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Добавлен 31 авг 2006
F1こそ我が人生 鉄人リカルドパトレーゼ物語 1991 Riccardo Patrese
1991年8月にフジテレビで放映されたリカルド・パトレーゼの特集番組です。
画質はよくありませんが、超貴重な映像だと思います。
パトレーゼに憧れて中学一年生でレーシングカートをはじめ、F1ドライバーを夢見た元少年です(^^;)
画質はよくありませんが、超貴重な映像だと思います。
パトレーゼに憧れて中学一年生でレーシングカートをはじめ、F1ドライバーを夢見た元少年です(^^;)
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ナイスガイですね👍
超懐かしい。いぶし銀パトレーゼ。 サッカーならばアシスト王、野球ならば確実に3割打てるアベレージヒッター、ラクビーならばスクラムハーフやスタンドオフ、バレーボールならばオポジットと確実にフォアザチームに徹した。
フランクやパトリック ヘッドよりバーニーの評価の方が間違いない!! 大御所の話題でさすがにハントが入っていなかった… 何気に日本にも縁があるドライバー… F1前に日本(富士)に遠征し、 F1でもラストの93年以外は鈴鹿を全て完走。 引退後はルマンでニッサンのマシンでも走った。
93年の日本GPの決勝レースで見ましたよ!錆びない鉄人パトレーゼを。ダンロップコーナーでスピンして、私が観戦していたN山エリア側のガードレールにぶつかり、グリーンゾーンに止まってくれて幸いでした。彼は怪我もなくマシンを降り、コースマーシャルに医務室に行くように促されましたが、本人は「大丈夫、大丈夫」とゼスチャーして断りました。金網越しにヘルメットを脱いで、しばらくグリーンゾーンに佇む彼を見ました。彼が引退を発表してもう30年が経つんですよね。あのサンマリノGPの記憶が生々しく残っていた時期に。最後になりましたが、とても貴重な映像をありがとうございます。いつ放送されたものなのですか?
パトレーゼ、カッコよかった
Grande patrese
30年見逃してたわ。ありがとう。あの頃なら絶対録画予約してた。あの頃みんなプラモもラジコンもマンセルだったが、自分はパトレーゼで作ってたわ。
古舘の二百戦錬磨って語録がシンプルながらも好きなのよね。 鉄人ってなんかゴツゴツした人を連想するのにシュッとした男前だしね。
パトレーゼの奥さんは彼が運転するシビックの助手席で「マンマミーヤ!!!」と絶叫していたなー…。
91年メヒコでの走りは未だに忘れられない。 神がどうのと言い放ちながら故意にぶつけてチャンプになるような偽善者よりもパトレーゼはよほど素晴らしい。
事故の原因はパトレーゼと決めつけていた急先鋒は、化石のジェイムズハント! 無実が判明しても言い続けていたしつこい奴! それでもパトレーゼは紳士だよ 最後のBENETTON行きは失敗だったね………
安全性が現代とは比較にならなかったであろう時代に200戦超出走…渋い‼️ 瞳涼しいイケメンでもありました‼️
パトレーゼがこの30年のF1で一番好きなドライバーです!87年のメキシコ遅いブラバムで3位表彰台乗った日から93年引退まで応援してました、この放送もビデオに録画して何度も観ました、少年時代の良い思い出すね。パトレーゼの悪口ばかり言うジェームスハントが放送に出てこないのは(笑)
イタリアの優男って感じの雰囲気好きだなぁ
鉄人の二つ名が最高にカッコいいんだよなぁ。 パトレーゼは器用な性格だから誰とでも上手くやれたはず。ラウダ、ジョーンズ、ヴィルヌーブ、ロズベルグ、プロスト、セナ、誰とでもね。ただし、ハントだけは多分駄目だったろうね。
小さい時からこの人が一番好きだった。 小学生から中学までF1にくぎ付けだった。 まさか俺が生まれた時にもうF1ドライバーだったとは、今これを見て初めて知った。 長嶋茂雄が好きだから数字の「3」が好きな人のように、俺は「6」が好きだった。 いつかのレースでパトレーゼが首位を走っていて、2番手をマンセルが走っていた。 パトレーゼ大好きの俺はもちろん嬉しくてたまらなかった。 しかし、パトレーゼはラストラップでマンセルに首位を譲った。 それがチームのポイントのためだと知った。 それがピットからの指示だと知った。 少年だった俺はフランクウィリアムズを憎んだ。 あの時のパトレーゼは元々ウィリアムズとセカンドドライバーとしての契約だったと聞いたことあるけど、それって本当なんですかね?
23:40 マンセルが来るまでの態度です
二百練磨のF1戦士、お誕生日おめでとうございます!!
輝く2位 世界の銀メダル、パトレーゼ セカンドドライバーはナンバーワンドライバーをたまに食うぐらいで五分五分
200戦出走でお祝いの時、パトレーゼの身体を持ち上げていたのは、ナニーニとジャコメリ。特にナニーニは自分の事のように顔をクシャクシャにして喜んでる。横には今は亡きチェザリスもいるね。 この時、プロストも駆けつけてワインで乾杯していた。こんなドライバーなかなかいないよ。
リアルタイムでは知らなかったパトレーゼがここにいるのか。。。 私が知ってたのは「200戦練磨で冷静でなぜかやたらとスキーが上手い人」だったからなぁ。
貴重な動画をアップしていただき、ありがとうございます。 マンちゃんとさしの勝負で勝った1991年のメキシコGP、レース後のフランクウィリアムズの嬉しそうな顔、パトレーゼは円熟した1番良いタイミングで、FW14、そして正々堂々とした勝負を認めるチームオーナーと巡り合う事ができて良かったと思います。 でもこれはただの幸運ではなく、パトレーゼ本人の元々の速さ才能に加えて常に戦闘力を維持しながら経験を積む事によりつかみ取ったポジションだと思います。
ブラバム時代のピケとパトレーゼのコンビ、二人とも男前ですな。
ヘルメットのデザインがシンプルでかっこ良かった。76年イタリアGP事故原因は彼でなくグリッドが全車つく前にスタートしたのが原因。ジルのスタートはフライングではと思った。
No.1 No.2はコース上のLONGINES olivettiが決めることだ...渋かったな~。
91年のブラジルGPで6速のみで走り切ったセナが初優勝した時に、表彰台の2位に立ったのがパトレーゼだった(ちなみに3位はベルガー)。 セナが疲労困憊でブラジル国旗を持って表彰台に現れ、国旗を高々とあげようにもおぼつかなかったのだが、そんなセナの体を横からパトレーゼが支えて祝福していた。 あれから30年たって残念ながらセナはいなくなってしまったのだが、あのパトレーゼの表彰台でのシーンは今でもはっきりと覚えている。
パトレーゼね 鈴鹿F2での独走優勝 観ていたよ現場で Jラフィーは最終コーナーを3輪で駆け抜け パトレーゼは豪快そのものだった 70年代鈴鹿には後の大物F1ドライバー達が多く出ていた ロズベルの親父もね その時期に観れた全日本F2 楽しかったなあっ スマホ世代ども羨ましいだろ? 違うかスマホ世代はMSなど観ないか 失礼しましたwww
ケケロズベルグでしょ
10’20”あたりスタジアムトライアルが懐かしい。
リカルド・パトレーゼ… 幼き頃の私のヒーローでした。買うミニカーはマンセルのレッド5ではなくいつもカーナンバー6のパトレーゼのウィリアムズ。最後ベネトンに行ったときもシューマッハなんかクソ食らえでパト様をずっと推してた。パト様実は鉄オタという一面もあったんですよね。
パトレーゼへの助言を見てもわかるバーニーのゴッドファーザー感。彼ほどF1界全体を見渡せる人物もいないだろう。
90年サンマリノは彼のベストレースかな。今から考えるとフェラーリはパトレーゼとナニーニの組み合わせじゃ駄目だったのでしょうか?やはりそれだけにプレッシャーが半端ないのかな。カペリは…なんだかね。
フェラーリは乗らない方が良かったかもしれないよ。 1982年シーズン前にロズベルグと契約する前にパトレーゼに声をかけてくれた(この時既にブラバムと契約済みだった)フランクのオヤジさんのところで、ちょうどキャリア後半の円熟期 に乗る事が出来て本当に良かったと思う。 1987年鈴鹿のマンちゃん単独クラッシュがきっかけだったね。
セナが逝って時が止まり、心ここにあらず観ていたシューマッハもまた···年を取るとは、こういうことですね。
パト様ではないですか~🤩パト様セナの代わりウィリアムズに帰ってたらどうだっただろうな~🤔チームメイトのマンセルがバカンス✨🌴🌺✨してる間にアクティブサスペンションの最高傑作FW14を作り上げてウィリアムズの黄金期を支えたが、結果としてマンセルのほうがそのサスペンションに合っていた1991年はマンセルより速かったのにアクティブサスペンション元年の92年にはマンセルにコテンパンにやられてベネトンへ‼️ウィリアムズがセナの代わりに真っ先に声をかけたのがパト様であることがパト様の人柄だよね~結局セナを失くした傷心からウィリアムズの誘いを断っだけどね~🤔(94年からはアクティブサスペンション禁止だからパト様の復活あったかも😤)
F1黄金期に職人パトレーゼを生で観れたことを幸せに思います。 イタリア人にしては勤勉で真面目な印象でしたが、考え方や人当たりはイタリア人ですね。 92年のポルトガルで前を走るベルガーのリアタイヤと接触してオンボードカメラに空が写るほどの大クラッシュした時、マクラーレンピットへ抗議に行く鬼の形相のパトレーゼも忘れられません。
イタリア人って陽気だとかいい加減だとか勝手に日本人は思ってますが、真面目でクールなドライバーが多いですよね。 パトレーゼ、アンジェリス、タルキーニ、フィジケラ、トゥルーリとか。どちらかというと繊細で神経質な感じですかね。
彼にドライバーズタイトルを奪って欲しかった
90年からF1を見始めたけどパトレーゼが実はモナコ勝ってたと知った時は驚いた
パトレーゼのF1キャリアの前半は辛い事ばかり。。 彼のイメージを悪くしたのはピーターソンの事故の責任を回避したいハントの発言ではないのか。。 ラウダも事故後にパトレーゼの出走を拒否している。 観客からは「このユダヤ人め!」といったヤジがあったとか。。 だが、誠実なパトレーゼを慕う人は多かった。 同じユダヤ人で彼を守るバーニー、彼を兄と慕うナニーニ。 セナとも比較的仲が良く、F1復帰の相談をしていたそうだ(セナの死で実現しなかったが。。)
パトレーゼ大好きだったなー。懐かし過ぎる!動画アップありがとうございます!
素晴らしい動画ありがとうございました。 マンセル、パトレーゼのウィリアムズ好きだった。
あまり言われること無いけど、当時のF1ドライバーの中でも甘いマスクでハンサムな部類だったと思う。
当時のフジテレビはバブル期ということもあり、海外への取材も精力的に行ってましたね。 毎週木曜日の深夜に『ポールポジション』という番組があり、レースがない時でも様々な観点からF1を取り上げる良い番組でした。 国際映像だけでなくフジテレビ独自のカメラが捉えた貴重な映像も数多く、レースの振り返り解説やインタビューも多くて、ポールポジション内でたくさんの特集が組まれ放映されてて毎回楽しみでした。 ただ、F1人気がブームとなって来ると番組も生粋の情報番組から万人向けのワイドショーようなノリになっていき、このようなスペシャル番組や渋い特集などは少なくなってしまい、ポールポジション自体も木曜深夜から日曜深夜枠になった事で、レース中継がある時はポールポジションはお休みと事実上の放送枠縮小で、グランプリ以外の海外取材も減ってしまったようで残念でした。
自分の思っていたことをそのままコメントしてくれてます。フジテレビの放送以前の映像も使われていて見応えある内容だと思います。海外では今もドライバーにスポットを当てたドキュメンタリーとかあるのでしょうか?
マンセルが戻る前の収録なんでしょうね。ファーストドライバーがマンセルになっても彼の勝にこだわる姿勢は感じられた。 ピケも、感じがいいドライバーだった気がします。
昔のパトレーゼって「シャドウ裏切った奴」「ピーターソン殺した奴」と罵詈雑言浴びせられていたよね
100戦練磨ならぬ、「200戦練磨」のドライバー
パトレーゼ、男前でスキーが上手い印象⛷ 当時はピケよりもパトレーゼが好きでした❣️あと、何気にこの90年のティエリー・ブーツェンとのウィリアムズコンビ時代も大好きでしたね^ ^ 92年だったかウィリアムズで、猛追してすでにスリップに入っていたマクラーレンのベルガーがピットインする際減速し、追突してパトレーゼのマシンが宙に舞ってクラッシュしたときは青ざめました… また、パトレーゼ自身も94年のセナの事故を目の当たりにして引退を決めたと、後年インタビューを読んだ記憶があります… 鉄人と言われていますが、繊細で優しい職人肌の人で素敵でしたね🍀✨
あのときパトレーゼがベルがーに危ないじゃないかと注意したら、「ごめん、ごめん、今度ピット入るときは君のパパに電話して入るね。」とベルガーが言ったらしい。
25:38~25:50 パトレーゼさん。”鉄人”の名の通り、鉄ちゃん(模型鉄)だった・・・。
鉄人の鉄ちゃんか。ハハハ、とてもいい感じですね。❤
ドイツの名門鉄道模型メーカー、メルクリンのアンティークレアアイテムをコレクションしているそうな。
@@5red90 92年の鈴鹿の直前のキヤノン主催のイベントで・・・ 「日本の新幹線で一番速いやつは何か知ってますか?」⇒のぞみ!と即答したらしいです。 ※92年は、300系のぞみがデビューした年
「いぶし銀」…外国語で、この言葉が通じるのかは分かりませんが、是非ともパトレーゼ氏に送りたい!
1991メキシコは彼のベストレースだと思う。絶頂期のセナとマンセルを力ずくでねじ伏せてポディウムの頂点に立ったのだから。
鈴鹿GPでの高橋国との一騎打ちも凄かった!🤗
リカパと事 サーキットの皆勤賞。 俺がF1を見始めたのが1990年のサンマリノ
パトレーゼとアルボレートが大好き❕二人とも紳士だしね。