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歴史短編チャンネル
Япония
Добавлен 27 ноя 2023
★和歌山県南紀白浜ホテルシーモアで苔玉、多肉植物、観葉植物を販売しています。
・このチャンネルは、歴史を短編で世界一わかりやすく解説する動画を配信しています。
・音声だけで十分理解できるように作成しています。
・難しい表現はやさしくわかりやすい表現にし、用語の使い方にも十分配慮していますので、小学生から年配の方までお楽し
みいただけます。
・1日数分の日本史、世界史、現代史の学びを、癒しの音楽と美しい自然の映像とともにお届けします。
・このチャンネルは、歴史を短編で世界一わかりやすく解説する動画を配信しています。
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みいただけます。
・1日数分の日本史、世界史、現代史の学びを、癒しの音楽と美しい自然の映像とともにお届けします。
#13人の合議制 #鎌倉幕府 #日本史
このチャンネルは、10分程度で世界一わかりやすい歴史解説を小学生から高齢の方に向けてお届けしています。テンポよく聞いているだけで状況が目に浮かび画面を見なくても歴史を楽しく学ぶことができます。また、画面は癒しの音楽と美しい自然の映像とともにご視聴いただけます。
今まで何度聞いてもわからなかった歴史でも、このチャンネルでは楽しく学ぶことができます。
日本史、世界史、現代史を網羅しながら1テーマ10分程度に凝縮して配信していきます。
是非、チャンネル登録していただき継続した学びをしていただければ幸いです。
#日本史 #世界史 #現代史 #日本の歴史 #歴史
★メインチャンネル「シーモア園芸」では、お役に立つ園芸情報を配信しています。
苔玉・多肉植物・観葉植物に興味のある方は是非お立ち寄り下さい。
検索先⇒シーモア園芸
URL⇒www.youtube.com/@skda6032/about
★サブチャンネル「あなたに贈ることば」では、名言チャンネルとして心に残る言葉やことわざを
わかりやすく解説しています。興味のある方は是非お立ち寄り下さい。
URL⇒ruclips.net/channel/UCK2E2gzfGUsANM6Km5CgWsA
★サブチャンネル「教養短編チャンネル」では、知っておけば必ず役に立つ教養・知識を短編でわかりやすく解説しています。とても役に立つ内容ですので、是非一度ご視聴下さい。
URL⇒ruclips.net/channel/UC_Jo2NSlWhjFEfUG5z67qBw
今まで何度聞いてもわからなかった歴史でも、このチャンネルでは楽しく学ぶことができます。
日本史、世界史、現代史を網羅しながら1テーマ10分程度に凝縮して配信していきます。
是非、チャンネル登録していただき継続した学びをしていただければ幸いです。
#日本史 #世界史 #現代史 #日本の歴史 #歴史
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#シルクロード #大航海時代 #四大文明
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#ワット #ウォルトディズニー #本田宗一郎
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#サラディン #ペリクレス #ケネディ
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#朝鮮戦争 #代理戦争 #世界史
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#戊辰戦争 #薩長同盟 #大政奉還
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#太平洋戦争 #大東亜戦争 #日本史
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#西南戦争 #西郷隆盛 #日本史
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#オゴタイハーン #ホメロス #ルイ14世
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#レーニン #ルーズベルト #ティムール
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#ベトナム戦争 #世界史
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#サイパンの戦い #キスカ島の戦い #アッツ島の戦い
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#インパール作戦 #ニューギニアの戦い #ガダルカナル島の戦い
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#劉邦 #カール大帝 #ユスティニアヌス帝
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#ルター #スレイマン大帝 #李世民
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ウソばかり書きやがって、ソロモン海戦は第1次とだ第2次が1942年の8月、第3次が11月や!!1943年?少しは調べてUPしてぇや!!
ウソはいけません!武蔵の竣工は1942年8月ですよ!出来てもいない戦艦がミッドウェー海戦に参加?ざーけんなよ!!
全くの余談ですが、大河「鎌倉殿の13人」を書いた三谷幸喜さんは、30年ほど前に9代目松本幸四郎(現白鷗)を主人公に「王様のレストラン」を書いています。 主人公のギヤルソンが傾いた店を立て直していく物語ですが、 新しいオーナー(筒井道隆)の名が「禄郎」(九郎)、腹違いの兄が範朝(西村武彦) ダブルヒロインが「しずか」(山口智子)と政子」(鈴木京香) 店の従業員が「梶原」「和田」「畠山」「大庭」「佐々木教綱」などの名でした。 「どれだけ鎌倉時代が好きなんだよ」と思いながら観ていました。
テレビ番組「ディズニーランド」がアメリカで始まった4年後に、日本でも放映が開始されました。 冒頭ウォルトディズニー自身が 「未来の国」「おとぎの国」「冒険の国」「開拓の国」の4つからその日のメニューを選ぶという方式で、案内役はティンカーベル。 幼い私はアニメが放映される「おとぎの国」が待ち遠しかったものです。 しかも、この番組は「プロレス中継」と隔週でしたので、ますます飢餓感をあおられ、後にディズニーのアニメはたくさん観ました。 我が家は所謂「テレビジプシー」がやって来る家でした(新宿歌舞伎町で2番目にテレビが入った)ので屋敷の一部屋をテレビ部屋としていましたが(そうでないとご近所も遠慮するし、こちらもおちおち夕食を食べていられない)ディズニーランドとプロレスではお客の年齢層がまるで違っていた印象があります。 それにしても、女装の黒人男性のティンカーベルを見せられる近年の子供たちは可哀想です。
ケネディ暗殺、気になりますね🤔
おはようございます。引き続きご視聴下さいませ。
日本人記者から「日本人で一番尊敬するのは誰か」と問われ、かねて内村鑑三の「代表的日本人」を読んでいたケネディが「上杉鷹山」と答えたという話は、人口に膾炙していますが、デタラメです。 ケネディの大統領就任の際とも、初来日の時とも言われますが、就任会見でそのようなら質問がなかったことは明らかになっていますし、そもそもケネディは来日していません。 童門冬二さんや松平定知さんなど、確認もせずにこの話を吹聴し、さらに「ケネディは知っていたが質問者はこの名を知らなかった」などと尾鰭を付けて語っている人の著作は相当疑って読んだ方が良いと思われます。 駐日大使を務めたキャロライン・ケネディが米沢を訪れた際に「父が尊敬した上杉鷹山公」と言っていますが、「伝説」が娘にまで届いたのか、嘘と知りつつのリップサービスだったのかは分かりません。 米沢には動画にあった「国家があなたに」の言葉を刻んで「鷹山公の崇拝者 ジョン・F・ケネディ」とした碑もありますから、今後ますますこの嘘は広まっていくでしょう。 ケネディが「代表的日本人」を読んでいたというのも、セオドア・ルーズベルトが新渡戸稲造の「武士道」を愛読していたという話の焼き直しですから、誰かこの話を意図的に作った人がいるのでしょう。 ケネディ暗殺の地ダラスを昔訪れたことがあります。深夜住民がが銃を持って広場に集まって来て、真上に発砲して、とても危険でした。銃弾は落ちてきますから。 「こんなことをやっていたらタヒ者が出るのでは」と思っていたら、後にブラッド・ビット主演の「ザ・メキシカン」で主人公と一緒にいたマフィアのボスの息子がこれの事故でタヒんでしまうという設定でした。「アメリカ人も危険だとは思っているのだ」とは理解しました。 動画の「デロス同盟」とは関係ない話ですが「ゴルゴ13」の「デロスの咆哮」は初期の傑作です。 浦沢直樹さんが「『デロスの咆哮』からが本当のゴルゴ13」と評価しています。 それにつけても、最近はストーリー、作画ともに目を覆いたくなるほど劣化しています。
伊能忠敬の後援者で、忠敬のタヒ後「大日本沿海與地全図」を完成させるも「シーボルト事件」で獄タヒした高橋景保が、我が国へのナポレオンの(おそらく)最初の紹介者です。 「丙戌異聞」に書かれています。 「丙戌」が「干支」であり、「ひのえ・いぬ」であることは、さっき「戊辰戦争」のコメに書きました(次にこの動画が出て来ました)。 60年に1度なので、この年が文政9 (1826)年だということが判ります。 我が国においては「軍事の天才」としてばかりではなく、「フランス革命の体現者」と理解されており、 吉田松陰が、野山獄から佐久間象山の甥の北山安世に送った手紙で 「那波列翁(ナポレオン)を起してフレーヘイド(自由)を唱えねば」と記しています。 その4年後セント・ヘレナを訪れた榎本釜次郎(武揚)は、入港前夜眠れぬままに 「去歳深秋 慶陽(長崎)を発し 路程十有五旬強 春風喚び醒ます往時の夢 吹き向こう列翁(ナポレオン)幽タヒの場」 という詩を作っています。
いつも大変お世話になっております。還暦の意味がわかりました。
戊辰戦争は「日本最後の内戦」ではなく、明治になっても征韓論で西郷隆盛が下野すると、「佐賀の乱」「萩の乱」「神風連の乱」「秋月の乱」と「西南戦争」まで立て続けに内戦が起こっています。 安政の通商条約が5 か国と結ばれて以降、幕府は鎖国していません。 中津藩士だった福沢諭吉など明治になるでに3度欧米を訪問しています(アメリカ2度、ヨーロッパ1度)、榎本釜次郎(武揚)など、絶海の孤島セントヘレナまで行ってナポレオンの墓に詣でています。 「干支(えと)」というのは「甲、乙、丙…」の「十干」と「(ね)、丑(うし)、寅(とら)…」の「十二支」の組み合わせをいいます。 「甲子(「甲子園球場の出来た年ですね」)」「乙丑」「丙寅」…と毎年移って行って60年で一回りします。 これが「還暦」です。 今年は「甲辰」の年で、別に「昔は干支の呼び方が違っていた」訳ではありません。 「戊辰」を含め、各干支は60年に1回ですから、「西郷隆盛や坂本龍馬は戊辰の生まれだった」はありません。 「えと」と呼ぶのは「兄(え)弟(と)」のことで、 「十干」に「木火土金水」の「陰陽五行説」を当てはめ 「甲」は「木の兄(え)」 「乙」は「木の弟(と)」 「丙」は「火の兄」 「丁」は「火の弟」としたものです。(この順番で続きます) これに「十二支」を付けて、「甲子」なら 「きのえ・ね」と呼びます。 「丙午」が「ひのえ・うま」で「この年の生まれの女子は男を害す」と昔は嫌われたのはよく知られています。 「ヤバい」は盗人、香具師、ヤクザの隠語の汚い言葉です。 昭和末までは、子供がこの言葉を遣うと親はきつく叱りました。 武士が「我が藩の状況はヤバい」などとはありえません。 今上の陛下が子供の頃この言葉を遣った際には、週刊誌が「皇室の教育はどうなっているのか?」と書きたてるほどの騒ぎになりました。
あ、そうだ。 「錦旗」は菊のご紋文章で「日の丸」ではありません。 「日の丸」は江戸時代を通して「幕府御舟方」の船印で、戊辰戦争の時は旧幕府方が日の丸の旗を使っています。 栗塚旭さん主演の名作「燃えよ剣」でも五稜郭に翻っていました。
いつも大変お世話になっております。日の丸はいつからあったのですか?
いつもお世話になっております。新しい動画を配信いたしましたので、是非ご視聴下さいませ。
いつもありがとうございます!!
ららべる様、素敵なコメントありがとうございます。引き続きご視聴下さいませ。
ミッドウェー海戦の前の本土空襲はドゥーリットル中佐による4月の1回のみです。 これに山本五十六がヒステリーのような過剰反応を示し、作戦計画もいい加減なまま作戦を発動させました。 図上演習で米軍の爆弾9発命中を3発にしてしまったり、それでも沈んだ加賀が、いつの間にか浮かび上がって機動部隊に加わっていたり、楽観的過ぎるというか、滅茶苦茶なものでした。 山本には日露戦争で上村彦の
あ、送られてしまいました。 上村彦之丞がウラジオ艦隊を取り逃がしてばかりで、国会でも「濃霧、濃霧と霧のせいにしているが、のうむは逆から読めば無能ではないか」と取り上げられるなど、国民の批判を浴び、留守宅には「露探(ロシアのスパイ)」と、毎夜石が投げ入れられる有様でしたから、「自分がそうなってはたまらん」と思ったのでしょう。 ドゥーリットル空襲は、空母に航続距離の長い陸軍爆撃機を積み、これだと着艦は出来ないので、日本を横切り、中国軍勢力下の大陸に着陸しました。 日本側は太平洋遠くまで張り出した勇敢な漁船からの連絡で、空母の位置を知っていましたが、航続距離から考えて空襲は翌日だと考え、取り逃がしました。 なおこの時中佐だった隊長ドゥーリットルはこの後アフリカ、ヨーロッパ戦線を転戦し、3年後に沖縄に姿を現した時は中将でした。 (まあ、欧州戦線の総司令官アイゼンハワー元帥も第二次大戦が始まった時は中佐で、しかもその前は16年間も少佐でした。平時の才能と戦時の才能は違うのだとアメリカはよく理解していました)。 これに対して日本海軍は「兵学校の次の期の階級は前の期のトップと並んではならない」という決まりがあり、前の期のトップグループが中佐なら少佐、大佐なら中佐までで、抜擢など出来ません。 しかも少将以上は将軍になった順の昇進で、自分が誰の次に中将になるか分かっていました。 物量や能力以前にこういう制度では、アメリカと戦えたとは思えません。 事実、ミッドウェー海戦の直前には大規模な新年度の人事異動が行われ、なじみのない上司・部下、慣れない艦で戦場に出なければなりませんでしたし。 台湾は米軍の上陸を受けていません。むしろ作戦を見誤り沖縄から1個師団を割いて米軍上陸直前に台湾に送ってしまったことが沖縄戦の致命傷になりました。 特攻隊はフィリピンの「敷島隊」からです。 「戦艦」ではなく「軍艦」です(沖縄戦のところ)。戦艦は軍艦の艦種の一つです。 「撃沈させ」ではなく「撃沈し」です。 「攻撃させ」と「攻撃し」が違うのと同様です。 「爆撃を落として」ではなく「爆弾を落として」または「爆撃して」です。
おはようございます。いつもご指摘ありがとうございます。さらに確認してから配信いたします。引き続きよろしくお願いいたします🙇
「コントウし」? 「傾倒し、かな」と思って字幕を見たら「混沌し」でますます混乱。 「昏倒するくらい夢中になった」ということですかね。
おはようございます。コメントありがとうございます。すみません。『昏倒』です。
いつも思いますが本当に出色の動画群です。 特に「ルーズベルト」は「まさにその通り」と思います。 欧州戦線への「裏口からの参戦」を狙っていました。 日米交渉時の日本側の暗号は解読されていましたから(陸軍暗号は破られていませんが)、交渉は思うがままで、まとめる気など、最初からまるでありませんでした。 ルーズベルトは「戦争はしない」と公約して当選しており、大統領の公約は重いものだと、日本側が知っていればなぁ。 なお、ルーズベルトは4選しています。ですから、トルーマンがそれを引き継いで大統領になりました。 当時は「再選まで」というのは、ワシントンが3選を固辞したことから発した慣例にすぎず、ルーズベルトのように「非常時だから」と無視することも可能でした。 戦後すぐ修正22条で禁止されましたが。 「アメリカ発の世界恐慌」が「初の」になっています。 これだと意味が変わってくるので。
おはようございます。いつもご指摘ありがとうございます。AIによる自動変換を使っていますので、見逃してしまうことがあります。今後さらに慎重に確認してから配信いたします。ありがとうございます。
ベトナム戦争については、わが国でも終始関心が高く、北爆が始まると、鶴見俊輔さん、小田実さんらが 「ベトナムに平和を!市民連合(べ平連)」を作りました。 この団体はソ連崩壊後に、KGBから資金援助を受けていたことが判明しています。 司馬遼太郎さんは「人間の集団について一ベトナムから考える一」を書き、 筒井康隆さんは「ベトナム観光公社(べかんこう)」を書いて「ふざけては(パロディにしては)ならない問題がある」との批判を招き 水木しげるさんは 「鬼太郎のベトナム戦記」 を書きました。 インドシナで戦ったフランスの映画界は、パトリシア・ゴッジの名作 「シベールの日曜日」 を創りました。 戦争の最前線に立ち続けた「南ベトナム民族解放戦線(ベトコン)」は、サイゴン陥落後数ヶ月で北ベトナム政府から疎まれ、姿を消しました。 ダイオキシンについては 中村梧郎さんの 「母は枯れ葉剤を浴びた」 が詳しいです。
おはようございます。いつもお世話になります。毎日配信いたしますので、是非引き続きご視聴下さいませ。
対米戦物量で負けたのではなく上無能で負けた、開戦前負けない戦い方研究してたのに五十六が強引にやった作戦は、こういう戦い方したら負けるのでやってはいけないと結論出てたのばかり。 こういう負けたがり実働部隊トップにし、開戦前任期切れなのに任期延長、連合艦隊司令長官続けさせた帝国海軍首脳陣、こういう連中開戦前排除できなかった英機罪重い。
おはようございます。いつもお世話になります。毎日、戊辰戦争、太平洋戦争、朝鮮戦争と続きますので、是非ご視聴下さいませ。
漢の光武帝、清の光緒帝で有名ですが、「光」の字は傍系から入った皇帝につけます。 我が皇室も、後桃園天皇の曾祖父の弟の孫の光格天皇を直接の祖としています。 この方は上皇陛下の退位の時に「光格以来200年ぶりの太上天皇」と話題になりましたね。 残念なことですが、明治に「南朝が正統」とされたので、北朝の天皇方には「光」の方が多いです。 大正の次の年号を東京日日新聞、都新聞、萬朝報、読売(本当は旧字)新聞などが「光文」と誤報しましたが、大正天皇の嫡子の年号に「光」がつく訳がありません。 「平成」の時は、当時の読売新聞政治部長に聞いたところでは、「漏れれば、替えて誤報にする」という通達が出ていたそうです。 それでも前回失敗した毎日新聞が夕刊一版(すなわち30分くらい)だけ早く、社内では「63年ぶりの雪辱」と言っていました。
いつもコメントありがとうございます。そうなんですね。勉強になります。
ヨーロッパ史は詳しく知りませんが、「ハプスブルク顎」は有名なのだと思っていました。 中国史を読んでいると、李世民辺りで飽きます。 「また、同じことが始まるのか」と。 源氏物語の「須磨返し」のようなものです。 やはり日本人の好みは春秋戦国から漢楚合戦、三國志くらいまででしょう。演義が好まれますが。 「長き夜や孔明タヒせる三國志」(正岡子規)
いつもコメントありがとうございます。新しい動画を配信いたしましたので、是非ご視聴下さいませ。
もう30年も前の終戦ドラマ「戦艦大和」の中でも語られてましたよね。出撃前夜で最期の盃を交わす際に主人公が手を滑らせて盃を落とした時に「この期に及んで怖気づいたのか!」と取っ組み合いの喧嘩となった時に通りかかった士官が止め、大和特攻の意義について「敗れて目覚める。その為の礎となるのなら本望ではないか」と語ってましたね。戦争ドラマとしては珍しく所ジョージさんも出演してました。
おはようございます。丁寧なコメントありがとうございます。太平洋戦争の動画はたくさん配信していますので、是非ご視聴下さいませ。
「背教者」ユリアヌス帝の治世があんな形で早々と終わらなければ、キリスト教に蹂躙されることなく、ローマの神々は復興出来たかもしれません。 「本地垂ジャク(変換されない)説」のようにエホバとデウスを融合させようという動きもありましたし。 ナチスは「国会社会主義ドイツ労働者党」ですから、ここも社会主義です。 硬い鎧を着込んでいるが、横の連帯を図る「蟹」と国家を上から下まで染め上げようとする「海老」は、すなわち共産主義とナチズムに差はないという指摘は、渡部昇一先生が「甲殻類の研究」で夙になされています。 新大陸がヨーロッパに与えた最大の食糧はやはりジャガイモでしょう。 これがなければ後の大発展は考えられません。 ずっと後世マリー・アントワネットはフランスの食料事情を安定させようと、帽子にジャガイモの花を飾るなど啓蒙に努めていたのに 「パンがなければ」の根拠のなさそうな話のみが伝わっていることには、オリンピックの開会式にも繋がるフランス人の悪意を感じます。 故事成語としては、最も有名な「コロンブスの卵」ですね。
追加。 1988年にウィーンで開かれた「共産主義の改革に関するシンポジウム」でハンガリー代表が、 「共産主義とは、資本主義に移行する過渡期である」 と述べました。 翌年あの大崩壊が始まり、この主張が正しかったことが証明されました。
おはようございます。いつもお世話になりまず。だいぶ前にコロンブスの卵という動画を配信しています。少し編集して再配信しますので是非ご視聴下さいませ。
おはようございます。いつも大変お世話になっております。新しい動画を配信いたしていますので、是非ご視聴下さいませ。
比叡山延暦寺に行きました。あと三井寺にも。
おはようございます。コメントありがとうございます。毎日新しい動画を配信いたしますので、チャンネル登録していただき、是非引き続きご視聴下さいませ。
ローマ貴族の名前は個人・氏族・姓の順。 日本にあてはめれば「家康・源・徳川」「信長・平・織田」。 「ガイウス・ユリウス・カエサル」はいつも「ガイウス」が略されてしまうので、日本なら「江戸幕府を開いたのは源徳川」と言っているのと同じ。幕府を終わらせたのは「源徳川」で個人名がない。 「来たり見たり勝てり」 「賽は投げられた」 も有名ですね。 前にあった故事成語では 「ルビコン川を渡る」ですね。
おはようございます。いつも詳しく解説していただき、本当にありがとうございます。いつも楽しみにしています。
キリスト教徒が「ニカイア公会議」で「神、キリスト、精霊」の三位一体でまとまったのに、 その神自身がマホメットに「神は三位一体ではない(すなわちキリストを認めることは神を敵とすることである)」と言ってしまったので、キリスト教徒とイスラム教徒は永遠に争わねばならないことになりました。 すべては、ヤハウェと言い、エホバと言い、アッラーとも言うあの嫉妬深い神のせいです。
いつもありがとうございます。新しい動画を配信していますので、是非ご視聴下さいませ。
戦争の惨禍を若い女性、男性の視点からのラインアップでしたが、私は昔 峠三吉「原爆詩集」の「序」の 「ははをかえせ ちちをかえせ としよりをかえせ こどもをかえせ わたしをかえせ わたしにつながるにんげんをかえせ にんげんの にんげんのよのあるかぎり くずれぬへいわを へいわをかえせ」 を子供視点の詩だと思い込んでいました。 全編ひらがなのうえ、ジョージ秋山さん(「浮浪雲」や「パットマンX」の)が当時少年チャンピオンに連載中だった「よたろう」に2度もこの詩を引用したためです。 なお、この詩集では 「三十万の全市を占めた あの静寂が忘れられようか」 が印象に残っています。 夏目漱石の作品を海外に紹介するプロジェクトに2度参加した友人によると、2度とも最初は日本人に最も読まれた小説「こころ(こゝろ)」にしたいね、と始まるのですが、結局は「坊っちゃん」に決まったそうです。 「坊っちゃん」の中で野だいこが踊っている 「♪日清談判破裂して 品川乗り出す東(あずま)艦」 という歌の「東」は、幕府海軍が購入の約束をしながらも、結局新政府側に引き渡されたアメリカ生まれの軍艦「ストーン・ウォール」。 榎本武揚の艦隊を苦しめた「甲鉄」艦の後の名です。
宮古湾海戦で士方歳三らが斬り込んだとされる艦です。
いつも丁寧なコメントありがとうございます。引き続きご視聴下さいませ。
では真の「死の行進」とはなんぞや、trail of fears「涙の旅路」ですよ。インディアンであるチェロキー族は住む場所を制限され一定の場所に追い込まれて生活していた、今度はその場所から金が採掘出来るとなるとまた移動を迫った。兵隊に牛や馬みたいに柵に追い込まれて、土地を奪われた。追い出された彼等は1000キロの旅に出るのだが15000人で出発したチェロキー族は途中4000人から5000人が四亡した。これぞ正しく死の行進だ。マッカーサーが飛行機から出てきてパイプ咥えながら降りてくるシーンがあるだろう?あの飛行機が「バターン号」だ。もしどこかで「バターン死の行進」の話が出て来たら、倍返しで文句言ってやれ。当時の日本軍はどこの国よりも高潔で厳格で誇れる軍隊であった。
丁寧なコメントありがとうございます。大変参考になりました。
フィリピンに対して何故にかの大陸の国が独立を認める約束をしていたか?が大事よ。米西戦争後に何をしでかしたか?「そりゃ怒りが収まらないよね、仕方ないから将来的には独立認めるから勘弁して〜」ってなりますよ。モンロー主義で「もう植民地を持つ時代じゃないんじゃな〜い?」ってアポか。自分は大陸手に入れといて、他の列強は全世界の8割を植民地化しておいて、後発の国(日本とか)が欲しがらないようにこんな事を言い出しやがった。世界恐慌で経済回らなくなったらブロック経済で貿易立国を叩き潰し自分らだけ生き残りを図りやがった。 「死の行進」?たった80キロですよ、毎日毎日何万個もオニギリあげましたよ捕虜に。おまけに日本軍は荷物まで持ってました、コイツラは手ぶらです。捕虜がいた場所は何にもない場所そこにいれば間違いなく死が訪れます。残りたければ残ればいいし脱走すれば脱走できる状態で移動してます。戦争に架ける橋の泰緬鉄道も似たようなもんです。日本兵も同じように四んでますよ(マラリア、毒ヘビヤラでね)。だいたいね当時既に関門トンネルとかを作り上げてる時代でハクジンに教わることなんて有りませんよ、コッチの方が技術が上ですから(台湾だ朝鮮でも未だに一番でかいダムとか作ってます) 日本軍が捕虜になってもアイツら食事を与えませんでしたね(降伏してないから捕虜じゃないとか意味分からん理由で)、止むなく自分らで畑作って食物を作りましたよ。
最後まで勇敢に戦った土方歳三は、尊敬します。自分も土方歳三のように心を強くしていきたいと思っています。
コメントありがとうございます。幕末の皆さんはすごいですね。
明治時代までは、生きたのかな? 明治生まれの人で徳川慶喜を生でみた人は、いるのかな
コメントありがとうございます。写真を趣味にしてとても長生きされたようです。
「十七条憲法」は 「和を以て貴しとなす」 「篤く三宝を敬へ。三宝は仏法僧なり」 「詔を承りては必ず謹め」 (多少語句は違っているかもしれません) の順で、尊ぶものは「和」「仏法」「天皇」の順になっていますから、第2条は取り上げる価値はあったのではといます。 煬帝が怒ったのは「日没する処」という表現よりも、対等な交流を求められたからでしょう。 中華思想によれば、そんなことは天地がひっくり返ってもあり得ません。 「蕃夷の書無礼なるあり。復た以て聞する勿れ」 (野蛮人の手紙は無礼なものだ。二度とこのようなものを取り次いではならない) というのはそういう怒りでしょう。 煬帝からの返書を小野妹子は失くしてしまいますがが、そんなことはまずはあり得ない。 「百済で奪われた」という弁明でしたが、その後百済に対する調査も問責も行われていません。 小野妹子自身、しばしの謹慎はありましたが、すぐに官位十二階の最高の地位「大徳官」に進んでいます。おそらく相当な内容で聖徳太子も承知の上で抹消したのでしょう。 なお、日本は遣隋使、遣唐使通じて冊封を拒否しています(つまり家来になっていない)。 「日本国王」に封じられたのは、足利義満が最初です。 豊臣秀吉も朝鮮出兵の時、文録の役の講和の際に明から「汝を日本国王に封じる」との国書に怒り心頭、慶長の役を開始します。
「大兄(おおえ)」というのは母が同じ兄弟の長男を表しますから「中大兄」に付けたのなら「山背大兄」にも付けたいところです。上宮王家の正統であることを示しますから。 なお、昔の一万円札の聖徳太子像のモデルになったことで著名な 「聖徳太子二王子像」 の向かって右が山背大兄。左は聖徳太子の弟の殖栗皇子です。 「天智天皇」は「てんぢ(最近では「じ」と表記)天皇」で濁ります。 諡号については、井沢元彦さんが「逆説の日本史」で 「殷の紂王が最後まで持っていた宝玉天智玉に由来する」ことを紹介して有名になりましたが、 これは森鴎外が大正期に帝室博物館総長兼図書頭に就任した際に編纂した「帝謚考」で考証されています。 「天武」の方は殷を滅ぼした周の武王の「武」に由来するものので、悪逆を尽くした前王と戦って倒したという宣言(壬申の乱で天武が倒したのは弘文天皇ですが)ということです。 確かに天智は 蘇我入鹿を討滅したのは仕方ないとしても、 蘇我倉山田石川麻呂の不可解なタヒ 孝徳天皇への仕打ち 有間皇子の悲劇(特に「天と赤兄のみ知る」という言葉と「真幸くあらば」の絶唱は胸に迫ります)など、邪魔者は消すという姿勢は悪王そのものです。 百済救援の兵を出してコテンパンにやられたり、防人を動員して民を苦しめたりもしましたし。 (ただこの遠征のお陰で、私たちは額田王の 「熟田津に船乗りせむと月待てば 潮もかないぬ今は漕ぎ出でな」 を得た訳ですが) 井沢さんは、「天武は天智の父親の違う年上の異母弟(つまり赤の他人)」という説を紹介して、ここで皇統が入れ替わったのではとさえされています。 (もちろん、後に天智系が継ぎましたので、もしそうであっても、復活していますが)。 なお、天智に対しては柿本人麻呂が 「玉だすき 畝傍の山の 橿原の 聖の御代ゆ 生(あ)れましし 神のことごと つがのきの いや次々に 天の下 知らしめししを 空にみつ 大和をおきて いかさまに 思おしめしか あおによし 平城山を越え あまざかる 雛にはあれど 石走る 近江の国に 天の下 知らしめしけむ 天皇(すめろぎ)の」 と続いていく枕詞のパレードのような長歌と 「楽浪(さざなみ)の志賀の辛先幸くあれど 大宮人の船待ち兼ねつ」 など反歌2首を捧げています。 (これも多少間違っているかもしれません。 なにしろ習ったのが高二の「古文」ですから。)
いつも大変お世話になっております。勉強になりました。
いつも大変お世話になっております。とても勉強になりました。
近藤勇は「天然理心流」ではないでしょうか? そうでなければ、同流三代目宗家近藤周斎に見込まれて養子となり、宮川勝五郎から近藤勇に代わる理由が見出だせません。 継いだ道場が有名な試衛館です。 最近は「誠衛館」だったのでは?との説も出されていますが。 「試す、衛(まも)る」では意味がとれないが、「誠を衛る」なら、そのまま新撰組の「誠」の旗に繋がるというものです。 士方歳三も同門です。 近藤が降伏したのは流山です。 ここへ移る前は、残った隊士と足立区の五兵衛新田の開拓者金子五兵衛のもとにいました。 綾瀬川を挟んで官軍が伊藤谷橋のたもと(現在の小菅拘置所の辺り.綱吉の小菅御殿の跡地)に展開したので、しばしのにらみ合いの後流山に移り、ここで抗戦を諦めました。 近藤以下の世話をした金子家の子孫は現在も同地にあり、旧新撰組隊士が起居した観音寺は、現在も綾瀬駅北側に残っています。 ペリー来航が1843年になっています。「龍馬」の方では直っていますが。 ちょうど「夢酔独言」の天保2年9歳の麟太郎が、 「本のけいこに三つ目向こうの多羅尾七郎三郎が用人の所へやつたが、ある日けいこにゆく道にて、病犬(やみいぬ)に出合ってきん玉をくわれ」 小吉が70余日毎晩水をかぶり妙見堂にはだか参りをして祈ったという件を読んでいました。 なお、「はだか参り」は当節聞きませんが、江戸後期には流行ったらしく、 「いまそこで、若い娘のはだか参りに出会った。一糸まとわぬ素っ裸だった」 「そりゃ羨ましい。で、美人だったかい?」 「顔は……見なかった」 という江戸小咄があります。
いつも大変お世話になっております。引き続きよろしくお願いいたします。
芭蕉の「古池や」とともに、日本人が最も多く知っているであろう子規の 「柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺」 は漱石の 「鐘つけば銀杏散るなり建長寺」 を踏まえたもの。 「俳句とはこうしたものなのだよ」 という添削だったもしれません。 子規が大陸で大喀血して、東京にもどるまで、四国松山に赴任していた漱石のもとに二月近く滞在していた時に、漱石が詠みました。 子規はこの後奈良に寄りますから、期間はあまり離れてはいませんね。 「俳句の革新」は成したと見た子規は、最後の大仕事として千年の伝統を持つ和歌(短歌)の改革に手を付けます。あと3年しかありません。 「再び歌よみに与ふる書」で 「貫之は下手な歌よみにて、古今集は下らぬ集にて有之候」と極端な表現に走ったのは、やはり持ち時間が少ないという焦りからだと思います。 余裕があれば「万葉集にかえれ」とか実朝の「金塊和歌集は万葉風で優れている」と主張して、時の判断に委ねれば良かったことですから。 「新古今」については「やや優れたり」としているものの 定歌には「自分の歌についてはろくなもの無之」としているのは 「駒とめて袖打ちはらふ陰もなし佐野の渡りの雪の夕暮れ」 こそ和歌の精華だと考える私には不満があります。 根岸(駅は鶯谷)の子規庵は空襲で焼けての復元ですが、近所にある中村不折住居跡の「書道博物館」とともに、あのラブホテル街の中で異彩を放っています。 昔、この博物館で青山繁晴さん(今度の総裁選に出馬するそうです)と出くわしたことがあります。 まだ、中村家個人所有の時代で、現在の立派な記念館もなく本館のみで、訪れる人も稀でしたから奇遇でした。 「菫ほどな小さき人」をコンセプトにみつはしちかこさんが 「小さな恋のものがたり」の主人公チッチ(小山ちい子でしたっけ。恋人のノッポのサリーの本名は流石に覚えていません)を造形しました。 「ノッポ」という言葉は最近聞きませんね。その前の「半鐘泥棒」はもはやタヒ語かもしれません。 組合の標語で 「じっと手を…見飽きた」 というのがありました。 啄木の浸透度も相当高いですね。 ちなみに日本で一番読まれた小説は漱石の「こゝろ」か太宰治の「人間失格」だそうです。 百田尚樹さんの「永遠のゼロ」がこれに続きます。 「五七五」「七七」と続いていくのは「俳諧」でも良いのですが、もともとこの形式は「連歌」と呼ばれ、そのうちの趣味性の高いものを「俳諧連歌」略して「俳諧」と呼びました。 ですから、本能寺前の光秀の 「時(土岐)はいま雨がしたしる(天が下治る)五月かな」 「水上まさる末の松山」 「花落つる流れの末を塞き止めて」 は連歌ではあっても俳諧ではありません。
さっきふと「定歌」になってしまっていたことに気づきました。
いつも大変お世話になっております。引き続きよろしくお願いいたします。
ジンギスカン(グループ名)のデビュー曲「ジンギスカン(曲名)」(ややこしい。「♪ジンジンジンジンギスカーン、ヘイライダー、ホーライダー」というあれです)の原曲でも「一夜に7人の子を仕込み」と歌っていますものね。 ただ、3200万人が40億人を超すアジア人の4割というのは? 中国人だけでも14億(最近は10億人しかいないのではとの説も有力ですが)、インドネシアにも2億7500万人居ますし。 「モンゴル人の」でしょうか?
いつも大変お世話になっております。素晴らしいコメントありがとうございます。
万里の長城は「壮大で無駄な防御施設」の代表のように語られますが、北の遊牧民族を馬から降ろすという目的がありました(長城を人はよじ登れるが馬は越せない)。 馬に乗り、騎射するという戦闘技術は歩兵にとってはとんでもない能力です。 これは義経の騎馬戦法に平家方が手もなく、敗れ続けたことでもわかります。 ということは、馬から降ろしてしまえば、蒙古軍はさほど恐くない。 文永の疫の主力が高麗軍、公安の役の主力が江南軍で、モンゴル人自体の数は少なかったようですが、 それでも彼らが馬に乗っていたら猛威を振るった筈です。 「蒙古襲来絵詞」を見ても元軍は徒歩、日本軍は騎馬で戦っていますし。 文永の役の後に計画された「高麗侵攻」が実現して、華北平原辺りで決戦が行われていたら、容易に勝つことは出来なかったでしょう。 筑紫の石築地(防塁)は見学したことがあります。人の背丈ほどのずいぶんチャチなものですがそれでも有効だったようです。 これにお金が掛かりすぎたので、高麗遠征の費用がなくなったという説が主流ですから、本当に鎌倉幕府は貧乏な政権でした。 海音寺潮五郎さんが「歴代執権の生活の質素さを知ると、なぜ彼らはああまでして権力を欲したのだろうと思うことがある」と書かれています。 日本海側には、子供が駄々をこねたときに「良い子にしていないとムクリ、コクリが来るぞ」という脅し文句がありました。 「蒙古、高句麗」で、庶人に与えた恐怖感の大きかったことが分かります。 戦時中に作られた映画「元寇」は、矢を作る人の 「この矢が敵兵を射るのかと思うと、この手にも力が入るわ」など銃後向けの宣伝臭はありますがなかなか面白いです。 なんと言っても元寇のイメージを決定づけたのは、頼山陽の「日本楽符」の 「蒙古来たる 北より来たる 鎌倉の執権 肝甕の如し」 の詩で 「♪四百余州をこぞる 十万余騎の敵」の唱歌「元寇」もこの路線です。 海音寺さんの「蒙古来たる」も題名をここから取っていますし。 ちなみに、この作品に「キリスト教が出てくるのは著者が歴史を知らないためだ」と言いがかりをつけた評論家がいましたが、 中国にはすでに「景教」の名前でネストリウス派のキリスト教が入っていたことを知らぬほどの無知を曝しただけでした。 元寇舞台ではビンス・エベレットものの、「モンゴルの残光」の外伝的な「退魔戦記」が面白いです。
いつも大変お世話になっております。いただいたコメントはすべてひとまとめにして別のファイルに保管しています。
防人🫡
コメント誠にありがとうございます。新しい動画を配信いたしましたので、是非ご視聴下さいませ。
黒澤明さん監督、三船敏郎さん、京マチ子さん主演の「羅生門」はタイトルと設定は「羅生門」ですが、内容は同じ芥川龍之介の「藪の中」です。 大映の「永田ラッパ」こと永田雅一さんは、当初この映画に殆ど関心を示しませんでしたが、 「ヴェネツィア国際映画祭」で「金獅子賞」を受けるや掌を返して絶賛します。 それは良いのですが 「わが社もいつまでも多羅尾伴内のようなものを撮っている訳ではない。こういう芸術の香り高い作品を作っていくのだ」 とやってしまい 「ある時は片目の運転手」の片岡千恵蔵さんが 「映画界復興のためにやって来たのだ。馬鹿にされるいわれはない」 と怒ってしまい移籍、以後私たちは伴内や金田一耕助を東映で観ることになります。 ただ、この文芸大作路線によって溝口健二監督の「雨月物語」が撮られたのは幸いでした。 以前の動画でも「浅茅が宿」が取り上げられていましたが、この映画も、これと「蛇性の淫」を合わせたもので、「浅茅」は雨月物語の代表格なのでしょう。 私は「吉備津の釜」が好きですが。
小田原は江戸期、箱根越を控えた東海道最大(ということは日本最大)の宿場町でした。 池波正太郎さんの「剣客商売」の「二十番斬り」でも、小兵衛と最後に対決する凄腕の浪人が当初小田原に行っていて連絡が取れなかったという設定があるように、「箱根から向こうは化け物が棲む」と言っていた江戸の連中も、熱海、小田原辺りまではよく行っていたようです。 但し鉄道唱歌に 「♪国府津降りれば馬車ありて 酒勾、小田原遠からず」 とあるように、東海道本線から外れてしまいました。 これを解消して、東京と直接結んだのが 「小田原急行電気鉄道」です。 昭和の初期、「東京行進曲」が流行すると、 「♪シネマ観ましょか お茶飲みましょか いっそ小田急で逃げましょか」 という歌詞に 「うちは駆け落ちのための鉄道ではない。 『小田急』などという名前でもない」と抗議が来たそうです。 その後「小田急」の名前が、定着し乗客も増えると、作詞者の西條八十に生涯優待乗車券が贈られましたが。 この歌については伊庭孝が「退廃的、資本主義の薄っぺらな上澄みを描いたもの」と批判し、歌詞中に「長い髪したマルクスボーイ」というフレーズを入れていたのに削除された西條が応戦、論戦を繰り広げています。 昭和初期の人は論争好きだったのでしょう。 俳句に登場する蝉の種類について論争するくらいですから。 以上芥川の文学性とは、関連性のない話でしたが。 「オツベルと象」については、細野不二彦さんが「ギャラリーフェイク」の中で、 伊藤若冲の絵とともに作品の最後の辺りを登場させています。 私は子供の頃から「オッペル」だと思い込んでいました。
いつも素晴らしいコメントありがとうございます。引き続きご視聴下さいませ。
通った中学校が震災紀念堂(現在は東京都慰霊堂)のある横網町公園の真正面でしたので、ここでの被害のことは、見聞しました。 当時陸軍被服厰の跡地(実は私の中学も敷地の一部だった)では、「1万5000坪に3万5000人のタヒ骸」と報じられるような惨状でしたが、 火がおさまった時には「万歳」とたち上がった人も多数いたそうです。 ただ、火災旋風で衣類を剥がされ、赤裸になった上に重度の火傷を負い、その夜衣服の奪い合いが起こる(被服厰の跡地で皮肉ですが)など、地獄絵図だったと地元では伝えられていました。 裸と言えば、瓦礫のなかで女性が盥で行水をつかっている有名な写真がありますが、これが私がヌード写真を見た最初でした。 現在の綺麗なヌードが最初となる若い人は羨ましい。 加藤友三郎が直前に病死して首相が、不在だったことも混乱に輪を掛けました。 浅草の十二階「凌雲閣」が折れてしまったことの心理的影響も大きかったと思われます。 現在で言えば、東京タワーやスカイツリーが折れたようなものですから。 ちなみに、子供のころ流行った 「いろはに金平糖」「金平糖は甘い」「甘いはお砂糖」「お砂糖は白い」「白いは兎」一一と延々と繋がっていく言葉遊びに「黄色いはバナナ」「バナナは高い」「高いは十二階」「十二階は恐い」という一節があり「なぜ11階でも13階でもなく十二階なのか」と当時疑問でした。 工藤美代子さんが、当時の情況の中で、空き家、小学校、糧末厰などまるで火の気ない所から出火していく様と、自警団が創設されていく様子を描写されています。 全然関係ありませんが、工藤さんは所謂「視える人」で 家の改装のため一時期住んだ借家で様々な怪奇現象に遇いました。 その家に工藤さんの前には「某女性政治家」が住んでいたとのことなので、調べてみたら、蓮舫さんでした。 蓮舫さんも怪奇現象に怯えるのか、伝はあるので尋ねてみたい気持ちはありますが、それだけを聞きにいく訳にもいきませんし。 震災の結果、翌々月に予定されていた皇太子殿下の結婚式が延期されました。 記念切手も原版が失われ発行停止となりましたが、委任統治していたパラオに残り、たいへん貴重な切手となりました。 昨年、震災後100年ということで「福田村事件」が映画化されました。 田中麗奈さんは、実写版「鬼太郎」以来のファンですが、流石にトラウマになりそうな映画なので、控えました。
いつも素晴らしいコメントありがとうございます。引き続きよろしくお願いいたします🙇
江戸時代に「宿屋飯盛」という人が 「歌詠みは下手こそよけれ天地の動きだしてたまるものかわ」 とまぜっかえしています。 このひと、石川雅望といいます。 現在RUclipsで正しい日本語で素晴らしいウクライナ情報分析をされている「シュタインバッハ大学」の石川雅一さんと血縁あるだろうか?
いつもコメントありがとうございます。今日も新しい動画を配信していますので、是非ご視聴下さいませ。
官がつくった「六国史」に代わって、民間(と言っても貴族ですが)の歴史書の登場。 「鏡」は歴史を移す「鑑」。「大鏡」「今鏡」「水鏡」「増鏡」と作られました。 「ダイコン水増し」ですね。 さらに、鎌倉時代は「東鑑」、室町時代は「後鑑」 「六国史」最後の「三代実録」から「古今和歌集」まで僅か3年。 朝廷の関心は完全に歴史から和歌に切り替わりました。 そして「かな序」が素晴らしい。 「力をも入れずして 天地(あめつち)を動かし 目に見えぬ鬼神をも あはれと思はせ 男女の仲もやはらげ 猛き武士どもの心を慰み」 まさにそのとおり。 「言霊のさきはう国」 となります。
コメントありがとうございます。そうなんですね。勉強になります。
武蔵や大和が凄いのはたった一隻の大和型戦艦を沈める為に艦隊型空母を最低でも15隻必要だった事です。ちなみに新鋭戦艦ならば大和型戦艦一隻に4隻あれば沈める事が出来るみたいですよ。当時のエセックス級空母の搭載機が100機だったみたいですから大和型戦艦を建造したのは間違いとは思えませんし、もし超大和型戦艦(満載排水量11万トン)がいて、操艦の神様の異名を持っ松田千秋少将が艦長だった場合アメリカ海軍の航空攻撃を全て回避した上で多数の航空機を撃墜したと思いますよ。それに大和型戦艦の建造に携わった牧野茂造船大佐がおっしゃっていましたけどもし、大和型戦艦の排水量がプラス1万トン追加された状態ならば武蔵は沈まなかったとおっしゃっていましたから。
コメントありがとうございます。これからも毎日配信いたしますので、引き続きご視聴下さいませ。
渡部昇一先生が、「国民が何の前で平等か、ということを考えれば国柄が分かる」と仰っていて 「日本の場合は『和歌の前の平等』です」。 「秀れた歌なら身分を問わず採用した万葉集」の東歌や防人歌について語られていました。 まさにその通りですので、NHKの大河「炎たつ」で 後三年の役の、八幡太郎義家が逃れる安倍貞任に 「衣の館は綻びにけり」 と呼び掛けたのに対し 振り向いた貞任が 「年を経し糸の乱れの苦しさに」 と上の句を付けた「古今著聞集」の有名なエピソードを 「衣の館は滅びたぞ」 「滅びも綻びもせんわ」 という意味の分からない怒鳴り合いにしてしまった脚本には、いまだに納得出来ません。 東戎でも蝦夷の首領でも、和歌に精進していたことを世に知ろしめる好機だったのに。 日本文化に対する敬意がないのだと思って以後視聴しませんでした。 この時、渡部先生は「東西南北のうち、なぜ東だけを『あづま』とも呼ぶのか、倭建命の話に因らずに説明出来るまでは、『古事記』を信じるべきです」とも仰っていました。 「現在でもあの辺りは吾妻郡嬬恋村です」と申し上げた記憶があります。
昔は「八丁荒らし」という言葉がありました。 「この芸人が出ると周囲八丁の寄席の客足が途絶える」という人気者に対しての褒め言葉で、一丁は100メートル余りですから、1キロ圏内に多くの寄席があったことが実感されます。 この時代の寄席一つひとつについて円生師匠が語られたものが一冊にまとめられているので、たいへんありがたいです。 なお、「落語協会」とともに「落語芸術家協会」がありますが、もちろん 「我々の落語は芸術である」 ということでなく、 落語とともに、漫才や奇術、声帯模写、漫談、紙切りなど寄席で行われる「芸術(剣術の術と同じ)」も網羅するという命名です。
近松門左衛門は歌舞伎の「国姓爺合戦」を観たことがあるだけで世話物(二番物)は苦手です。 中村吉右衛門さんと岩下志麻さんの「心中天網島」は新聞広告(当時は必ず新聞広告があり、銭湯にもポスターが貼られた)を覚えています。 同じく岩下志麻さんと郷ひろみさんの「槍の権三」、梶芽衣子さんと宇崎竜童さんの「曽根崎心中」、樋口可南子さんと堤真一さんの「女刹し油地獄」は皆、食指が動きましたが観に行きませんでした。 ただ動画にある部分か ら 「未来成仏うたがひなき 恋の手本になりにけり」 の最後までは、荻生徂徠も暗唱したというし、なんとなく覚えています。 徂徠は赤穂浪士を「義士」とは認めず、柳沢吉保に切腹処分を進言した人。 隣に住んでいて 「梅ヶ香や隣は荻生惣右衛門」 と詠んだ宝井其角は、蕉門十哲の一人で 「忠臣蔵」では討ち入り前夜に両国橋で大高源吾に出遭い、 「年の瀬や川の(水のだったかな?)流れと人の身は」と問いかけ、 「あした待たるるこの宝船」 との返事を得た人一一と並べると、時代の雰囲気のようなものが、わかった気になります。
コメントありがとうございます。勉強になります。古典文学の次は、現代文学を配信いたします。
コメントありがとうございます。いつもコメントの正確さに、驚いています。他のたくさんの視聴者様も読まれています。引き続きよろしくお願いいたします🙇
「閑かさや」の句で鳴いていた蝉について、昭和に入って斎藤茂吉と小宮豊隆が論争しています。 茂吉が「改造」誌上で「アブラゼミ」だとしたのに対して、異論が出て、面白がった岩波書店の岩波茂雄が文人を集めて議論させたところ、小宮が「芭蕉が訪れた日付から考えればニイニイゼミだ」と主張しました。 茂吉は譲らず、わざわざその季節に出かけたり、地元の人に尋ねたりした結果、自説を取り下げざるを得なくなりました。 しかし 「降るような蝉時雨の中で静寂を感じるという近代の感性を芭蕉が持っていると思った自分の誤りだ」 と「芭蕉が悪い」と言わんばかりの負け惜しみでした。 たしかに 「五月雨を集めてはやし最上川」 より、 茂吉の 「最上川逆白波の立つまでに 吹雪く夕べとなりにけるかも」 の方が優れていますが、旅人とそこを故郷とする人の季節違いの句と歌をひとつだけ比べてもとは思います。 「古池や」には Free care cow was to become Ms. Note という英訳があります。 もちろんジョークですが。 「奥の細道」最後の地大垣は豊臣家に因縁が深い土地です。 柴田勝家との対陣から脱け出し、織田信孝を討つため大垣城に入っていた秀吉は 佐久間玄蕃が動いたという報を受けて中国大返しを上回るスピードで賤ヶ岳へとって返し、柴田を破り天下を定めます。 関ヶ原前夜、石田三成ら西軍諸将は大垣城に居ましたが、家康がこの城を無視して大坂に向かうとの報を得て、急遽城を出て夜のうちに関ヶ原で待ち伏せましたが、敗れ去りました。 すなわち、大垣に発した豊臣政権は大垣に潰えたのです。 天守は国宝でしたが、空襲で焼け、現在はコンクリート復興です。 なお、郡上八幡城の天守はここのコピーです。 「佐渡によこたふ」は「よことう」と読んだ方が良いと思います。 日光で詠んだ 「あらたふと青葉若葉の日の光」 と同じです。
「日本永代蔵」は明治の「西洋立志篇」と同じ趣向ですね。 商業と工業の違いはありますが。 勤勉節約を尊ぶのは我が国の風です。 同時期に弥治さん喜多さんを主人公に「西洋道中膝栗毛」も書かれ滑稽なことが好きなのも変わりません。 西鶴の頃「矢数俳諧」が盛んでした。 一昼夜で8000本を通した三十三間堂の通し矢に因んで、一昼夜にいくつの俳諧を作れるか競うもので、西鶴が2万3500もの俳諧を作ったことで、「こんなもの破れるものではない」と廃れていきました。 以後動画にあるように、推敲を重ねる芭蕉風の俳句となっていきました。 なお、遠し矢については、平田弘史さんに「弓道士魂」ていう傑作があります。 「青頭巾」は水木しげるさんに同名の短編があります。 青頭巾の祟りに怯える村を高僧(絵柄はネズミ男です)が訪ね、青頭巾を見事に成仏させ村人に頼まれその寺の住持になるが…。 という話で最後の一コマで驚かせてくれます。 「吉備津の釜」の「釜鳴り神事」の釜は現在も吉備津神社にあり、まことに我が国は歴史の古りた国です。
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好奇心旺盛な織田信長は、宣教師たちにヨーロッパの城はどういったものか尋ねたでしょう。 「石で出来ており、高い楼閣がそびえ、域内に教会もある」 これを日本的に実現させたのが安土城だと思います。 琵琶湖側から見れば島の上に城がある(その後干拓が進み現在はまるで違いますが)、天主と呼ばれる中心の建物の最上部が夢殿の上に金閣を乗せた異様な造り。 信貴山城が天守の先駆とされますが、どうも質的にまるで違うもののようです。 宣教師の脳裏には当然モン・サン・ミッシェルがあったでしょうし、安土城はその正嫡というのが私の妄想です。 モン・サン・ミッシェルは近年バス用の橋が掛けられてしまいましたね。景観的に残念です。 それにしても、それからわずか20年足らずで「コンスタンチノープル以東最大の要塞」と称された大坂城が出来上がるとは。 一方向一重の、しかし決して破れない城壁で守られたコンスタンチノープルと、南側の惣濠に頼る(その外に「真田丸」が築かれた)大坂城、設計思想まで似ているような。 城の一般への開放(ただし料金を取って)は信長もやっています。徴収係は信長その人でした。 信長は安土城のライトアップまで行いました。 アンコール・ワットを物語の中に見た最初は水木しげるさんの「虹の国アガルタ」シリーズです。 創刊間もないビッグコミックで、「娼館で間違って娼婦を殴って逃げ出したが、追ってきたきた連中に捕まっ てブタ箱に放り込まれる」というなさけないゴルゴ13も載っていました。 水木さん(仲間内では「大先生」という称号です)はこの頃「鬼太郎のベトナム戦記」シリーズも執筆されていました。
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パラオの放送局が日本で 「これば日本語で何と言いますか?」 という街頭インタビューをやっていました。 ハンガーについて答えられる人がなく 「これは衣紋掛けと言います」 と教えられていたのは、かなり情けなかった。
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乃木希典についてはキリがないので、稗史の類いを。 明治初年から手間のかかる日本髪はしだいに廃れ、特に若い世代は束髪が主流となりました。 日露戦争の少し前に、前髪を庇のように張り出させる髪型が女学生の間で大流行。 さらにまさに旅順戦中、頭頂部で高く結い上げる髪型に発展 「二百三高地髷」 と名付けられました。 戦後も「和服にも洋服にも合う髪型」として大流行し、名前もそのままでしたから、国民は旅順戦を悲劇だとは感じていなかったのだと思います。 乃木が学習院長になった後、朝日新聞主催の「第一回全国美人コンテスト」が行われ、学習院の女子学生が一位に選ばれました。 この頃のコンテストは、応募者が一堂に会するものではなく、写真を送らせてその写真で審査するものでした。 しかし、「玉菊」や「洗い髪お妻」の例で分かる通り、この頃のこの種の催しは芸妓など玄人の応募が主ですから、大問題になり、退学処分になりました。 巷間、「乃木が怒って退学に処した」と伝わりましたが、実際には女子部の執行部が決め、乃木が認めました。 乃木が学習院長に就任するに当たり、 明治天皇が 「いさをある 人を教えの 親にして おほしたてなむ やまとなでしこ」 の歌を女子部に贈っていたので、面目が立たないと執行部は思ったのでしょう。 ただし、この女学生は自ら応募したのではなく、写真好きの姉婿がポートレイトを撮って勝手に応募、それを知って女学生は何度も取り下げを要望しましたが、新聞社が拒否、そのまま審査が行われたことが後に判明しました。 これを知った乃木は某華族の爵位を継ぐ子息との縁談を持って訪問、婚約を成立させています。
旅順戦中、長男勝典に続いて二男保典の戦死の報が前線から届き、 参謀が報告に訪れると、乃木の方から 「いま保典が来た。 何か呆然としているので 『どうしたのか』と問うと 『父上のお顔が見たくて参りました』。 『持ち場を離れてはならない』 と帰したところだ」 乃木将軍と幽霊の話はいくつかありますが、私の知る限りこれが初出です。 三橋一夫さんの「日本の奇怪」にあります。 奉天会戦では乃木の第三軍は主力師団を手放しながらも、、総司令部からの「進軍止め」と「迂回攻撃せよ」の二度の命令に抗い、いずれも大勝利を得ています。 決して上からの命令に唯々諾々と従う人でも、戦下手でもありません。 乃木の殉死に衝撃を受けて、森鴎外は「興津弥五右衛門の遺書」、夏目漱石は「こゝろ」を書いています。 芥川龍之介の「将軍」が皮肉な調子なのは、やはり世代の違いでしょうか。
いつも素晴らしいコメントありがとうございます。このまま動画に使えそうです。新しい動画を配信していますので、是非ご視聴下さいませ。
聖徳太子に感謝ですね。 現代でも聖徳太子を見習ったほうがいい上の立場の人っていますよね😅
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人の心の沸騰する戦乱の時代には故事成語が出来やすく、 秦末から漢初にかけては 「燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや」 「王侯将相いずくんぞ種あらんや」 「呉下の阿蒙にあらず」 「男子三日会わざれば刮目してこれを見よ」 「国士無双」 「背水の陣」 「四面楚歌」 「抜山蓋世」 「虞美人」 「項羽二十八騎」 「捲土重来」 (時系列で思いつくままに) とたくさんの故事成語が生まれています。 三国志の時代にも 「桃園の誓い」 「三顧の礼」 「白眉」 「泣いて馬謖を斬る」 など広く知られている言葉ががいくつも。 思い出しましたが、大長編「三国志」で知られる(もちろん「鉄人28号」や「魔法使いサリー」も)横山光輝さんが「史記」を漫画化した時、登場した故事成語をまとめた一冊があります。 我が国でも戦国時代には 「元の木阿弥」 「洞が峠」 「敵は本能寺」 「三日天下」 「天王山」 「関ヶ原」 「淀君」 といった状況を一言で表す言葉が作られていますね。
李白は、長安を去った阿倍仲麻呂の船が難破したという報が届いた時に 「晁卿衡(阿倍仲麻呂)ヲ哭ス」 という七言絶句を作っています。 仲が良かったのでしょう。 ただ、仲麻呂はタヒなず安南に漂着し、後に長安に戻っています。 「天の原ふりさけみれば春日なる三笠の山に出でし月かも」 はこの頃でしょうか。 犬山城の異称「白帝城」は李白の「早発白帝城」からとられています。 杜甫の「春望」については第二句の 「城春にしと草木深し」 からとられた城郭研究誌「城春」を覚えています。 しかし、なんと言ってもこの時代の世界都市長安を象徴するのは、 石田幹之助の名著「長安の春」の冒頭にも掲げられた同名の 「長安二月香塵多シ 六街ノ車馬声凛凛 家家楼上花ノ如キ人」 に始まる詩だと思います。
コンタロウさんの熱血友情野球ギャグ漫画(カントクと定岡くんが活躍する物語)「1、2のアッホ」に波目(近藤)くんの「高原冷触少し塵」というセリフがあったのを覚えています。 当時の「少年ジャンプ」の読者は、これが「巧言令色鮮し仁」のパロディだと一発で分かる程度には論語に親しんでいたのでしょう。
いつも素晴らしいコメントありがとうございます。故事成語、たくさんの動画ができそうです。ありがとうございます。
これが大東亜共栄だ!!ご先祖様ありがとうございました😢
おはようございます。コメント誠にありがとうございます。さらに詳しくいいますと、説得ではなく、「お前たちと一緒になんか戦えるか。」と憎まれ口を島民に言って、最後は強制的に避難させましたが、島民の船が出るときに日本兵は浜に整列して島民に敬礼をしていたそうです。次の動画では、10分程度の動画にして詳しく解説いたします。引き続きご視聴下さいませ。
731部隊については取り扱い注意だからな。南京問題然り。 肯定派否定派両方の意見を紹介しないとチャンネルの信用自体なくなるぞ。
おはようございます。コメント誠にありがとうございます。ご指摘ありがとうございます。次は10分程度にまとめまて、さらに詳しく解説していきますので、引き続きご視聴下さいませ。
カンカンとランラン「ワイらが来日したのは昭和47年やで。昭和53年やないんやで。」
おはようございます。ご指摘ありがとうございます。毎日新しい動画を配信いたしますので、今後ともよろしくお願いいたします。
何で死んじまったんだよぉぉぉ😢
「ノモンハン」においては、ソ連軍の損害の方が大きかったことは、ソ連崩壊後の資料公開で明らかになっていますが、主張通りの有利な国境を確定させたソ連の勝利です。 辻政信も、タヒに行く兵士から「参謀殿、戦車に負けぬ戦をしてください」と言われたというエピソードを書き残していますし。 航空部隊は終始優勢でしたが、交替もなく、次第に疲れ果て「俺たちはここでタヒぬしかないのだ」と諦観が広がりました。 これはその3年後ソロモンで海軍航空隊が規模を10倍にして経験することになります。 米軍は3交替制で、戦場で戦ったら本国で休暇、さらに前線近くで、訓練して戦いの勘を取り戻す一一というローテーションでした。 欧州戦線での爆撃行でも搭乗回数が決められていましたし。 日本軍は全力展開の交替なし、しかも航続距離の外にある敵艦の攻撃指令(つまりは帰って来るなという)も出され、ベテランは次々と失われました。 早期講和を目指すなら「真珠湾」は決してやってはならない作戦でした。 山本五十六は「自分ならトラックや柱島が襲われ艦隊主力が失われればとても戦争は出来ない。アメリカもそうだろう」と踏んだのでしょう。 「開戦劈頭米軍の士気を回復せざるほど叩く」というのはそういうことです。 ところが「リメンバー・パールハーバー」を合言葉に(「リメンバーなんとか」)は米西戦争以来のアメリカのお得意)戦意は高揚。 ニミッツは不利な状況の中、僅かな空母部隊で果敢に反撃してきます。 「真珠湾で旧式の戦艦群が沈んだので、それに乗っていた最も優秀な乗組員を空母と重巡に移すことが出来、戦力がアップした」と回想しています。 「山本さんが居たのは禁酒法時代の堕落したアメリカだから、ヤンキー魂を見誤ったのだ」 とする海軍参謀もいますが、結局東郷平八郎を尊敬していたニミッツは山本のような卑怯者ではなかったということに尽きます。 日下公人さんが 「山本は真面目に戦争をしようとはせず、スタンドプレーばかりしていた」と述べていらっしゃいますが、その言葉の通り、実に無茶で拙劣(つまり愚かな)作戦を繰り返し、精強無比の聯合艦隊を僅か1年で実質的に擂り潰してしまいます(「南太平洋海戦が聯合艦隊が米艦隊と対抗し得た最後です)。
「断念させる」が「残念させる」になっています。
ついでに。 ルーズベルトは「欧州の大戦には参戦しない」を公約に三選を果たしていたので、「裏口からの参戦」を目指して、何とか日本に手を出させようとしていました。 外務省の暗号が破られていたので、日本の手の内はお見通し。と言うより交渉を妥結させる気が全くないので、日本が妥協すると、さらに無茶な条件を振ってきました。 (この点はマレー沖海戦の後 「日本はこれほどの決意と実力を持っているなら交渉の席で伝えて貰いたかった」と言ったチャーチルと大違いです)。 それにしても「真珠湾」はアメリカの希望以上でした。「卑怯なジャッ○」の声は溢れ、戦争に反対する声は地を払いました。 日独の軍事同盟は「第三国から攻撃を受けた時に発動」とありました。 ドイツの対ソ開戦の時は、独軍の方から攻撃を始めたので、日本は関東軍特種演習の名目で動員こそ行いましたが、開戦は見送りました。 ドイツも同じ理由でアメリカに宣戦しないことも可能でしたが、 ヒトラーの「我が国はこれまでかかる強国と同盟したことがあるか」の言葉で開戦に踏み切りました。 結局これがドイツに破滅を呼びました。
ご指摘ありがとうございます。注意いたします。
おはようございます。しっかり補足していただき、感謝いたします。しっかり読ませていただいて、次の動画で活用したいと思います。
おはようございます。いつも大変お世話になっております。いただいたコメントを次の動画で使わせていただいてもよろしいでしょうか?
説得というより恫喝と拒絶を用いて 逃した... 死ぬとわかってたからこそ現地の人たちには逃げて欲しいから そしてそれはしっかり現地の人に伝わってた
おはようございます。コメント誠にありがとうございます。その通りです。お前たちと一緒になんか戦えるか。と憎まれ口を島民に言って、最後は強制的に避難させましたが、島民の船が出るときに日本兵は浜に整列して島民に敬礼をしていたそうです。次の動画では、10分程度の動画にして詳しく解説いたします。ありがとうございました。
パラオと台湾は行きたいね❤ ペリリュー島の人達を疎開させたのは説得ではなくて命令! 残ろうとした人達の意志が強すぎた為に命令という形で移動させた。 アメリカも疎開先への攻撃をしたのかは不明だけれど、ペリリュー島の戦いは疎開先への攻撃をさせないためにも長引かせたという説もあるよね。
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