nice
クレーン(の中継?)が登っていくのが凄すぎ
解体はもったいないですね、残念です 建設に携わった人は相当苦労なされたであろう、 時間や体力や命まで費やして 作り上げた超高タワー。 解体されてしまうのは悲しいです
灯台までの道すがら、たくさんお店があり、楽しい場所ですね。
海の日の内部公開に行ったことがあります。立派な灯台だったなぁ。
対馬は台風の通過ルートになりやすい場所だけどな。 塔頂はどのくらいの風が吹くんだろう...
橙光会さん、ドローン映像も素晴らしいですが「周知板」も直してください。だいぶくたびれてきていましたよ。
父方の祖父は戦前、灯台局において灯台守として奉職、戦時中は映像にもある視察船羅州丸に乗艦。 戦後は海上保安庁に奉職し、伊勢湾台風の際に灯台の様子を見に出かけたまま遭難。殉職しました。 私が生まれる前のことです。この映画で遠き遥か昔に祖父がどんな仕事をしていた垣間見ることができました。 貴重な映像をありがとうございます。
昔は霧が出たら、昼間であれば霧笛だけが頼り。GPSがなかった時代はローテクが頼りだ。この灯台を維持管理する役目は地味だが重要だ。家族総出で灯台を守る、感謝に堪えない。
9:00 台北新店的碧潭吊橋 橋塔底部也是這樣子支撐的 用精密鋼球和塔體自重 平穩撐在地基上 根本不需要用到鋼筋混凝土 難道說因為兩項工程都是日本人設計的 所以工程很像嗎
Nice calm weather for the drone!
もうないそうですね😢
可愛らしい灯台ですね これは石造りなんですか?
2022年度現在は綺麗に塗り直されて映像で出てくる羽先が赤い風車との間に高い防潮堤が建造中で近付く事が出来なくなっております。
戦艦大和も、この灯標を左舷に見て出撃していったのでしょうね。
この灯台は暗礁を示して、危険を知らせてくれます。GPSが無くて地文航法で航行する際は測位の誤差などで危険を招かない様にこの灯台があると思っています。有難い存在です。
百貫でこの島が買われたことに由来する百貫島の灯台はよく目立ち、多くの船舶を誘ってくれた。
昔から赤白互光のこの灯台は宇品港への目印でした。ここまで帰ってくるとホッとする船舶は多かったと思います。
来島海峡から北上する船舶を誘ってきました。
多くの軍艦の通過を見守ってきたことでしょう。
灯台の中の灯台。この灯台は日本海を航行する船舶を見守ってきた。まことに有難い存在だ。
GPSなどなかった時代は、この灯台が無かったら座礁していたでしょうね。有難い存在です。
無人化されて、誰もいなくなったはずの灯台に、なぜこんなに大きな建屋があるのだろうか?
この沖をヨットで何度も通りお世話になった灯台です。潮岬の速い潮流で、灯台が一向に離れない、という体験をしています。
これだけの大きな灯台を無人化というけど、維持管理はどうしてるんだろうか?
こんな立派な灯台が建っているということは、重要なポイントなんでしょうね。潮が複雑そうです。
明治期の灯台は大きさに関わらず佇まいが素敵ですね。 残念なのはLED 化。レンズを残してLED電球への交換と言うわけには行かないのでしょうか?
北関東住みです。ほぼ毎年尻屋崎灯台遊びに行ってきます。草原の寒立馬と共に癒やされる場所です。灯台天辺から風間浦方面を撮影した写真、スマホの待受画面にしています。また行きたいなぁ。尻屋崎灯台。(笑)
原始的な速度計に時代が垣間見れる。蒸気機関の船では航海も大変だったと思います。
貴重な映像を拝見させていただき、誠に有難く感謝を申し上げます。
ほんとうに大変なご苦労をご家族共々になさりながら灯を守り続けてこられた。感謝申し上げたいと思います。
灯台でお働きになられた皆様のご苦労をしのぶと、なみだが出そうになります。
GPSなどなかった時代は船位を知るには灯台の位置を知り、そこを起点にコンパスで方位を測りポジションを出した。貴重な存在だった。灯台守の方々は、絶対に灯を消してはならないと、必死で守ってこられたはずだ。昔はラジオ放送で、何々灯浮標は灯が消えています、などと放送していました。
灯台守の職員のご家族のご苦労はひとしおだったと思います。視察に来られるときは着物を着られていますね。
灯台が立つ所は、暗礁だらけの厳しい場所だ。その近くに船を泊めるだけでも怖い。そこから、小さな小舟で上陸するのも怖い。
初代ゲゲゲの鬼太郎っぽい曲だな。
GPSの発展で廃れたのかなぁ? RUclipsで見なければ当時東京タワーが日本一と勘違いするところでした。 しかしボールペンの先ちょで立っているような構造も凄いなぁ~
「1996 3」って、オメガ鉄塔の建築時期からかなり離れてない?と映像を見直してみたら、もともとフィルム映像として1975年末か1975年度末ぐらいに作成されたものを、1996年に20周年記念としてVHS化した、ということかな?と感じた 0:39 図に「1975年現在」と書かれている 0:50 「昭和50年5月に開局した」(1975年5月) 24:00 「海上保安庁 横河工事株式会社 (1974年9月) 編集協力 株式会社総合映像研究所」 24:06 「監修 オメガ開局20周年事業協賛会 編集・発行 社団法人 燈光会 96-03-70」 24:00 からの部分が1996年に付け足されたところ、と想定される 1974年9月は横河が担当した鉄塔工事が終わった日付で、電波発信設備の工事が1974年12月までに終わり、1975年1月に無線局の予備免許、送信テストなどを経て1975年5月から正式運用開始 参考文献: 電波航法研究会報 Vol56 「電波標識温故知新(1) ~オメガ航法システム 第2部~」 www.jana.or.jp/denko/data_journal/journal_57.pdf
遠くへ行かなくても、こんな灯台に巡り合いました。
長崎大麻にこんな高い支線式電波塔があったなんて…。知れて良かったです!😆
大麻草
今は存在しない巨大建造物にはロストテクノロジー感がありますね。
こんなに格好良い塔が上対馬にあったなんて、知らなかったです❗️これから先の対馬市でのネット環境改善の為、また再度、この跡地を利用して、作ったら?と感じました。
1973年当時によくもこれだけの高さの電波塔を建設したものだ。建設場所の環境も厳しいなかで、人身事故も無く立ち上げられた 現場関係者の努力と技術開発に携わった多くの技術者の方々に敬意を払いたい。 それに引き換え付随音楽が全くいただけない。音楽なしの音声説明だけでも十分と思われる。 冒頭部分などは如何にもドンチャン的なサウンドで低予算が原因であろうが、使用されている楽器構成もメロディーも和音構成も なにかやっつけ仕事のようで、これでは折角の記録映像が可哀相である。
1996年3月ってなってるけどなんでこんなに古い感じなの?音楽もめちゃエモくない?感じとしては1960-1970代位な気がする。 間違ってない??
昔の編集で使われる音楽の不気味さ
もへじから来た人🙋♂️
こんにちは VLF凄かったんですね。 短波帯で四分の一でも,持て余すのに 潜水艦用は、地下に作られたらしい 今も使われているのかな?
潜水艦通信は現在でも使用されています。
対馬行って見たい
ときどき拝見しております.すごくすばらしい動画なのに,あまり見られていないのが残念です.応援しております!
潜水艦航行支援と思ってました オメガ用受信機は1000万位したとの記憶が
nice
クレーン(の中継?)が登っていくのが凄すぎ
解体はもったいないですね、残念です 建設に携わった人は相当苦労なされたであろう、 時間や体力や命まで費やして 作り上げた超高タワー。 解体されてしまうのは悲しいです
灯台までの道すがら、たくさんお店があり、楽しい場所ですね。
海の日の内部公開に行ったことがあります。立派な灯台だったなぁ。
対馬は台風の通過ルートになりやすい場所だけどな。 塔頂はどのくらいの風が吹くんだろう...
橙光会さん、ドローン映像も素晴らしいですが「周知板」も直してください。だいぶくたびれてきていましたよ。
父方の祖父は戦前、灯台局において灯台守として奉職、戦時中は映像にもある視察船羅州丸に乗艦。 戦後は海上保安庁に奉職し、伊勢湾台風の際に灯台の様子を見に出かけたまま遭難。殉職しました。 私が生まれる前のことです。この映画で遠き遥か昔に祖父がどんな仕事をしていた垣間見ることができました。 貴重な映像をありがとうございます。
昔は霧が出たら、昼間であれば霧笛だけが頼り。GPSがなかった時代はローテクが頼りだ。この灯台を維持管理する役目は地味だが重要だ。家族総出で灯台を守る、感謝に堪えない。
9:00 台北新店的碧潭吊橋 橋塔底部也是這樣子支撐的 用精密鋼球和塔體自重 平穩撐在地基上 根本不需要用到鋼筋混凝土 難道說因為兩項工程都是日本人設計的 所以工程很像嗎
Nice calm weather for the drone!
もうないそうですね😢
可愛らしい灯台ですね これは石造りなんですか?
2022年度現在は綺麗に塗り直されて映像で出てくる羽先が赤い風車との間に高い防潮堤が建造中で近付く事が出来なくなっております。
戦艦大和も、この灯標を左舷に見て出撃していったのでしょうね。
この灯台は暗礁を示して、危険を知らせてくれます。GPSが無くて地文航法で航行する際は測位の誤差などで危険を招かない様にこの灯台があると思っています。有難い存在です。
百貫でこの島が買われたことに由来する百貫島の灯台はよく目立ち、多くの船舶を誘ってくれた。
昔から赤白互光のこの灯台は宇品港への目印でした。ここまで帰ってくるとホッとする船舶は多かったと思います。
来島海峡から北上する船舶を誘ってきました。
多くの軍艦の通過を見守ってきたことでしょう。
灯台の中の灯台。この灯台は日本海を航行する船舶を見守ってきた。まことに有難い存在だ。
GPSなどなかった時代は、この灯台が無かったら座礁していたでしょうね。有難い存在です。
無人化されて、誰もいなくなったはずの灯台に、なぜこんなに大きな建屋があるのだろうか?
この沖をヨットで何度も通りお世話になった灯台です。潮岬の速い潮流で、灯台が一向に離れない、という体験をしています。
これだけの大きな灯台を無人化というけど、維持管理はどうしてるんだろうか?
こんな立派な灯台が建っているということは、重要なポイントなんでしょうね。潮が複雑そうです。
明治期の灯台は大きさに関わらず佇まいが素敵ですね。 残念なのはLED 化。レンズを残してLED電球への交換と言うわけには行かないのでしょうか?
北関東住みです。ほぼ毎年尻屋崎灯台遊びに行ってきます。草原の寒立馬と共に癒やされる場所です。灯台天辺から風間浦方面を撮影した写真、スマホの待受画面にしています。また行きたいなぁ。尻屋崎灯台。(笑)
原始的な速度計に時代が垣間見れる。蒸気機関の船では航海も大変だったと思います。
貴重な映像を拝見させていただき、誠に有難く感謝を申し上げます。
ほんとうに大変なご苦労をご家族共々になさりながら灯を守り続けてこられた。感謝申し上げたいと思います。
灯台でお働きになられた皆様のご苦労をしのぶと、なみだが出そうになります。
GPSなどなかった時代は船位を知るには灯台の位置を知り、そこを起点にコンパスで方位を測りポジションを出した。貴重な存在だった。灯台守の方々は、絶対に灯を消してはならないと、必死で守ってこられたはずだ。昔はラジオ放送で、何々灯浮標は灯が消えています、などと放送していました。
灯台守の職員のご家族のご苦労はひとしおだったと思います。視察に来られるときは着物を着られていますね。
灯台が立つ所は、暗礁だらけの厳しい場所だ。その近くに船を泊めるだけでも怖い。そこから、小さな小舟で上陸するのも怖い。
初代ゲゲゲの鬼太郎っぽい曲だな。
GPSの発展で廃れたのかなぁ? RUclipsで見なければ当時東京タワーが日本一と勘違いするところでした。 しかしボールペンの先ちょで立っているような構造も凄いなぁ~
「1996 3」って、オメガ鉄塔の建築時期からかなり離れてない?と映像を見直してみたら、もともとフィルム映像として1975年末か1975年度末ぐらいに作成されたものを、1996年に20周年記念としてVHS化した、ということかな?と感じた 0:39 図に「1975年現在」と書かれている 0:50 「昭和50年5月に開局した」(1975年5月) 24:00 「海上保安庁 横河工事株式会社 (1974年9月) 編集協力 株式会社総合映像研究所」 24:06 「監修 オメガ開局20周年事業協賛会 編集・発行 社団法人 燈光会 96-03-70」 24:00 からの部分が1996年に付け足されたところ、と想定される 1974年9月は横河が担当した鉄塔工事が終わった日付で、電波発信設備の工事が1974年12月までに終わり、1975年1月に無線局の予備免許、送信テストなどを経て1975年5月から正式運用開始 参考文献: 電波航法研究会報 Vol56 「電波標識温故知新(1) ~オメガ航法システム 第2部~」 www.jana.or.jp/denko/data_journal/journal_57.pdf
遠くへ行かなくても、こんな灯台に巡り合いました。
長崎大麻にこんな高い支線式電波塔があったなんて…。知れて良かったです!😆
大麻草
今は存在しない巨大建造物にはロストテクノロジー感がありますね。
こんなに格好良い塔が上対馬にあったなんて、知らなかったです❗️これから先の対馬市でのネット環境改善の為、また再度、この跡地を利用して、作ったら?と感じました。
1973年当時によくもこれだけの高さの電波塔を建設したものだ。建設場所の環境も厳しいなかで、人身事故も無く立ち上げられた 現場関係者の努力と技術開発に携わった多くの技術者の方々に敬意を払いたい。 それに引き換え付随音楽が全くいただけない。音楽なしの音声説明だけでも十分と思われる。 冒頭部分などは如何にもドンチャン的なサウンドで低予算が原因であろうが、使用されている楽器構成もメロディーも和音構成も なにかやっつけ仕事のようで、これでは折角の記録映像が可哀相である。
1996年3月ってなってるけどなんでこんなに古い感じなの?音楽もめちゃエモくない?感じとしては1960-1970代位な気がする。 間違ってない??
昔の編集で使われる音楽の不気味さ
もへじから来た人🙋♂️
こんにちは VLF凄かったんですね。 短波帯で四分の一でも,持て余すのに 潜水艦用は、地下に作られたらしい 今も使われているのかな?
潜水艦通信は現在でも使用されています。
対馬行って見たい
ときどき拝見しております.すごくすばらしい動画なのに,あまり見られていないのが残念です.応援しております!
潜水艦航行支援と思ってました オメガ用受信機は1000万位したとの記憶が