せっちゃんネル
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【四国遍路の旅】第67番 大興寺 ~お大師堂が2つ! 概要欄も読んでね!
【 大興寺 】
このお寺の縁起によりますと、天平14年、奈良東大寺の末寺として建立された。
その後最澄の影響で天台宗となり、更に火災にあって灰燼に帰した諸堂を弘仁13年、嵯峨天皇「在位809〜823」の勅願寺により、弘法大師が現在地より約ⅠK北西に、熊野3所権現を鎮護する霊場として再興された。その際に大師は本尊に薬師如来像を檜の一本造りで、又、脇侍として毘沙門天と不動明王を彫造して、堂宇を建立して、霊場とした。
その後も東大寺の末寺とされて、真言宗24方、天台宗12坊の僧堂が甍を連ね空海と最澄の教えを渾然と修行する、道場として栄えた。
だが、天正年間「1573〜1592」の長宗我部元親による、兵火で本堂を残して悉く焼失した。
伽藍はその後、慶長年間「1596〜1615」になって、現在地に再興されているが、本堂は寛保年間「1741」の再建と伝えられる。
寺の宝物は現在、香川県の文化財として、四件が指定されています。
1つは本尊の薬師如来像で像高84センチ、檜の寄せ木造りで、伝教大師作、又、文永四年「1267」の年号と「従三位藤原朝臣経朝」の裏書がある扁額「大興寺」更に建治2年「1276」の作とされる天台宗第三祖、智顗座像、この他、仁王門の金剛力士像2たいは、四国の最大級で鎌倉仏師として名高い運慶の作と伝えられている。
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【四国遍路の旅】第66番 雲辺寺 ~四国高野! 概要欄も読んでね!
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【 雲辺寺 】  四国88か所では一番高い所に有り「911m」昔は遍路ころがしと言われた。 弘法大師は3度登って居ます。  最初は延暦8年、大師が16歳の時、善通寺の建材を求めてであったが深遠な霊山に心打たれて堂宇を建立した。これが、雲辺寺の始まりで2度目は大同2年「807」年大師34歳の時、唐から請来した宝物で秘密勧頂の修法をなされたという。  更に弘仁9年818.大師45歳の時、嵯峨天皇「在位809〜823」の勅を奉じて登り本堂を彫造して仏舎利と毘盧遮那法印「仏法石」を山中に納めて7物供養をして霊場と定めた。  霊場は俗に「四国坊」と呼ばれ、四国のあちこちから馳せ参じる僧侶たちの学問、修行の道場となり「四国高野」と称され栄えた。後、貞間年間「859〜877」には清和天皇「在位858〜876」の勅願寺にもなっています。鎌倉時代は七堂伽藍も整備されて、境内には、12坊と末寺8ヶ寺を有...
【四国遍路の旅】第65番 三角寺 ~護摩壇が三角! 概要欄も読んでね!
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【 三角寺 】  聖武天皇在位(724〜749の)勅願によって、行基菩薩が弥勒の浄土を模して具体化する為に開創したと伝えられる。  その後弘仁六年(815)に弘法大師が訪れ本尊の11面観音像を彫像され安置された。  更に大師は不動明王像と彫られ、三角の護摩壇を築いて21日間国家の安泰と万民の福祉を祈念して「降伏護摩の秘法」を修法されたと言う。又嵯峨天皇「在位809〜823」の暑い信仰を受け寺領3百町歩を頂き、七堂伽藍を備えて寺運は隆盛だった。  だか、長宗我部軍の「天平の兵火」に遭い本堂以外は焼失した。 現在の本堂が最近されたのは嘉永2年「1849」で、昭和46年に修復されている。 チャンネル登録と良かったら高評価よろしくお願いします 励みになります #弘法大師 #釈迦   #遊行 #遊行僧念仏聖 #お大師像 #四国八十八ヶ所 #シニアライフ  #四国旅行 #先達 #旅行  #四国遍...
【四国遍路の旅】第64番 前神寺 ~お山の神の前にあるお寺?概要欄も読んでね!
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【 前神寺 】  このお寺は山岳宗教な山として知られ、富士、立山、白山、御岳、大峯、大山と共に我が国7霊山の一つ石鎚山の麓に有る真言宗石鎚派の総本山で有り修験者の根本道場でも有る。 縁起によると、修験者の祖、役小角が石鎚山で修行をしたのは天武天皇(在位673〜686年の頃とされ、)修行中に釈迦如来と阿弥陀如来が、衆生の苦しみを救済する為に、石鎚蔵王権現と成って現れたのを感得した。その尊像をシャクナゲの木で彫って安置し祀ったのが開創とされるその後、桓武天皇が病気平癒を祈願して七堂伽藍を建立した。 後に弘法大師が、この山に2度入り虚空蔵求聞持法を37日に及ぶ護摩修法、あるいは21日間の断食修行をした事が知られる。歴代天皇の帰依が厚く、仏像や経巻がしばしば奉納され諸堂の修復や増築にも、寄与されている。 江戸時代には、西条藩士、松平家の祈願所になるなど寺運は隆盛を極めた。 明治時代は、神仏分...
【四国遍路の旅】第63番 吉祥寺 ~ここでは、本尊なの?概要欄も読んでね!
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【 吉祥寺 】   このお寺は古くは現在地より南東の坂元山に有り、広い寺域に塔頭、21坊を誇った大寺だっと伝わります。 弘法大師が弘仁年間にこの地を巡錫された時、一本の光を放つ檜を見つけ、一帯に霊気が満ちているのを感得した。この霊木で本尊とする、毘沙門天像を彫像し、更に脇侍として、吉祥天像と善膩師童子像を彫って安置し、貧苦からの救済を祈願して堂宇を建立したのが、開創と伝えられています。その後、天正13年(1585)豊臣秀吉による四国攻めの争乱に巻き込まれ焼失し、その後江戸時代の万治2年(1659)末寺であった、檜木寺と合併して現在地に移り、再建されたと伝わります。寺宝に、マリア観音像が有ります。(非公開) 土佐沖で難破したイスパニア船の船長が長宗我部元親に贈ったもので、元親はマリア像とは知らず、吉祥天の様な美しい観音像とし代々伝えられた為、徳川時代のキリスト教禁令も難を逃れて居ます。...
【四国遍路の旅】第62番 宝寿寺 ~平成、令和あわや廃寺?概要欄も読んでね!
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【 宝寿寺 】  このお寺は天平の頃、聖武天皇「在位724~749」は諸国に一の宮を造営した。  その時、この地に伊予の一の宮神社が建立され、大和の僧、道滋律師「?~744」が勅命を 受けて法楽所としての別当寺を創建したのが始まりと伝わる。往時は伊予三島水軍の菩提寺として栄えていた。寺名も金剛宝寺と称していた。  弘法大師がこの地を訪ねたのは大同年間「806~810」で寺に久しく留まり聖武天皇の妃である光明皇后の姿を形どった11面観世音菩薩像を彫像した。これを本尊として寺名を宝寿寺と改めて霊場とされた。  その当時有った中山川の度重なる洪水の被害を受け天養2年「1145」に堂宇を再婚し、山号も天養山と改めて居ます。平成になり本堂の工場を始めたが資金難でそのまま放置され、一時香園寺横に仮本堂、仮大師堂が、移されたが令和元年にこちらに戻り霊場会に復帰しています❗ #弘法大師 #釈迦   ...
【四国遍路の旅】第61番 香園寺 ~元祖安産、子育て祈願のお寺
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【 香園寺 】  縁起によると用命天皇「在位585~587」の病気平癒を祈願して、皇子である聖徳太子が建立したと伝えられる。この時に太子の前に金の衣を着た白髪の老翁が、飛来して、本尊の大日如来を安置したと伝えられる四国霊場屈指の古刹であり、天皇からは教王院のの勅号を賜った。    後天平年間「729~749」には行基菩薩「668~679」が訪ねている。 弘法大師が訪れたのは大同年間「806~810であった」。  ある日門前で身重の婦人が、苦しんでいた。大師は、栴檀の香を焚いて加持祈祷をした。 すると婦人は元気な男児を無事に出産した。  これが機縁となり大師は唐から持ち帰った小さな金の大日如来を本尊の胸に納め、再び栴檀の香を焚いて安産、子育て、身代わり、女人成仏を祈る「四誓願」の護摩修法をされて、寺に残し、霊場に定められた。「栴檀山」の山号はこれに由来する。  その後天正の兵火で消失し...
【四国遍路の旅】第60番 横峰寺 ~今年は、(2024年5月6日)今日が、シャクナゲ満開日!!
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【横峰寺】 西日本の最高峰石鎚山「標高1982m」の山の中腹にあり四国霊場の内では3番目に高い「750m」所に有る。白薙2年、役行者が石鎚山の星ケ峯で修行していると山頂付近に蔵王権現が現れたと言う。その姿を石楠花の木に彫り、小堂をたてて安直したのが始まりとされています。延暦年間「782~806」には石仙仙人と言う行者が住んでおり、桓武天皇「在位781~806」の脳病平癒を成就したことから、仙人は菩薩の称号賜ったと伝えられています。  お大師様が、この寺で厄除けと開運祈願の修法をしたのは大同年間「806~810」とされ、この時やはり蔵王権現が現れたのを感得、堂宇を整備して霊場とした。  明治維新政府の廃仏毀釈により寺は廃寺となったが明治42年に成って檀信徒の協力により復興された。 #弘法大師 #釈迦   #遊行 #遊行僧念仏聖 #お大師像 #四国八十八ヶ所 #シニアライフ  #四国旅行...
【四国遍路の旅】第59番 国分寺 伊予の国分寺 ~ 足の向くまま・気の向くまま
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【 国分寺 】 ここは伊予の国府の有ったところでこの地域は伊予文化発祥の地とも言える。 往時の国分寺は今の所から150m程東に有った。東塔跡と見られる遺跡には、 13個の礎石があり茎の史跡とされています。 遺跡の配置等から推測される7重塔の高さは60m程で豪壮な七堂伽藍を備えた寺観は仏教界に君臨した天平の昔を忍ばせ、その面影を今に伝えています。 国分寺は天平13年聖武天皇「在位724~749」の勅願により行基菩薩が、本尊の薬師如来像を彫像して安置し開創したと伝えられる。第三世住職、智法律師の時、弘法大師が長く滞在して「五大明王」の画像一幅を奉納、又大師の弟子真如も2年間留まり「法華経」の一部を書写して納めている。その跡悲運な災害に2回焼かれ、讃岐頼之の兵火にも合い4度目は長宗我部元親の「天正の兵火」にかかり、堂塔を消失している。 本格的な復興は江戸時代後期からであった。 であるが、寺...
【四国遍路の旅】第58番 仙遊寺  ~ 足の向くまま・気の向くまま
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【 仙遊寺 】  このお寺は、作礼山「300m」の山頂に有り、今治の市街地や、四国1、高い今治観光ホテルが、眼下に望める。その先には、瀬戸内海に浮かぶ島々、更には平成11年開通した「しまなみ海道」も、一望出来る眺望豊か地にある。    創建は天智天皇「在位668~672」の勅願により伊予の国主、越智守興公が堂宇を建立、本堂の千手観音菩薩像は天皇の念持仏として海から上がってきた竜女が一刀3礼しながら、彫って安置したとされる。この事から作礼山が山号となり、竜宮から届けられたと言う伝説がある。  更に仙遊寺には、安房仙人と言う僧が何十年に亘って籠り、七堂伽藍を整える等をしたが養老2年「718」に忽然と姿を消したと言う伝説が残っています。後に弘法大師がこの地で修法された時、病に苦しむ人々を救済しようと井戸を堀り、荒廃してた七堂伽藍を修復して再興されたのです。その井戸は旧参道の脇に残り「お加治...
【ちょっと寄り道】造幣局の桜の通り抜け2024  #大阪イベント #桜
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京阪天満橋から10分から15分ほどで歩きで到着するところにあります 141種340本の桜の通り抜けを久しぶりに行ってきましたので、 美しい桜を皆様にもおすそ分けします。 いつものお寺は、一休み ちょっと寄り道をご覧ください 2024.4.10(水) #大阪イベント #桜の通り抜け #造幣局の桜 #京阪電車 #旅 #旅行 #桜 #満開 #京阪天満橋 #シニアライフ
【四国遍路の旅】第57番 栄福寺 『僕はお坊さん』がいるお寺 ~ 足の向くまま・気の向くまま
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【 永福寺 】  このお寺には神仏混合の歴史があり、その由来も平安時代に遡る。常観元年「859」大和大安寺の行教上人が宇佐八幡の霊告を受けて、その分社を山城の男山八幡「岩清水八幡」として総建するため、近海を航行中に暴風雨にあい、この地に漂着した。ところが、府頭山の山容が山城の男山と似ており、しかも、本尊の阿弥陀如来は八幡大菩薩の本持仏であることから、境内に八幡明神を勧請して社殿を造営、神仏合体の勝岡八幡宮を創建したと伝えられる。    この八幡宮は「伊予の岩清水八幡宮」と呼ばれて、四国57番と仲良く寺社名を刻んだ石塔の道標がたっている。この近海では海難事故が絶えなかったその頃嵯峨天皇様「在位809~823」勅願により大師がこの地を巡教した。  内海の風波、海難の事故の兵易を祈って、府頭山の山頂で護摩供を修法された。その満願の日、風波は収まり海上には阿弥陀如来の影向が漂った、この阿弥陀...
【四国遍路の旅】第56番 泰山寺 穏やかな暮らしを願い   ~ 足の向くまま・気の向くまま
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【 泰山寺 】  泰山寺には、水難で人命を失う悪霊の祟りを鎮めた伝説が残っているこの地を弘法大師が訪れたのは弘仁6年のころで、この町の外れに蒼社川という川が流れており、毎年梅雨の季節になると氾濫して田地や家屋を流し人命を奪って居たため、村人たちは恐れ苦しみ、人取り川と言って、悪霊の仕業と信じていた。この事情を聞いた大師は村人と堤防を築いて「土砂加持」の秘法を7座に亘り修法したところ、満願の日に延命地蔵を空中に感得し、治水祈願が成就したことを告げた。    大師はこの地に「忘れずの松」を植えて感得した地蔵菩薩の尊像を彫像して本尊とし堂舎をたてて「泰山寺」と名付けた。    寺はその後淳和天皇「823~833年」の勅願所となり、七堂伽藍を備えて塔中に地蔵坊、不動坊等、十坊を構える程の古刹として栄えた。だが度重なる兵火により寺の規模は縮小し金輪山の山頂にあった境内が、麓の現在地、お手植の松...
【四国遍路の旅】第55番 南光坊  ~ 足の向くまま・気の向くまま
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【南光坊】  四股88ヵ所のお寺の内、坊のつくお寺はこの南光坊だけです。 古くは大三島にあった大山祇と深く関わり、大宝3年、伊予水軍の祖と言われた国王、 越智玉澄公が文武天皇「在位697~707」の勅を受けて大山祇神社を建てた時に法楽所として、 24坊の別当寺を建立したことが創始と言われる。    これらの別当寺は翌々年海を渡っての参拝が不便なことから現在の今治市に移され、 和銅元年に「708」行基菩薩が24坊の内8坊を「日本総鎮守三島の御前」と称して奉祭した。 更に弘法大師がこの別当寺で法楽をあげて修法され、霊場に定められた。 その後、天正の兵火で殆ど焼けましたが、南光坊だけが別当寺として再興された。 その後、藤堂高虎公の祈願所となり、江戸時代には藩主久松公も祈願所にして、信仰した。 #弘法大師 #釈迦   #遊行 #遊行僧念仏聖 #お大師像 #四国八十八ヶ所 #シニアライフ  #...
【四国遍路の旅】第54番 延命寺  ~ 足の向くまま・気の向くまま
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【延命寺概要】 第53番円明寺からは、車で約1時間、今治市内からは約6キロしまなみ海道の方へ離れた、 近見山と言う山の中にあったが再三火災に会い堂宇を焼失し、 享保12年「1712年」難を逃れた本尊と共に現在地の近見山麓へ移転した。  寺の始めは養老4年に聖武天皇「在位724~742」の勅願で行基菩薩が大日如来の化身と される不動明王を彫像してほんぞんとし、伽藍を建立し開創した。その後、弘法大師が嵯峨天皇「在位809~823」の勅命を受け伽藍を信仰と学問の中心道場として再興し、「不動院、圓明寺」と名付け勅願寺とした。園明寺の寺名は同じ名前の第53番圓明寺との間違いが多く、明治時代に、江戸時代から俗称としてきた、延命寺に改めている。 #弘法大師 #釈迦   #遊行 #遊行僧念仏聖 #お大師像 #四国八十八ヶ所 #シニアライフ  #四国旅行 #先達 #旅行  #四国遍路 #年末のお掃除 ...
【四国遍路の旅】第53番 圓明寺 意外な所に3つの宝物 ~ 足の向くまま・気の向くまま第53番圓明寺
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【四国遍路の旅】第45番 岩屋寺 難所への挑戦 ~ 足の向くまま・気の向くまま
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【四国遍路の旅】第44番 大賓寺 八十八ケ所 折り返し寺 ~ 足の向くまま・気の向くまま
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【ちょっと寄り道】 卯之町に魅せられて 資料館・卯之町散策~ 足の向くまま・気の向くまま
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【四国遍路の旅】第43番 明石寺 千手観音さんに化身した女性 ~ 足の向くまま・気の向くまま
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