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ひめみこチャンネル
Добавлен 27 сен 2012
記紀から見る日本史と伝承から日本の歴史を思うままに話してます。
動画とショートの統一性ないです。
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人類はアフリカに現れ現生人類に進化し世界に広がり日本へも来た!日本で最初に出来た王国は出雲王国
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(39)吉備津彦神社・吉備津神社【岡山県】桃太郎のお伽噺の元と云われる温羅退治のお話とは…
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(38)出石神社・広峯神社【兵庫県】新羅の王が跡継ぎに選んだのは次男!後を継げない長子の運命は…
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(37)吉祥草寺【奈良県】役行者さん誕生所・霊能力を高める修行・出雲散家
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(36)石切劔箭神社【大阪府】ホアカリ・ニギハヤの和名を持つ渡来してきた徐福さんの最終章
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(35)葛木御歳神社【奈良県】初代大王のアメノムラクモの父親の五十猛とはどんな人物なのか
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(34)磐船神社【大阪府】「ニギハヤ」「ホアカリ」2つの和名を持つ徐福とは…真実を隠しスサノオとして残された悪事とは☆島根県の美保神社
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(33)三島鴨神社【大阪府】大国主と事代主の王と副王の2人の死後何が起きたのか☆事代主の后がとった行動とは
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(32)廣瀬大社【奈良県】櫛玉命はニギハヤノミコトのことなのか☆ニギハヤノミコトは中国から来た徐福であるなら・・・
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(31)豊受大神宮(外宮)【三重県】伊勢神宮外宮建立と浦島太郎伝説との関係性☆出雲の旧家の伝承
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(30)伊雑宮【三重県】倭姫命さんが天照大神さんを内宮に奉じられる前は伊雑宮に先に奉られていた☆倭姫命さんが伊雑宮の造営をお願いしたのは誰?
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(29)浦嶋神社【京都府】日本のお伽噺にある浦島太郎は実在した?モデルとなる浦島子とは…☆豊受大神の伊勢遷座
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(28)真名井神社【京都府】月神を祀っていたことを隠した事実と隠された理由☆天の羽衣の物語の話は卑弥呼といわれた娘のトヨの話だったのか??
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(27)出雲大神宮【京都府】何故ここに神社はあるのか☆出雲大神宮さんが元出雲と呼ばれる謂われとは☆古事記・日本書紀に書かれていることとは☆ひめみこチャンネル
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(26)宇治神社・宇治上神社【京都府】仁徳天皇が起こしたクーデター☆隠された宇治大君☆仕組まれた殺害☆旧家出雲伝承
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(25)廣田神社【兵庫県】廣田神社の御主祭神の天照大御荒魂と伊勢神宮内宮の荒祭宮神と同体⭐︎ひめみこチャンネル
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(24)住吉大社 その参【大阪府】神功皇后さんが祀られている住吉大社とウサギの深い関係とは☆応神天皇の出生の秘密とは☆ひめみこチャンネル
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(23)住吉大社⭐︎その弐【大阪府】神功皇后が献上された七支刀は本当は誰に贈られたものなのか☆その後の成務天皇☆隠された史実
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(22)住吉大社⭐︎その壱【大阪府】神功皇后には何人の殿方が関わったのか☆強い女性とは☆血筋とは
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(21)石上神宮・景行天皇陵【奈良県】大鳥大社【大阪府】ヤマトタケルの双子の兄は成務天皇☆出雲散家
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(20)奈良県御所市を巡る☆出雲伝承と高天原☆神々(天津神)が住まいする高天原とは☆神無月(かんなづき)と神在月(かみありづき)とは
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(19)椿大神社【三重県】☆異母兄に殺された姫巫女☆姫巫女は何を思い人生を終えたのか☆その争いは無くてはならなかったのか…
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(18)相撲神社【奈良県】国技といわれる伝統文化である相撲☆記紀や神話で力くらべと云われている相撲は実は戦争のことであった☆ひめみこチャンネル
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(17)檜原神社【奈良県】太陽神を祀る人々を追い出し月神を広めたのは誰なのか☆太陽信仰と月信仰☆ひめみこチャンネル
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(16)和爾下神社【奈良県】ヒミコと云われたのは姫巫女☆暗殺された姫巫女☆月信仰は隠されるのは何故か☆ひめみこチャンス
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(15)往馬大社【奈良県】出雲の国ゆずりは戦争だった☆出雲戦争☆第二次物部東征☆日本の歴史
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(14)村屋坐彌冨都比賣神社【奈良県】大彦親孝行のその後☆日本列島に2つの独立国があった!日本が2つあった???
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(13)箸墓古墳【奈良県】から車中雑談話☆第一次物部東征・第二次物部東征☆四道将軍とは☆複数人のヒミコ☆旧家伝承
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フツヌシさんもタケミカヅチさんも記紀と伝承の違いを説明するのが大変ですね。特にタケミカヅチが出雲出とすると、何で国譲りの最重要場面で相手側で登場するの?になるので、そこら辺が苦労するところです。春日大社の神官名とか奇日方の息子と穂日の娘の子でどちらも出雲系とか説明も難しいし、後に中臣氏が春日大社の氏神をフツヌシからタケミカヅチに変えた経緯も、昔から出雲の範囲の広さや影響力の大きさを示すエピソードと思うのですが、中々分かってもらえません。 記紀のイメージ作りの強力さというか、作り方が上手なんでしょうね。もちろん記紀が虚偽の歴史書という事では全くなくて、大彦という人物が居た。というのは、埼玉県の稲荷山古墳から出た鉄剣から誰が見ても本当のことでしょうけど、崇神天皇の四道将軍のように、動画でも触れておられましたが、記紀はどうもすり替えや年代の暗号が多いようです。 そこが西洋の聖書と異なる日本古代史の面白いところで教科書には書かれていない楽しめるところかも知れません😁
@@nihontaro9 ☆ ご視聴・コメントありがとうございます☆ 本当に何が事実かというより 史実を残すことより 「何か」「誰か」の不都合を隠すことを残しているのが記紀 記紀を残すことに携わった人によってまた今の記紀と違う事実が残されていたのだろうと思います 本当に面白いです 記紀も伝承も「こんな話なのね」とわけて考えないと 繋げるとややこしくなり…説明出来ないことになります 記紀も伝承も面白くふんわりとその世界を楽しめたらいいなと私も思っております 何が正しいのかを追及するより 自分が納得できる方を楽しんでいってもらえたらと… 面白いな!と思える世界を楽しんでいけたらと コメント本当にありがとうございました!
縄文時代後期には、四国も出雲圏内だったようで、 四国ではガンジス川の神ガンガーも、 ワニの神クンピーラも、 四国に来てサイノカミ幸姫佐毘売大神と、御子神サルタ彦大神なのでしょうね。 出雲では、ガンジス川の怖い存在インドコブラとワニは、セグロウミヘビの信仰になりましたが、 四国の真言宗象頭山松尾寺金刀比羅神社では、大物主として祭られてますので、たぶん、もともと出雲圏なので、大物主は三輪山と同様に、出雲の事代主と習合しているようです。 繋がっていますね。
ご視聴・コメントありがとうございます! 繋がってますね! 香川のお寺にワニの絵が飾られていて 神様の乗り物だったのですよ!とご住職さんにお話を聞きました。
久しぶりの投稿有難う御座います‼️私の故郷は鹿児島県の沖永良部島です薩摩藩に侵略されるまでは琉球王朝の支配下にあり現在も言葉や文化は琉球(沖縄)と似ています‼️日本は島国の為大陸からの敵対的な侵略がなかったので縄文人と弥生人の融和的な交配が進んだと思います❤チベットも険しい地形の為日本と同様だとか‼️今後の投稿も楽しみにお待ちしてます😊
@@有川孝志 ☆ いつも、ご視聴頂きありがとうございます☆ コメントも頂き嬉しいです 故郷が鹿児島なのですね たまに帰郷されるのですか? 私はまだ鹿児島へは行ったことがないのです いつになるかは分かりませんが訪ねてみたいです! 今も昔も島国であるからこその豊かさもありますが「守り」が必要でもありますよね ひめみこチャンネルをこれからも宜しくお願い致します!
豊受大神と宇賀御霊について分かり易いご説明を感謝します。 たまたま稲荷大神秘文という祝詞に書かれていた 天地開けて此方 国常立尊を 拝し奉れば 天に次玉 地に次玉 人に次玉 豊受の神の流れを 宇賀之御霊命と 生出給ふ との一節が出てくるので、意味が気になっていたのですが 今回の動画でなるほどと納得できました。 豊来入姫トヨさんは、椿大神社に眠る前は、 『古事記』では天宇受賣命、『日本書紀』では天鈿女命と表記される アメノウズメと呼ばれていた様ですね。 宇受女から豊受大神との繋がりというか、 同一であるとはっきり書かれていたのですね。 今気がつきました。ありがとうございます😊
@@nihontaro9 ☆ ご視聴・コメントありがとうございます 記紀などで 同一人物が複数の人物のようなことになっていたりしますが史実ではお一人のことであったり… 繋がるまでは不明になってしまいます 動画を観て頂き 納得して頂きとても嬉しく思います コメント下さりありがとうございます
詳しいご解説を有難う御座います。 いつもですが、空で解説されておられるのが素晴らしいですね。 伝承の本を読みながらでも分かりやすく説明するのは大変ですから。
@@nihontaro9 ☆ ご視聴・コメントありがとうございます! 本当に私もそう思います。 私は撮影と編集をしているのですがいつもぶっつけ本番でしゃべるので毎回身内ながらもすごいなと思っています わかりやすく…とおっしゃって頂けるのが本当に嬉しいです 伝承をそのままお伝え出来ればと思っております ありがとうございます☆
@@Himemikochannel さま、 改めて伝承の内容を思い出すことができて、有難いです。出雲大神宮について書かれていましたね。 ここ最近、特に出雲が注目さてている中で、出雲の伝承にある様に、出雲からヤマトへ、そして東国へとの流れについて、 例えば各時代の人口分布や、『新撰姓氏録』の意富氏や出雲臣の記述などから、出雲には実は東国常陸国・茨城の郡条から入植していて、出雲からの大和とその後の東国への入植はない。とお考えになる方も多いようで、伝承の説もありますよ。とご紹介したいところでした。 どちらが正しいかということはなく、両方の側から見られるとよいな。と思います。
@@nihontaro9 ☆ ありがとうございます 本当にどちらが正しいとかではなく こういった話もこちらではありますよ…的に観て頂けると嬉しいです これからも宜しくお願い致します☆
伊勢に七旅 熊野へ五旅 愛宕山には月参りと昔の京都人は言っていたと聞きます 列車で来るにしても一日か二日はかかり到着したら熊野本宮 速玉大社熊野古道を歩き那智大社や飛龍神社や青岸渡寺と参り京都へと戻る大変な道程だったようです!
@@奥田茂行 ☆ ご視聴・コメントありがとうございます。 昔の方たちの交通手段って自分の足ですものね 京都からの道中は大変なものだったでしょう お伊勢参りするのも「おかげ参り」として江戸時代に集団で伊勢神宮さんへ参詣したり…伊勢参りも熊野参りも道のりは楽ではなかったでしょうね 今と昔の参詣の心構えは違っていたことでしょう
「記紀」神話物語を歴史の通説がごとく語るチャンネルが横行している中で、実相に近い動画配信されています。今後も真実の古代史を国民に知らせて下さい。期待しています。
@@有名人化託話 ☆ ご視聴・コメントありがとうございます ひめみこチャンネルでは 出雲伝承に基づいてお話させて頂いてます やはり 出雲伝承に書かれていることが史実に近いのでは…と思い取り上げさせて頂いてます これからも面白いと思えることや 興味深いことでお伝えしたいことがあれば投稿させて頂きたく思っております ご期待に添えられるよう務められたらと ありがとうございます☆
司馬遼太郎「街道を行く」葛城みち からこちらの動画に来ました、ありがとうございます。
@@逸子八木 ☆ ご視聴・コメントありがとうございます! ご縁が繋がり嬉しく思っております。 ありがとうございます☆
「出雲八重書き」の法規も寄り合いで決められた。古代インド文字で横書きだったという。富家に昭和初めまで、虫食いのインダス文字らしき古代文書があった。解読不可時、帝国博物館所属の学者が借りて帰ったが文書は行方不明となった。どこかに現存すれば、世紀の大発見だが❗
@@有名人化託話 ☆ ご視聴・コメントありがとうございます! 書物…どこへ行ってしまったのでしょうね。 残念です。 どこかから出てきてほしいですね
おお、出雲第二王朝、諏訪大社様・・・
@@古澤功-c7e ☆ ご視聴・コメントありがとうございます! 諏訪大社さんがお好きなのでしょうか
@@Himemikochannel はい、好きです。出雲系は、特に。・・・出雲の神在月、各地のカミ(首長)が集まり、結婚・婚籍の相談と何よりも、不作の国に豊作の国が収穫物を与える、弱きを助ける、日本人の道徳規範の元かもと。・・・それに朝廷に坂東の民を苦しめた重税政策(江戸時代の五公五民より酷かった、平安時代前期、このせいか、大河ドラマの光る君へは、民から強奪した税でのうのうと暮らす姿に嫌悪を覚え、見るのを止めましたね。余談ながら)に反旗を翻し、謀反人となった平将門公の御首と懇ろに祀った神田明神、こちらも出雲系です。・・・更にドラマVIVANTにて赤飯(古代米の名残りで出雲の祖、インドから農耕民族のクナト王等ドラヴィダ人が日本に持ち込んだ説)、出雲大社、神田明神、良かった。・・・VIVANT2がもしあれば、諏訪大社も入れて欲しいと思っています。
出雲市大社町には、タケミカヂツとタケミナカタが国譲りの談判した所「屏風岩」や、力比べで大きな岩を投げ合って出来た「つぶて島」が有ります。史実とは全く違うが、「有名人化託話方式」によって物語由来板がある。当チャンネルを応援しています。
@@有名人化託話☆ ご視聴・コメントありがとうございます! 私は神話が好きで詳しくはないですが何度も神様の世界のことを空想していた子供時代でした。 なので史実を知ることになり 空想世界の神様の世界はないと分かりながらも神話の神様も史実としての話が変えられた物語になっているのもどちらもまた空想し…それもまた世界を楽しみながら想像しております。 国譲りの話も 事実も 知るとさらに面白いものです そして 当チャンネルの応援ありがとうございます☆ 励みに務めさせて頂きます。
お早う御座います。 諏訪大社行きたいんですよ~俺は隣の山梨県の八ヶ岳の麓に家が在るんですが(出身は横須賀)まだ行ったことが無い、下社や上社の前は仕事で通ったことがある程度、10年ちょっと前に東京に仕事(海コントレーラー)で出て来て、2年位前に出雲の伝承に出逢いました。今、マイカーをエンジン等のTuningをやって貰っていて、仕上がり次第ドライブ兼ねて諏訪大社ヘお参りに行こうと考えでいます。 でッ、その諏訪大社何ですが、何故か物部が可也関係していると、リアル神社チャンネルのコメントに来られた方から話を聞きました。もし良ければリアルさんの何故ここに諏訪神社の元宮がでのコメント欄を見てみて下さいm(_ _)m 確かに物部のモリヤ、多分秋上家(神魂神社も) 大和から諏訪地方に向かった大彦さんかが、物部系と何か関係したとか、俺的にはその程度で出雲系から物部系になるとは考えられない。有るとしたら、物部系に書き換えられた!!! 今も昔もシナの奴等はそうなんでしょうね~
@@石井健次-h1n ☆ ご視聴・コメントありがとうございます! お車の状態が整い次第のドライブ楽しみですね。 行きたいところへ行けるって日々の生活の活力源にもなりますものね。 諏訪大社さんまでへのドライブもご安全に行って下さい! リアル神社さんが自身のコメントでおっしゃっておられましたが 神話も深く考えれば難しく思いますがロマンを持って考察すれば楽しいと… 私もいつもそう思っております。 書き換えられているお話は数々ありますがそれも踏まえ…知り得ながらも楽しめたらと思っております。 健次さまもドライブに諏訪大社さんの参拝をお楽しみ下さい! 私も平成22年に一度行ったきりなのでまた訪れたいと思います。 ありがとうございます☆
吉備津神社と吉備津彦神社を結んだ山のうえにストンサークがあるのご存知ですか❗️
@@津田博行-e9f ☆ ご視聴・コメントありがとうございます。 ストーンサークルがあるのは知らなかったです 岩倉神社さんのところになるのでしょうか
三輪山に 出雲から幸の神信仰の神々を(磐座を組んで)奉迎鎮座させた。 最後の大日霎貴命の 登美(向)の佐保日女命が 百襲日女命が女神の形代に制定した 元々は物部の道教に由来する神獣鏡(平縁の円鏡)を持って 流離い、 結局は伊勢に至り 内宮の端緒となる庵、祠を営んだ。 他方、男神、クナト大神は 大和神社に引き剥がされて 大和坐大國魂大神。 と改竄された。 御子神、サルタ彦大神は 多分、三輪山~二上山の真西、 富田林の 喜志、美具久留御魂神社に 美具久留御魂大神(境界神。出雲大神荒魂) で祀られたのでは? しかしながら そもそも三輪山(のそれぞれの磐座)を御神体とするから 普通にフラットに考えれば 三輪山から引き剥がす等出来ない話。 そのため、 いにしえの幸の神信仰の神々を 大神大神(オホミワのオホカミ)。 とよんで 祭祀し直しているのでは? 多分、間違いないかとおもう。 思えば三輪の神と 伊勢の神 一体二神の御事。 今さら何を岩倉や!
いつもコメントありがとうございます☆ 思えば三輪の神と伊勢の神 一体二神の御事 今さら何を岩倉 この言葉がたまに頭に浮かぶときがあります 深くまで考えたり おっしゃる通りフラットに考えたり 出来るのは 本当に理解なさってすべて線となり繋がっていらっしゃるのだと思います いつもありがとうございます! また当チャンネルで言葉足りないところがあれば教えて下さい
@@Himemikochannel 大和坐大國魂大神 がクナト大神である理由(証拠?) 古事記が 女神の天照大神 (大日霎貴尊。 幸姫命(イザナミ)の信仰の一部) と全く同等の神。 とちゃんと証していますから、 幸姫命 (大日霎貴尊→天照大神)と同等、対を成す男神は クナト大神。 皇居に天皇同殿同床で天皇自らにより祀られていた。 の行は、創作改竄の部分。
@@森岩光 ☆ いつも。ありがとうございます。
徐福。 本名は 徐市。 市。は、 フツ。と発音したというから フツ○○神とは 徐福(徐市)の 諱(本名)に 神名を付与したモノである事が 一目瞭然です。 彼は 出雲王国と北九州の計二回に亘り渡来した。 初回の出雲王国では 偽名(自称)で彦火明(ホアカリ)を自称した。 程なくしてクーデターを起こして出雲王国の簒奪を企てて 王国を引っ掻き回しましたが 出雲王国側の巻き返しに遭ってクーデターは鎮圧されて失敗。 母国の秦帝国に逃亡した。 この際、クーデターの初手に 第八代の出雲王 八千矛命 (出雲大社主祭神) と、 同副王の 八重波津身命 (皇室直系祖先。いわゆるエビス様。 大物主命) の主副二方の王を暗殺した (実行主犯は現出雲国造家(出雲大社宮司家)の祖の ホヒとヒナドリら) 二度目は 山東半島から三千人を乗せた大船団が出帆して 結局、有明海に入港して 佐賀の吉野ヶ里に 定住。帰化した。 この際、吉野ヶ里は 徐福の故郷、臨輜地方の村邑同様の 幾重にも巡らした堀と防御柵等で 防備を固めた城柵都市を構築したらしい。 この際、徐福は先の出雲王国での失態から ホアカリは使えないので、 偽名の 【ニギハヤヒ】 を自称した。 出雲王国に残した 五十猛。改め、 海(アマ)香語山命の子孫が アマ家、アマベ家 (後々、皇室に繋がる) 九州の子孫が 物部王家(天孫降臨~神武) 徐福は 大海を渡り来たので 大海(おほワタツミ)神 この際の外洋航海に耐える大型構造船~秦帝国の技術の粋を集め建造したものが、 後々、我が国の木造建築の基礎となった 事から 屋形帆負神(棟上げ式で祭祀)。 ~ 屋根、天井は船を ひっくり返した形にそっくり。 風を巧みにはらんで秦(シナ)帝国から渡来したから シナ津彦命(風神) 天照御魂神。 天照御魂大神 徐福は道教マスター。~ 道教由来による 天御中主尊 渡来人勢力の リーダー(イザナギ)ですから イザナギ。 速玉、速はニギハヤヒの暗号(略称) また ニニギも同様。 徐福は蘇州出身とやの伝承~ 古事記が捻り出したのが スサノオ。
@@森岩光 いつもご丁寧なコメントありがとうございます 再度…こうしてお聞かせ頂けるとよく分かり助かります 「神」とお祀りされている方々には実体があり それを知ることで神社があるべきところにあると思えることもあります 徐福さんについては 本当に驚くほどのことをなさっていてこうしてまとめて書いて頂くと改めて日本の歴史に関係があるのだと… 子供のこと田辺聖子さんの古事記を解釈して下さったのを読んでいましたがイザナギさんとは…スサノオさんとは…えびすさんとは…ほかにも 伝承から知ることとは違っていて 面白く学ばさせて頂いてます そういってもなかなか 覚えられないのでこうしてまとめて教えて頂けることとても嬉しく読ませて頂いてます ありがとうございます☆
菟道稚郎子命のお話を詳しく話してくださりありがとうございます。 丁度1年前に宇治上神社でこの神様に出会い、人生を変えられて色々調べていたんですが、なかなか見つからず、この動画をこのタイミングで見つけることができてとても嬉しいです。 また宇治へご挨拶しに行こうと思います。 本当にありがとうございました。
@@cokyu_incense ご視聴・コメントありがとうございます 人生の変わり目のご縁を頂いたのですね 素敵なことです 菟道稚郎子命さんがお祀りされている神社さんはあまり聞かないですよね 宇治橋の下流 宇治市莵道の宇治川東岸に 菟道稚郎子命さんの宇治墓とされる 丘陵地はあるようですが… また宇治へのご縁がありますように!
先の氷河期が終焉して 海面は急上昇を続けて 所謂、縄文海進等と言われるように 現在より数メートル~十数メートル高かった。 当然ながら 海岸線は今より内陸部まで入り込んでいた。 この事を考慮に入れていないと おかしな話になります?
@@森岩光 ご視聴・コメントありがとうございます! いつも、大事なお話を聞かせて頂き感謝しております 現在の海岸線とは異なることを踏まえて聞いて頂かなければ本当におかしな話になってしまいますね 教えて頂きありがとうございます☆ また何か気になることや言葉足らずのことがあればお聞かせ下さい お心にかけて頂きいつもありがとうございます
村雲大王に始まる 大和王国の 海(あま)王朝は 三代、タマテミ大王の出生~磯城で大王に即位。 これに絡み、 村雲大王と媛タタラ五十鈴媛命の同父母を祖とする 尾張家が大王相続権を持ち出して 騒ぎだし、 高尾張の大王宮に有った 村雲大王が出雲王国(富家)から拝領した 出雲式の青銅剣 (天叢雲剣→草薙剣)を勝手に占有して 新大王、タマテミに渡す事を拒否。 更に話を拗らせやがて 大和王国海王朝は 大王家と王族や豪族たちが入り乱れてての内乱に発展。 孝。の付与された歴代天皇がその内乱の時代を暗示。 その大和王国のぐちゃぐちゃの内乱に 付け入る形で 九州の同族、物部王家軍が大和に進攻。 内乱に嫌気が射していた 登美家の河内の分家、 大田多禰彦が 物部を利用して内乱を一掃しようと 物部がたむろしていた 熊野(熊野本宮大社の辺り)に走り、 物部軍を大和に手引き誘引して 海王朝勢を奈良盆地から一掃させる隙を突いて? 大田多禰彦は新たな大王に即位して 三輪大王と呼ばれた。 系図の孝元天皇に当たる。 大和を逐われ、喪失した 旧海王朝の孝 霊天皇らは 出雲王国から 播磨~吉備地方を奪取して 大吉備王国を建国。 更に余勢を駈って ほとんど無防備だった出雲王国にいきなり進攻、蹂躙した (第一次出雲戦争) 桃太郎=孝霊天皇。 鬼やヤマタノオロチ=出雲王国。 孝霊ら大王家軍が播磨に出兵した後(物部が進攻~)、 大和の留守番だった 大彦(皇太子)らは 伊賀~東近江に盤きょして クナト王国を建てて 物部軍と対峙。 しかし、物量に勝る物部軍の猛攻にクナト王国は瓦解。 大彦は北陸方面に 御子のヌナカワワケらは東海地方(太平洋側)の二手に分かれて 退去。 物部軍はそれらを執拗に追撃し続けた。 (鹿島(元来は大彦の子孫勢力が出雲系の神々を祭り、追撃した物部が占領上書き)や香取) 大彦の子孫勢力は東北地方で合流すると 態勢を建て直し 強力な国家、日本国を建国して、 関東以南の 大倭国(大和朝廷)と 一千数百年に亘り対峙して 日本列島は南北に2つの国家に二分されていた。 大和(大倭国)側は 全く歯が立たない(笑) 日本国(日ノ本の国)を 蝦夷と卑下し、 奥州等と誤魔化した
@@森岩光 コメントありがとうございます☆ とてもわかりやすく書いて頂きありがとうございます! きちんと把握していない私にとってはコメントを読ませて頂いて 確認出来ました! ありがとうございます
親魏倭王。 豊日女命/ 豊来入日女命。 中国人は 女王トヨ。とした。 彼女が兄の豊彦、豊来入彦が率いる豊国兎佐軍と共に 丹波から伊勢に至った時、 兄たちと別れて 椿大神社の 伊勢忌部。 宇治土公家に庇護を求めて その庇護下に入った際。 親魏倭王。 兎佐。豊(来入)日女命が 兎佐(宇佐)女命。 と呼ばれていた事から それでは 正体がバレバレとなる恐れから 宇治土公家は 彼女を護る為に 宇佐女 →臼女 (臼。は女性の形代の一つ) →渦(ウズ)女 (渦、🌀は太古より女性、特に女性器の形代) →宇津女、鈿女命 に変名させて 更に 出雲族が斎祀り、 なかんずく忌部らが特に信奉する 祭神、サルタ彦大神の后神。 云々の神話まで創作(捏造)して 最大限、庇護した。 彼女は (後の)椿岸神社の場所に設けられた 神殿(御殿)に居られた模様です。 そんな折、 大和他を制圧して 征服物部王朝の大王となった 物部イクメ(イサチ)大王が 豊媛に刺客を放った。 (他にも同様にあまた刺客を放ったのかと。 武内宿禰太田根命にも刺客を放った。それを急報で知った 宇部神社にいた武内宿禰太田根様(皇室の祖先の一人(祖先は海高倉下命~五十猛→徐福))は 直ぐ様、王公貴族の衣服を脱ぎ捨て 農夫に窶して裸足のまま西へ向かって 逃走して 出雲(松江)に至り 亡国の元王家、富家(大田彦、野見宿禰)に庇護を求め 庇護されて、 同家の娘(内親王)と結婚して子孫を残した事が 我が国の歴史を大きく動かし、 それが今の皇室にも繋がった ) 異母兄の放った刺客の名は 多分、天(海)斑駒。 椿岸神社?の屋根から室内に闖入して 匕首(短刀)(ヒ)を振りかざして 姫巫女に襲いかかった。 不意の賊の闖入、狼藉に狭い室内を逃げ惑う内に躓き、そこを斑駒の匕首が姫巫女の心臓を一撃して即死した (古事記は半分は虚偽ながら真実も織り交ぜて記述されている事から ↑の現場の切迫した模様は史実だったと思う)
@@森岩光 コメントありがとうございます。 深く濃い…時代とも思えますね 豊来入姫…女王トヨといわれた姫さま 私がとても気になっている豊姫さん 異母兄の放った刺客に果ててしまうのはとてもせつなくなってしまいます ここでも詳しくお話しを書いて頂きありがとうございます
吉備国のお話ありがとうございます。 桃から生まれた桃太郎… ホントはおばあさんが桃を食べて若返ったお話。若返ったおばあさんが目の前に居たらおじいさんがハッスルしないわけない。それで生まれたのが桃太郎。近年になってハッスルはよろしくないと書き換えられたのが今日の桃太郎。 フトニ大王の頃のお話は記紀ではずいぶんと書き換えられたみたいですね!ずいぶんとハッスルしたんでしょうね! 大和王権にはよろしくなかったようです。
@@kyupytarou ご視聴・コメントありがとうございます☆ 若返りの桃…私も頂きたいです! 桃太郎さんはハッスルしたお話しだったのですね おばあさんの若返りの話は聞いたことはありますがハッスルした…とまでは知らなかったです フトニ大王(孝霊)さんの時代は書きかえないといけない事柄が多かったのですね ハッスルもそのうちのひとつとして変えられた… 面白いお話しをありがとうございます!
はじめまして、箸墓は子供の頃に何度か遊びに行った記憶があり、でっかい蛇に遭遇して驚いた事がありました。 記紀の箸墓逸話は明らかに大物主の権威下げの意図があからさまですよね。また箸でホトを突くのも子孫がいない事を明白にしたのだと思います。 まあこれからは仏教の時代ですよ、と主張した逸話なんでしょうね。
@@トミヤマサキオ ご視聴・コメントありがとうございます☆ 箸墓でそんなに大きなお蛇さんにお会いされたのですね びっくりしますよね 記紀には 様々な史実を隠すためのストーリーがあります それはそれで良いのですが このお話はこういうことを隠しているのねと思ってみるのもまた面白く感じております ここでの動画の話は 出雲伝承からのお話をさせて頂いてます 何かの一つの参考になれば嬉しいです ありがとうございます
お早う御座います♪ 確かこの人ですよね〜 7代目の神武は強かったッて〜 あァ〜ラムネ〜 美味しいのよ〜ラムネchan 😂
こんばんは! いつも、ご視聴頂きありがとうございます! コメント…ありがとうございます! 強さがあるからこそ欲となるのかも知れませんね お伽噺が好きな子供時代でしたが…実際は・・・ 暑いときの ラムネはまた格別でした!
奥様との二人旅が楽しいのですが、たまには良いですね ありがとうございます
ご視聴・コメントありがとうございます☆ お出掛けしたいところがあるっていいですよね。 1人でも2人でも…楽しもうと思うことが大事ですものね。 たくさんある動画の中…観て頂きありがとうございます!
お疲れ様です♪ 何だか神社に違和感が有ると思うのは俺だけかなぁ〜⁇? もし半島に日本ビレッジって言うテーマパークが有ったとしたら。その中に有りそうな神社かなぁッて〜 四国って言うと、淡路を通って阿波に行ってるかも知れないクシヒカタ君かクシヒカタ君の子孫。そんな話を出雲の伝承に詳しい方から聞いた事が有りますね。天叢雲神社は四国にしか無いけど、この神社はムラクモ君じゃなくて多分クシヒカタ君だろうッて言ってました。
ご視聴・コメントありがとうございます☆ テーマパークにありそうな神社…とても面白いと思いながら…なんとなく言いたいことは分かる気がします 興味あるお話ありがとうございます! まだまだ知らないことが多いことと思います また何かお話あればお聞かせ下さい! いつも、ありがとうございます🍀
お早う御座います♪今日はバックが夏バージョン🎉
@@石井健次-h1n ご視聴・コメントありがとうございます☆ バックまで見て頂きありがとうございます。 季節・季節で服装や持ち物をかえるのも楽しみの1つですね。 夏バテや熱中症にお気をつけて夏の暑さも満喫して下さい!
@@Himemikochannel 色合い大事ですね。とても涼しそう〜 日向はメッチャ暑いので身体に気お付けて下さいね〰
@@石井健次-h1n はい!色合いで感じ方変わりますものね。 私は年中黒服なのでいつも「季節感ない服装」だと言われてます。 ありがとうございます☆
日本人なら本当にあった歴史「伊雑宮神訴事件」を知って於いても良いと思います。伊雑宮サイドが江戸時代に徳川義綱に直訴した伊雑宮こそが内宮であると訴え1663年伊雑宮サイドの神官達50名が島流しにされ!それでも今度は1676年推古天皇の推薦文と「先代旧事本紀・大成経」を刊行してそ本を持って朝廷に直訴したが偽書の烙印を押され元版を焼却された。そののち伊雑宮神官代表の大崎兵大夫と言う神主さんが暗殺迄された真実の歴史。ただ私の主観ですが内宮がいまの場所で噓偽り無いのなら「それなら一つの説として調べて見ましょう」とか「その説もありますととどめておきましょう」とか堂々としていればいいはず?古今東西知られては行けない歴史とか知られたら困る真実程捻じ曲げられ抹殺封印するのでは?と思います。
ご視聴・コメントありがとうございます。 本当の歴史を残すことより 知られると困ることを隠した歴史を残していることがありますものね 歴史として事実あったことを伝えるというのは本当にいけないことなのでしょうか それを記することは当時としては難しかったのでしょうね。
元伊勢としていた神社さん、その時系列となると豊受大神さまが伊勢に行かれ、空いた所に浦島子さ祀られ神社、宮司さんの末裔さま、など風土記とかが説明すると思う。 混んだお話しでした。
@@世界の変化 ありがとうございます! 伝承・口伝・風土記 それぞれ似ている記述であったり また全く違っていたり…と面白いですよね。 どれが真実かより それぞれの記述を楽しみながら比べるのも良いかと思っております ひめみこチャンネルでは旧家出雲伝承に基づいてお話させて頂いてます。
論理的な説明ありがとうございます。古代の丹後での出来事
@@世界の変化 ご視聴・コメントありがとうございます。 当チャンネルを見つけて下さりありがとうございます。
謎でした。 神仏習合。 明治になるまで神仏の境目はなく各地で信仰されてきた事まではウロチョロして理解してました。 しかしその成り立ちとりわけ修験道について謎でした。 やはりサイノカミ信仰が源流なんですね! 各地の磐座信仰のお宮さんをお参りすると修験者の痕跡を目にします。 滋賀の太郎坊宮をお参りの時お宮を下ってシダの生い茂る奥に小さな小さな鳥居を発見。 その先に注連縄で結んだ杉の幼木。ご神木候補? その日お彼岸だったんで近くの和菓子屋へ寄りおはぎを。店の方がお話して下さいました。 あの山は修験者のお山ですよ!篤くお守りいただいてます。テレビの取材もありました。 とかくテレビは物見遊山な作りで信仰に失礼な事ありました。 とおっしゃってました。 一緒になってテレビ局にボヤキました。 おはぎ美味しかったです。琵琶湖畔で食べました。
いつも、ご視聴頂きありがとうございます! 天空のパワースポットといわれている 「太郎坊宮」さん お客様のおすすめで聞いたことあります 修験者さんが修行されたお山は全国あるでしょうね 修行というか心身ともに強化されていたのもあるでしょう 修験者さんとサイノカミさん 深い縁ですね 参拝で気持ち良く また美味しいものを頂いてにこにこと 素敵な時間をお過ごしになられたのね いつもお話をお聞かせ頂きありがとうございます☆
役行者が鴨一族だったとは初めて知りました‼️ 役行者のサイノカミ信仰と仏教の神仏融合が後年の神仏習合に影響を与えたのかなと妄想しました😅 今日車で走った県道30号線 (山麓線)から見た風景が一層 色んな想像を膨らませます😍
いつも、ご視聴頂きありがとうございます コメントありがとうございます! 役行者さんも出雲からというのは 本当に興味があり ほかにも出雲散家のお話…とても興味そそられちゃう話があります そのお話を聞けるのを楽しみにしてます 見る景色で想像がふくらむって素敵です! そんな場所があるっていいですよね サイノカミ信仰と役行者さん このお話私個人としては好きなお話です 妄想ワールド広がります
今晩は‼️ 6/26に妻と二人で 御所市、葛城市の五社(高天彦神社・高鴨神社・葛木御歳神社・鴨都波神社・葛木坐火雷神社)を巡礼しました🚙 ひめみこチャンネルで知り得た 古代出雲・出雲伝承に想いを馳せる事が出来ました‼️ 次章からの動画も楽しみにしております🙇
ご視聴・コメントありがとうございます! 奥様とお二人で 素敵なお時間をお過ごしになられたのですね 想いを馳せながら巡られるのも楽しまれたようで何よりです どこかでまたお逢い出来るかも知れませんね いつもありがとうございます☆
行ってみたいです。 吉野ヶ里遺跡。 卑弥呼いたんでしょうか? ニギハヤヒのお話ありがとうございます。 石切劔箭神社眺めいいですよね!参道を見下ろすと清々しい感じすらします。 カミさんとお参りした時は雨降りだったんですが趣きあってそれもまたよかったです。 徐福伝説って各地ありますでしょ?そんなにはウロチョロしてなかったようですね! 生駒の白庭台にニギハヒの墳墓ありますけど大正時代に地域の有志の方々らによってたてられました。 お参りしましたがサバイバルです。
ご視聴・コメントありがとうございます☆ 吉野ヶ里遺跡の動画を観ているだけでも ここで何が行われていたのか 人々の生活ぶりなど…様々なことを想像し楽しめます! 石切さん 雨も風情ありますよね 参道のお店を見るのもまた良きです 徐福伝説はあちこちにあるみたいですね 和歌山の熊野にも来ていないのに徐福公園とかありますものね 子孫の方々があちこちに移住したとこで祀られたのが残っているってすごいです 徐福さんのお話が続いておりましたが 次からは徐福さんからあとに渡来して来られた人の話となるようですのでまたお時間あるときにでもご視聴頂けると嬉しいです その前に出雲散家のお話があります
お疲れさまです。佐賀はこの時本当に風が強かったんですね~吹き飛ばされず良かったです。吉野ケ里の古墳を見ると普通ですね(何が普通か俺も分かってないですけど)、エジプトのピラミッドが四隅突出って大元出版の本に出ていました、四隅突出と言えば、出雲の古墳ですね。出雲はエジプトのピラミッドと似た四隅突出方、出雲大社とピラミッドの構造、青森の三内丸山遺跡の柱、諏訪大社の柱、パルテノン神殿に作りが似た神魂神社、これだけでも古代出雲とエジプトの関係に興味が出ますね~ 全てはサイノ神信仰。
ご視聴・コメントありがとうございます☆ 動画から見ても…風の強さが分かりましたね! 飛ばされなくて本当に良かったです(⌒‐⌒) エジプトのピラミッドだけではなく エジプトの話が子供のころから興味あり 今でも近くでエジプト展などあれば観に行ってます ピラミッドと似た出雲の古墳…興味あります 古代出雲とエジプト サイノカミさん信仰 点と点を繋げるのを楽しもうと思えます。 ありがとうございます。
🙏🙏🙏
ご視聴・コメントありがとうございます
多分、正しい神系譜は、スサノオー香用姫(天火明命兄弟、歳神)・大歳(饒速日命):異母兄弟婚ー日吉(大山咋命)、スサノオー天火明命ー香久山(髙照)姫、天香語山命ー天村雲命 だと思います。なお、徐福はBC2C頃、天火明命はAD1C半ばの人物かと・・・
ご視聴・コメントありがとうございます! 詳しくありがとうございます 人が神様になっているとはじめて聞いたときは驚きました 今でも彼の話を聞きながら ん?誰がだれ? あれ?この神様はどのお方のこととして描かれていたかしら?と 覚えなさすぎでいつも注意をうけております このコメントを拝読させて頂きながら 照らして覚えられるように務めます ありがとうございます!
今回も楽しく拝見しました😍奈良でのエピソードをわざわざ動画で取り上げて頂き有難う御座います🛐とても嬉しかったです🎉
いつも…ご視聴頂きありがとうございます☆ コメントもありがとうございます。 奈良での出会いのお話を動画でさせて頂きました 早速観て頂きありがとうございます また彼同様…私も会えると嬉しいです
@@Himemikochannel 話がごっちゃになって訳が解らなくなったので再度1回目の動画から見直してます😍お陰様で大分理解力が高まりました😂
@@有川孝志 再度観て頂きありがとうございます! 実は動画編集している私も1回目から しっかり読んで編集しているのに 編集が終われば全て頭から抜けてしまうのです それでなかなか理解できないこともあり 面白い! もっと知りたいと思っている思考と反して覚えられないので毎回…彼の話す語りを新鮮味あって聞けます またこれから 私自身のためにも 第一次物部東征・第二次物部東征のお話を詳しく掘り下げて語って頂いたり 重要人物である方々をさらに深くお話して頂くのも良いかと考えております 実現するかしないかは彼次第ではございますが(⌒‐⌒) 日々の大事なお時間を頂き視聴して下さっていることに感謝です! ありがとうございます
お話のように、神道の世界では、神様は見えないので、見える存在として仏様となって現れる。という考え方がある様ですが、一方で仏教では、本地である仏が衆生救済のため,仮に日本の神となって現れたと説く本地垂迹説という日本独自の仏教思想が奈良時代に成立し,平安時代に発展したのが神道の両部神道・山王一実神道となった説があるようで、それぞれ反対の意味を唱えているのに、結局習合しているところが面白いですね。日本では神も仏も同じく神様として分け隔てなく融合してしまう独特な風土があるのでしょう。宗教戦争になんてなりそうもありませんけど、徐福さんがきた時だけは大きな宗教戦争に発展した様です。それが神武東征神話ともなっているのでしょうね。日本の歴史は探っていくと面白いですね。
ご視聴頂きありがとうございます。 コメントを頂きありがとうございます! 神様は見えないので見える存在として仏様となり姿を見せるというのは子供のころ お寺さんから聞いたので神様も仏様も一緒だと思っていました なのでお寺の観音さんと鏡が一緒にお祀りされているのにも違和感がなかったです 日本は神仏習合となって また今のような形になる…本当に面白いですよね 信じるものは救われると思われていた時代 今ある幸せは神仏に祈る力で成り得ていると信じられていたこともあると本で読んだことがあります そして 死んだとき極楽浄土へ行くための祈りをするのだと なので宗教は人にとって 生きるにも死すにも大事な存在であったので 徐福さんの時代の宗教戦争も納得できます それが神話となって残されているとは nihontaro9さん同様…本当に面白いことだと思います
小野田さんのご実家は宇賀部神社ですね。和歌山県海南市小野田には玉をくわえ、腹部には金色に光る輪があり、おまけに足までついている大蛇が紀ノ川の河口に流れついた。人々はこの大蛇を神の化身として、頭部・腹部・脚部の三体に分け、それぞれを三つの神にお祭りしたと言われています。という伝承があるそうです。この大蛇とは名草戸畔のことであったかもしれませんね。孝霊さんはフトニさんでしょうね。
コメントありがとうございます! 神の化身の大蛇さんを3体にわけるというところで想像してしまいました そのご身体を神さまにお祀りされた…と伝承にあると 伝承に隠されているものが何なのか知りたくもあり そっとしておきたくもあります 大蛇が名草戸畔さんであったとしたら…と また妄想がふくらみます 素敵なコメントありがとうございます☆
物部王朝は若垂彦(成務)大王の后・息長垂皇后までで終わったため物部政権から派遣された秋上家は、イズモでは勢力を失った。秋上家は旧出雲王国の宮殿に住んでいたが、気がひけて向家に元宮殿を返すと連絡した。向家は元宮殿を受け取るのを辞退した。秋上家は元宮殿を、神社に変えた。そして旧出雲王国の国教・サイノカミを、祭ろうと考えた。しかし元の神の名前を使うのは、好まなかった。クナトノ大神をイザナギノ尊に、佐毘売大神をイザナミ尊に変えた。 飛鳥時代までの日本は、国造支配国家であった。数の多い国造たちが各地を支配していた。701年には大宝律令が完成し、中央集権が行われることになった。中央政府より任命された国司が、各国の国府で政治を行い始めた。出雲の国造であった出雲臣家は、オウ郡の郡領に格下げされた。オウ郡は広かったから、大領の名が使われた。忌部小人が出雲に、国司として派遣された。710年に平城京が完成し、奈良への遷都となった。出雲国造は政府により大領に任命されたけれども、今後に任命されない場合には、失業の可能性がでてきた。出雲臣果安は、失業に備えて神社の神職になりたいと考え、熊野神社の向家に来て、出雲郡に神社を建てて、共同で運営したいと言った。向家はそれに条件付きで応じ、出資する約束をした。 中略 物部東征軍は最後の上陸地を、河内国で終えた。記紀では隠しているが、大王の彦道之宇斯が和邇を都として勢力を保っていた。物部イクメ王は奈良盆地に進めず、長く山地に留まった。山陰の戦場から先に大和入りした田道間守の軍勢は、中立を保っていたが最後に物部軍に加わり、東征軍が優勢となった。 三輪山西麓を地盤にして太陽の女神を祭っていた出雲系の加茂氏の勢力を、遅れて進軍してきた豊国の軍勢が攻撃し、追い払った。 このとき登美家の倭姫は、三輪山の太陽の女神を奉じて、丹後国の真名井神社に避難した。彼女はその後で、志摩国答志(田節)郡伊雑に移住したが、伊沢富ノ命が伊雑宮を建てて協力した、という。伊雑宮から伊勢国に戻った倭姫は五十鈴宮(内宮)を建てて、太陽の女神を祭った。倭姫は出雲の向王家の血筋であるので、向津姫と呼ばれることもあった。『出雲と蘇我王国』斎木雲州氏著より この太陽の女神が天照大御神とされている様です。
ご視聴・コメントありがとうございます☆ 出雲と蘇我王国 私も読ませて頂きました 理解はなかなか出来ていないし 読んでいるだけで空で話しをすることなんて出来ません だけど 読んでいる間は夢中に活字を追っています 大元出版さんの本は読みやすいものが多くて嬉しいです コメントを頂いたあたりのお話が好きです ありがとうございます☆
葛木御歳神社からの出雲の口伝の紹介ありがとうございます。 こちらのお宮さんもいい感じの空気です。地の信仰心が伝わります。 御所は素敵な神社の宝庫です。 神様も知れば知るほど歴史の背景が見えてきます。 奈良盆地を切り拓く民がおぼろげに浮かんできます。お宮の周りを見渡して妄想するのが楽しみです。 出雲を源流とする氏族の痕跡を辿って記紀とは違う歴史を知りました。 かき消された歴史を蜘蛛塚が教えてくれました。 何度訪れても度に発見があって興味は尽きません。 鞄屋さん知りませんでした。味わいのある鞄て宝物になりますよね!
kyupytarouさん いつもありがとうございます 御所は本当に素敵な神社がたくさん存在しております 今の光景と昔が違っていたのは当たり前なのですが 今にいたるまでにどれくらいの人たちの想いや開拓するための知恵を成したのか そして犠牲もたくさんあったのだろうと考えてしまいます 今にいたるまでに関わった人たちの想いが感じるときもあります その中で 真実が消されたり 隠されたり…と それぞれの想いがあるし 残されているものにも限りありますが 出雲伝承にて少し紐解けたらな…と思っております 鞄屋さん また機会あればお立ち寄りになってみて下さい 素敵な鞄たくさんありました!
動画も温かみが伝わって来る様で、ご説明がわかりやすいですね。ありがとうございます。高天彦神社さんの御祭神は道真公と市杵島姫様なのですね。伝承によるとご夫婦ではなさそうなので、白雲岳を遥拝する地にある天村雲さんを祭っていたのかもしれませんね。
コメントありがとうございます 泉州弁での語りとなっておりますがわかりやすいとおっしゃって頂き安堵しております 高天彦神社さんは私は好きな神社さんでこの出雲伝承との出会いがないときから訪ねております
こんにちわ。 奈良の有名人の方なのですね。 出雲口伝の初代村雲さんと父君五十猛さんのご紹介をありがとうございます。空で説明できる方は、よほど読み込んでおられるものと思います。口伝はどこまでも齟齬なく繋がっていきますね。今後益々多くの方の目に留まる事を楽しみにしています。初回から見させていただこうと思います。
ご視聴・コメントありがとうございます 伝承や口伝はその土地その土地で紡がれているものがあります ひめみこチャンネルでは出雲伝承を元にお話させて頂いております 初回から観て頂けるお時間を作って頂きありがとうございます これからも言葉を励み務めていきます
お疲れ様です〰 葛木御歳神社の宮司さんはRUclipsrですよ~🎉
ご視聴・コメントありがとうございます お疲れ様です! 以前 こちらの神社さんでCDを購入させて頂きました
ありがとうございます!私の大好きな神様だった饒速日命。徐福の話を知ってすごくショックでした…私は徐福が大嫌いになりました。でも饒速日命は大好き…複雑ながら、日本の神様の事をもっと勉強していきたいと思います。勉強になる動画ありがとうございます。次回も楽しみにしております。
ご視聴・コメントありがとうございます 好まれる神様が人であったと知ると夢がなくなりますよね でもどんな真実があるにせよ 神様として敬えられると良いかと 今も昔も 野心のある人は数知れず…徐福さんだけではなく そんな方は他にもいてはったでしょうけど 伝承で残されているのが徐福さんだったということで それだけ良い地位までいっていたということでしょう 和国の王になりたいと思っていたのか その想いはどうであったのか分からないですが神様としてでも書き残されたというのはすごいことですよね 日本の神様 とても面白いと思いますので自分の信じる世界で楽しんで頂けたらと これからもご視聴頂けると嬉しいです
@@Himemikochannel お返事ありがとうございます。 勉強していく内に、神様は人だったんだ!天皇も神様で私達のご先祖様なんだ!と驚いていましたが、人を殺したり、戦って人を傷つけている神様は嫌いです。私は負けた方は、いじめと一緒で、やられた方って忘れないと思うんですよね。だから、隠されたとしても、負けた方の神様の事を知る事も大切だと思います。悲しいですもっと勉強していきたいと思います。ありがとうございます。
@@KURUMILK51 私も昔に古事記をはじめて読んだとき「神さんでも人みたいなことしはるねんな。」と思って読んだ記憶があります そのときから 自分に何か起こっても 「神さんでも争ったり、もめたりするんやから自分もしゃーないわ。」と自分に言ってました 人神さんであっても 天皇さんが神さんになっていても 自分に良いように解釈なされば良いかと コメントありがとうございます
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磐船神社からの出雲の口伝… ふむふむ 趣ありますね! ニギハヤヒ ホアカリ…徐福と言う名前が記紀に登場しない理由が理解できますね! そこで…妄想…文字の記録について… 島国に文字はなかったんでしょうかね?今日残る文字記録が極めて少ないのは… 出雲の口伝通り徐福が渡来してきたのならその頃の様子を徐福側は書留めなかったんでしょうか? 少なくとも徐福は文字を持っていたでしょうから… 本編にあるように記紀編纂時に過去の記録の抹消が行われてしまったんでしょうか? 徐福側は悪事を残す事が出来なかったから記録しなかったんでしょう? えーっ 次回は吉野ヶ里からですかぁー! 楽しみです。
いつもご視聴頂きありがとうございます 磐船さんへ伺ったとき雨だったというのもあるのか雰囲気が神秘的でした 「文字の記録」 中国は早くから文字があったので 徐福さん側で残されている記述はないのでしょうか kyupytarouさんのおっしゃる通り 文字があるのに残さなかったのは「残せなかった」のかも知れないですね 徐福さん側に残されているのがあれば足取りとかやってきたことをこちらの伝承と合わせたいものです
サルタヒコ大神は出雲族が松江市宍道町の作為神社で最初に祀っていた。前2世紀大和に集団移住した時に、分霊を移し椿大神社を建立し祀った。3世紀後半に豊来入姫(神話上のウズメ命)を物部から隠まっていたが、物部イクメの刺客に殺された。椿大神社に住んでいたことから、サルタヒコの妻と神話物語はした。サイノカミ石像には夫婦の双体像が良く祀られている。サルタヒコは像神が元であるので、豊来入姫(ウズメ)とは結婚は不可能。
ご視聴・コメントありがとうございます 返信が遅くなり失礼致します 夫婦神とされている神様もそうでないことがあるのですね ウズメさんが何故 サルタヒコさんと夫婦神になったのでしょうね 豊来入姫さんのお話は悲しくもあるのですが興味あります
三島鴨神社からの出雲の口伝のお話は趣きありますね! ふた月ほど前にお参りしました。その少し前に溝咋神社もお参りしました。その頃は高槻市茨木市辺りをウロチョロしてました。 昨年 坐摩(いかすり)神社を調べて闘鶏氏に至りました。その頃です。当チャンネルを含めて出雲の口伝に出会い目の前が明るくなった記憶があります。闘鶏氏を探るのはまだ継続中です。なんせ書籍文献が著しく少ない氏族です。そこで賀茂氏の足跡を知る事になります。 本編ご紹介のお話です。 不思議な事に気付きました。 水稲の伝播が賀茂氏の足跡と被っている点です。 稲作の技術が賀茂氏によるものかは不明です。 さらに摂津国のその脇に闘鶏氏が存在します。大和の地においても賀茂氏の脇に闘鶏氏がいます。 単なる偶然でしょうか? 出雲の口伝でもっとも記紀と違うお話に応神朝から仁徳朝に至る境目のお話があります。仁徳天皇の出自は闘鶏の地 さらに巨勢氏? その辺りから出雲の口伝による考察(妄想)は中断してます。 出雲の口伝から少し距離を置いて各地の伝承なりを調べています。 奈良盆地に留まらず河内国摂津国を探ると発見があります。 あっ それと近江国にも惹かれます。 和邇氏もまた深いです。 つらつらと長くなりました。 三島鴨神社 素敵なお宮さんです。
いつもご視聴頂きありがとうございます! コメントも頂きありがとうございます☆ 三島鴨神社さんへは初めて伺いました 鳥居横に注連縄についての説明があったので読んでみると 日本で初めて広域的な統一王国を作った出雲族はインドから来たタナト族である と始まり書かれていました! ひめみこでも話していましたので興味深く拝読し 三島鴨神社さんの魅力に触れたように思えました いつもその時その時の話でおもしろく思えたり 心がいたんだり…出雲伝承からのお話には色んなことがぎゅっと詰まっていてそれを話すために伺う神社さんも楽しみでここではどんな話が聞けるのかな…と撮影しております といってますが全く覚えられないので彼にもこんな身近にいつも聞いているのに覚えなさすぎてびっくりされています なのでいつもご丁寧なコメントを頂いているのに対して その素敵なコメントに関わるようなお返事を返させて頂けていないのが申し訳なく思っております いつも本当にありがとうございます☆
最近いったけど、なかなかに古代のロマンに溢れる神社でした。
ご視聴・コメントありがとうございます☆ 鳥居横に注連縄についての説明があり 出雲王国を作った出雲族はインドから来たタナト族である と書かれていてそれを興味深く拝読しました 説明を拝読し 鳥居にかかる注連縄をみると本当に注連縄のはしが鳥居にくるりと巻かれていました それを見るだけでも気持ちが上がりました ロマンある神社さんでした
徐福渡来地の石見五十猛から始まる神島、神上、五十猛神社、大屋姫命神社、大年彦神社、大屋町鬼👹村(海童集団居住地名由来)の配信も魅力的だと思います。
ご視聴・コメントありがとうございます! 今日も配信のための撮影へ行きます 魅力的なお話になるように務めます おっしゃって頂いた場所のどこかへはいつか配信出来るといいのですがどうしても近くになってしまいますのでそこでのお話で観て頂けると嬉しいです。 ありがとうございます
五十猛(猛は祖父・徐猛の一字)が出生から丹波に大屋姫や海童と集団移住するまでの、石見での信仰と居住地です。また韓神信羅神社はスサノオ(徐福)を当然のごとく祭神として祀っています。時間があれば、大国主・事代主が国土経営の為巡った「静之窟」(静間海岸)、「八千矛山大国主神社」(大国町)もあります。ハタ族が星神信仰で夜登った「大仙山」「仙山」「仙ノ山」、住ついた「神畑」「畑」「波多村」などの地名もあります。地元では、全てスサノオ伝説や神話化されていますので、史実は知られていません。
@@有名人化託話ご視聴・コメントありがとうございます☆ いつも貴重なお話ありがとうございます 聞かせて頂いた神社さん行きたくなりますが近畿の中で関わるところと探してしまいます 遠出もいつかはしたいと思いますし 近くてもまだ行けていないところもあり行ってみたいと思ってます 伝説や神話にされた史実をこれからもどこかで残してほしいです 史実を知りながらもその史実から出来た伝説や神話をみるのも良いですね 貴重なコメントを頂きいつもありがとうございます!