていますね。 そうは見えなかったのですが、言われているうちに、そう見えるようになりました。(^^ゞ 蒲生田を「かもだ」と正しく読める人は阿波古代史研究家でも少ないです、素晴らしい。 実にうまくまとめてありますね、上手!
素晴らしい動画ありがとうございます。また徳島に行きたくなりました。
E99-PROはモード2でしょうか?
少彦名命の逸話、凄く分かりやすく教えていただきありがとうございます✨ 最後まで聞き入ってしまいました。面白かったです👍😄
@@mizuironeko18 ご視聴ありがとうございます😊 今回は愛媛県までは現地に行っていませんので、機会があれば大洲少彦名神社に参拝したいと思いました。