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shinzannohoshi
Япония
Добавлен 23 янв 2009
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『1979年天皇賞(秋)の振り返り』。前半に1980年秋天パドック(プリテイキャスト、メジロファントム等)本馬場入場(有力馬)。
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1979年秋天の振り返り。当時NHKはビデオテープを使い してましたので、 NHKには残ってないかも?。放送されたのは80年秋天の日。これまた貴重なプリテイキャストのパドック姿(フジ)もおまけで。
ミスターシービー世代が今でも一番好きだったのでメジロモンスニーの復活は嬉しかったのを覚えています。もし菊花賞に無事に出走していたら、三度目のミスターシービーとのワンツーもあったと思っています。競馬を好きになった最初の年に19年ぶりの三冠馬をテレビのライブで観れて本当に良かったです。ミスターシービー世代で一番好きな馬はドウカンヤシマですが(今でも)、メジロモンスニーもベスト10に入るくらい大好きな馬です。
何やこの音楽は?
キョウエイグリーンは逃げが得意な競走馬で、このレースでは直線でタカイホーマだけがこの馬に勝利しました
1984年の宝塚記念(カツラギエースが勝った)の同日に行われた東京のメインレースだったんですね。テレビで観てました。宝塚記念に大好きな 馬、ドウカンヤシマが大敗(どん尻)した直後でショックだったので忘れてました。このレース観て思い出しました。ミスターシービー世代のブルーダーバンも出走していたんですね。ブルーダーバンもこのあとに中日新聞杯GIII(父内国産馬限定)を勝つことになるんですね。1985年だったと思います。
プリティキャストはこの年の東京競馬場3200メートルのダイヤモンドステータスでも先行して8馬身圧勝しましたから!決して弱い訳ではなかったです!
かわいい…
大楽勝!
大崎はうまかった❗️
このレースでグリーングラスが樹立した府中2400というこのダービーコースのレコードは、 ずっと後に第1回ジャパンカップまで破られなかった。 ちなみにグリーングラスは中山2500有馬記念コースのレコード保持者(日経賞で記録)でもあった。 こんな馬が3番手だったということからもTTの凄さが逆に分かる。
まだ地方が中央より元気だった時代ですね。 地元の馬を応援に行った人は多かったと思います。
後の天皇賞馬が2頭も出ている。
他の動画で、コメントしたが、マルゼンスキーの人気がこれ程凄いとは、自分も、ただ『笑って見ただけ】凄すぎた。大好きだった、50年前目の前で見たのが、俺の「宝物】になったな。
これが、杉本清節
Thisisケイバストロンガー
めちゃなつかし。エグいなあ
京成杯秋春は昭和マイル平成中期から距離変わった
実況が長岡さん、若いね
日本短波の頃か
Wikipedia の「10番手の馬から更に20馬身ほど離れた後方の位置からレースを進めた」は明らかに盛りすぎだな。
1:58~襷コースの内側に新たな襷コースが見える (2:09でのダートコースのゴール板が襷コースとかぶるのを解消するため、翌年からコースの角度を少し変えるため)
ハギノトップレディって二枚腰の馬だったんだなぁと、桜花賞、エリ女、このレースをみて知りました
騎手がエラい豪華(笑) 清水英次・田島良保・武邦彦 西園正都・田之上幸男・古小路重男 山内研二・河内洋・伊藤清章・加用正 柴田光陽・佐々木晶三
この頃の秋天は、春天と同じく3200mなんですか〜(^^)😊。
このときは、どんだけ強いのか?馬なり?流しすぎ😂と驚いたな
4コーナーのラチの無い生垣が懐かしい
こんなぐちゃぐちゃな馬場で、しかも61キロを背負って後方待機で差し切ってしまう競走馬を平成以降見たことがない。平成以降の競走馬で芝のレースで60キロ以上背負っての勝ち馬いましたっけ。
トウショウボーイテンポイントが馬場を去った後にも2年に亘り満身創痍ながらレースでは安定した走りを魅せて三強では1番賞金稼いだ偉大なる長距離ランナーグリーングラス、人生の師とも呼びたくなる存在で有ります
迫力満点!
ハギノカムイオー、ロングヒエン、ヤマノシラギク、ハシローディーは古馬になってから知りました。(競馬デビューが1983年なので)。ロングヒエンは1984年のスワンステークスで故障発生して残念な結果になりました。ビゼンニシキもレース後に故障発生で引退してしまいましたね。(勝ち馬 ニホンピロウイナー)
私が初めて生で観た競馬がAJC杯でした🐎 21歳の時でした😂
実況は杉本清さん。結果アナは向坂興樹アナですね。
あれから42年後の2023年、イロゴトシが中山グランドジャンプで障害レースとはいえ、九州産馬初のG1制覇を成し遂げた(後に同レースを連覇)。
トウケイホープの仇を4年後のテツノカチドキが討つ ドラマがありますね
モンテプリンス負けてね⁉️w
4:15 逃げ切り濃厚!逃げ切り濃厚! 2番手以下は届かない、絶対に届かない!
母は名牝イットー、姉はトップレディとまさに華麗なる一族。セリで当時としては過去最高の1億8500万円で落札と話題になった馬。成績を振り返ると勝つときは強いが、逆に負けるときは惨敗。
今夜もトレビアン😊
今夜もトレビアン😊
初メマシテコンバンワー😊
ルドルフの日経賞に似てる。
G1になったけど、大阪杯はこの頃の天皇賞の前哨戦だった時代が一番面白い。
冒頭で少し映ったホリノウイナーが勝った1991年東京新聞杯、フジテレビ大川和彦アナのラスト実況でしたね。
父ゆずりの抜群の耐久力、カツラノハイセイコですね。
グリーングラスの大崎昭一騎手はかつてのカブトシローを彷彿させる3コーナー前で先頭にたち押し切った
このレースの2年前だったか、雪の中、京成杯でハーバーシャレードとトウショウゴッドの連勝複式9500円を取りました。 騎手は嶋田功と中島啓でした。 大学2年の思い出ですが、還暦過ぎても忘れられませんね。 動画、ありがとうございました。
このロイテマン馬主さん他にも当時インディ500等で活躍したアメリカンモータースポーツのレジェンドのアル・アンサーも馬名にしてた。
当時、優駿で海外競馬のコラムを連載していた石川ワタル氏が、この番組を見て 「とんでもない不見識、たまたま負けたレースをあげつらって二流とか三流とか批判するのは最低。ザベリワンもメアジードーツも米国では一流馬として評価されている。こんな上から目線だから日本の競馬は海外から馬鹿にされているのをこの番組の出演者は理解していない」 と批判されておられました。 そもそも、この時代日本調教馬はワシントンDCで5着以内にすら入線できていないのに、海外競馬に精通している、と自称していた野平祐二が米国のG1で勝ち負けしている馬をJCに来た馬は2流3流で他に300頭強い馬がいるとか方言していたに失望したものです。 結局のところ、欧米に遠征して何も学んでおらず、後のシンボリルドルフの件で和田氏と絶縁する羽目になったんでしょうけど・・・(武田文吾師も野平はただのええかっこしいと批判し、関東の騎手では加賀武見を評価していたのは有名です)。
今の京都金杯はこの年からハンデ戦になった(1600m戦になったのは2000年から)。
ブラビオーの中野騎手、今日で調教師引退ですね。お疲れ様でした。
悲しいかなダービーを起点に勝つたびにハイセイコーの敵役になってしまったタケホープ 判官びいき否めないと思う。関係者は辛かったろうね。 そう言えばハイセイコーにダービーで先着したもう一頭の敵役後に天皇賞馬になるイチフジイサミ。 あまり世間では語れなかったがこの世代意外とレベルが高かったと思う。🎉
どうでもいいと言われたイクノディクタスとゴールデンアワーはかわいそう 😂
このレースで7馬身ちぎられた2着プレストウコウはのち菊花賞レコード勝ちしてる。
最後の直線で手が動いてないのヤバすぎるな