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happy time
Таиланд
Добавлен 24 дек 2019
【21世紀仏教への旅】第五集 “他力”救いをめぐる対話 日本・アメリカ
今回、作家・五木寛之が旅するのは日本と9・11の経験を引きずるアメリカ。親鸞が唱えた「他力」の思想の現代における可能性を探り、救いをめぐる対話を重ねていく。
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【21世紀仏教への旅】第四集 禅・混迷の時代を生きる 中国・フランス
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フランスではカトリック教会の中に、座禅修行を取り入れるところが出始めるほど禅が深く浸透している。一方中国でも復興の兆しが見える。五木寛之が禅の最前線を旅する。
【21世紀仏教への旅】第三集 幸福の王国をめざして ブータン
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自然を守り、急激な近代化から距離を置くブータン。その独自の国づくりの背景に仏教の教えがある。輪 を信じ暮らしの中に仏教が息づくブータンを作家・五木寛之が訪ねる。
【21世紀仏教への旅】第二集 心をつなぐ教えを求めて 韓国
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祖国分断の緊張が続く一方、競争が激化する韓国。「存在するものは決して孤立しているのではなく互いに関わり合い、通じ合っている」とする華厳の教えが注目されている。
【21世紀仏教への旅】第一集 ブッダ最期の旅 インド
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ブッダは80歳の時最後の旅に出た。その旅でいかに老いを受け入れ、病に耐え、死を迎えたのか。作家の五木寛之が道程をたどり、ブッダが最後に伝えようとしたものを探る。
こころの時代 ~宗教・人生~ 中村 元 仏教の源を語る 06
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人間の生き方は、人により時代により社会により千差万別で、さまざまな生き方がある。 と同時に、さまざまな生き方の底にはおよそ人が人としてあるかぎり共通で普遍的な同じ生きる道がある。 この人間としての生きる道が仏教の中でどのように教えられているか、仏教の一番基本的なものは何か、仏教とは何か。哲学者・仏教学者の中村元氏がわかりやすく「仏教の源」を語る。 11.彼岸に到る
こころの時代 ~宗教・人生~ 中村 元 ブッダの人と思想 06
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2500年前、インドで新しい都市型の社会があらわれ、現代に通じる普遍的な人間関係と新しい倫理思想が求められた。 インドの歴史の中でも、最も混迷をきわめたこの時代に、ブッダはシャカ族の王族の一員として生まれ29歳で出家、 生涯をとおして執着を離れ、さとりを得る道として清浄行の実践を説いてきた。 そのブッダの生涯をインド哲学者・仏教学者の中村元氏が原始仏典をとおして解説し、現代社会での自らの「こころ」のあり方をさし示す。 【内容】 第十一章 安らぎの境地 第十二章 自らを灯とせよ 【出 演】中村元 【聞き手】草柳隆三
こころの時代 ~宗教・人生~ 中村 元 仏教の源を語る 05
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人間の生き方は、人により時代により社会により千差万別で、さまざまな生き方がある。 と同時に、さまざまな生き方の底にはおよそ人が人としてあるかぎり共通で普遍的な同じ生きる道がある。 この人間としての生きる道が仏教の中でどのように教えられているか、仏教の一番基本的なものは何か、仏教とは何か。哲学者・仏教学者の中村元氏がわかりやすく「仏教の源」を語る。 9.向上の一路/10.慈しみの海
こころの時代 ~宗教・人生~ 中村 元 ブッダの人と思想 05
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2500年前、インドで新しい都市型の社会があらわれ、現代に通じる普遍的な人間関係と新しい倫理思想が求められた。 インドの歴史の中でも、最も混迷をきわめたこの時代に、ブッダはシャカ族の王族の一員として生まれ29歳で出家、 生涯をとおして執着を離れ、さとりを得る道として清浄行の実践を説いてきた。 そのブッダの生涯をインド哲学者・仏教学者の中村元氏が原始仏典をとおして解説し、現代社会での自らの「こころ」のあり方をさし示す。 【内容】 第九章 空飛ぶ鳥に迹なし 第十章 仏に帰依す 【出 演】中村元 【聞き手】草柳隆三
こころの時代 ~宗教・人生~ 中村 元 仏教の源を語る 04
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人間の生き方は、人により時代により社会により千差万別で、さまざまな生き方がある。 と同時に、さまざまな生き方の底にはおよそ人が人としてあるかぎり共通で普遍的な同じ生きる道がある。 この人間としての生きる道が仏教の中でどのように教えられているか、仏教の一番基本的なものは何か、仏教とは何か。哲学者・仏教学者の中村元氏がわかりやすく「仏教の源」を語る。 7.身心一如/8.至要の道
こころの時代 ~宗教・人生~ 中村 元 ブッダの人と思想 04
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2500年前、インドで新しい都市型の社会があらわれ、現代に通じる普遍的な人間関係と新しい倫理思想が求められた。 インドの歴史の中でも、最も混迷をきわめたこの時代に、ブッダはシャカ族の王族の一員として生まれ29歳で出家、 生涯をとおして執着を離れ、さとりを得る道として清浄行の実践を説いてきた。 そのブッダの生涯をインド哲学者・仏教学者の中村元氏が原始仏典をとおして解説し、現代社会での自らの「こころ」のあり方をさし示す。 【内容】 第七章 生きものたちに幸いあれ 第八章 善き友とともに 【出 演】中村元 【聞き手】草柳隆三
こころの時代 ~宗教・人生~ 中村 元 仏教の源を語る 03
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人間の生き方は、人により時代により社会により千差万別で、さまざまな生き方がある。 と同時に、さまざまな生き方の底にはおよそ人が人としてあるかぎり共通で普遍的な同じ生きる道がある。 この人間としての生きる道が仏教の中でどのように教えられているか、仏教の一番基本的なものは何か、仏教とは何か。哲学者・仏教学者の中村元氏がわかりやすく「仏教の源」を語る。 5.天地に生気あり/6.われいまだ生を知らず
こころの時代 ~宗教・人生~ 中村 元 ブッダの人と思想 03
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2500年前、インドで新しい都市型の社会があらわれ、現代に通じる普遍的な人間関係と新しい倫理思想が求められた。 インドの歴史の中でも、最も混迷をきわめたこの時代に、ブッダはシャカ族の王族の一員として生まれ29歳で出家、 生涯をとおして執着を離れ、さとりを得る道として清浄行の実践を説いてきた。 そのブッダの生涯をインド哲学者・仏教学者の中村元氏が原始仏典をとおして解説し、現代社会での自らの「こころ」のあり方をさし示す。 【内容】 第五章 この身は泡沫のごとし 第六章 一切にわがものなし 【出 演】中村元 【聞き手】草柳隆三
こころの時代 ~宗教・人生~ 中村 元 仏教の源を語る 02
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人間の生き方は、人により時代により社会により千差万別で、さまざまな生き方がある。 と同時に、さまざまな生き方の底にはおよそ人が人としてあるかぎり共通で普遍的な同じ生きる道がある。 この人間としての生きる道が仏教の中でどのように教えられているか、仏教の一番基本的なものは何か、仏教とは何か。哲学者・仏教学者の中村元氏がわかりやすく「仏教の源」を語る。 3.自己を求める/4.自己を省みる
こころの時代 ~宗教・人生~ 中村 元 ブッダの人と思想 02
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2500年前、インドで新しい都市型の社会があらわれ、現代に通じる普遍的な人間関係と新しい倫理思想が求められた。 インドの歴史の中でも、最も混迷をきわめたこの時代に、ブッダはシャカ族の王族の一員として生まれ29歳で出家、 生涯をとおして執着を離れ、さとりを得る道として清浄行の実践を説いてきた。 そのブッダの生涯をインド哲学者・仏教学者の中村元氏が原始仏典をとおして解説し、現代社会での自らの「こころ」のあり方をさし示す。 【内容】 第三章 不死の門は開かれた 第四章 法輪を転ず 【出 演】中村元 【聞き手】草柳隆三
ウェイン・W・ダイアー エックハルト・トール 存在を超えて[The Importance of Being Extraordinary]
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ウェイン・W・ダイアー エックハルト・トール 存在を超えて[The Importance of Being Extraordinary]
誰が夢のバスを運転している?WHO'S DRIVING THE DREAMBUS?
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誰が夢のバスを運転している?WHO'S DRIVING THE DREAMBUS?
1:17:50 忍性律師
😅
中村元,所學的佛法有錯誤,可以參考台灣正覺同修會的法義。 密宗早就被二乘「緣起性空」所取代了,而且還加入了邪淫的雙身法,如果不能仔細辨別,佛法將會被破壞! "篤補巴"對於密宗「諸行無常」、「緣起性空」、「一切如幻」誤解佛法的著作: 【如來藏是一切法的所依因】:(「緣起性空」如果不依止如來藏則是成為斷滅空,尤其以喇嘛錯誤的教義。) 「如來藏是一切法緣起的所以因,所謂「緣」是指結果所賴以生起的條件;「起」是生起的意思,「緣起」就是一切事物所賴以生起的因緣,世間一切現象和事物都是由於相互聯繫.相互依存才得以存在的。在如來藏思想的發展中.「常住不變」的特性與生滅法不同,如來藏是所依、所持、所建立;而生滅法是能依、能持、能建立,這就使得如來藏成為一切法緣起的所依因,如《勝鬘經》:從依止的角度說:「非如來藏有生有死,如來藏者離有為相,如來藏常住不變,是故,如來藏是依、是持、是建立。」以此論證如來藏作為一切法的所依,具有所緣的性質;《攝大乘論本》引《阿毘達摩大乘經》中的一頌說:「無始時來界,一切法等依,由此有諸趣,及涅槃證得」,在《究竟一乘寶性論》中則將此頌引為「無始世來性,作諸法依止,依性有諸道,及證涅槃果。」並將「性」解釋為「真如如來藏作為諸法生滅緣起的所依」。所依因是「緣」性質的;這在《瑜伽師地論》的《攝抉擇分》中表述為:轉依是常無取受性緣.真如境聖道;方能轉依故……轉依是煩惱不轉因,聖道轉因,應知但是建立因性,非生因性;此中「轉依」即是「轉染污識依於真如」.「建立因」實為「所依因」。這裡強調「建立因」不是「生因」;「生因」即「發生因」或「親因」,由於「建立因」不是「生因」,因此即是「緣」義;如來藏作為因的含義,只能是「緣」性質的「所依因」。常住不變的如來藏.不能是生滅變化的生滅法的直接原因.或說「生因」。如《瑜伽師地論》中所說:「又,建立因有七種相:謂"常法"是因,"無有常法"能為法因。」 在《攝大乘論本》中又將七因相歸為六因相說為:「刹那滅、俱有、恒隨轉、應知、決定、待眾緣,唯能引自果。」這反應在如來藏思想中緣起的直接原因。或說生因,是習氣種子。如《楞伽阿跋多羅寶經》中所述:「如來之藏是善不善因,能遍興造一切趣生;外道不覺計著作者,為無始虛偽惡習所薰,名為識藏,生無明住地,與七識俱,如海浪身,常生不斷。」 如來藏無始以來為種種惡習所熏習,被稱為識藏,識藏即是阿賴耶識。如來藏中所具的不善因.是阿賴耶識的不善習氣種子,相應的善因是阿賴耶識所攝的善習氣種子。 這就是受瑜伽行派思想影響所推演出的如來藏的特徵,概括說來,如來藏是一切現象緣性質的「所依因」,或被稱為「根本因」;阿賴耶識是緣起的直接因。 如來藏的緣起思想,涉及如來藏與虛妄分別諸識的關係,阿賴耶識與餘識關係緣起問題逐漸得到重視;特別是《楞伽經》中所引入八識間的因果關係,進一步強化了根本因。即如來藏與直接因;即阿賴耶識為因“餘法為緣“,諸法得以生起的緣起思想。《大乘起信論》就明確提出真如緣起說,使得如來藏緣起思想得到更確定的解釋!」 什麼叫緣起性空?就是修十二支緣起,所謂無明緣行、行緣識、識緣名色、名色緣六入、六入緣觸、觸緣受、受緣愛、愛緣取、取緣有、有緣生、生緣老死。這就是講此有故彼有,這正是眾生輪迴生死的原因啊!因為這無明所以就有心行,有心行所以就必定會有名色~必定會去投胎;因為投胎受生,名色具足,所以就有六識;因為有六識、名色、就會有六入(色聲香味觸法),然後就有觸,一直到生老病死憂悲苦惱;因為有這個所以有那個,此有故彼有。當他們這樣現觀之後,最後說:此滅故彼滅,我把無明滅了,心的行就不再出現;心的行滅了就不會去投胎,不投胎名色就滅了,當然也就不會有來世的色身及六識;此滅故彼滅,乃至生滅則老死憂悲苦惱滅,這叫做緣起性空。 這十二有支通通是因緣而有,並不是本來就有,都是由眾緣所成,才會有這十二有支,所以眾生輪迴生死;當他這樣如實現觀以後,知道緣起性空的真實道理,知道此滅故彼滅的道理;如實現觀以後,捨報也一樣入無餘涅槃,不再輪轉生死,這是緣覺的解脫道。 聲聞乘與緣覺乘這兩種修法都是從五蘊、十二處、十八界上面去修無我觀,這無我是人的無我,人無我叫做有情的無我,因此說二乘人所証的解脫果是人我空。 接下來講大乘的解脫。大乘的解脫有四種涅槃:本來自性清淨涅槃、共二乘的有餘涅槃和無餘涅槃,加上只有佛地才有的無住處涅槃。這是大乘所修証的四種涅槃解脫。從初地開始能夠証得慧解脫的有餘涅槃而不証,因為菩薩七住明心破初參,破初參明心時如果能安忍而不退轉,這就是別教的七住菩薩。這個七住菩薩証得真如時,他就懂得什麼是本來自性清淨涅槃,因為他親眼看見自己的真如~他的自性是本來清淨的,不是修行以後才清淨的,祂的自性心本來就是涅槃性。 菩薩依這本來自性清淨涅槃次第而修,開始學法無我。菩薩所証的明心開悟的智慧是人無我,可是這個人無我不同於二乘的人無我,因為他有本來自性清淨涅槃,他證得法界的實相:我是這個心,佛是這個心,三界九地通通是這個心。可是菩薩不是去觀察蘊處界空,不是從蘊處界的無常空或者緣起性空現觀而得,他是從証得真如,由真如再來反觀蘊處界空。 菩薩是從本來自性清淨涅槃所証的人無我來現觀,因此他已証得本來自性清淨涅槃;由這個本來自性清淨涅槃再去修斷煩惱,再去修學一切種智,就是唯識、如來藏的增上慧學;然後這樣次第轉進;當他有一天到達初地~初地是法無我,什麼是法無我?佛告訴我們說:「証得人無我的菩薩現觀蘊處界空、無我、無我所,這叫法無我」;換句話說,法無我就是你從七住所証得的真如,反觀得比二乘人所觀的還要詳細,你觀察八識心王的五法三自性、七種第一義、七種性自性,也觀察我的五蘊、十二處、十八界統統沒有真實的我,也沒有我所~這樣如實的現觀以後,於真如法性的人無我具足了知,也能於蘊處界一切法中觀察其虛妄,了知皆由自心真如所生~諸法無我,這就是《楞伽經》開示的佛法。
心が晴れました♪配信、ありがとうございます。 道に迷ったら、また、聴かせて頂きます😊
心の中に、様々に積もってしまっていた塵が、懐かしい中村元先生の語りで、履き浄められた思いです。ありがとうございました。 m(_ _)m
11月27日。
仏陀の得意技は、ホーミー(喉笛)です。😊🎉
中村元先生の慈愛溢れる語り部を仕事の後で家で毎日拝聴しています。仏教とは、人間が生きるにおいて大切なものは、全てを解り易く御説明頂いて、本当にありがく感謝であります。 この動画を拝聴できた事、心より感謝申し上げます。 世界情勢における日本の未来は、中村元先生の教えに基づき、一人々が精進していき、己を修めていく事で、世界の模範となると想います。
中国には芝居に縁のあるお寺ってあるのかな?日本で言えば成田山新勝寺と市川團十郎家の成田屋みたいな関係のお寺
動画のご縁を感謝します。
このエピソードはわかる人が聞けば解脱するのではないかと思うくらい、仏教の教えの根幹を中村先生はわかりやすく教えてくれています。今の自分の問題など五蘊の自己の物ではないということも理解できましたが、今後この理解、知恵の実践を続けていかなければ、またすぐに忘れていくのでしょう。皆さん、知恵の実践が解脱につながりますよ。頑張りましょう。
なんて美しい日本語なのだろう。
ブッダの動画を違法アップロードってあらゆる点に矛盾を感じるわw
インド🇮🇳汚いですね。信仰心がないのでガンジス川が汚れています。人の心も汚れています。インド人は日本人を見習いなさい!
例えばインド人とユダヤ人を三千年前に入れ替えていても、インドではユダヤ人による仏教が、パレスチナではインド人による旧約聖書が出来ていた可能性が大ですね。そこを認めるのが寛容な慈悲心ということかな。
伝えさせていただきます😮
細々と小難しい お話になってきましたねぇ、循環論法のようなものも… 身と心、ですか。自然の奥深く入り込む フィールドワーカーとしてのわたくし(ども)は何度か[幽霊さん](悪さをされたことはなく むしろ感動的です…) に出会っております。その正体?を問うつもりはありませんが、それを【魂】としております。身と心の根源にあって、それを統括するものとして【魂】を考えることはできないものでしょうか? ついでながら、ユング派精神分析医の河合隼夫さんも【魂】という言葉をお使いになっておられます・・・
何回目かなぁ、質問者が[なっておられない]ですね・・・
「悪人こそ救われる」と言った親鸞ですが、「女犯」という、この勝手な解釈は、僧にあるまじき破戒を犯した親鸞という破戒僧の開き直りとも言えます。このような釈迦の教説の「勝手な解釈」が、その後のカルトの淵源になっていると思います。(いまも真宗系のカルトがまん延しております・・・)
なぜ人を殺しちゃいけないのか と聞かれたら、その人を殺したら悲しむ存在があるからと答えたい。 そんな人あいつにはいないよ。と言う人がいたら、 いたとして、その人がどう思うか想像してみろ。 と言いたい。 大切なものが踏みにじられる気持ちがどんなに苦しいか。 相手の気持ちになる余裕がないからこそ、誰かの大切なものを簡単に奪えてしまうんじゃないだろうか。
音楽が佐村河内
恩讐の彼方に
何度も何度もみせて頂きました。また今、みせて頂きます。感じることをだいじにしてみせて頂きます。感謝しています。
夢のバス(笑)車の運転がド下手な私が市バスの運転手に奇跡的に成れて運転した18年間は夢の様。
ご先祖様の数。2のn乗で過去を遡ると簡単に歴史の推定人口を桁違いに超えてしまいます。すなわち、相当の数、近親交配が行われていたとしか考えようがありません。「じいさんが娘や孫娘と交わる」などというケースがかなりの数存在していたという可能性しかないように思われます。宗教的には考えたくない事実ですが。(この動画で初めて疑問に思いました。ありがとうございます。これも仏縁でしょうか?)罪人(原罪)も救われる「他力本願」。クリアーな思想です。南無阿弥陀仏。
色受想行識=五蘊 色(一つ)=物質的な身 受想行識(4つ)=心の働き 色、物質的、形を示す 受、受け取った感覚 想、頭の中で整理した表象(イメージ) 行、形成力、創造 識、識別して意識する作用 人間は魂や精神に執着して、それでは具合が悪いから、 我々のこころの働きも色々なもので成り立っているんだよと理解させるために分けて説いた。 わたしの感想↓ 今の現代人は、色と識だけで、受想行が抜け落ちていないか?? 即物に執着するのに、モノの必然的道理は何もわからないみたいな。 いや、本当はわかっているけど、見て見ぬふりして、逃げているようにしか思えない。 逃げても、自然の摂理からは逃れられない。 形から入って備えあれば憂い無しというもので心を治めるのは良いんだけど、 でも、物質的、形には限界があって、自然の摂理には敵わないわけで、 心から入って備えあれば憂い無しの方に達観できれば、それは無双である。
ありがとうございます
ニーチェと釈尊の仮想対談。面白い。
😂中村元先生には、東洋大学時代に、大変お世話になりました!3年生と、4年生の間の、春休みに、被爆者の、父を、亡くした私に、中退を、決めた私を引き止めて下さったのも、中村元先生でした。仏教は、生涯を掛けた哲学。其の事を、悟らせて下さった、中村元先生は、人格的にも、秀逸な、方でした。お懐かしい限りです。
大切なことだから、言葉で写してみた。 部分部分でわたしの色というかアレンジが入っています。 勝利と法を掘り下げると、 自然必然性(モノの道理)、 論理必然性(論理的に考えるとこうなる)、 ダルマ(選択する可能性がある事柄=良いことをしようか悪いことをしようかを選んで決定すること) ダルマは漢訳仏典では法と訳す。 →人間のあるべき姿は自然の因果律をひっくり返すものではなく、自然のモノの道理を受け止めながら、それを尊重し、最も良い正しさを選択し続けて生きてゆく。 悟ったから満足ではなくて、常に自ら省みて、悟り続けること。 【悪魔というのは、釈尊の心の中の迷い、煩悩、恐怖、恐れ】 悟っても悪魔の誘惑はいつも忍び寄る 悪魔というのは、釈尊の心の中の迷い、煩悩、恐怖、恐れ 別々解脱 一つひとつの危機に再会しながら、一つひとつの事柄について乗り越えてゆき、それを積み重ねることである。 無明(明るさがない暗い)無知(モノを知らない) 人間は弱い存在であり、人間が迷う、欲望を起こすことは、人間の奥に潜んでいる不思議な力がある。 釈尊は、我々のこころが闇に閉ざされて明るさを失っている、その事実に直面して対決した。 【知識で知るのではなく、(体験≒経験)を通して身体でうなずきながら、それを知る、それを知ることができないから、それを無明と示す。】 我々は、当たり前に従順して、日常、あまり深い反省をしない(深い感謝しない)、しかし、なにかのきっかけで、ああ、悪かったなあと気づくことがある、そこで反省してみると己に無明のようなものがあると気づく、然るべき方向で乗り越えてゆく明にする。 真面目な人間は努力する限り迷う(ゲーテ)、迷わないということは努力していない。 思えば思うほど聳え立つ大きな無明の壁にぶつかるが、それを乗り越えていく。つまり、己に克つ。 下記は、わたくしの色が入ります↓ 己に克つには、大宇宙大自然を信じきったところからの開き直りきる達観。その後にまた猛省を繰り返す道を歩き続ける。 しかしながら、人間は何処かで、心の安定的固定を求めてしまう。それが、また無明になる。 ここまで深く心を探求すると、生きても地獄、死んでも地獄というのは何となくわかる気もする。 とはいっても目覚めたら、生きていて生きるしかないわけで、それ以上でもそれ以下でもない。 理想の死はそのまま眠って、そのまま目覚めないのが理想だけど、その過程においては、死の兆候を意識せざるをえないわけで、この部分においても、大宇宙大自然を信じ切ったところからの開き直りきる達観しかないよな。
これ、やばい、この人好きかも。優しい
中は水の軸で、それは気体にも液体にも個体にもなり、一人ひとりの置かれている状況においては恩恵にもなるし、脅威にもなる。つまり、これ自体が常に動いている自然原理であり、人間の意識においては、自在意識を持たなければ変化には脆いことになる。 そのうえで、一人ひとりの長けているものはあるから、そこは尊重しながらも、自在意識に固執するのではなく、常にリセットアンドチャージを心がけることである。とは言っても、言葉ではわかっていても、感情的なエネルギーはどうしても抑えられない時もあるだろう。 それは当たり前に行っている、食べる、寝る、水(お湯)に触れる、歩くという生活習慣そのものから、自分なりに工夫して、自らによる実験的検証成果の良し悪しを、しっかり掴み取って良い実感として、しっかりダウンロードすることである。自分なりに工夫する原初的なものは、そこに時間軸を意識化することでの実践である。 キーポイントは涙と汗である。水を意識的に存分に使わせて頂くことでもある。 気をつけたいのは、人からの知識、知恵を参考にするだけならいいが、その知識、知恵をそのまま依存しても、必ずしもしっくり落ち着くものになるとは限らない。
孫の名前が、心ちやんです。❤😊
昭和にも今より汚い言葉を遣っていた者は多かった 美しさ云々の前に、正確な日本語を話せる人間は皆無、出演者も然り てか、「釈尊」のイントネーションが気になる(笑) 議論すらできず、己の言葉に酔いしれる無駄に暇な愚か者は、悟りに遠く及ばず(笑)
素晴らしい動画に会えて感謝です(涙)
有難うございます🙏
教えと実践は乖離している。
ガラパゴス諸島Darwin居るのだろうか?
偉大!医大!
四国
口のゴミ
春団治
唯識思想!
典座さん
人間大学駒澤大学世田谷区通り
日本?ニッポン?いつから!
成仏という悟り
じり、リタの境涯
慈悲の心が大切です外国の宗教やしんこうしゆきようはぶつきようでは、外道です
今が大切です幸せだと認識出来たら、正しいことです、