ぶっ飛んでるなぁ…(笑)
「お好み焼き」「地下鉄」は名作ですね
本編前の会話で話されている男性は秋田實さんでしょうか?
12年前、母ちゃんに『鉄道唱歌』を教えてもらったのがきっかけで今現在も聞いてる。 母ちゃん、ありがとう!😊
この師匠の高座を生で聴くことはありませんでしたが、ラジオで「食堂野球」を聴いてはまってしまいました。カセットテープに録音して、今でも時々聴いています。この師匠の新作は、独特の味があり、最高ですね。
キレのいい語り口調で、思わず「わあ~」のマジックに引き込まれました。いまも天国の高座でにぎやかに演じているのでしょうか。きっと、師匠と新作ネタづくりに余念がないのでしょう。
弟子の歌を挟みこむ松之助師匠の愛❤😊
この道中の陽気なこと…は爆笑! お客さんも、よう解ってる!
小沢さんおしゃべりも素敵だけど歌も心がこもっていて上手🎉
枝雀一門の一番弟子?アナウンサーやったひと。やもめの丈やん 記憶あります。
孫の林家市楼師が42歳で急死 ご冥福をお祈り申し上げます🙏
出だしからの客落とし、さすがです(お客さんもそれを待ってるふしが)w
人間国宝になった「米朝」が取り上げられることが多いし、資料的価値なものを書き物や音源で残したのは、偉業は偉業だと思う。しかし、吉本の下では、上方落語はなくなってしまうと危機感をもって、私財を投げうって『上方はなし』という形で残し、息子の六代目が『上方はなし』を復刻し、音源でも同じ題でビクターから出し、出囃なども考慮し、スタジオ録音ではあったが、形で残そうとしたのを振り返る人がいないのは悔しい。米朝がホールにその場を見出そうとして成功したが、松鶴は意地でも「寄席」で勝負した。五代目、六代目の松鶴はもっと評価されていいと思う。
いつ頃だったかな🎵 ラジオ大阪の夜中番組 オンワード落語100選 と言うので放送されましたが スタジオ録音でお客様無しでしたね✨
西の旅 播州巡りでしたかね😮
蛙の枕は、捨丸のネタか? 先代幸枝若も使っていた。
先代小染師匠もよくやっていましたね。
もちろん、米朝師匠の功績は絶大ですが、上方落語の今の隆盛には、この師匠の貢献もなくてはならないものだったと思います。この入れ込みネタを、これだけみっちりと演じられたのを聴いたのは初めてです。ちゃんと、今の若手に引き継がれているのでしょうか。音也師のインタビューといい、貴重な音源、ありがとうございます。
おお、ちゃんとオリジナルで「国府津おるれば馬車(1888-1900 小田原馬車鉄道)ありて」とお歌いになっておる。ダークも後輩のボニーも訂正版の「電車あり」なのに、さすがですわな。因みにこの方がお生まれになったのは、丹那トンネル開通の5年前で、度重なるトラブル続きで、ほとんど工事継続断念の瀬戸際に追い込まれていた。
うちの息子は保育園の頃、ダークの鉄道唱歌を聴いて気に入ったらしく新橋から沼津まで歌っていました。
貴重な音源ありがとうございました。音也は本名でしたか。確か、四十数歳の若さで急逝されたと記憶していますが、長生きされていたらと思うと残念です。カセットテープに録音した「ぜんざい公社」と「羽衣」を時々聞いています。
むかしの噺家の修行しているだけあって、前座の噺などもきちんと演れるひとだった。一時、芝居や芝居の脚本を書いて噺から遠ざかっていたが、晩年よくぞ戻って来てくれた。福笑が前座に出ていた様子・・・。zeikinyaさん、よくぞ残してくれました。有難う。
この播州巡りがさんまさんの初高座ネタになった。 師匠、新聞記事の夢を見事に亡くなった後に叶えられましたな。
最高、最高!
インタビューしてる人の切り返しが上手い!
1973年ごろ、日曜日の深夜1:00頃にFM大阪で放送されてました。司会はもとアナウンサーの桂音也さんでした。
インタビュアーは元アナウンサーの噺家、桂音也さんですか?
そうです、元朝日放送今井アナウンサーの、桂 音也さんです。 音也師匠の新作落語もUPしてあります!
オープンリールテープにありました 松之助師匠の命名秘話 FM大阪 FM寄席より 収録日時・放送日時不明
素晴らしい音源をありがとうございます。松之助師匠の落語は最高!
貴重な音源ありがとうございます。ご推察の通り、1972年、鉄道開業100年を記念しての題名のない音楽会での企画です。最初に線路搗き固め歌保存会の面々による実演のあと、小沢昭一の鉄道唱歌、になりました。音質が良い音源が残っていたのに驚きました。
線路搗き固め歌風の歌い方が、浜松辺りに出てきます。確か、ステージに客車のセットを組み、静岡辺りで握り飯の駅弁、それを京都過ぎで食べて、京阪間で便所に入る演技があったかと。落とし紙を揉む音が入っていますね。
ウチの小学4年になる息子が3歳くらいまで子守唄に鉄道唱歌東海道バージョンを歌って聴かせていました。年中さんになった頃、息子は東京から熱海まで歌えるようになりました。家族で東京へ旅行した時横浜まで東海道線で移動した時は電車の中で大声で「汽笛一声新橋を♪」と大声で歌い出しました。
鉄道唱歌を題名で取り上げるあたり、黛敏郎さんの見識は流石と思います。
東海道線は長かったなぁ.....
流石オープンリールですね。半世紀前の前の録音とは思えません。カセットなら、たぶん音質の最悪な単なる「歴史的録音」になっていたでしょう。upありがとうございます。
超レアな貴重な音源を有り難うございます!これは凄いですね!
所々突っ込み入れているのも、この人ならではの良い所なんだな
素晴らしい!!!
昔は横須賀線って、東海道本線の支線だったような。横須賀線として全区間路線もったのは最近のことだし(それまでは大船まで東海道線経由だった)
これはスゴイ!!!
ぶっ飛んでるなぁ…(笑)
「お好み焼き」「地下鉄」は名作ですね
本編前の会話で話されている男性は秋田實さんでしょうか?
12年前、母ちゃんに『鉄道唱歌』を教えてもらったのがきっかけで今現在も聞いてる。 母ちゃん、ありがとう!😊
この師匠の高座を生で聴くことはありませんでしたが、ラジオで「食堂野球」を聴いてはまってしまいました。カセットテープに録音して、今でも時々聴いています。この師匠の新作は、独特の味があり、最高ですね。
キレのいい語り口調で、思わず「わあ~」のマジックに引き込まれました。いまも天国の高座でにぎやかに演じているのでしょうか。きっと、師匠と新作ネタづくりに余念がないのでしょう。
弟子の歌を挟みこむ松之助師匠の愛❤😊
この道中の陽気なこと…は爆笑! お客さんも、よう解ってる!
小沢さんおしゃべりも素敵だけど歌も心がこもっていて上手🎉
枝雀一門の一番弟子?アナウンサーやったひと。やもめの丈やん 記憶あります。
孫の林家市楼師が42歳で急死 ご冥福をお祈り申し上げます🙏
出だしからの客落とし、さすがです(お客さんもそれを待ってるふしが)w
人間国宝になった「米朝」が取り上げられることが多いし、資料的価値なものを書き物や音源で残したのは、偉業は偉業だと思う。しかし、吉本の下では、上方落語はなくなってしまうと危機感をもって、私財を投げうって『上方はなし』という形で残し、息子の六代目が『上方はなし』を復刻し、音源でも同じ題でビクターから出し、出囃なども考慮し、スタジオ録音ではあったが、形で残そうとしたのを振り返る人がいないのは悔しい。米朝がホールにその場を見出そうとして成功したが、松鶴は意地でも「寄席」で勝負した。五代目、六代目の松鶴はもっと評価されていいと思う。
いつ頃だったかな🎵 ラジオ大阪の夜中番組 オンワード落語100選 と言うので放送されましたが スタジオ録音でお客様無しでしたね✨
西の旅 播州巡りでしたかね😮
蛙の枕は、捨丸のネタか? 先代幸枝若も使っていた。
先代小染師匠もよくやっていましたね。
もちろん、米朝師匠の功績は絶大ですが、上方落語の今の隆盛には、この師匠の貢献もなくてはならないものだったと思います。この入れ込みネタを、これだけみっちりと演じられたのを聴いたのは初めてです。ちゃんと、今の若手に引き継がれているのでしょうか。音也師のインタビューといい、貴重な音源、ありがとうございます。
おお、ちゃんとオリジナルで「国府津おるれば馬車(1888-1900 小田原馬車鉄道)ありて」とお歌いになっておる。ダークも後輩のボニーも訂正版の「電車あり」なのに、さすがですわな。因みにこの方がお生まれになったのは、丹那トンネル開通の5年前で、度重なるトラブル続きで、ほとんど工事継続断念の瀬戸際に追い込まれていた。
うちの息子は保育園の頃、ダークの鉄道唱歌を聴いて気に入ったらしく新橋から沼津まで歌っていました。
貴重な音源ありがとうございました。音也は本名でしたか。確か、四十数歳の若さで急逝されたと記憶していますが、長生きされていたらと思うと残念です。カセットテープに録音した「ぜんざい公社」と「羽衣」を時々聞いています。
むかしの噺家の修行しているだけあって、前座の噺などもきちんと演れるひとだった。一時、芝居や芝居の脚本を書いて噺から遠ざかっていたが、晩年よくぞ戻って来てくれた。福笑が前座に出ていた様子・・・。zeikinyaさん、よくぞ残してくれました。有難う。
この播州巡りがさんまさんの初高座ネタになった。 師匠、新聞記事の夢を見事に亡くなった後に叶えられましたな。
最高、最高!
インタビューしてる人の切り返しが上手い!
1973年ごろ、日曜日の深夜1:00頃にFM大阪で放送されてました。司会はもとアナウンサーの桂音也さんでした。
インタビュアーは元アナウンサーの噺家、桂音也さんですか?
そうです、元朝日放送今井アナウンサーの、桂 音也さんです。 音也師匠の新作落語もUPしてあります!
オープンリールテープにありました 松之助師匠の命名秘話 FM大阪 FM寄席より 収録日時・放送日時不明
素晴らしい音源をありがとうございます。松之助師匠の落語は最高!
貴重な音源ありがとうございます。ご推察の通り、1972年、鉄道開業100年を記念しての題名のない音楽会での企画です。最初に線路搗き固め歌保存会の面々による実演のあと、小沢昭一の鉄道唱歌、になりました。音質が良い音源が残っていたのに驚きました。
線路搗き固め歌風の歌い方が、浜松辺りに出てきます。確か、ステージに客車のセットを組み、静岡辺りで握り飯の駅弁、それを京都過ぎで食べて、京阪間で便所に入る演技があったかと。落とし紙を揉む音が入っていますね。
ウチの小学4年になる息子が3歳くらいまで子守唄に鉄道唱歌東海道バージョンを歌って聴かせていました。年中さんになった頃、息子は東京から熱海まで歌えるようになりました。家族で東京へ旅行した時横浜まで東海道線で移動した時は電車の中で大声で「汽笛一声新橋を♪」と大声で歌い出しました。
鉄道唱歌を題名で取り上げるあたり、黛敏郎さんの見識は流石と思います。
東海道線は長かったなぁ.....
流石オープンリールですね。半世紀前の前の録音とは思えません。カセットなら、たぶん音質の最悪な単なる「歴史的録音」になっていたでしょう。upありがとうございます。
超レアな貴重な音源を有り難うございます!これは凄いですね!
所々突っ込み入れているのも、この人ならではの良い所なんだな
素晴らしい!!!
昔は横須賀線って、東海道本線の支線だったような。横須賀線として全区間路線もったのは最近のことだし(それまでは大船まで東海道線経由だった)
これはスゴイ!!!